「ミステリ読むこと書くこと〜講師:北村薫×杉江松恋」〜講演の感想


鳩山邸は『お嬢様は名探偵』の舞台
これは、「NHKのドラマのロケ地がここだった」ということに限定される発言なのか、原作が書かれた時に、最初から新妻邸の姿は鳩山邸をイメージしたものだったということなのか、不明確。どちらだろう?



●「谷川俊太郎寺山修司のビデオレター」についての、谷川俊太郎と九条今日子の講座

話題になった講座は、朝日カルチャーセンター新宿教室、2006/2/18の講座、「寺山修司アヴァンギャルドの時代(2)/幻のビデオレターを見ながら」だったと思われる。

※参考URL
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0601koza/A0102_html/A010215.html


なお、このビデオはアートデイズ出版『寺山修司&谷川俊太郎ビデオレター』としてネット通販などで購入可能。
その内容の紹介はこちらのページなどに詳しい。
http://www.asahi-net.or.jp/~cw5t-stu/TERAYAMA/videoletter.html

※後になって購入、視聴。感想はこちら


なお、「作家は自分についてひどく嘘をつく」という話からは、『六の宮の姫君』での、菊地寛『半自叙伝』についての《私》と高岡正子のやりとりなども連想させられる。
また、寺山修司の自分史というのは、それも実に寺山修司らしく、《作品》として大きく脚色や誇張が加えられていることでも有名であるらしい。

※その後、寺山修司『誰か故郷を想はざる』を読んでの感想


そして、《自分史》と北村作品ということについて考えてみるならば、《私》の物語の幕開けにおいて、彼女が《L'histoire----歴史》と指で文字を描くのは実に象徴的なことだと思う。例えば、「なぜ、「歴史」という言葉がフランス語で書かれるのか」といったことだ。

(ここで、「《私》の第二外国語選択がフランス語だったから」というだけでは、《背景》であって《意図》ではない)



●南條氏が解説をした筑摩から出ているイギリス小説の傑作集


イギリス恐怖小説傑作選 (ちくま文庫)

レポートの本文中の註でも書いたが、ここで話題になっているのは南條竹則・編訳『イギリス恐怖小説傑作選』収録の、H・R・ウェイクフィールド「目隠し遊び」。
手に入れてみて読んでみると、これが実に素晴らしい選集。現在(2006/3/24昼)、1/3ほど読んだところだが、「目隠し遊び」以外の作品も粒ぞろい。特に、各小説の出だしの数行がどれも魅力的。3/24付の日記で、簡単にでも感想をまとめていってみたい
また、「目隠し遊び」は題名からも内容からも、『紙魚家崩壊』収録の「新釈おとぎばなし」で触れられている、ディクソン・カー「めくら頭巾」を思わせるところがある。なお、「めくら頭巾」は北村先生のご推薦の通り、「昭和30年発行★別冊宝石46【世界探偵小説全集12】『ディクソン・カー篇』」掲載版で読むと、例の解説に加え、紙の古さもプラスに働き、その風情をよく楽しめると思う。


また、蛇足だが、《南條竹則と英国》といえば、坂田靖子の大傑作『バジル氏の優雅な生活』白泉社文庫版の解説は、全五巻ともこの方であったりもする。実に幅広く活動されている方のようだ。



●「どこまで書くか」ということ


これを北村作品について見ていくなら、例えば最新刊『紙魚家崩壊』の中でもわかりやすい例が幾つかある。
例えば、「溶けていく」の《漫画の作者は誰か》といったこと。
あるいは、「蝶」の主人公の心の動きと、その《架橋の試み》と、《それが繋がらない橋であることを知らされた決定的な一言》があったということ。
それらをそのまま書いてしまっては、確かに作品になりそうもない。


※『紙魚家崩壊』については、2006/3/20付の日記に少し解説と感想を書いたが、今後も加筆していく予定。


そして、更に重要な例で言えば、『スキップ』での、美也子の《あの御方》への想い、《十七歳》の真理子の人生よりも長い時間を、一ノ瀬/桜木真理子と過ごしてきた、桜木氏の彼女への想い。それらも正に、「どこまで書くか」ということの一つだと思える。


なお、それでもあえて、桜木氏の想いについて、作中の一場面の心の動きを追ってみるとするならば、私には次のように思える。
2004/12/19の日記での「キャラメルボックス公演・北村薫原作『SKIP』」への感想の流用)。

「偉いなあ」
お世辞でもないような声で、いった。
「どうしてです」
「十七だろう。あれも出来るんじゃないか、これも出来るんじゃないか、という可能性が、今この現在、一つになっているわけだ。ぼくだったら、そのことの不満で暴れだしそうだな」
「わたしは------ 一ノ瀬真理子を信用してあげたいんです。こんなことをいったら随分だと思われるかもしれませんけど、わたし、一ノ瀬真理子を------」口にするのは抵抗があったけれどそういうしかないから、小さくいった。「愛しています。だって、------そうでなかったら、可哀想でしょう」
桜木さんは黙ってこちらを見ていた。わたしは続けた。
「途中で何があったか知りませんけど、結局、彼女が選んでここまで来たわけですよね。だったら、今のわたしが時間をもらってやりなおしても同じことになる筈です。ならなかったら、おかしい」
桜木さんは、ややあって、二、三度、強く頷いた。

「そうだよね、自分が《好き》だったら、そういえる筈だよね」

この場面の真理子の発言は実に凄いものという他ない。普通の人は、そうは思わない-------思えない。だからこそ、数多くのタイムトラベルの話が描かれてきた。そして、だからこそ、『スキップ』は数多くの読者にとって、特別な作品となっている。この言葉こそ、あの有名なラストでの発言と共に、《真理子》というキャラクターの素晴らしさを象徴する言葉といえる。


そして、桜木氏の心の動きとしても、この場面は大きい。「坊主憎けりゃ---」で「受け入れたい」と思った相手。ただ、彼としても、《どう受け入れていくか》ということには、迷いがあったことだろう。彼にしてみれば、《わたしはわたし》と宣言する「一ノ瀬真理子」は、その意志で、彼が馴染んでいる《桜木真理子》を段々と否定し、消していってしまうようにも思えたかもしれない。

しかし、ここで、その「一ノ瀬真理子」は、《「桜木真理子」を愛している》といってくれた。それも、正に、かって彼が知っていた「一ノ瀬真理子」「桜木真理子」しか持ち得ないまっすぐさで。


ここで、彼の気持ちは事実上、決まったのだと思える-----力の限り、「一ノ瀬真理子」の力になろう。それは、「桜木真理子」にとっても、決して悪いことになど、なりはしない。なるわけがない。
だからこそ、続く「参謀になってくれませんか」という頼みに、《悩めるかつての桜木真理子/一ノ瀬真理子の《体》の夫》ではなく、いたずらっぽい「少年のような光」を眼に宿らせ、今目の前にいる真理子と共に歩もうとしていくことが出来た。


《真理子》から愛され、《真理子》を愛した桜木氏というのは、そういった人物なのだと思う。




阿刀田高について

ナポレオン狂 (講談社文庫) 風物語 (講談社文庫)


乱歩のいった《奇妙な味》に属する珠玉の短篇集-------『冷蔵庫より愛をこめて』『ナポレオン狂』の作者であり、《和製ロアルド・ダール》とも言われたブラック・ユーモアの天才として。
巨星・星新一没後の日本におけるショート・ショートの第一人者として。
ギリシア神話を知っていますか』をはじめとする、さまざまな神話や伝説の優雅で愉快な解説者として。
長期に渡って直木賞の選考委員を務めるなど------他の選考委員については、色々と芳しからぬ評判もあり、事実、大失策としかいいようがない選考や委員の発言なども数多いと思えるが------優れた小説・物語の読み手として。

それぞれの面で、主に中学・高校時代に強く惹き付けられ、好きにならずにはいられなかった作家だけに、この名前が北村先生の講演の中で、こうした形で出てきてくれたのは嬉しかった。
阿刀田先生の作品の中で、今回紹介されたものと似たイメージの傑作といえば、『風物語』に収録された「砂時計」が思い浮かぶ
正直に言って------少なくとも、2000年頃までに文庫で刊行されたこの人の作品は、ほぼ全て読んだ上での感想として------小説家としてのこの作家のピークはもう、断然、最初期の『冷蔵庫より愛をこめて』『ナポレオン狂』にあったと思えるが(例えば、吉川英治文学賞受賞の『新トロイア物語』や、大作『獅子王アレクサンドロス』って、そんなにいい作品だろうか?)、この「砂時計」という一篇は、種類こそ違え、初期の大傑作たちにも十分対抗し得る力がある作品だと思う。もし叶うことなら、北村先生に、この作品の感想を聴いてみたいものだと思う。

(ああ、こういう類の質問をすればよかったんだよ!返す返すも、あの時間が悔やまれる)


……なお、どうでもいいことだが、この話題で取り上げられた「樹林伸」氏というのはおそらく、あのかつて『少年マガジン』に連載されていた怪作『MMR』のキバヤシのモデルになった人のことだと思われる(「な なんだってーーー!!」)。


※参考URL
Wikipedia「亜樹直」

それと、『ファンタジーの宝石箱 第一集 人魚の鱗』に関しては、2006/3/23の日記で簡単な感想を書いてみた。ちなみに、阿刀田高「雪の朝」に関しては、北村先生が語った感想に尽きてしまい、特に書くことがなかったためにあえて取り上げていない。


●『世界の中心で愛を叫ぶ』批判と、『ひとがた流し』で描かれる《一所懸命》に生きる人々


講演のこの部分について、「何だか北村先生らしくないなぁ」と思った人も多いのではないかと思う。
《見てもいない作品についてのまた聞きでの批判》などというのは、北村先生としては大変珍しいことだ。

ただ、「なぜこういう話題が出てきたか」というのは、作家として------特に『ひとがた流し』の作者としては------伝え聞くだけでも、そうした表現の在り方に反発せずにはいられなかったからだろう。


ひとがた流し』第三章「道路標識」を読むと、その中に「一所懸命」という言葉が繰り返し現れることに気付かされる。そして、第五章「吹雪」にも一つ。


尊敬する父、類の言葉を受け止めようとする玲の姿の表現として。
美々と類の夫婦が、父を慕う娘=玲の心を語る言葉として。
牧子が類に語った、彼の写真に見入る親友・千波の姿を示す表現として。
千波が類に、自らの病を宣告された時の思いを語る言葉として。

鴨足屋良秋が初めて自分で考えて出した企画、千波が彼にとって忘れられない存在になるきっかけになったものについて書いた手紙の中に。

「玲ちゃんが、どうして苦しいのか、よく分かったよ。---友達と話してる時だって、相手を傷つけることがある。こっちに、全然そんなつもりがなくてもね」
「うん」
「ものを作るのも、やっぱり対話なんだ。作るって行為そのものがそうだ。自分と作品とのね。そして、出来ちゃったものを誰かに見せたら、今度は、そこで---作品と観客が話し始める。でも、観客の耳に、作り手が考えもしなかった言葉が届くことだってあるだろう。作られたものは、説明じゃないからね。---何行かにまとめられるようなテーマがあって、それをそのまま伝えたければ、説明すればいい。そこに、絵や写真や音楽なんて《表現》はいらない筈だよ。---そうなると我々の伝えたいのは、意図じゃなくて、そこから生まれた表現そのものになる。それこそが、人間にとって必要なものだ。---泣くのは悲しいからだろう。でも、誰かに見せつけようとしてる時は別として、純粋に泣いている時はどうか。《これで悲しみを表現しよう》なんて思っていない筈だ。ただ、止むに止まれず、泣くことを泣いている。そうだろう?」
「うん」
「でもそれは、悲しみと涙が別物ということじゃないんだよ。流してる涙が、言葉を越えた、《悲しみそのもの》なんだよ」
 玲は、一所懸命、後を追うように、
「・・・・・・喜んで踊ってる時は、こう、手を振ったり足を上げたりしてる動きが、もう、《喜びの表現》じゃなくて、《喜びそのもの》なんだって・・・・・・ことよね」


「道路標識 七」



美々は、ちょっと考え、
「《写真家》っていうより、《類さん》が好きだから、---写真も好きになろうとしてるんじゃないかな。ほら、学校の授業なんかで、そういうこと、あるじゃない? 先生がタイプだと、その教科まで一所懸命やる」
「---それはあるね」


「道路標識 十四」



「電話をいただいた時には、急な話で、よく分からなかったんです。でも、受話器を置いて、しばらくしてから、はっと思い当たりました。---トムさん、一所懸命、日高さんの写真を見ていたんですよね」
「ええ」
「だとしたら、---あの人、日高さんに、写真を撮ってもらいたいのかも知れません」


「道路標識 十九」



「でもねえ、わたし、迷ったんですよ」
「え?」
「その後、わたし、牧子たちを先に行かせちゃったんです。一人になりたかった。---牧子はね、《体のことで何かあって、落ちこんだんじゃないか》って、随分と心配したそうです。でもね、わたしが一人で、一所懸命、考えていたのは、そんなことじゃないんです」
 千波は、微笑んで続けた。


「道路標識 二十二」



一所懸命、考えました。
お茶の間の、誰にでも興味を持って見てもらえ、最後には微笑ましくも温かい気持ちになってもらえるものを------と考えました。そして、「夫婦喧嘩を覗いてみれば」という企画を立てました。


「吹雪 二」

これらの場面に端的に示されているように、『ひとがた流し』の大きなテーマの一つは、「一所懸命」だ。
この物語で描かれているのは、これまで《一所懸命》毎日を生きてきて、これからも生きていこうとする人々が、逆らい難い運命によって、その《毎日》を奪われながら、《それでも》その《一所懸命》を守り抜こうとしていく姿に他ならない。


そんな物語を描かずにはいられなかった作家にとって、《不治の病に倒れて、初めて人生の大切さに気付いた》という類の、世の中に、これでもか、というくらいに溢れ返る、《感動》を謳う安易極まる筋書きが、どれほど許しがたく思えるかは察するに余りある。


ただ、「『ひとがた流し』第三章「道路標識」を読むと、その中に「一所懸命」という言葉が繰り返し現れることに気付かされる」という類の読み込み方について、講演の中で《そういう読み方をしないで欲しい》と言われてしまっているような気も……。いや、はっきりと言われてしまっているんだよな、これは。

ただ、そんなこと言われてもなぁ。気付くよ、自然に。他の作家の作品についてならともかく、北村薫の作品についてならば、《読み込んでやろう》と思わなくても、こうした言葉があれば、それが勝手に文の中から立ち上がってくるようにして、眼に入って来る。それは決して、悪い事ではないんだと思える。


●「アンソニー、分かっているよ」


これはほぼ完全に正確な記憶だったようで、

ジェームズ・リプトン :「天国に行ったとき、神様になんと言って出迎えて欲しい?」

アンソニー・クイン :「Anthony, I understand」

といったやり取りだったという。

※参考URL
「山羊歩歩棒録/ 2001/11」


この話からは、自然に『詩歌の待ち伏せ』の、「三好達治『師よ 萩原朔太郎』」が連想された。
なお、これに限らず、第一回を飾った「アンドラージ「集団」」を初めとして、『詩歌の待ち伏せ』では、時にそれを持つものを暗い淵の中------何かに対してひたすら渇き求めながら、決してそれを得られることは無い、そして、そのことを《知って》しまってもいるという苦しみ-------へと導く《認識》と、《それでも》-------あるいは《それだからこそ》-------それを《表現》せずにはいられない者の孤独と誇りと輝きとが、幾度となく深く描かれていたと思う。
『詩歌の待ち伏せ』という作品は、北村薫が描き出す世界が断じて《優しく温かい》だけのものなのではないことを、他の作品群と比べても相当にはっきりとした形で示しているものだと思う。


ちなみに、そうした感覚からすると、誰がつけたものなのかは知らないが、文春文庫版『詩歌の待ち伏せ<1>』につけられた、出版社による紹介には、相当な違和感を感じずにはいられない。

(「BOOK」データベースより)

“本の達人”北村薫さんが人生の折々の詩歌との出会いとその後のつきあいをていねいに描くエッセイ評論。三好達治石川啄木塚本邦雄佐佐木幸綱石垣りん松尾芭蕉、五島美代子、西條八十などの著名人とともに小学生や三歳の子供を含む無名の書き手も登場。博覧強記の著者のフレンドリーな個人文学館。


「フレンドリーな個人文学館」か……。
作品の読みは人それぞれ、ということだろうか。


なお、『アクターズ・スタジオ・インタビュー』の放送は、とにもかくにも素晴らしいとしか言いようが無い番組。何とか、過去の放送もまとめて観てみたいんだけどなぁ。……日本語字幕付きで。

※参考URL
人力検索はてな「NHKで放送している「アクターズ・スタジオ・インタビュー」のバックナンバーを観る方法はありますか?」




……ところで、最後に一つ書いておくと、「『スキップ』では"いなくなった"四十二歳の真理子のことを誰も省みない。ひどい作品だ」といった北村作品への評などが、私にとって、ただただ唖然とさせられて、もはや何を言う気にもなれないものであることと同様に、このサイトで自分が------ろくにその作品や作家、ジャンルについて知りもせずに------書いている文章の少なくない数は、こだわりを持ってそうしたものを追いかけている人にとっては、呆れ返って言葉も出ないような代物なのかもしれないと思う。

講演でも語られていたように、《《読みは人それぞれ》という以前の、どうしようもない問題外の誤読》というものは確かにある。そして、そうした誤読は大抵の場合、《表現》への最低限の敬意を欠く姿勢から生まれてくるものだろう。
《まずはその穴から這い出して行けたら》と思わずにはいられない。