映画『ノーカントリー』/生身のおかっぱターミネーター大暴れ

3/26、日比谷シャンテシネで「ノーカントリー」を観て来ました。
この日はいつになく集中して仕事が出来、進行も早かったので、思い切ってちょっと失礼して、18時過ぎに会社出たんです。
あと、月末月初恒例の徹夜作業の埋め合わせの先取りでもあったりします。


……しかし、驚きました。
平日の夕方というのに、このド暗いと評判の映画に集まる人、人、人。
なんでも上映15分前に残り60席、前方5列しか空きがなかったそうですよ。
すごい人気なんですね。
《アカデミー作品賞効果って凄い》ということなのでしょうか。


……さて。
そんなどうでもいい前置きはともかくとして、作品について。


※あらすじはこちら。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7620

まず、観終わってすぐの感想をダラダラと書いていきます。

観終わってすぐ書いた感想


ぶっちゃけ、《生身のターミネーターが暴れ回り殺しまわるのをハラハラドキドキ観て愉しむだけ》の映画だと思えました。


ある意味、『魔法にかけられて』と双子ともいえそうだと。
違いといえば、ディズニーは『LOVE&PEACE』を高らかに謳い、コーエン兄弟は「SEARCH&DESTROY」を大いに満喫させてくれるだけで。
そして、両者とも、とにかく問答無用に面白いです。
上映時間の間、全く飽きが来ません。


そして、『魔法にかけられて』と以下の部分、全く同じ感想書けちゃいます。


ちなみに、別にこれを観たところで人生について特別深く何かを学んだり、《また一つ賢く》なったりはしないシロモノなのですが。
元々、作るほうもそんなことを願っていないでしょうし、観るほうだってそうでしょう。
しかし、まぁ、《だからどうした!》という話ですね。
これくらい面白ければね。もう、他に何も要らないでしょう。
といいますか。
例えば、この映画を観て、《病んだアメリカ》だとか《人間存在の恐ろしさ》とか、そういう御託並べる気には全くなれません。


だって、わざわざ《ベトナム戦争》(《頑張ったで賞》をあげたい髭のおじさんはベトナム帰還兵)や《西部開拓時代》(《今の時代についていけない》と終始お嘆きのトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官の叔父も保安官で、インディアンな皆さんに恨みをかって自宅で虐殺されたそーです)なんてキーワードが出されてくるのって、そういう評価への予防線なんでないかなぁ、と。


つまり。
今日のシャンテシネで上映前に流れたCMでも宇宙人なトミー・リー・ジョーンズ秋葉原に衝撃を受けていたわけですが。

正にそのイメージで《オラぁ現代の病んだ連中にはついていけねーだーよ。昔はよかっただーよ》と延々愚痴を垂れる保安官さんが一方にいらっしゃいますね。
でも、その《良かった昔》なる時期が《具体的にいつ頃なのか》は不明確ですが、例えば、当時のベトコンの皆さんなり、更に時代を遡って北アメリカ大陸の原住民の皆さんなりがそれぞれ《当時はどんな時代、どんな世界だったか》について過去を振り返って語ることになったとしたら……。
まぁ、ごく控えめにいっても《保安官》さんとは一味違った意見を持っているであろうことは、割合自然に想像がつくわけで。


そうなると、どう考えてもあの保安官さんに一方的に共感するわけにはいきません。
で、そもそも創り手側もそうするようには仕向けてませんよね、きっと。たぶん。おそらく。
一方で、《ならばより範囲を広げて《世界の悲惨さ》ということで》となってしまうと、もはや個人的には《ああ、そうですか。悲惨ですねぇ。そうですねぇ》以上の感想を持ちようがなくて。


だから、もしこの作品を他の名作映画と比較するというのなら。
比較対象は、『ターミネーター』が最適なんじゃないかなぁ。


あと、もしも『アカデミー作品賞』に『魔法にかけられて』と『ノーカントリー』のどちらが相応しかったという問いがあったとしたなら。
私なら、まったく迷わず『魔法にかけられて』だと答えます。
ここで、どちらが作品の出来として《上》かなんかなんてことを論じたいとは思いません。
しかし、《どちらが好きか》と聞かれれば、疑問の余地は全くありませんから。


ちなみに。
《『エリザベス・ゴールデンエイジ』の方がそのどちらよりも遥かに《作品賞》には相応しかったよね》
というのが更なる本音ではあります。

一晩明けて翌日朝の感想


あれ……。《《保安官》のどうしようもない無力感》ということなら。
至極乱暴に、その保安官にアメリカを、Mr.ターミネーター氏(シガー)にテロだの各種の地域紛争だのを代入してみたりすると……。
なんだか、事件の発端が《砂漠》での組織末端同士の殺し合いであることも。
あの(ネタバレのため伏字)Mr.ターミネーター氏も保安官も共に生き残り、事件はなんら解決せぬまま終わるという結末も。
しつこいまでの地名の連打も。
他の諸々のことにも。
なんだかそこそこ説明がついてしまうような……。
そして、それなら《テーマとしても良く出来た作品(例えば《あくまでアメリカ人の視点から9.11以降の世界を描く》という観点から)》と言わざるを得ないような……。


…………。
………。
…。


なんだか、また《やってしまった》ような気がします。
しかも、もう少し考えれば、まだ二転、三転しかねないよーな気もします。


例えば、《そんなわかったよーなわからんよーなくだらん話じゃなく、あのMr.ターミネーター氏の造形の特異的な面白さこそは……》ですとか、あるいは《BGMを映画の本篇中から一切排除した手法的な面白さは……》ですとか、なんか例えばそんな話をここまで書いたグダグダ話よりずっと強く持ち出したくなるかもしれませんし。


…………。
………。
…。


……まぁ、それでも。
やっぱり馬鹿の記念碑として、観てすぐ書いた部分は、そのまま残しておこう……。