『ひとがた流し』〜『秋の花』と響きあう物語------《一所懸命》はどこに残るか。

ひとがた流し

ひとがた流し

物語も中盤の第三章「道路標識」以降、《一所懸命》という言葉が繰り返し出てきます。


------尊敬する父、類の言葉を受け止めようとする玲の姿の表現として。
------美々と類の夫婦が、父を慕う娘=玲の心を語る言葉として。
------牧子が類に語った、彼の写真に見入る親友・千波の姿を示す表現として。
------千波が類に、自らの病を宣告された時の思いを語る言葉として。
------鴨足屋良秋が初めて自分で考えて出した企画、千波が彼にとって忘れられない存在になるきっかけになったものについて書いた手紙の中に。

「玲ちゃんが、どうして苦しいのか、よく分かったよ。---友達と話してる時だって、相手を傷つけることがある。こっちに、全然そんなつもりがなくてもね」
「うん」
「ものを作るのも、やっぱり対話なんだ。作るって行為そのものがそうだ。自分と作品とのね。そして、出来ちゃったものを誰かに見せたら、今度は、そこで---作品と観客が話し始める。でも、観客の耳に、作り手が考えもしなかった言葉が届くことだってあるだろう。作られたものは、説明じゃないからね。---何行かにまとめられるようなテーマがあって、それをそのまま伝えたければ、説明すればいい。そこに、絵や写真や音楽なんて《表現》はいらない筈だよ。---そうなると我々の伝えたいのは、意図じゃなくて、そこから生まれた表現そのものになる。それこそが、人間にとって必要なものだ。---泣くのは悲しいからだろう。でも、誰かに見せつけようとしてる時は別として、純粋に泣いている時はどうか。《これで悲しみを表現しよう》なんて思っていない筈だ。ただ、止むに止まれず、泣くことを泣いている。そうだろう?」
「うん」
「でもそれは、悲しみと涙が別物ということじゃないんだよ。流してる涙が、言葉を越えた、《悲しみそのもの》なんだよ」
 玲は、一所懸命、後を追うように、
「・・・・・・喜んで踊ってる時は、こう、手を振ったり足を上げたりしてる動きが、もう、《喜びの表現》じゃなくて、《喜びそのもの》なんだって・・・・・・ことよね」
「《写真家》っていうより、《類さん》が好きだから、---写真も好きになろうとしてるんじゃないかな。ほら、学校の授業なんかで、そういうこと、あるじゃない? 先生がタイプだと、その教科まで一所懸命やる」
「---それはあるね」
「電話をいただいた時には、急な話で、よく分からなかったんです。でも、受話器を置いて、しばらくしてから、はっと思い当たりました。---トムさん、一所懸命、日高さんの写真を見ていたんですよね」
「ええ」
「だとしたら、---あの人、日高さんに、写真を撮ってもらいたいのかも知れません」
「でもねえ、わたし、迷ったんですよ」
「え?」
「その後、わたし、牧子たちを先に行かせちゃったんです。一人になりたかった。---牧子はね、《体のことで何かあって、落ちこんだんじゃないか》って、随分と心配したそうです。でもね、わたしが一人で、一所懸命、考えていたのは、そんなことじゃないんです」
 千波は、微笑んで続けた。
一所懸命、考えました。
お茶の間の、誰にでも興味を持って見てもらえ、最後には微笑ましくも温かい気持ちになってもらえるものを------と考えました。そして、「夫婦喧嘩を覗いてみれば」という企画を立てました。

                 *   *   *


若き日の屈辱を胸に、二十年以上、病も寄せ付けずに誇りを持って仕事を続けてきた千波。
その心に秘めた目標が正に現実のものになろうととした時、その未来は唐突に奪われます。


------これまで《一所懸命》に生きてきて、これからもそう生きていこうとしていた人。その生が明日を失った時、その美しい人の《一所懸命》はどこに残るのか。


読者の中に自然に生まれるこの叫びは、『秋の花』の《私》が円紫さんに投げかけた疑問、

「明日輝くような何かをしようと思った、その明日が消えてしまったら、どうなのですか。その人の《生きた》ということはどこに残るのです」
と重なります。
その答えもまた、『秋の花』のそれと響きあう。------思い出が残る。同じく《一所懸命》に生き、彼女と触れ合い、彼女が《生きていて欲しい》と心から願い、支えた人の中に。


真理子が明日へと向けた《きっと》という清冽な思い。
千波がその胸に棘が刺さった時から抱き続けた思いと、重ねていった《時》の重み。
北村薫はそうして宝石のような輝ける意志を描いた上で、そうした美しいものが、花開かないまま終わることもあることを示します。
そして、彼らに餞(はなむけ)を贈り、《それでも》その意志には意味があると謳うのです。


                 *   *   *


《子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯くのごときか。晝夜を舍かず。》
玲が大学受験の出題で出逢った、「川上の嘆」。「昼も夜も休みなく、川は流れ続ける」。
ひとがたは思いを乗せ、消えない記憶を残し、《時》という川を流れていく。