「小原愼司『二十面相の娘』1,2巻」〜二巻目からの変化に注目?

二十面相の娘 1 (MFコミックス) 二十面相の娘 2 (MFコミックス)

漫画喫茶で手にとって見た作品。
2巻に入ってから、俄然、絵の呼吸と台詞のテンポが合ってきた……?
1巻を読んでいるうちは、「物語やキャラクターは魅力的なのに、なんでネームと他の部分がこんなにギャップがあるんだろう?」というのが正直な感想。


ざっと読んでのいい加減な印象なのだけれど、1巻では、一コマの《画》と《台詞》、それぞれが読者にイメージさせる劇中時間の幅にしばしば大きな差があったと思う。
画は短い瞬間の表情や姿勢を捉えるタイプの表現なのに、台詞は一コマの中で、その言葉に伴ってキャラクターの感情や認識が揺さぶられる、《ある瞬間》よりも《流れ》を意識させるもの。その違和感が何とも目だってしまう。


また、画の構図と台詞との組み合わせも何か個人的に感覚が合わなかった。
例えば、読者が《言葉を投げつけられる側》を意識したほうがいいと思えるところで、《それを喋る側》のアップの画だったり。


で。そのギャップが二巻になると、なぜだか大きく緩和されているように思えたのが不思議。
《不思議》だというのは、《ここが変わった》という明確な変化は特にないようにも感じられたから。
読者であるこちらが、作品の呼吸に慣れてきた?あるいは、物語と画と台詞との同調が強まった結果?何らかの技術的な工夫の結果???------今のところ、判然としない。


その部分が気にもなるし、物語とキャラクターには相当興味を惹かれる部分がある。
改めて続刊も含めて買って、もっとゆっくり読んでみようと思う。

……あと、「この絵柄と、妙にギクシャクしたコマとコマの繋ぎって、どこかで見覚えがあるなぁ」と思っていたら、アフタヌーンで連載されていた『菫画報』の人だったのか。なるほど。