有本倶子・編『山田風太郎疾風迅雷書簡集―昭和14年〜昭和20年』〜『戦中派不戦日記』へ繋がる橋

『戦中派虫けら日記(滅失への青春)』(昭和十七年〜十九年)と重なり、昭和二十年一月一日から始まる、あの『戦中派不戦日記』への橋渡しになる書簡集。
十七歳〜二十三歳の、続く《日記》とは随分違う荒削りの生き生きした書きっぷりには嬉しくなる。はっきりいって出来がいいとは言いがたい俳句や長詩がそれでも持っている勢い、二人の友人へ出す手紙を入れる封筒を、それぞれもらったばかりの中学の卒業証書を破いて作ってしまう破天荒ぶりはともかく痛快。手紙に添えられたイラストや、数枚ほど、直筆そのままの手紙のコピーが掲載されているのもありがたい。

数多い手紙の白眉は、昭和十九年十月の「おもも」と題された、後の昭和二十三年、第一短編集『眼中の悪魔』に収録された傑作、「芍薬屋夫人」の原案だろう。
この後、丁度「芍薬屋夫人」執筆の時期の日記を収めた『戦中派動乱日記』についての感想で書くが、《幾度となく様々な形で繰り返し描かれたることになる、風太郎作品の中の一つの《型》の原型となったその作品の更にそのまた原型》というのは実に興味深い。昭和十九年から二十三年の間の作品の変化は、昭和二十年八月十五日の《終戦》が、山田風太郎という作家を生む決定的な仕上げを施したのだという流れを端的に示してくれているようにも思える。