東京都美術館「プラド美術館展」

14日に行った、東京都美術館プラド美術館展」の雑感。
気に入った画について、つらつらと。 なんとなく「ですます調で」。


まずは、特に目立った美人さん二人から。

■フランシスコ・デ・スルバラン「神の愛の寓意」
※勝手に他の方の写真を添えた感想に参考リンク。
http://julian.cocolog-nifty.com/floral_muse/2006/04/no7_caec.html
■ムリーリョ、パルトロメ・エステバン「エル・エスコリアルの無原罪の御宿り」。
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_immaculate_b.html

『神の愛の寓意』の女性、表情も服装も、実に優雅で知的でいいですよね。
更に良いのは、こんな人も"何かのきっかけ"があれば、こんな風↓に、
http://mentalblog.com/PhotoAlbum/Judith%20and%20Holofornes/target0.html
なることもあるんじゃないかなぁ、と何とはなしに想像させられること。
人生、生きているうちにはいろいろあるわけです。なかなか、そういつまでも優雅で慈愛に満ちてはいられないのでは(←寓意画に対する間違った感想の典型)。


ちなみに、上のリンク先の画はフィレンツェのピッティ美術館蔵のクリストファノ・アローリ『ユーディット』。
随分昔に実物をみて、好きで好きでたまらなく思えた画です。


「無原罪の御宿り」のマリア様も、《こうして天使に導かれないのであれば、なんだかコロッと性質の悪い商売の人に騙された挙句、際限なく堕ちていきそうだなぁ、この顔》という、あまりにも行き過ぎた純粋な愛らしさが印象的でした。
(この展覧会には残念ながら来ませんでしたが)プラド美術館の誇る名画の一角、ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の世界あたりに放り込まれたとしたら、なかなかそのギャップが興味深そうです。

※「快楽の園/地獄」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Hieronymus_Bosch_-_The_Garden_of_Earthly_Delights_-_Hell.jpg


そして、その二枚よりも更に興味を惹かれたのが、

■ファン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ「皇妃マルガリータ・デ・アウストリア」
http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/Margarita7.htm

全身に張り詰められた哀しみと、それに毅然と耐えようとする気品ある表情と立ち姿。やや力がかけられた右手。
とてもドラマチックで、これが小説の表紙画であれば、否応無くその手にとりたくなるような人物像です。

《この女性にこんな表情をさせる状況とはどういうものだろう。そして、その後、彼女はどんな人物となっていくのだろう。強い意志を持つ高貴な女傑に育っていくのか。あるいは、状況に負け、荒れ狂う運命に翻弄される儚い貴婦人となっていくのだろうか?》
そんな想像が自然と膨らまされます。
……なお、この画が描かれたとき14歳だった現実の彼女は、わずか数年後に22歳の若さで世を去ってしまったそうです。
http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/Margarita.htm


また、展示された作品中、最も迫力に満ちていたのは、

ルーベンス『ヒッポダメイアの略奪』
http://allabout.co.jp/special_gwd/datespot/CU20060315A/index4.htm

連れ去られる花嫁の悲痛な驚きと、それを守ろうとする花婿達の表情と必死の動きの押し迫る躍動感。
そして、それ以上に観る者の目を奪うのは画面右下、どっしりと大地を踏みしめ、逆らい難い力と意志を示すケンタウロスの下半身。
……ただ、リンク先の画像では、その力感の百分の一も伝わってこないのですが。生で観てこそ意味のある作品かと。


深く内面を描き抜く肖像画の醍醐味は、

■ティッツィアーノ『皇帝カール五世と猟犬』
http://allabout.co.jp/special_gwd/datespot/CU20060315A/index2.htm

の中に。


この画で描かれているのは、塩野七生の読者等にはお馴染み、神聖ローマ帝国皇帝としてはカール五世、スペイン国王としてはカルロス一世(《こうしたティッツィアーノの画業は、ヴェネツィアの外交の大きな武器ともなった》という分析が、『海の都の物語』で書かれてもいましたっけ)。
威厳と知性に満ちた姿は、ベラスケスが描く「フィリペ四世」の苦悩に沈む姿と実に対照的です。

■ルカ・ジョルダーノ「サムソンとライオン」
http://megurigami.jugem.cc/?eid=511

こちらも力強い作品-------ただ、このライオンの肢、妙に人間っぽいような???


以上、適当な雑感でした。

「熱狂の日」音楽祭:コルボ指揮「モーツァルト『レクイエム』」

ローザンヌ声楽アンサンブル
シンフォニア・ヴァルソヴィア
指揮者:ミシェル・コルボ
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626


演奏されたのは、モーツァルトのオリジナル版と、弟子のジュスマイヤーの補筆版。


特に意識せずに聴いていて、「随分と唐突に盛り上がった感じで始まり、ブツっと断ち切られるように一段落したなぁ」、と思ったが、後で調べてみると、それが「未完成のオリジナル版そのままの上演」ということだったらしい。


「ディエス・イレ(怒りの日)」という途中のパートから始まり、「ラクリモサ(涙の日)」の途中、モーツァルトが死の直前まで書き続けた箇所で終わったのだという。
その後、ジュスマイヤー版が冒頭から改めて演奏されたということだった。


つまり、モーツァルト自身による自らへの鎮魂歌が完成されぬままに終わりを告げたその後に、弟子が渾身の力で纏め上げた偉大な師へのレクイエムが歌い上げられたという構成。
実に面白い発想だと思わされる。


演奏そのものは……それはまぁ、美しい合唱だとは思えたけれど、困ったことに、私にはその良さがあまりピンとこなかった。


まず、なんだかホールの音響がおよそ合唱向きには思えなかったのが大きい。
1階13列目右ブロックというそれなりの席だったにも関わらず、《歌声がホールに充満し、音楽が空気に満ちる》という感覚ではなく、《美しい旋律が拡散しては消えていった》という印象。
こういう曲って、《耳を傾ける》のではなく、《体全体を曲に包まれる》という形が理想なのでは、と思ってしまう。


それと------《神の救い》とか《贖罪》とかいった感覚は、個人的にとことん縁遠いものなので、よっぽど問答無用に芸術的な世界に引きずり込まれない限り、こうした宗教音楽は少しばかり楽しみ難い。

ちなみに、少しばかり今回のコンサートの評判を調べたところ、ようするに「「最高!」という程ではないかもしれないけど、これが余り楽しめなかったんだったら、モーツァルトの「レクイエム」(「モツレク」と略すことも多いそうな)という曲自体、あんまりアンタと相性良くないんでないの?」と言われてしまうくらいの出来だったらしい。


……今後クラシック音楽を聴くときは、出来るだけ宗教色の薄いものを優先して選んでいくようにしようと思う。

「熱狂の日」音楽祭:パスキエ他「モーツァルト『ピアノ三重奏曲 第5番 ホ長調』/ハイドン『ピアノ三重奏曲 第39番 ト長調』」〜これだけ愉しそうに演奏される音楽を聴けたのは、それだけで幸せだと思う。

モーツァルトピアノ三重奏曲 第5番 ホ長調』/ハイドンピアノ三重奏曲 第39番 ト長調
●レジス・パスキエ :ヴァイオリン
●ロラン・ピドゥ :チェロ
●ジャン=クロード・ペネティエ :ピアノ


これだけ愉しそうに演奏される音楽を聴けたのは、それだけで幸せだと思う。


某クラシックサイトで引き取り募集されていた券を譲って頂いたところ、最前列中央付近の席。演奏者は前方右斜め1mくらいにいるし、付近の客席は、「我々は生活の中にクラシック音楽が根付いているわけですが、何か?」という空気。
余りの場違いさに、開演前は少しばかりいたたまれない気分にもなったが、演奏が始まれば、そんなものは全て吹き飛んでしまう。ただ楽しく、耳も眼も惹きつけられた。


なんだかパスキエという人、しばしば旋律をハミングしている------というか、唸っている。自分が弾いている最中にもやるが、自分のパートがない部分では、頭を緩やかに傾けるように振りながら、実に気持ちよさそうに唸っている。会場の誰よりも、この人自身が音楽に浸り、愉しみきっているという風情。

そんなパスキエに対し、チェロのピドゥは《苦労性のきまじめなメガネのおじさん》といった風貌。
その引き出す音も、どこかやんわりと穏やか、そして優雅。時々、顔を上げ、眼を見開いてパスキエ氏とアイコンタクトする表情が何ともおかしい。
ピアノのペネティエが弾く旋律も二人を引き立てるように軽やかに響いていく。


勿論、そんなトリオが紡ぐ音が、愉快でないわけがない。
歌って踊って走る旋律。語りかけるように、笑いかけるように、伸び伸びと曲が奏でられる。
特に後半のハイドンはパスキエのバイオリンが、もう、疾走につぐ疾走。その中でもどこか余裕があるのが味になる。


演奏が一旦終わると、止むことのない拍手の嵐。一度ならず、二度までもアンコールに応えるパスキエ達。
ピドゥ氏が日本語で「ドウモ、アリガト」と口にする愛嬌をみせたり、パスキエ氏が実に満足そうな表情を浮かべていたりと、始めて終わりまで、どこまでも幸せな時間が流れていった。
二度目のアンコールの際、奏者たちが舞台に戻ったのに、ピアノの譜面をめくる補助の人が遅れて現れてペネティエが困ったりしていたのも、まぁ、ご愛嬌。この「熱狂の日」というのは多分、そういったドタバタ面も含めて楽しむべきイベントなのだろう。

「渋皮栗」(片山若子)・「ガソリン」(笹井一個)合同誌「2ガス栗」

初めていったジュンク堂の漫画フロアには、同人誌の委託コーナーもあった。
そこで見かけたのが、見覚えの有る絵柄が表紙のこの一冊。
「渋川栗」の中の人のイラスト集は、一つくらい手元に置いておきたいところだったので、いい機会として購入。

片山若子さんの絵は、ここ数年、色々な小説のカバーイラストで眼にすることも多い。
下の本はその一例。

声の網 (角川文庫)

声の網 (角川文庫)

数年前にサイトで眼にした「ナイチンゲール」という題の画、またどこかで見れないかな……。

2006年4月の読了本そのほかのまとめ/雑感

<本>

寺山修司「誰か故郷を想はざる」 4/1

山本弘「幸せをつかみたい! サーラの冒険⑤」 4/1

アルフレッド・ベスター『分解された男』(沼沢洽治・訳) 4/3

ウィリアム・L. デアンドリア 『ホッグ連続殺人』(真崎義博・訳) 4/4

セバスチアン・ジャプリゾ『シンデレラの罠』(望月芳郎・訳) 4/5

小松左京『果てしなき流れの果に』 4/6

九条今日子「ムッシュウ・寺山修司」 4/7

ジョン・ファウルズ『魔術師』(訳・小笠原豊樹)上・下 4/11

関容子『日本の鶯 堀口大學聞書き』 4/12

ソード・ワールドRPGリプレイ・アンソロジー デーモン・アゲイン』 4/13

『バブリーズ・リターン―ソード・ワールド短編集』 4/13

『月光公園』(東逸子・絵、宙野素子・文) 4/14

グレッグ・イーガン万物理論』(山岸真・訳) 4/15

ジョージ・R.R.マーティン『タフの方舟Ⅰ 禍つ星』(酒井昭伸・訳) 4/16

ジョージ・R.R.マーティン『タフの方舟Ⅱ 天の果実』(酒井昭伸・訳) 4/17

萩尾望都『思い出を切りぬくとき』(エッセイ集) 4/19

新城カズマサマー/タイム/トラベラー』(1)(2) 4/20

グレッグ・イーガンディアスポラ』(山岸真・訳) 4/20

関容子『芸づくし忠臣蔵』 4/21

グレッグ・イーガン『宇宙消失』(山岸真・訳) 4/23

ローリー・リンドラモンド『あなたに不利な証拠として』(駒月雅子・訳) 4/24

レイ・ブラッドベリ10月はたそがれの国』(宇野利泰・訳) 4/25

ヒラリー・ウォー『愚か者の祈り』(沢万里子・訳) 4/26

都筑道夫『ちみどろ砂絵―なめくじ長屋捕物さわぎ』 4/28

北村薫他『七つの黒い夢』 4/29

三島由紀夫『青の時代』 4/30



<映画>

『ブロークバック・マウンテン』 4/8

リバティーン』 4/8

ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』 4/10




<DVD/ビデオ/TVなど>

『傷だらけの挽歌』  4/4

『パイレーツ・オブ・カリビアン』 4/7

『晴れて今宵は』 4/24

アルゴ探検隊の大冒険』 4/27




<演劇・落語・歌舞伎など>

「ライフ・イン・ザ・シアター」藤原竜也×市村正親 4/1



歌舞伎座四月公演/六世中村歌右衛門五年祭」夜の部

 「井伊大老吉右衛門魁春富十郎ほか/「口上」/「時雨西行藤十郎梅玉

 「伊勢音頭恋寝刃」仁左衛門福助ほか。 4/2



新国立劇場「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」 4/9

コクーン歌舞伎 東海道四谷怪談【南番】 4/15

さん喬を聴く会 4/16



東京ニューシティ管弦楽団第45回定期演奏会「永遠のロメオとジュリエット」

主任指揮者・曽我大介就任記念公演/特別ゲスト:島谷ひとみ 4/18



こんぴら歌舞伎第一部

 「仮名手本忠臣蔵/五段目・六段目」海老蔵/亀治郎ほか

 「月雪花名残文台/「浅妻船」「まかしょ」」三津五郎 4/22



歌舞伎座四月公演/六世中村歌右衛門五年祭」昼の部

 「狐と笛吹き(「今昔物語」より」梅玉福助我當ほか「高尾」雀右衛門

 「「沓手鳥孤城落月」二の丸乱戦の場・城内山里糒庫階上の場」芝翫勘太郎左團次ほか

 「「関八州繋馬」小蜘蛛」魁春時蔵仁左衛門菊五郎吉右衛門ほか。 4/23



池袋演芸場・四月下席(29日)昼/さん光改メ柳家甚語楼真打昇進披露公演 4/29

秘密の花園唐十郎原作・三田佳子主演 4/30




<漫画>

二ノ宮知子のだめカンタービレ キャラクターBOOK』 4/2

宇仁田ゆみ『ゆくゆく』 4/2

おーなり由子『てのひら童話』二巻 4/9

和月伸宏武装錬金』十巻(完結) 4/11

永野護ファイブスター物語ⅩⅡ』 4/13

こなみかなた他『猫本(ねこもと)』 4/18

二ノ宮知子『平成よっぱらい研究所』 4/18

山岸凉子『押し入れ』 4/20

萩尾望都『フラワー・フェスティバル』 4/23

二ノ宮知子『飲みに行こうぜ!』 4/25

萩尾望都『あぶない丘の家』 4/25

山岸凉子舞姫(テレプシコーラ)』1〜8巻 4/30




<その他>

CD『わかつきめぐみの宝船ワールド』 4/11

CD『のだめカンタービレSelection CD Book』 4/11

トークセッション「萩尾望都石飛幸治「人生のことはすべてマンガで教わったの?」 4/14

アニメ『ローゼンメイデン』第1〜4話 4/14

アニメ『ローゼンメイデン』第5〜8話 4/16

アニメ『ローゼンメイデン』第9〜12話 4/17

アニメ『ローゼンメイデン トロイメント』1〜4話 4/20

こんぴら歌舞伎観劇旅行 4/21-4/22

 善通寺/金比羅宮(本宮、奥社、書院(円山応挙の襖絵など)、高橋由一展、宝物殿ほか)/栗林公園 

アニメ『ローゼンメイデン トロイメント』5〜8話 4/23









読了本は、大体三系統に分類可能。

ミステリ・文学系はほぼすべて北村薫関連本。

北村薫×杉江松恋の臨時講座関連本や、新保博久トークショーTRICK+TRAP初訪問の際に買い込んだものが殆ど。



※2006/3/18「ミステリ読むこと書くこと〜講師:北村薫×杉江松恋」の講演記録・感想

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20060319



SF関連は、飛浩隆小川一水からの流れに、ジュンク堂での萩尾望都ラララ書店からの購入分が混入。



そんな中に、懐かしくなってちょっと手を出したグループSNE関連が三冊紛れ込んでいるといった具合。



常時それなりの割合を占める北村薫関連本は勿論として、SF関連はまだしばらく読んでいくことになりそう。

ただ、うまく感想をまとめられていない本が増えてきているのはやや問題だ。

少し、再読と整理の期間を置くことを考えてみるべきだろうか。




舞台関連は歌舞伎中心

四月の観劇は歌舞伎が中心になった。

ただ、こんぴら歌舞伎の第二部・南北特集が観れなかったのはともかく残念。

せめて、衛星第二で予定されている録画放映でも観てみようかと思う。



落語がやや少ないのは、三太楼師匠休業の影響が大きい。

今年、一番注目して聴きたい噺家だったのだけれど……。

とにもかくにも、早期の復帰を願わずにはいられない。



オペラやクラシック関連は、のだめカンタービレ飛浩隆「デュオ」その他や、仕事でクラシック着うた(R)の新規携帯公式サイト製作・運営のディレクションをやったことがきっかけ。

これはもう、他の分野に輪をかけて、余りにも基本的な知識や経験が不足しているジャンルなので、《ゴチャゴチャ言わず、まずは黙って聴いたり観たりしたら?》という段階にある。

それでもグダグダ何かしら書いたりしているが、数年後に読み返したりすれば、さぞかし頭を抱えたくなることだろう。

この分野に関しては少し、基本中の基本となるようなことを、段階的に勉強しながら聴くようにした方がいいかもしれない。


漫画

原則、リストアップしているのは購入して手元に置いてもいる作品。

漫画喫茶などで読んだジャンプ、マガジン、サンデー系を中心にした作品を加えると、冊数が倍以上に……。

改めて振り返ってみると、結構数が多いなぁ。




その他

月の半ばに二週間弱、風邪気味で弱っていたので、気楽に楽しめるものを、ということでローゼン・メイデンのアニメ版をまとめて観てみた(その分、モロに煽りを食って、映画DVDの本数が減少)。

第二期(トロイメント)のオープニングアニメーションがいい感じ。




反省と課題



感想の文章がヘタ過ぎる。無駄に長い&語彙が少ない。

特に語彙の貧困さが酷い。



例えば、何かの美点・長所といったプラスの描写になると、

「素晴らしい」「凄い」「鮮やか」「鮮烈」「見事」「いい」「印象的」「面白い」

「楽しい」「愉しい」「《それでも》」「賑やか」「明るい」「存在感が〜」「最高」

「この人にしか出来ない」

といった言葉しか出て来ていない。自分のことながら呆れてしまう。



もっとも、現段階で重視しているのは、作品のテーマ、ポイントとなる工夫、作者自身の別作品や他の作家との関連や対比。そして、出来るならば、その狙いや面白さについての自分なりの仮説を立ててみること。

即ち、「その作品がどういうものか」ということの認識と把握であって、自分の感想の文章そのものを練り上げるのは二の次、三の次ということではある。

まだまだ自分は空間的にも時間的にも狭い視野しか持たず、意味的な面でも修飾的な技法についてもごく浅い洞察しか出来ない段階。そんな現状を基盤にして、そこで文章にだけ凝ったところで、ただアホくさいだけだろう。



まずはある程度以上のレベルでの認識を可能にし、その上で自分なりの視点を明確に持つこと。

個性的な表現だの、文章の技術だのといったことはその後の話。

地盤も固めず柱も立てず、屋根や壁やインテリアだけ揃えた家に住もうというのは単なる馬鹿だ。



印象批評というのは、批評者が対象に見合う何かを賭けることで、初めてまともに成立する。そして、古今東西、どんなギャンブルにも元手がいる。

ここで、この賭けにおいても詐欺まがいの方法で、一時的に賭け金を掻き集める手法もあるにはあるが、それが自分に適した方法だとも思えない。

従って、自分としてはまずはコツコツと自分の中に原資を蓄えていく他は無い。



無論、生まれながらの天才的な観察力や感性でもって、ごく若いうちからいきなり大勝負に挑んでしまえる人もいる。

また、文章とは別のジャンルで何らかの実績や評判を得、それが読み手の興味を惹く大きな材料ともなり、その経験が文章の背景に確かな重みと価値を与えもする人もいる。

しかし、あいにく自分はそういった人種ではない。目指したい賭けに見合った元手が十分に貯まるまでは、何を書いたところで単なる書き殴りの感想文にしかならないだろう。



------まあ、だが、しかし。モノには程度というのがある。

いい加減、文章技術の面でも少しは改善を検討してもいい、むしろするべきかと思う。

(あと、必要最低限の語学習得から逃げ続けているのも、大問題だよなぁ……)

アニメ『ローゼンメイデン』第9〜12話(最終話)を観る。


ローゼンメイデン 5 [DVD] ローゼンメイデン 6 [DVD]

病み上がりの弱っている時には、ぼんやりこういうのを観るのも愉しくていいな……。
しかし、蒼い子は本来のキャラクター設定以上に、声も出番も、更に少ない機会の中での役回りも、一貫してひどく冷たく扱われていたような。あ、漫画でも種類こそ違っても圧倒的に扱いが悪かったか……。しかし、アニメでは片割れの翠星石が妙に優遇されていただけに、より一層哀れを誘うというかなんというか。


それと、今頃ようやく気づいたけど、ED曲に名前が出てる「霜月はるか」って、シェアウェア「天使の微笑」のエンディング曲や、何かの同人系アルバムでスティングの「Englishman in NewYork」をカバーしていたり、フリーゲーム「ネフェシェル」の「ツナグソノテ」歌ってた人か。「♪吸い込まれるような空と 肩を並べ見上げた星 寄り添う想い 綺麗で 壊れそうだから」というアレ。
鬱気味になって一時期コンシューマーもそうでないものも問わずやたらとゲームとかやっていた時期に、随分印象に残った歌手だった。
……ちょっと調べてみると、今は実にいろいろとやっているらしい。時間って誰にでも流れていっているもんなんだなぁ。

アニメ『ローゼンメイデン』第5〜8話を観る。

ローゼンメイデン 3 [DVD] ローゼンメイデン 4 [DVD]
第五話「階段」のドタバタの賑やかさはアニメならではの良さが出ていて好き。
第八話「蒼星石」……あぁ、これがかの有名(?)な、水銀燈の「乳酸菌摂ってるぅ?」発言か。なるほど、何だか理屈を超えた不思議なインパクトがあるな。
------しかし、なぜ乳酸菌???