歌舞伎座二月公演(昼夜)〜玉三郎の舞踊と歌舞伎の《型》、ほか。


歌舞伎座でほぼ丸一日を過ごす。
昼:一階四列十*番。夜:一階五列*番(花道内側)。十一時から二十一時までぶっつづけで観劇。
……先月十五日の昼夜に続いて、正直言って、金銭的にも、時間的にも、体力的にも、分不相応に文字通り身を削って観に行っていることになる。しかし、先月に続いて今月も又、十二分にその価値があった。本当に嬉しい。


以下、各狂言の感想。あらすじその他は面倒なので省略。
また、元々ろくに分かってなどいないのだから(渡辺保の『歌舞伎〜過剰なる記号の森』などを読むと、その深い鑑賞の在り方にただ感嘆する。しかし、どうあがいたところで、二年や三年であんな風に深い見方の入口にさえ立てるわけもない)、正しい解釈、あるべき解釈などにあまり頓着せず、思ったとおりに書いてみる。昼の部については、特に暴言多数。



<<<昼の部>>>

「春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)」〜衣装のコントラストの美しさ。


浅黄の裃に緋の衣という、衣装のコントラストが美しい。本来は正月狂言であり、曽我狂言の所作事であるという性質に相応しい華やかさ。
こうした「明るく華やかであればいい、一応少しばかりドラマ的要素(一応形としては挟み込まれた曽我兄弟の仇討ちの趣向)もあるけれど」という狂言では、橋之助という人のおっとりとして品のいい性質はよく似合うと思う。事実、見ていてその踊りが一番楽しめた。
いつもはよく、「この人に(特に踊り以外で)主役級の役を振っちゃうと、劇のためにも役者のためにも可哀想だよなぁ」と思ってしまうのだけれど。滲み出る真面目さや人柄の良さ、熱心な意気込みが伝わらずにはいられないだけに、どうしようもなくアクの強さにも華にも格にも欠けるのが痛々しいので…。脇に回ればいい感じのことも多いのに。この人が主演する世話物などを見ると、主役という存在には何が必要であるのか、逆説的にわかってくるようにも思う。
ともあれ、始まりからそれなりに楽しめる狂言で一安心。

「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 陣門・組打」〜もしこんなのばっかりだったら金返せ。

……一言でいって、「ともかくショボかった」としかいいようがない。


まず、福助の熊谷小次郎直家・平敦盛の二役。
……いい加減、この人に、ごくたまにでも立役を振るのは止めて欲しいと思う。花道の出の瞬間から、薙刀を持った姿が、応援旗を無理やり抱えさせられてよろめく新入りの応援団員のようで、元々柔弱なボンボン武士や貴族武士の役柄とはいえ、いくらなんでもそれでいいのかと思う。仮に『箙の梅』での梅玉の梶原源太------どうみても戦場から来たようにみえず、「どこの歌合せからのお帰りですか。随分変わったご趣向の出で立ちですね」と声を掛けたくなってしまった(役によっては、他の誰にも無い独特の上品さが味になるのだけれど)------とタッグを組みでもしたら、さぞかし小屋中に苦笑いが広がるスチャラカ喜劇が生まれてしまうのではないだろうか。馬に乗って出て来ても、「おーい!ハニ丸」より迫力が無いのはある意味見応えがあったといえなくもない。


そもそもこの人、今回はそもそも役が余りにニンに合わなかったのが何よりの問題とはいえ、ここ数ヶ月、踊り以外の不調が目に余って、素人目にも心配させられてしまう。勘九郎最後の『一本刀土俵入』のお蔦などは感嘆するほど良く、去年一月の『梶原平三誉石切』(梶原は吉右衛門)での梢だって結構良かった。ただ、去年の秋あたりから、なぜか立ち姿から身のこなしからパッとしないというかおよそ生気がない。しかも、それを補うためなのか、むやみやたらと声を張り上げたり、感情表現が大げさでクサくなる傾向が大加速しているように思えてしまう。深刻なスランプなのでは???


続いて、幸四郎熊谷直実
……なんだか、こちらも花道の出から、あまり出来の良くない皐月人形がギクシャク歩いているような、何ともいえないヘタレの空気が漂ってしまう……。『伽羅先代萩』の仁木弾正はあれだけ超人的な出来であったのに、まっとうな立役だと、高麗屋はなぜここまで歌舞伎的な面白さがなくなるんだろう。しばらく前の『魚屋宗五郎』も、なによりまず主役がセコいために他の面々まで総崩れのひどい狂言になっていたし、評判の良かった俊寛も、なんだか首の上だけ苦悩に歪んでいるのに、体は役柄におよそ似合わない妙な力強さに満ちていたので、「この俊寛なら、船の一艘や二艘力ずくで奪い取って自力で京都に舞い戻ってしまうのでは?」と思えてしまった。ただ単に、個人的な趣味志向として、私が歌舞伎役者としてこの人を嫌いなだけかもしれないけれど……。

秘すれば花」ということと、「多くの観客を相手にする」ということ。


また、小次郎と敦盛の身代わりを兜を取って序盤でどうしようもなく明らかにする演出だが、論外だろう。歌舞伎座に行くときには事前に渡辺保氏の評を観ていくが、それは怒るよなぁ、と思わされる。
しかし、「こうとでもしなくては分かってくれない。分かってもらえなければ意味が無いではないか」という、多くの観客を前にし続ける演じる側の気持ちは、察するに余りある。そして、歌舞伎以外でも、そんな思い------「そこをそんなにはっきり演ってしまっては……」------を抱くことはままある。

例えば、去年、恒例のさん喬・権太楼両師匠が交互にトリ・仲トリをつとめる鈴本の夏興行での、さん喬『鼠穴』、権太楼『文七元結』。前者では(中身を知らず)三文を受け取った弟が出て行くのを、兄が引きとめようと腰を上げて呼び止めようとして思いなおす演出と、後にかなりしつこく兄が弟にその時の冷たさを詫びるくだり、後者では文七に金を渡す前、たっぷりと娘への思いを仕草でも言葉でも重ねに重ねて演じた部分。なぜそうなったかの理由は十分過ぎるほど伝わるが、やはり、そこは抑えてこそ噺が生きる部分だと思った。僭越至極の感想ながら、抑えに抑えても、十分に多くの観客に噺の勘所を伝えきるだけの群を抜いた技量を持った二人、数多いる現役の落語家の中で、小三治師匠と共に「その主任興行や独演会ならば観に行きたい」と思わされ、実際にその期待をほとんど裏切らない噺家であるだけに、惜しい、と思わされた。ただ、「秘すれば花」とはいえ、そうした誠実な演者なればこそ、一部ではなくより多くの観客に理解を求めたいと思うという、その葛藤には独自の観るべき価値が生まれていると思う------そして、一流の演者というのは、たとえ失敗であっても、実にその人らしい失敗をするのであり、その人の本質を損なうことは決してしないのだなと思わされる。

また、もしも、そうして「多くの観客」を相手にすることを止めてしまっては、演者として下り坂にならざるを得ない。例えば、先ほども引き合いに出した、さん喬、権太楼というおよそ異なる持ち味を持つ噺家二人は、しばしば手を組んで興行を行う。それは名手同士、お互いの芸を《意識》-----という生易しい言葉は不適切かもしれないが------するのがプラスになるという面と共に、「自分を目当てに来ているのではない」客を前に演ずることを望むからだと思う。

無論、自らを良く知る客の前で、とことん自らを出し尽くすことは誰もが理想とするところだろうし、「さん喬を聴く会」での毎回の大熱演(といっても私はそれに行くようになってまだ三回だけど)------特にあの『柳田格之進』!!------はその現れだろう。ただ、ほとんどの公演でそうした物分りのいい客ばかり相手にし続けるとなると、たとえその人がどれだけ類を絶した批評的な感覚の持ち主であっても、演者として大きく失ってしまうものがあるのだろうと思う。三つの『つるつる』------八代目桂文楽の決定版、北村薫『夜の蝉』で描かれた架空の一席、そしてDVDで観た立川談志の、結末を大きく変更した『つるつる』のことを思い浮かべながら、そう思う。

ともあれ、半分くらい狂言が進んだところで、つくづくうんざりしてまともに観なくなってしまったので(三通りの「さあさあさあさあ……」の問い詰めの下りなどは、あそこまでいってしまうとZ級映画を観るような楽しみがあったけれど)、この演目に関しての感想はこれくらいで……。


「お染久松 浮塒鴎(うきねのともどり)」〜菊之助バンザイ。


菊之助、オン・ステージ。以上!------だと、あんまりなのでほんの少し。
なぜあそこまで華麗美麗端麗なのか、と興味津々で観ていると、一つは袖と手の使い方なんだなぁ、と気づく。柔らかく指先を揃えた手を、袖の中にどれだけ隠し、どれだけ覗かせ、どれだけ出してくるか。特に左手を立役(この狂言では橋之助)にとらせる巧みさなどはため息が出るくらい巧い。
立ち姿が様になる、写真映りなら綺麗、という若手の女形はそれなりにいるのかもしれないけれど、何よりこの人は《巧い》のだ、と思わされた一幕。


「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」〜今月の吉右衛門丈はアタリです。


吉右衛門を観るときの印象は基本的に両極端で、あまり中間がない。つまり、

(1)アタリの吉右衛門⇒「最高だ! これぞ歌舞伎だからこその面白さだ!!吉右衛門バンザイ!歌舞伎観に来て良かった!!本当にありがとう!!」

(2)ハズレの吉右衛門⇒「……えーと、吉右衛門丈は大変満足そうにたっぷり演じていらっしゃるのは、我々としても大変よくわかるのですが、そのですね、あの、もう少し、そう、もう少しパッと次に行って、派手な見得でもきって頂けないでしょうか? すいません、正直いって眠いんです…」

のどちらか。

(1)の最高の例が海老蔵襲名の吃又、それに続く例が仁左衛門との『盟三五大切』での薩摩源五兵衛、去年1月の『梶原平三誉石切』での梶原、先月の『伽羅先代萩』での荒獅子男之助といったところ
(2)の例は……そんなの別に挙げなくてもいいよね、ということでパス。


で、この狂言は(1)に分類されたというわけだ。
何より、見せ場見せ場の名台詞の鮮やかさ、思い入れの味わい深さが、ひたすら気持ちがいい。
冒頭で花道に居座るチンピラをたしなめる「降りるが華の花道を…」(ここに限らず、台詞はうろ覚えなので極めて不正確)や、クライマックスである湯殿での啖呵、「流れる水も遡る水野の屋敷へ出で来たり…」の惚れ惚れするような名調子。水野から湯浴みを勧められたときの数拍の思い入れの見事さ。この長兵衛を観れれば、昼の部はもう、それだけでよかったという大満足の出来。

ちなみに、播磨屋は本人の役としても滑稽味がある方がより役者としての大きさが生きるし(その意味でも、吃又は完璧なハマリ役だと思う)、筋や脇役にコミカルな味があるのも大きなプラスになってきていると思う。例えば、この狂言だと、冒頭の劇中劇の出来が非常にいいのが、吉右衛門の出来と大きな正の相乗効果を生んでいると思えた。




<<<夜の部>>>

「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」〜一年前の劣化版??


この狂言単体でいえば、もともと好きな狂言であるし、出来も相当良いし、満足な一幕。
……ただ、ほぼ全面的に吉右衛門梶原景時を演じた去年一月の上演と比べて大きく見劣りしてしまうのは如何ともし難い。


初めて刀を抜く場面は、結構いい出来。しかし、高麗屋の他の見せ場はどうしても播磨屋のそれと比べてしまうと……。
まず、俣野五郎景久が試し切りをしようと進み出るのを抑える場面。吉右衛門の裂帛の気合は、一階席の半分を跡形もなく吹き飛ばさんばかりだったが、今回は……。
続いて、青貝師六郎太夫が名刀がなまくらだと思い、忠義を果たせぬ無念に切腹しようとするのを留める場面。播磨屋が演った時は書割の八幡宮を揺さぶり崩すかというほどの覇気が舞台を覆ったが、高麗屋では……。
花道を満面に喜びを湛えて下がって行く場面も、英雄的な感情の大きさをみせることでは他を寄せ付けない吉右衛門の影は、あまりにも濃く、重い。


また、大庭兄弟も、前回の左団次、歌昇が懐かしく思い出されてしまう。端的にいって、去年の狂言では、大庭兄弟にどこか憎めない愛嬌があった。もともと、筋を冷静にみると、特に大庭三郎の方は演じられる《世界》の感覚に照らして別に無理を言っているわけではない。俣野も粗暴ではあるものの、その単純さにはある種好感が持てなくもないし、梶原が普通に試し切りを成功させたなら、ごくまっとうに豪傑笑いでその場の気まずさを収めでもして、約束どおり刀を買って兄弟ともども満足して帰って行ったのではないだろうか。
無論、後のカタルシスのためにも、梶原が一時、深い恥辱にまみれることは必要だが、それには必ずしも大庭兄弟が根っからの悪人である必要は無い。むしろ、彼らは梶原に深い対抗意識を持ち、それに流されがちではあるものの、彼らなりに豪快で素朴な東国武士であった方が、この狂言の祝祭的な明るさにより貢献する存在になると思う(ただ、この評価には、個人的にもう、ほとんど無条件で左団次という役者が好きなので、その贔屓の分もあるかもしれない。あのユーモア、あの懐の深さ、あの愛嬌……。もう、全部ひっくるめて------「いやぁ、左団次って、本当に素晴らしいですね」(水野晴郎風に))。
六郎太夫、梢も前回の段四郎福助が上出来だっただけに、今回の出来には少し見方が厳しくなってしまう。

「京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)」〜これを観れただけでも十分幸せ。


何とも微妙だった「梶原平三誉石切」の感想など数万光年の彼方へと吹き飛ばしたのが、この演目。

幕開けからしばらく経つと、なにやら自分の席の斜め前方1メートル弱のところ(⇒花道の七三)まで、「桜と梅と山吹あたりの選りすぐりの花を枝ごと集め束ねた上に、金銀珊瑚をてんこもりにして乗せました。天上界が自信をもって贈る、春の新作ジュエリー(人間型)です」とでもいうような、言語では到底説明不可能な生き物がやって来た。それで、「あー、なにやらとんでもないシロモノが踊ってるなー」と呆然としていると、その足元(⇒すっぽん)から、いろいろな意味で------単純に体格でも、まさしく人間離れした華やかさでも、動きの流麗さでも-----それより更に一回り非常識な謎の生命体がせり上がって来て、今度は二人打ち揃って踊り始めた。……なんだかもう、その辺りからの数分だか十数分だかの出来事の言語化というのは余りにも馬鹿馬鹿しい試みなので諦める。ただ、その時間だけで十分、今日の昼夜通じてのチケット代の元は十分取れたと思う。なんせ、文字通り目と鼻の先でその間ずっとアレが踊ってたんだから……。
ここまで印象的な花道での光景は、今まで二年強観て来た中でも、玉三郎の揚巻、八橋、海老蔵助六くらいか。いずれも物語そのものが人間の形をとって歩いているのを観たという、稀有の体験だった。正に歌舞伎ならではの楽しみだと思う。


他にもみどころは余りにも多く、代表的なものだけでも列挙してみる。

所化との愉しくも奥深いやり取り(特に「手の中の雀」の挿話による、「この世ならざるもの」の表現は何度聞いても見事だ)の後、烏帽子をかぶって花道を歩み来る玉三郎。なんか、その時の眼が到底人類のものとは見えなかった……。あれは爬虫類の眼、というか、まんま蛇だよ、蛇。あのときの花道に蛙を置いたら、アマガエルだろうがイボガエルだろうが地雷也を乗せたガマガエルだろうが、なんだって凍りついて動きを止めるね。怖すぎる。


なお、所化の面々も、その俗臭ぷんぷんたる雰囲気が、化け物二人を更に引き立たせていてよかった(勘三郎襲名披露興行の『京鹿子娘道成寺』での、大幹部揃いの所化も愉快な味があったけれど。特に海老蔵。少しは端役らしく出来ないのか…。どこにどうしていても《主役》な空気を出す異様さは一種のおかしみになっていた)


突飛な感想になるが、最初に引き抜いて蛇の目の衣装になっての踊りの中にあった、二人で動きをあわせての回転が、どこかフレッド・アステアの特徴的なターンに似ていたのは面白かった。洋の東西やジャンルの壁を越えて、踊りを極めようとすると似たような動きを生み出すことがあるのだろうか?
ちょっと愉快な連想として、後半の鼓を胸に抱え、それを叩きながらの踊りという「道成寺」の《型》を、『イースター・パレード』で「ドラム・クレイジー」を踊ったアステアが観ていたら、それからどんなダンスを生み出したことだろう?元々「ドラム・クレイジー」を踊るはずだったジーン・ケリーだったら?しばらく、そんな空想を弄びながら二人の踊りを眺めていた。


また、「道成寺」の基本であるとのことだが、舞台の発する磁力の中心は、多くの時間、踊る二人の花子ではなく、《鐘》になるように工夫されていた。計算され尽くした視線が、手つきが、扇が(そして何より、演者の《心》が鐘の上にあることが重要なのだという)、ことあるごとに観る者の意識を《鐘》へと向けさせ、その結果として単なる張りボテである緑の鐘から一種名状し難い妖気が醸し出されるのは、異様で独特な、空間の《美》だと思う。


それと、中盤での花子が持つ赤い編み笠の連なりと、所化達の持つ幾つもの花笠がくるくる、くるくると回る光景の美しさは冒頭の二人の花子とはまた異なる《美》であり、この演目では、その提示する《美》の幅広さにも驚かされる。勿論、次々に移り変わる花子たちの衣装の息を呑む艶やかさ------なんと大胆で豪華な色彩の洪水だろう------も、この狂言における《美》の一大要素だ。


そして、よく玉三郎の踊りに付いて行っている菊之助にも、およそ手が届かなかったのは、玉三郎・必殺の海老反り。勘三郎と演じた『籠釣瓶』の殺し場など、これまでも要所要所で炸裂させられてきた玉三郎の十八番は、『京鹿子娘二人道成寺』でも存分にその威力をみせつけてくれた。玉三郎、恐るべし。


「人情噺小判一両(にんじょうばなしこばんいちりょう) 」〜圓生落語の世界


落語を愛した戯作者、"明治の黙阿弥"と称された名人・宇野信夫の人情噺風の戯曲を、菊五郎吉右衛門が実に手堅く情味豊かに演じた傑作。どこが巧い、というよりこれはもう、全篇巧かった。感想がいいにくい狂言ではある。


ちなみに、この狂言が《落語的》だというのもこれまた全篇そうなのだけど、例えば侍である浅尾申三郎に突然屋敷へと招かれた笊屋・安七が「試し斬りの的にされるんじゃないか」と怯えるところなどは、『井戸の茶碗』や『火焔太鼓』での町人が武士に持つイメージの誇張化を思い起こさせる。
また、ただ《落語的》であるというより、宇野信夫はこの狂言を後に人情噺として名人・三遊亭圓生に提供したということからも明らかなように、確かにこの結末は実に圓生的だと思う。


例えば、『鼠穴』で弟に三文を包んで渡す兄、『百年目』で初めはあくまで主人である自分に仕える大番頭への、そして途中からは、やがてのれん分けをして、彼自身の店を切り回す旦那になる相手への忠告と餞となる言葉を贈る大旦那。『淀五郎』での志ん生との演り方の違い------基本的に淀五郎の立場からユーモラスに描く志ん生と、淀五郎に期待して抜擢した側の失望と苛立ちも深く描いていく圓生。そして、真打の大量認可に信念をもって大反対した圓生自身の姿。
圓生の厳しさというのは、彼がライバル達-----特に志ん生文楽------を素直に高く評価することをためらわなかったことや、何よりその噺の在り方をよく考えてみると、何かを《認める》ための厳しさではなかったかと思わされる。それは厳しさのための厳しさではなく、いわば自らの経験に裏打ちされた、裏返しの優しさであり、配慮でもあるのではないか。正に、「人情噺小判一両」で描かれたテーマそのものだ。

そういうわけで、落語関係の本などでたまに目にする圓生の十八番である『鼠穴』『百年目』の評-----「あの兄は本当は弟をとことん思いやる人格者というわけではないと思う」「大旦那は本当には大番頭を許してはいないと思う」------には納得のいかないものを感じてしまう。特に『鼠穴』は、『圓生百席』よりもむしろ、TBSで放送されたものを録画したビデオ版を観ると、「えれぇ夢見やがったな、この野郎」の部分の圓生ならではの声と表情の芸によって、兄の真実は見事に表現され尽くしていると思う。


「小判一両」に絡めて言えば、(※うろ覚えなので以下の彦六についての記述は相当いい加減。何が出典かも忘れてしまった…)トンガリこと八代目林家正蔵林家彦六)が圓生に自らの弟子の新真打を酷評され、「な、何が、「あんな者が真打だとは世も末だ」だと。あ、あいつはあたしの弟子を「あんな者」といいやがった。七生生まれ変わっても決して忘れねぇ」と怒りに震えていたというエピソードは、安七が浅尾に食ってかかった場面を思い起こさせる。
圓生がその自伝『寄席育ち』で、あえて前座に留まって《最高の前座》を目指した芸人を賞賛していることなどからも、圓生の厳しさは《認める》ことにこだわるが故のものだと思わされる。そして、努力だけではどうにもならない面も大きい芸の世界では、あえて《認めない》ことこそ一種の《優しさ》とさえいえる面もあるだろうとも想像させられる。しかし、一方で何十年も自分の下で努力してきた弟子にせめてもの勲章をやりたいという思い、その弟子をけなされた師の怒りというのもまた、なおざりになど出来るわけがない人情だ。トンガリの正蔵のいかにもその人らしい怒りは、それを伝え聞く者の心に響かずにはいられない。なんとも実に難しい。
そして、ついつい情に棹差しては流され、中途半端に智に働いては角を立ててしまうのが人である以上、「小判一両」の物語同様、善意からの想いがすれ違って悲劇に繋がることがしばしば起こってしまうのは仕方が無いことであり、それが人の世というものなのだろうか。

……なんだか歌舞伎から話題がどんどん離れていってしまったが、ともあれ、原作と音羽屋・播磨屋の確かな実力により、「人情噺小判一両」はしんみりと色々なことを思わせられる傑作に仕上がっていた。
こうして全体を振り返ると、二月の歌舞伎、特に夜の部は稀に見る大豊作の月なのではないだろうか(ひどい演目もあったが、正直に言うと、どの月でも1/3くらいはしょうもない演目があると思う)。なにはともあれ、ほぼ一日中歌舞伎漬けの愉しい一日だった。





<<<玉三郎の舞踊について>>>

なお、最後に、特に印象的だった玉三郎菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」の感想を書いたことを機に、玉三郎の舞踊に特徴的な傾向とその理由について少し考えてみる。