トリノ五輪開会式〜「《平和の式典》を芸術的にやれ」というなら、やっぱりNo.1はイタ公だ。

今更ながら、トリノ五輪開会式の感想を書いてみる(色々と忙しく、今日になって、ようやく録画で観たので……)。

……あぁ、イタ公は芸術やらせるとやっぱり凄い。一方で「今度はイタリア抜きでやろうぜ」という有名なジョークがあるが、正にその良い反面というわけで、「《平和の式典》を芸術的にやれ」というなら、この国こそNo.1という証明だろう。
例えば、もう一方の雄・フランスだと余りに観念的でうるさそうだなぁ、と容易に想像できてしまう。イタリア人がやるからこそ、現実には日本同様アメ公に逆らえないことをよくよく知った上で、観念的・政治的なメッセージなどは気の利いた皮肉程度に抑えておいて、ひたすら美しく楽しいショーとして見せてくれる。それだから大好きだぜ、イタ公。

もっと詳しく言えば、オリンピックはそもそもスポーツの祭典であると共に、そもそもの始まりから極めて政治的なイベントでもあり、更には芸術的なショーでもある、という興味深い多様性を持っている。そこで、「それを扱うバランス感覚と芸術的なセンスがともかく絶妙なのがイタ公だ」というわけだ。

まずは、実は大変分かりやすい、政治関連の話から考えていってみよう。