未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想

アイドルマスターシンデレラガールズ6話「Finally, our day has come!」。
今話のライブ及びその後の描写は、例えば次のように見て行くことも出来る。

初主演ライブでの感覚と実態のズレの描写

※一応書いておくと、番号は
1 4
2 5
3 6
と画像に対応していて、続くニュージェネとも対比させてます。




OPと6話特殊EDの対比で描かれた本田未央の受けたショックに寄り添う演出
更に、ライブ後の本田未央の心情、彼女の心に何が起きたのかについて、以下のように見て行くことも出来る。
3話で掛かっていた「魔法」、履いていたガラスの靴のヒールが未央の心と共に消え去り砕けたことの描写。

「自分にエール」⇔(回想)「結構友達に声掛けちゃったけど大丈夫かな」
「だってリハーサルぎこちない私」⇔「あの時に比べて盛り上がりが足りないと」
「ファンファーレみたいに」⇔「今日の結果は当然のものです」
「このピンヒール」⇔「私がリーダーだったから!?」
「背伸びを」⇔「アイドル辞める!」
「小さな一歩だけど君がいるから」⇔(無人のデビューライブ会場)
「輝く」(星になれるよ)⇔(会場の照明落ちる)
「運命のドア開けよう 今 未来だけ見上げて」⇔(見下ろす目線で映される、床に落ちたヒールの砕けたガラスの靴)


それぞれのキャラクターの視点から、作品のテーマに沿って眺める
このように見所満載だった6話について。
「より一層面白く見るにはどうすれば?」といったことについて、以下、検討していきたい。


あるキャラクターの言動なり価値判断なり感情なりは、優れた作品であればあるほど概ね、その人物ならではのものと描かれるものと思う。
例えば、アイドルマスターシンデレラガールズ6話の本田未央島村卯月渋谷凛も同じグループで同じライブで演技し、同じ観客とその反応に向き合っていても。
その内面の劇は一人一人、大きく異なる。


で、それもただ「人それぞれ」ではなく。
作品が提示し続けているテーマであり軸となるもの。
デレマスならば「アイドルとは何か」「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」を中心に見て行く/考えていくことで、より興味深く捉えていけるのではと思う。


以下、過去話からこれまでの作中描写に基づき、個人的に(勝手に)把握している三人の「アイドル像」を紹介し。
その上で6話の諸々が各々にとって何を意味し、彼女たちが何を思い、どう反応し、行動していたのかを推測していく。


島村卯月とアイドル

まず、島村卯月について。
彼女にとっては1話で凛に向け語ったように。
"キラキラした舞台で、最高の笑顔を見せる自分(たち)"というのがアイドルになること/アイドルとして望み、求めることなのかと思う。
アイドル・島村卯月の「笑顔」
Pによる選考理由が「笑顔」だという時、島村卯月の笑顔は「まず自分(たち)にとって、最高の笑顔」ということになるのかと思う。

「でも、夢なんです」
「スクールに入って、同じ研究生の子たちとレッスンを受けながら」
「私、ずっと待ってました」
「アイドルに……キラキラした何かに」
「なれる日がきっと」
「私にも来るんだって」
「そうだったらいいなって」
「ずっと思ってて」
「そうしたら、プロデューサーさんが、声を掛けてくれたんです」
「プロデューサーさんは、私を見つけてくれたから」
「私はきっとこれから、夢を叶えられるんだなって」
「それが、嬉しくて!」

彼女には辛い状況でも最高の笑顔を保ち続けることには自信と実績がある(「私、笑顔には自信があります!」)。
でも、その他に関しては自信がなく、そこは努力で埋めていくことになる。
6話においても苦手なターンを凛と未央に助けられ練習。ただし、それは後に語る未央との関連で言えば"努力でなんとかできる問題だった"ということでもある。

3話初舞台で島村さんが味わった「最高」の意味
ここで、3話での初舞台を終え、三人の間で交わされたやりとりを振り返ってみると。

「やりました! 私たちの初ステージ、無事成功しました!」
「なんかもう、全部がキラキラしてた! アイドルってやっぱりサイコー!」
「ですよね……ですよね!凛ちゃん!!」
「…うんっ」

島村卯月が「最高!!」と思えたのは、何よりまず自分(たち)が最高の笑顔を浮かべられたことだろう。
後述するけど「ですよね」と言いつつ、渋谷凛は勿論、本田未央ともその喜びの在処は異なったのだと思う。
※ただ、これも後で書くように、三人のいずれにとってもあのステージは「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」が魔法のように、夢のように期待し想像してよりずっと輝かしく叶えられた「最高!!」のものだった。

6話デビューライブへ向けた島村さんの期待
そして6話において、デビューライブに向けた彼女の期待とは"初舞台のようなキラキラの中、仲間と一緒にあの時のような最高の笑顔を見せること"だったろうと思う。

島村卯月のアイドルに懸ける思いについては、少し後に触れていく凛のそれについても含めて。
 1話について(2話放映前時点で)書いた以下の記事も参照して貰えると嬉しい。
 特に"島村卯月の最高の笑顔がいかに人を惹きつけずにはいられないか"を凛の視点を通じて再確認して貰えると、記事の趣旨としても大変ありがたいと思う。

○その笑顔は凝縮された時間を。/アイドルマスター シンデレラガールズ第1話感想。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150116/

6話デビューライブでの島村さんの思い
そしてデビューライブ。
観客の数と盛り上がりが思ったほどキラキラでなかったことに驚きやや落ち込みはしても。
それだけならきっと、かつてアイドルに成れる日を待ち続けた時間にそうしたように、それでも輝く笑顔を浮かべられたのではと思う。


でも、辛い日々は過去、その後は「きっとこれから夢を叶えられる」(1話)と思えていた彼女だからこそ。
夢と現実の差に失望、絶望して去っていった養成所の仲間たちを連想させるような未央の姿を目にした時、笑顔も消え、努力を重ねてきた苦手なターンも失敗してしまったのかと思う。
なお、島村さんの「夢と現実の差に打ちひしがれる仲間」を見た時の反応は先行して、5話でみくが心情を吐露した時にも示されている。



ライブに至るまでも、ライブの時も、その後も。
描かれたのは島村卯月ならではこその思いと失敗だったろうと思う。



渋谷凛とアイドル

続いては、渋谷凛について。
彼女にとっては1話でPが語りかけたように。

「心動かされる何か(を持っていますか?)」
「夢中になれるなにか(を探しているのなら)」
「今までと別の世界(が広がっています)」

それらを見つけることが彼女がアイドルになること/アイドルとして望み、求めることなのかと思う。


渋谷凛はいつも、目の前のものに真摯に向き合う
ここで、渋谷凛が心動かされ、いつも真摯に向き合ってきたこととして。
大きく分けて次の二つの傾向を見て取れる。
凛は、目の前で困っている相手を放っておけない
まず一貫して、凛は目の前で困っている相手を放っておけない。
大抵不器用にではあるけれど、常に立ち止まり、真っ直ぐに向き合い、なんとかしようとしてきている。
例えば1話の泣いていた子ども、不審者扱いされていたP、凛もアイドル志望と思い込んでいたのに違うと気づいて困り果てた卯月。
ぎこちなくでも思いを伝えようとするアーニャ(凛は3話でも6話でも、応援の思いを躊躇いながらも伝えようとする彼女に真っ先に、真っ直ぐに応える)。
3話で一際激しく動揺していた未央。
例えば、一番遅くやってきて一番早く初舞台を踏むNGに対抗心を露骨に示し、コミカルに、でも裏側には真剣な不安を抱えていた前川みく


3話で初舞台を前に凛が土壇場で強さを見せたのはおそらく大きく分け三つ理由があって。
まず、ミーハーな未央や卯月と比べ、彼女が多くの観客を魅了し多くの人たちに下支えもされ社会的にも注目を浴びるといった意味での「アイドル」に良くも悪くも知識も思い入れもなく、イメージと実態(の大変さ)の落差への動揺は少なかったこと。
次に、「今までと別の世界」に「踏み込んで」見ることこそは彼女が「アイドル」に望んだことで、そこで躊躇うわけにはいかないこと。
そして、目の前で特に困っている未央を放っておけないし、なんとかしたいと強く望んだからだろう。


3話アバン。

(「まだ実感湧かないかな。ステージに立ってる自分も想像できないし」)
「アイドルの仕事ってこんな感じで決まっていくものなのかな」
「うーん?」
「それは、わかんない…け・ど!」
「へへっ。やってみないきゃわかんないって!」
「うん…痛いって」

3話ライブ前。

(スタッフ「スタンバイ、お願いします!」)
(卯月「えっ……も、もうですか!」)
(スタッフ「はい、お願いします!」)
未央「……っ」
凛「……っ!」
凛「……行くよ!」
未央「う…うん」
凛「卯月も行くよ!」
卯月「は、はい…!」
((中略))
(凛「大丈夫、本番はうまくいく」)


5話、前川みくに対して。

渋谷凛は、目の前の相手を真っ直ぐに理解しようとする
第二の顕著な特徴として、凛は目の前の相手を理解しようと真っ直ぐに向き合う姿勢を見せ続けている。
※Pの不器用で真摯な勧誘と、自分がそれに応じたことを大いに踏まえ、影響を受けてのことなのかもしれないとも思う。


凛はまず卯月、それに未央を通じて「アイドル」なるものの知識やイメージを見てはいるのだけど、それだけではなくて。
例えば4話でKIRARIDONに遭遇、「色んな仕事があるんだね」。
同じく4話で多田李衣菜に「お勧めの曲とかあるの?」。

渋谷凛はいつでも目の前の相手に真摯に心を向け、目の前の相手の夢中になれる何かに関心を持ち、目の前の課題に対してできる努力を重ねつつ、今までと別の世界を求め続けていたという描写がされ続けているかと思う。



凛とそのお辞儀&3話時点で伺えた未央・凛・島村さん三者三様のアイドル像
ここで、凛の姿勢や「アイドル」に対する思いや理解は、例えばお辞儀の仕方や口の効き方(とその変遷)にもよく表現されている。
続く未央の話もやや先どってしまうけど。
3話放送時点で書いた、3話の3人の描写とそれぞれが「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」を絡めた話を引用してみる。




そして、実際に例えば5話ではこうなった。

※自分としては凛のかつての無礼にも映る振る舞いは、ここまで書いてきたように彼女がアイドル(及びアイドルになることに)何を求めていたかに起因する違和感や戸惑いによるものであり解釈として「斜に構えて」というのと多分違うと考えているけど、まあ、それはそれで。


更に、この記事冒頭でキャプチャや添付動画を示しつつ触れたライブ描写の中でも、凛と未央(と島村さんの)のお辞儀の深さ/浅さ、タイミング、三人が揃っているかどうかに重ねて触れたのはこの文脈を踏まえた話でもあって。
よく出来た作品では、こうして話数をまたいで流れとして、描写が(対比や相似等を強く示しつつ)流れとして繋がって行っているものかと思う。



3話初舞台で凛が味わった「最高」の意味
で、ここで再度3話、島村さんの時にも触れた初舞台終了後の三人のやりとりに触れると。

「やりました! 私たちの初ステージ、無事成功しました!」
「なんかもう、全部がキラキラしてた! アイドルってやっぱりサイコー!」
「ですよね……ですよね!凛ちゃん!!」
「…うんっ」

凛の喜びの在処はまず、「夢中になれる何か」の入口を実感・体感したことにあっただろう。
三話を締めくくる(正確には次話タイトル提示前の)、普段着に着替えて改めて舞台と客席を見つめての先掲の表情がよく示すものかと思う。
それともう一つ、目の前で大切な仲間である卯月と未央がこんなにも喜んでいることに「心動かされ」、嬉しくてならなかったのだろうとも思う。

アイドル・渋谷凛の「笑顔」
凛についても、Pによる選考理由はやはり「笑顔」。
常に真剣に目の前の相手と向き合う、そんな彼女がそのいつもの真剣をも大きく越えて「夢中になれる何か」を見つけた時に「心動かされ」て浮かべる笑顔。
ファンの誰もが、凛に見せて欲しいと願わずにはいられないものなのかと思う。
6話デビューライブへ向けた凛の期待
そんな渋谷凛が6話でのデビューライブに懸けた期待は"また、あの時のように「夢中になれる何か」の只中に身をおきたい"ということだったろうと思う。
舞台衣装にそれぞれ初めて袖を通す際の3話と6話の比較は、以下のように三者三様に面白いのだけども。

中でも、凛は「今までと別の世界」(再度引用。1話でのPの誘い文句)の中にいるような自分に驚き、高揚しているように見える。


なお、それでも3話同様、凛は三人の中では相対的に最も地に足のついた姿勢を保ってはいる。
6話インタビュー後、様子を見に来た城ヶ崎美嘉との会話でもそこら辺は示されていて。

美嘉「緊張してるかと思ったら、意外と余裕なんだね」
卯月「い、いえ、そんなことは」
未央「心配要らないって、しまむー。なんたって、美嘉ネエのバックですっごいステージを体験しちゃったもんね!」
凛「レッスンはしっかりやってると思うけど」
美嘉「まあ、あんたたちならやれると思うよ!本番に強いのは、アタシが一番、よく知ってるし」
卯月「わあ…」
未央「えっへへ」
凛(照れて目を逸らす)

凛は"積み重ねてきた努力の分はきっと報われる、それに応じてまた「夢中になれる」"という基本姿勢を取っている。
でも、同時にここで、3話でのあの魔法のような、夢のような時間を三人にくれた恩人である美嘉が三人に「あんたたちならやれる」「本番に強い」と太鼓判を押してしまってもいる。それもあって、この場面の後、レッスン風景を挟み、初めて衣装をみて、袖を通す(先だってキャプチャ画像も示した、鏡を覗きこんでの後の)場面の中で。

(未央「この衣装を着て……またステージに立つんだね」)
未央「あの時みたいに……!」
(回想。舞台へ飛び出す三人。光。大歓声)
卯月「ふふっ…」
未央「…うん」
(卯月「しかも、今度は私たち三人で!」)

凛もここで未央と島村さんが膨らませる期待に(やはりあの初舞台を思い出しながら)同調している。
先ほどの美嘉とのやりとりを思い返せば仕方がないというより、むしろ当然の反応だろう。

6話デビューライブでの凛の思い
そして迎えたデビューライブ。
冒頭で紹介したように、卯月が笑顔を失ったように、凛も「夢中になれる」自分を失ってしまっている。
なぜかというと。
まず、しっかり努力を重ねてきたのに、「あの時」に比べ目の前の観客の数も少なければ反応も鈍かったから。
それに加え、あの時は一緒に夢中になっていた仲間たち、特に未央が目の前で明らかにおかしな様子を見せていたから。
今やるべきことは目の前の未央へのケアか、目の前の観客に向き合い思い切り歌い踊ることか。そこで悩まざるをえなくては「夢中になれる」わけもない。
凛はそれでも未央を気にしつつ、まずはアイドルとして大きなミスは無く歌って踊り終え、その後には未央の分まで観客への配慮を見せ、礼を尽くしてみせた。
接客商売でもある花屋の娘であり、いつも目の前の相手を大切にし続けてきている渋谷凛
描かれたのはやはり、いかにも彼女らしい反応であり、言動であったかと思う。


本田未央とアイドル


そして最後に、今回特に焦点があてられた本田未央について。
彼女が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」は3話時点での話として凛の項でも触れたわけだけど、そこから更に補足していくと。



未央の前向きさは"アイドルとしての資質そのもの"への不安の現れでもある?
まず、前向きな言動の数々は同時に"だから、自分は大丈夫"と言い聞かせずにいられない不安の現れでもあるのでは?という話。
これは彼女が過去、学園のアイドル(人気者)を続けつつ、一方でオーディションで落ち続け。
シンデレラプロジェクト(以下、CP)に遅れて入ってきたNGの中でも更に一番遅れて来た、一度落選した後の「補欠合格」だったことも大きいのではないかと思う。
つまり、本田未央前川みく以上に"自分ではどうにもならない資質そのものが(他のみんなより)劣るのでは"という疑問と不安に苛まれていたのでは、と。
当人にはどうにもならない筈の「幸運」へのこだわりはその裏表だったのかな、とも思う。


3話初舞台で未央が味わった「最高」の意味


本田未央にとってこの初舞台は「もっとたくさんの人を笑顔にしたくてアイドルになった私は、数千人を楽しませ、笑顔にできるの?」という一度は立ち竦んでしまった挑戦に打ち勝ち、彼女にとってみれば「皆を笑顔にできるアイドルである私」を証明してみせたものとなったのかと思う。


6話デビューライブへ向けた未央の期待
3話の大成功を経て、おそらくはそれを受けてのCDデビューまで決まり。
本田未央は、

「Finally, our day has come!(遂に、私たちの日がやってきた!)」

と思えるようになったし、思ったのではないかと思う。


明るく振る舞いながら裏で不安に怯え、"幸運な自分"と信じ込もうともしていた日々はもう過去のもの。
これからはあの憧れだったカリスマJKアイドル・城ヶ崎美嘉も「大丈夫」「本番に強い」と認めてくれた自分が、自分たちが、実力で輝いてみせる。
その開放感と喜びの勢いを駆って、しぶりんとしまむーを引っ張ってリーダーだって立派にやってみせる!
皆の応援にも応えてみせる!
ずっと私と笑って楽しく居てくれてる学校の皆にも、「遂にやってきた、私たちの日」の晴れ姿を見せてびっくりさせてやる!!


……といった風に思ったのだろうなあ、この流れからも仕方ないよなあ、そうなるよなあ、と思わされる。
そんなこんなを思い合わせるに、この対比もまた、なかなかにキツい。



2-5話における、そして実は6話ではますます目立っていた未央の「活躍」


そして、その思いと勢いは根拠も中身もない、単に過信であり行き過ぎだったかというと、実はそうではなくて。
本田未央は2話から5話に掛けてNG3人の中でも中心的な活躍していたというのは勿論。
6話においてもあのライブの時まで、むしろ、リーダーの自覚をもってこれまで以上に元気に突き進む中での魅力を振りまき、形にもしている。


それは例えばアバンのこんな場面から示されたりもしている。



また、2話と6話のこの対比だって実に見事で。

この変貌は勿論「魔法」を掛けたPの手腕も大きいけど。
先掲一番下の凛と卯月に腕を絡めて引っ張っているような宣材写真が象徴しているように、三人の中でも特に未央が中心になって実現させたものかと思う。

未央の「コミュ力」の内実
また、本田未央の魅力、その美点はただ明るさや勢い、人を楽しませる天性の魅力といったものだけではないのだと思う。
未央のいわゆる「コミュ力」というのは、いわゆる「ウェイウェイ系」と言われるような(いや、この言葉は実はよく分かってないので話を分かりやすくするために結構適当に使ってしまっているけども。ここでは「実際に居るそういう人たち」というより、ある種「「そういう連中だよね」という偏ったイメージ」の方を参照するものと思って欲しい)似たもの同士の間だけ限定で浅く表面的に楽しもうという類のものとしては描かれていない。
例えば、渋谷凛神崎蘭子は天然では(少なくとも速やかには)距離を埋めていきにくい相手かと思う。
その二人に例えば未央も憧れていた有名カリスマJKアイドル・城ヶ崎美嘉とのコミュニケーションの仕方を併せて考えてみても。
「しぶりん」「らんらん」「美嘉ねえ」という仇名の付け方、使い方を代表とする本田未央の対人スキルというのは、相当な部分、意図的に振るわれもすれば、これまで時間を掛けて意識して磨き上げられてきたものではと思える。


関連して、例えば、目上の相手へのタメ口や礼儀の問題は表面上は凛と未央、二人共にあるように見えるのだけど。
3話までの凛については先に触れたレッスン時の美嘉へのタメ口質問でのベテラントレーナーの反応、ライブ時の楽屋における部長や外部のお偉いさんへの反応などかなり社会的にみて危ういところが目立った一方で。
繰り返しになるけど、未央の方は先輩アイドルに対してにせよ、自分が最後に加わった(既に互いにある程度関係性を築いている)CPの仲間たちに対してにせよ、相手を見て、それにあった適切な形で、タメ口も馴れ馴れしさも手段として使いこなしているということが、描写として見て取れるかと思う。
凛は相手によらず概ねタメ口が出てしまっていたけど、例えば未央は相手がそういうノリを好み実際にそう口にもした城ヶ崎美嘉だからこそ、それに合わせて懐に飛び込んでいったのだと思う。

未央が(中心になって)予防した「爆発」
また、5話で前川みくが以前からの不安が限界に達してPに向かって爆発したのだけど。
この事件の際に「起きなかった事態」というか、「それを起こさなかったこと」において、本田未央の貢献がやはり大きかったのではと思う。
5話において、前川みくは一番最後にやってきて一番最初に華麗に初舞台を踏んだNGの三人に向かっては深刻な形ではネガティブな感情や言動を向けなかった。
それは、こちらのまとめの中でも強調し続けていたように、

○「アニメ版「アイドルマスターシンデレラガールズ」1-○(随時更新)話の前川みくについて」
http://togetter.com/li/771731?page=1

前川みくが他の10人の中にも多かれ少なかれあった対抗心や嫉妬心といったものを図らずも代弁していただろうことを考えると、大変興味深い点だと思える。
なお、ここで。
"それは11人が現実の少女とは大きく違う、他人にネガティブな感情をガンガン向けたりしない天使のような女の子たちだからでしょう?"……「などでは済ませない」、あくまで一人一人を、まるで本物の人間のように出来る限り扱うというのがこのアニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品の揺るぎのない方針ではないかと思う。


どういうことかというと。
3話の大抜擢からのライブ出演大成功の後の4話、NGの三人に任されたCPメンバーのアピール動画撮影は作中においてPによる、正にその問題への対抗処置という意味合いも色濃かったのではと思う(勿論、対視聴者向けの意図と意味も大きいと思われるが、ここでは触れない)。
皆に応援され舞台で輝いた三人を、その余韻も非常に鮮明な間に、他の皆の良い所を引き出すいわば裏方に回す。
それは他の十一人へのPの例によって間接的な配慮だったのではとも思う。
また、下積みが足りないNGにとっては、これもいわばその一環だという側面もあったのかもしれない。
それらに加え、撮影を通じてまだNGの三人が殆ど接触のないメンバー(例えば蘭子や李衣菜)も含め、互いに互いをより知ってもらい、親睦も深めて欲しいという意図もあっただろう。


そしてNGの三人は結果として、Pの期待以上の働きをしてみせた。
相手の特徴を把握し良さを引き出し、相手の懐にすぐ飛び込める本田未央の観察力、把握力、プロデュース力、コミュ力。
接すれば好感を持たずにいられない島村卯月の素直な明るさ、前向きさ、笑顔。
いつもまっすぐ相手と向き合い、理解しようと努力し、目の前で困っている相手にはいつも不器用でも親切な行動を示す凛の善性。
仕上げには、皆の撮影に熱心なあまり自分たち自身を撮り忘れ最後にそれに気づくというオチまで付いたのだから、それはPだって思わず笑わずにはいられなかっただろう。
華麗過ぎた初舞台の大成功に驕り高ぶる様子など微塵もない姿は三人の実に魅力的なPRになっていた上に(「アイドル達の素顔3話」で改めてNGは自分たちの動画を撮影してはいるけど)。
その一方で、彼らの振る舞い次第では生まれ得た、3人と11人の険悪な対立なりその萌芽なりを見事に取り除いただろうものでもあったから。
ここで、NG三人のその「大活躍」の中で特に本田未央が中心的な役割を果たしていたことは疑いを入れないかと思う。
更に、対前川みく(及び彼女が代弁する他の面々の思い)としては、こんな話も注目していいところかとも思う。

デビューライブは客観的には「成功」だった
そもそも、冒頭で示したライブ中の観客の反応、終演後のラブライカ、美嘉、応援組、Pたち揃っての反応からも分かるように。
実はデビューライブとしてはあの状況でさえ、ラブライカだけではなくNGたちも客観的には成功していた。
作中の観客視点からは例えば

「なんだか硬くて動揺もしてるみたいだったね、特にセンターの子。
一番普通っぽい子もターン失敗して転んでたし。
歌い終わっても凹んだり慌ててる感じだった。
でも、そこら辺も初々しくていいんじゃないかな。
メンバーの誰かの同級生らしい子たちが横断幕までもってきて応援してたのも微笑ましくて良かったね。
これからも頑張ってほしいね」

という見方もできるし、おそらく概ねそんな感じだったのではと思う。
だから実際に舞台を見守っていた美嘉も、未央が駆けてくる前に応援組と話していたのは(彼らも含めトップバッターとしてよくやったという評価前提の)「次は他のメンバーもがんばんないとね」ということだったし、未央への第一声も 「お疲れ!良かったよ!」だったわけで。


バックダンサーとして出演の初舞台で大成功。
当人たちも共演の先輩方もプロダクションの部長もご満悦。
見に来ていた大御所作詞家(兼プロデューサー?酒井正利がモデル?)も気に入って宛書で作詞してくれる……。
そんな3話の出来事は作中でもあくまで"期待以上に出来過ぎ"だった話なのであって。
デビューライブで多少硬かったりトチったりしても"そういうものだよね。よく頑張ったよね"がごく普通の反応であるべきだろうし。
作中でも実際に、既に経験豊かなプロである城ヶ崎美嘉もPも揃ってそう判断、評価したのかと思う。


ほんの数日だか数週間前まで養成所のアイドル候補生、オーディションに落ち続けている「学園の人気者」、凛に至っては「ちょっと雰囲気のある花屋の娘」だった三人。
それが、良くない出来なら決してOKを出さなかっただろうPに、CD録音でGoサインを出させ発売を実現させ。
あんなにもアイドルとして魅力的な宣材写真撮影も成功させ。
インタビューでもラジオ出演でも(ラブライカと異なりぶっつけ本番でいろいろ慌てながらでも)結果的にいかにも彼女たちらしい好印象を与えられるようにはこなしてみせた。
相変わらず苦手なターンに苦しむ島村さんの練習も、リーダーとしてきっちりサポートして見せた。
それらは皆、2話からずっと、そして6話ではとりわけ、NG三人の中でも未央が中心になっての勢いあってのことかと思う。
ライブにしても、当日の出来はあの通り当人たちにとって不本意でも、デビューライブとしては十分な観客の集まりもその反応も、事前の広報での仕事ぶりも含めた彼らの勢いとがんばりが「客観的には成功」という結果に繋がったのだと思う。
繰り返すけど、数日だか数週間までは素人や素人に毛が生えた程度だった三人がCDデビュー、ライブをこなしてみせたというのは、それ自体実に見事過ぎるくらい見事な話で。
それこそ過剰なくらいの勢いや前向きさでもなければとても実現させられなかったことだろうと思う。


以上しつこく強調してきたように。
2話から5話にかけては勿論、6話においてもライブ本番のその時までは本田未央はNG3人の中でも中心的な役割を果たし続け、文句なく素晴らしい成果を出し続けてきたことが、本編描写から見て取れるかと思う。


CD発売にあわせたライブ
あと6話に関してはあれが独立したライブでなく、CD発売にあわせたデビューライブだったことも興味深い。
デビューライブとしては客観的に成功だった事に加え。
3話の成功からの勢いを駆って録音され、Pに手でリズムを取らせ、決断に重みのあるPにGoサインを出させたCDが売られる。
それに対しては(大手プロならではの広報もあるし)それなりの反響もあるだろうわけで。
CDの中には多くの後押しや下支えの上とはいえ、満員の観客もPも先輩アイドル達も部長も大御所作詞家も惹き込んだ3話ライブでのNG3人の輝きに大いに連なるものが入っているのだろうし。
CDを手に取る人の中にもあの場でその輝きを目にし、改めてCDにもそれを聴く今後中核にもなっていくべき大切なファンがいて、その反応もあるのかもしれない。
あえて準備下積み不足でもCD発売に踏み切ったのは宛書作詞に加え、そうした事情も大きく鑑みられてのことかと思う。
諸々事情は異なるけど、原作の原作(?)のアイマスのアーケード版も、少数のファンの異常な熱意で支えられた時期を経て、今があるという話をよく聞くし。
「アイドル」を描く上で作劇上どこかでファンの存在を強く押し出すかと思うけど、例えばここら辺であってもいいのでは。


……ラジオで先行してネタバレ(?)された「ファンレター」云々って7話ではどんな感じで出てくるのだろう。


6話デビューライブでの未央の思い
しかし、勿論、ライブ中の、そしてむしろそれよりもライブ終了後の本田未央の振る舞いは、いっそ見事なくらい酷いものだった。
デビューしたからにはプロのアイドル。まず目の前の観客に向き合うべき。
終演後も共演者、先輩、応援組、P、裏方のスタッフ、各々に対し取るべき態度というのはあった。
そこは否定のしようがない事実だろう。
要するに、そうする客観的必要性はどこにもなかったのに、未央の言動は漏れなく全方面に失礼な、正に「コミュ力」視点で最低のものだったとは言える。


ただし、「問題は正しい問いをもって検討されるべきだ」というのが、いわばこの記事全体の趣旨といえるわけで。
ここにおいて、

「これまで一貫して正しく肯定的な意味で「コミュ力の高さ」を見せつけ、大きな成果を上げ続けてきた本田未央が。
 なぜ、よりによって遂に迎えた晴れの日(「Finally, our day has come!」)にこんな振る舞いをしてしまったの?
 なぜ、そうせざるを得なかった、そうならざるを得なかったの?」

こそが、あるべき正しい問いなのではないかと思う。


個人的には、その答えは大きく分けて四つあり。
それらの合せ技一本が物の見事に最悪の形で決まってしまったのかと思う。


第一に、未央が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」という問題。
第二に、未央の明るさ、前向きさと表裏一体の不安。
第三に、未央の「コミュ力の高さ」というのは学生としてのコミュ力の高さ(⇔社会人としてのコミュ力の高さ)であっただろうこと。
第四に、未央の発していた警報を再三にわたって見落とし、最後に(彼としても)追い詰められた状況下で決定的な失言を犯したPの失態。

未央が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」
まず、その一。
未央が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」という問題について。


本田未央には人を惹きつけ、楽しませ、その中で自分も楽しめる天性の魅力がある。
でも、それ任せだと付き合いがごく薄い表面的なものになったり、何かの折に近かった相手が遠くなったり、自然には距離が縮まらないタイプの相手とは親しくなれない。
そういった事も解決すべく、本田未央は仇名の付け方使い方に代表される「コミュ力」を意図的にも鍛え使い込んで来たのでは……と想像させられたりもする。
皆とより親しく、深く笑い合っていきたいし。
「周囲」の範囲を狭く閉じてしまうのも嫌だし、拡げるのが楽しい。
その上で「周囲」を大きく拡げ、関わりもより鮮烈にキラキラに、自分も周りも笑顔にしていける存在として本田未央の目指す、彼女なりの「アイドル」像があるのでは、と。

アイドル・本田未央の「笑顔」
本田未央についても、Pによる選考理由はやはり「笑顔」。
彼女には関わる多くの人を笑顔にしてみせる力がある。
より多くの人を楽しませ、そうすることで自分も楽しくなる。
本田未央が「アイドルになることに/としての自分に望み、求めていること」は、そういうことなのではと思う。


そう考えた時、

未央「お客さんめちゃくちゃ少ないじゃん!!なんでっ!?」
P「十分です」
未央「あれで!?」
未央「前のライブと全然違うじゃん!」
P「前の…?」
未央「すっごいライブやるからって、友だちに言ったのに」
未央「早く来ないといい場所取れないからっ、て」
未央「私……バカみたいじゃんっ!」
未央「もっともっと……前のステージみたいに盛り上がると思ったのに」

という主張とやりとりも単なる我がままや世間知らずに過ぎないものではなく、彼女だからこその切実なものとして見えてくるのではと思う。

未央の明るさ、前向きさと表裏一体の不安
続いて、未央の明るさ、前向きさと表裏一体の不安について。


彼女の行動の根っこの方に"自分ではどうにもならない、(アイドルとしての)資質そのものへの不安"があったのでは、という話は本記事中で既に触れた。
それが3話の魔法のような、夢のような初舞台での大成功や6話での城ヶ崎美嘉の太鼓判により、「幸運」ではなく「実力」への自信という形に変化したのでは、ということも先述の通りかと思う。
だからこそ、あまりにも期待していたイメージと違った光景は彼女にとって、彼女の資質や実力の全否定……であるに違いないと、考えるより先に彼女の中だけでは必然的に直結してしまったのだと思う。
ここで、それは本田未央だからこそ、彼女にとってのみ切実かつ必然のことであり、その場の誰にも……Pにも、美嘉にも、応援組にも、ラブライカの二人にも、そして卯月と凛にすらも(すぐには)理解も共有され得ないもので。
その孤独も本田未央を強く打ちのめしたのかと思う。


なお、ここで未央に対しては、視聴者からも共感という意味での感情移入を妨げられる演出が為されていて。
それも未央の孤独を一層引き立てることになっているのも見事な演出かと思う。


それと。



で、この辺りの演出は総合的に何をしているのかというと。
未央がこんなにも事前に拡げていた期待と現実のギャップに独り(凛と島村さんと比べても非常に強く)強烈な失望と衝撃を感じてしまっている「理由や過程への共感」は妨げつつ。
未央にとっていかに辛く苦しかったかという、「結果に対する共感」は冒頭に示したOPと6話特殊EDの対比でもってグイグイと押し出してくるという、結構えげつないことをしているのだと思う。




未央の「コミュ力の高さ」というのは学生としてのコミュ力の高さ(⇔社会人としてのコミュ力の高さ)
で、三番目。
「未央の「コミュ力の高さ」というのは学生としてのコミュ力の高さ(⇔社会人としてのコミュ力の高さ)であっただろうこと」について。
本田未央は15歳の、ミーハーな高校一年生。
その感覚はあくまで学生のもの。
例えば城ヶ崎美嘉への接し方を見るとあれはアイドルというプロ同士として先輩の人気アイドルに接する態度ではおよそなく、「体育会系のすんごい先輩」に接する気の利く後輩の態度だと見ると、ある意味大変わかりやすいかと思う。
CPの仲間たちについても、アイドル同士でなく、部活の仲間への接し方だとして見るとやはり分かりやすいのでは。


なので、本田未央は例えばどういうことがわからないかというと。

1:既に大人気のアイドルたちの大規模コンサートに集まる観客の数とノリと、これからデビューする殆ど無名に等しい新人のCD発売に合わせたミニライブの観客のそれはまるで異なって当然。
2:その当然の事実に関して、(現時点においては)当人たちの資質や努力に拠らない部分の方が遥かに大きい。


その上で。


3:「見に来たお客さんの期待に応え、彼らを満足させられるパフォーマンスが出来たか」はまず第一に舞台に上がったアイドルの領分だけど。
4:「デビューライブをどれだけのお客さんがどれだけの期待を抱いて観に来てくれるか」は主にP及びプロダクション(の広報)の領分。

こういった、Pの(というか社会人一般の常識的な)視点から見るとあまりにも当たり前のことすぎて。
「それが分らないということが分らない」ということがたぶん、およそ分かっていない。

未央「お客さんめちゃくちゃ少ないじゃん!!なんでっ!?」
P「十分です」
未央「あれで!?」
未央「前のライブと全然違うじゃん!」
P「前の…?」
未央「すっごいライブやるからって、友だちに言ったのに」
未央「早く来ないといい場所取れないからっ、て」
未央「私……バカみたいじゃんっ!」
未央「もっともっと……前のステージみたいに盛り上がると思ったのに」
美嘉「それって、あたしのライブに出た時のこと?」
(Pによるライブ前の未央の回想)
P「つまり、あの時に比べ、盛り上がりが足りないと……」

この叫びは先ほど解説した通り、未央が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」という問題を中心に彼女の視点から見た時は、極めて切実なものと理解され得るわけだけど。
P(及び城ヶ崎美嘉)の視点から見るならば、これを聞かされた時、Pは(美嘉も)まず(あー、困ったな)と思ったのだろうと思われる。
キャラクターたちの表情も台詞の調子なども、例によって細かく丁寧によく描かれてるかと思う。


なお、ここで。
同じ問題に気づいていなかったという点では島村さんも凛も同じ。
では、なぜ二人も気づけなかったのか。


なぜ島村さんも、デビューライブに向け膨らみすぎた期待と現実のギャップに気づけなかったのか


まず、島村さんはPを信頼し、どんな環境で何を目標とすべきかといったことは全面的に任せ、自分は精一杯の全力でレッスンに励むという方針だったのかと思う。

「プロデューサーさんは、私を見つけてくれたから」
「私はきっとこれから、夢を叶えられるんだなって」
(1話)

丁度前川みくが正にそれをやって爆発してしまったように、考えすぎてしまって思うようにならない現実と夢や理想との差に打ちのめされては前に進めず、笑顔も浮かべられない。
島村さんは1話で「企画中です」とだけ告げたプロデューサーをそれでも信じてひたすらレッスンに励んだように。
考えなしなのでも愚かなのでもなく、意志ある選択としてそれを選ぶ強さと、選ぶことの出来る資質がある。
ただ、それは時に「考えるべきことを考えられない」ことにも繋がりはするだろう。
未央の事情も含めると、6話で描かれた今回のケースも、それに当たるといえば当たるのかもしれない。


なぜ凛も気づけなかったのか


凛は良くも悪くも、目の前のことに向き合うキャラクター。
自分にとって取り組むべき「目の前のこと」と見なせなければあまり考えられないし、時には危うい行動もあるかと思う。
例えば、先述の3話における、楽屋に来たお偉いさんにあからさまに礼を欠いたことも、その典型例。
PはNGの三人に「プロとしてのアイドル」という問題をおよそ語らなかったこともあり、凛はそれを認識していなかった。そういうことかと思う。
ただし、これも先述の通り、声援に応えることもなく駆け去った未央を心配しつつ、目の前に自分たちを観て、聴いてくれていた観客たちがいることを凛はしっかりと見て取っていた。
お辞儀や敬語の問題で示してみせたように、Pに言葉で教えられなくても、凛は実際に目にした経験から、向き合うべき課題をきちんと認識し、言動を改め、乗り越えていく。
Pも自主的に気づいていくことを望んで、あえて言葉で伝えることを控えているのかもしれない。


ただし、それこそ「巡りあわせ」の問題で言うならば。
プロデューサーの根回しもあってかは不明ながら、楽屋に来たお偉いさんや先輩アイドルが全く問題にしなかったから結果的に爆弾にならなかったけども。


「メンバーの一人が大抜擢した新人が、楽屋でお偉いさんにあからさまに礼儀を欠く態度を示した」


という3話の一幕は、お偉いさんの反応次第では6話の本田未央の言動が各方面への「無礼」だったというよりずっと大きな問題になっておかしくなかった。
本田未央の失望が彼女ならではの、彼女以外にはなかなかに理解し難いものであったと同様に、凛のそれも彼女ならではの、他人に理解を求めるのはなかなかに難しいものでもあった。
要するに、アイドルの側がその固有の事情で多少踏み外したことをやらかしてしまっても、周囲が問題にしなかったり暖かく受け止めたり、Pがしっかりフォローできてさえいれば結果オーライで済むという話ではある。それも職責として(マネージャーがいればそちらだろうけど)Pの役割ではあった。



Pの失態
最後に、第四の問題。
未央の発していた警報を再三にわたって見落とし、最後に(彼としても)追い詰められた状況下で決定的な失言を犯したPの失態。



デレマス6話でPがNG3人、特に未央の様子に気づくべきだった、そして見逃されたポイントは幾つも重ねて示し続けられてはいる。例えば次の4つ。


Pの一回目の見落とし


※ただし、ここに関しては先述したように。
6話のライブに向けての準備において、未央中心に勢いに任せて突っ走っていたNGの活動は(デビューライブというものが3話で彼女たちが体験した舞台とはいかに異なるかという正しい認識がされていなかったという、三人の意識という主観的問題を除けば)客観的には大変うまく行っていた。
例えば、ラブライカに比べて根本的に準備期間が足りない中、"NGは未央中心に勢いに任せて走らせる"という方針だったとすると。
それ自体は(各々のメンバー特性を考えても)客観的にも頷き得る判断ではありもする。
実際にライブが未央以外の視点では「成功」を収めたのは、NG三人が出演した事前広報も含めての成果と捉えることもできる。


Pの二回目の見落とし



2つ目のポイントは、衣装を着て前回のライブの手応えを思い出し高揚する三人、その描写の直後ラブライカの二人と共に彼女たちの様子を観た時。
ここでPは3人を観てすぐ、なんかしら驚きだか強い印象を受けたアクションをしてるけど、どういう意味だったんだろう?
華やかに似合っていて驚いたのか。
「いい転機になれば」と言われたPの過去になにか関係があるのか。




Pの三回目の見落とし




ひどく不安そうな未央に対し「大丈夫だと、思いますが」という台詞をいかにも(なぜ、そんなことを聞くんだろう?そんなに集まるわけがない、わかってるのでは?)と言いたげな響きで言ったところに、Pが未央の心情を把握していない様子が明らかに示されている。


Pの四回目の見落とし



ここで未央だけでなく、5人揃って期待と失望の大きな落差を示しているところからも。
今回Pの配慮が薄く足りていなかったのが未央だけでなく今回CDデビューの5人全員に対してだったということが(NG3人の初舞台での入念なフォローとの対比としても)伺われもする。


なお、ここで3つ目、4つ目に挙げた場面におけるPの様子は、彼が今回、"未央(と凛、島村さん)の抱いてしまっている過剰な期待を十分に分かった上で、現実をぶつけてみせた"という見方を否定していると思う。特に未央について、明らかに分かってない。


関連して先ほど触れた出番直前、

「ぁぁ……」※頬を掻く
「第一歩目です。がんばってください」

というPの言動の意味について、あえて強引に踏み込んで翻訳を試みてみると。

「皆さんわかっているかと思いますが、先日の本田さんたちの初舞台のようには人は来ませんし、盛り上がりません。これからデビュー、知名度は無きに等しいですから。実際目にすると少々ショックかもしれません。でも、これからです。がんばってください」

ということだったのでは。
勿論、もしも後から意図を聞かされでもしたら5人揃って「いや、分かってなかったから!」と抗議したくなるだろう話だし(ただ、年長の新田さんあたりは「少しは"そうかなのかな"とは思ってたけど」というのはありそうかも)デビュー前後の十代の少女たちとしては当然かとも思う。
そんなこんなで総合的にみると、6話は未央及びニュージェネ三人の問題であったという以上に原因としても責任としても相対的により重く、Pの問題ではあっただろうなあ、とは思う。


そのPの未央にトドメを刺してしまった一言、

「いいえ、今日の結果は当然のものです」

を巡るすれ違いについては、以下のまとめ内で諸々検討してるので。
もし良ければぜひ、そちらもどうぞ。

○アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)感想
http://togetter.com/li/768711?page=23

↑6話分は上記リンク先から。
http://to