『ダーウィン文化論』ざっと読んだ。面白かったなあ。
- 作者: ロバート・アンジェ,ダニエル・デネット,佐倉統,巌谷薫,鈴木崇史,坪井りん
- 出版社/メーカー: 産業図書
- 発売日: 2004/09/01
- メディア: 単行本
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柴田勝家『ニルヤの島』の副読本として『ミーム・マシーンとしての私』と併せ読むと楽しいというか、ある意味爆笑できるかと思う。
- 作者: 柴田勝家
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: 単行本
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○柴田勝家『ニルヤの島』雑感(ネタバレ多数。既読の方のみ推奨)
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150225/
- 作者: スーザンブラックモア,Susan Blackmore,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2000/07
- メディア: 単行本
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- 作者: スーザンブラックモア,Susan Blackmore,垂水雄二
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ミームの在り方として「模倣」を特権的に強調・固執するスーザン・ブラックモアが多方面からそれぞれの趣旨で叩かれまくる。
終盤には文化人類学者がミーム論全般を実に粗雑、関連領域に土足で上がり込みながらその方面の先行研究をろくに知ろうともせず、車輪の再発明にすら惨めに失敗しているとして叩く、叩く、叩く。愉しい。
この本でまとめられたような流れから(?)過激なミーム論者がミラーニューロンに縋りついていくという展開は、なんだかとても分かり易いように思える(分かり易すぎて、そうした理解も危ういかと自戒したくなるくらいに)。
○マルコ・イアコボーニ『ミラーニューロンの発見』感想。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20110717
で、『ニルヤの島』の作者はまず民俗学徒(文化人類学との異同というのは面倒な話題にもなるけど)であることを表明してたりするわけで。
○ミーム論が文化人類学者をはじめ社会科学方面に一般的にどういう受け取り方をされているか
○そして、概ねされて当然だろうところであるか。
を『ダーウィン文化論』等を眺め踏まえた上で『ニルヤの島』について改めて思い返してみれば。
そりゃあ、なんとも愉しくなる。
野暮なことを書くなら「ああ、「あえて」のことなんだな」と捉えやすくなる。
○戦国武将、SFを書く──柴田勝家インタビュウ vol.1
https://cakes.mu/posts/8367
目次はこんな感じ。
以下、各章について(非常に雑に)書いていってみる。
第1章:序論(ロバート・アンジェ) 認知科学、進化学。
第2章:ミームの視点(スーザン・ブラックモア) 元々は超心理学、意識研究が専門。過激なミーム論者の代表。
第3章:ミーム論をまじめに取り扱う−−ミーム論は我らが作る(デイヴィッド・ハル) 生物分類学、進化生物学、生物学哲学。
第4章:文化と心理的機構(ヘンリー・プロトキン) 心理学。進化心理学。
第5章:心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ) 心理学。認知科学。
第6章:ミームの進化(ケヴィン・レイランド,ジョン・オドリン=スミー) 動物行動学。
第7章:ミーム−−万能酸か,はたまた改良型のねずみ捕りか?(ロバート・ボイド,ピーター・リチャーソン) 生態学、生物人類学。
第8章:文化へのミーム的アプローチに反論する(ダン・スペルベル) 社会科学、認知科学。
第9章:もしミームが答えなら,何が問題なのだ?(アダム・クーパー) 社会人類学。
第10章:好意的な社会人類学者がミームに関していだく疑問(モーリス・ブロック) 人類学。
第11章:結論(ロバート・アンジェ) 認知科学、進化学。
第1章:序論(ロバート・アンジェ)
ミーム論にまつわる現状の紹介と論点の整理、論者とその持論の簡単な紹介。
誰の論に対しても100%賛同はしない……という編者の姿勢も明示。
第2章:ミームの視点(スーザン・ブラックモア)
"ミーム凄いよ。「模倣」が本質だよ!それにまず限定すべきだよ!"
以降の批判のたたき台提示、という感じで持論を展開。
ちなみに。
いろんな分野の専門家が集まってミーム論について一般観客を入れないクローズドで学術的なシンポジウムをやったよ……というこの本においてこの論者は最も過激なミーム論の全面肯定派、ミーム論者として登場しているのだけど。
邦訳版に付された「執筆者一覧」の経歴にもある通り、元々なんの「専門家」だったのかというと……。
書き写すのめんどいので、ウィキペディア参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%A2%E3%82%A2
第3章:ミーム論をまじめに取り扱う−−ミーム論は我らが作る(デイヴィッド・ハル)
「この20年間というもの、科学としてのミーム論は重要な概念的・経験的進歩をとげていない。私たちは、ミーム論は明らかに進歩的研究プログラムではないと理解するに至っている」(p59)
この人は"だからミーム論者たちは科学における他の研究プログラム同様、早くその意義と価値を示せ"と発破かけて採るべき方針についてなんか書いてるけど、正直、何を書いているのかと把握が難しいというか、指針と呼べるほどまとまった何かが書いてあるようには見えない。
第4章:文化と心理的機構(ヘンリー・プロトキン) 心理学。進化心理学。
ミームの在り方について「模倣」(のみ)を基盤としようというスーザン・ブラックモアの論を、還元に無残に失敗している還元論として批判。
「文化研究ほどオッカムの剃刀の似合わない場所はない」(p93)
第5章:心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)
「模倣は、実のところは行動科学の「悪い言葉」のひとつである。長い間、発達心理学者や動物行動学者が定義付けし、操作できるようにと挑戦を続けているにも関わらず、満足のいくモデルは今のところ完成されていない」(p110)
とまずスーザン・ブラックモアをぶん殴りつつ。
では……ということで、ミーム論を少しはまともに検討するためのシュミレーションモデルの提示を試みているようだけど、率直に言って概ね雑な与太話に見える。
目が泳いで概ね読み飛ばしたので、正直よくわからない。
第6章:ミームの進化(ケヴィン・レイランド,ジョン・オドリン=スミー)
巻末収録の「訳者あとがき」にある通り
「むしろミームを「だし」にして自分たちのニッチ構築説をアピールしている感じだ」(p262)
終わり近くに、
「本章をふくめ数多くの研究は、文化をミームのような単位に分解できるという仮定なしには成立しえない。ミーム論にはきちんと確立されて形式の整った理論が、文化進化理論や遺伝子-文化共進化理論という形で、すでに存在している」(p154)
として未訳の書籍・論考を自信たっぷりに(?)幾つか薦めているけど、本当かなー?(この『ダーウィン文化論』では「その仮定がまるで成立してないよね」という話ばっかりがいろんな論者から出てきてるし)。
やはり、比較的目が泳がずにはいられない章だった。
第7章:ミーム−−万能酸か,はたまた改良型のねずみ捕りか?
ミームは一種の「文化の集団モデル」として、
「合理的な行為者モデルでもないし、綿密な歴史分析でもない。けれども、これらの分析形態のきわめて有用な補完物であり、社会科学を豊かにしてくれるものなのだ」(p179)
と書いてる。
本気で有用だと思ってるのか相当疑わしい口ぶりで(なんせ、ミームという概念には「複製子」としての「遺伝子」とのアナロジーが出発点だし重要でもあるだろう所、正にそこを強く疑っているという話が繰り返し書かれている)、一応こうは結論づけてる。
どうなんだろ。
第8章:文化へのミーム的アプローチに反論する(ダン・スペルベル)
「ミーム論の魅力はその極度の単純さにある」(p181)
と語った上で、提唱者のドーキンス以来、(ミーム論では)特に「模倣」の要素が重要視されてきてる、で、模倣は確かに重要だ、それは認めよう、と。
で、ミーム論なるものは理論的には面白いが、単純で雑過ぎて何もろくに立証できてないと、事実上切り捨ててる。
締めの文章。
「模倣は、どこでも見られるものではないとしても、もちろん研究の価値がある。そしてミーム論の大プロジェクトはといえば、さてこれは、間違った方向に向かいつつあるようだ」
第9章:もしミームが答えなら,何が問題なのだ?(アダム・クーパー)
始祖のドーキンスからして、既に他の学問の領域で豊かな蓄積がある「文化」への研究に対し、およそ科学とはいえない雑で無理が多いアナロジー(「ミームと遺伝子のアナロジーは非現実的で欠陥がある」p209)頼みの切り込み方をしてきてる。
あっちいけ。こっち来んな。
……概ねこんな話をしてる。
具体例を挙げつつの徹底したけなしっぷりが読んでいて愉しかった。
第10章:好意的な社会人類学者がミームに関していだく疑問(モーリス・ブロック)
例えば複雑で面倒で簡単には捉えきれない「人類」だとか「人の文化」だというものをこれから「概論的に」学ぼうという学生にとって、ミーム論というのは甘い誘惑だね。
なんだかとても単純にそれらをわかったような気にさせてくれる。
でも、ホント、車輪の再発明というか、それ以前のことばっかりだ。
まあ、自然科学の皆さんが社会科学方面の学問の蓄積にようやくまともな関心を抱くきっかけにでもなれば有意義なんでは。
こっちもはじめから残念なバカ扱いして相手をかえって頑なにさせてしまったようなこともあるかもしれない。そこはごめん、といっとくよ。
お互い、仲良くやっていけるといいね……。
9章のアダム・クーパーが直球でバカにしているのに対して。
こちらは題名で「好意的」とのたまいつつ、優雅かつ慇懃無礼に貶しまくっている感じでこれも素晴らしかった。
第11章:結論(ロバート・アンジェ)
・進化の理論として
・心理学的側面について
・(遺伝子とのアナロジーにおける「複製」という要素において非常に重要と(一部で)主張される)「模倣」について
・既存の社会科学との関係について
・ミーム論の「応用」について
・今後の可能性について
以上のような項目について。
「この本全体が、同じ方法で順番に配列されている。大まかにいえば、生物学を背景とするミーム推進派から始まって、心理学やとくに社会系諸科学を専門とする批判派は後ろのほうに固まっている。この章でのわたしの意見も、この本全体と同じ順番にしたがいたい」(p229)
と述べた上で、手際よくどんどん語っていく。
まとめを半端にまとめるのもなんなので、詳細は本当は本文を読んでもらうしかないとして。
一応、ものすごく雑にかいつまんで要点(?)を書くと。
まず、
「わたしの主張は、ミーム仮説を支持するためには、ミームが存在するという何らかの証拠が必要だということだ。直接証拠でもいいし、間接のものでもかまわない」(232)
しかし、それは(提唱から数十年たった今も)ろくに成されていないし、進んでいる気配もあまり無い……と総括されているように見える。
続いて、遺伝子とのアナロジーの上で、
「遺伝子型と表現型の区別をミームに適用できるようにする方法の確立」(p238)
がなされなければ理論的にもまずいだろうけど、こちらもろくになされているとは言い難い……と書かれていると思う。
また、「模倣」について。
「模倣が優れた複製を可能にする唯一のメカニズムだからミーム論を模倣に限定すべきだとするブラックモアの主張には、支持者がほとんでどいない」(p244)
「模倣では曖昧過ぎて、何が(ある種の)社会的伝達の過程で起こっているのか説明できない」(p244)
ああ、スーザン。
ミラーニューロンの話に縋りつきたくもなるよね。
あと、社会科学方面がミーム論に侮蔑的だったり怒っていたりすることについて。
これ、超訳してしまうと、
"そりゃあ、そうだろう。ろくに実証的な証拠もない上、理論的にも怪しい仮説で、その最もラディカルで有名な論者は肯定的なミーム論者(?)の中で比較的まともな方面の中でも相当ウケが悪かったりする、そのくせ、他分野に土足で上がり込みつつその分野の先行研究はろくに学びも知りもせず、怪しげで雑なアナロジーを振り回し得意顔……嫌われて当たり前だろう。賢くないね"
といったことをできるだけオブラートに包み、穏やかに上品に書いているように見える。
締めくくりを引用。
「いずれにせよ、デイヴィッド・ハル(本書第3章)も認めているように、理論的研究はすでに多数なされていて、この問題に対する関心が高いことを考えると、ミーム論には何か実質的なものをかなり近いうちに出していただきたい------ミーム仮説からただしくて新しい予測が導かれるとか、自己複製子の特徴を備えた文化的実体が存在すると証明されるとか。というのも、究極の------理論的な反論を先取りした------テストは、ミーム論が新しい実証的研究を生み出せるかどうか、あるいは、すでに得られている結果についてさらに深い解釈を生み出せるかどうかだからである。まだそうなってはいないが、近い将来には必ずそうしなければならない。さもなければ、ミーム論は、間違った方向に進んだ計画だったと受けとめられることになる。時は、刻一刻と迫っている」(p257)
そうした結論に至る過程の要約や引用がすっぽり抜けている「要点」でなんなのだけど。
ごく個人的には「まったくもって、そうだよな」と思わされる「結論」だった。