山田芳裕『へうげもの』〜安土の夜景、信長の月。

へうげもの(1) (モーニング KC) へうげもの(2) (モーニング KC) へうげもの(3) (モーニング KC)
山田芳裕へうげもの』は、大胆すぎる嘘を呆れるほど無茶な画で出す。
その無茶っぷりこそが理屈抜きで面白い。


でも、その《大嘘》が驚くほど太い骨格と緻密さに
裏打ちされているという理屈も面白い!
その一端が伺われるのが、下に引用する第一巻p130。

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まず、続きの文章を読む前に、この画を見て欲しい。
何か、物凄くおかしなことに気が付くはず。















































人間、月を見上げてクレーターが見えるだろうか?
「見える」などといおうものなら、
猛り狂ったガリレオ・ガリレイに望遠鏡で殴り殺されてしまう。


ここで、望遠鏡の発明は1608年。
ガリレオがそれを大改良し、月のクレーターを発見したのが1610年。
つまり、信長の目に映った安土の夜景には、肉眼でどころか、
世界で未だ誰にもみたことのない月が浮かんでいる。
信長の世界の具現たる安土城。そこで語られる信長の野望・全世界版。
正にこの場面で、この月は浮かぶべくして浮かんでいる。


そして、信長は、その観た世界の方向へと急速に現実を変貌させながら、
ガリレオ同様、世に理解されず、忌み恐れられる。


信長の思想、哲学、行動原理とは何か。
それは、三巻において彼が死を迎える時、わずか一言、
「愛よ」と言い切られる。
しかし、ここで凄まじいのは、《信長の》「愛」なるものの中身が、
正にその直前、ある別の言葉で示されること。
そのあまりにも苛烈な簡潔さ!!
そして、それを信長に日本語で言わせないことにより、
信長最期の言葉を受け取った人物が、
どれだけその行動原理、その思想を真に理解し得たのかはぼかされる。
その手際の憎らしいほどの見事さ!


更に、それほどまでに圧倒的な力強さで《信長》を描きながら、
その滅びを真に演出した存在、信長に匹敵する存在として、
千利休を置き、見事に成功しているというのが恐ろしい。
ここにおいて、利休がジャイアント馬場もびっくりの
身長2mを優に超える巨人として描かれるという画の《大嘘》と、
物語におけるこの人物の位置付けは分かちがたく繋がっている。


そして、この物語の主人公・古田左介(古田織部)は、
この二人の大巨人の薫陶を受け、
その上で今へと繋がる《美》の秩序の基本を築くという役回りが
与えられている(……のだろう。まだ話はそこまで進んでいない)。
余りに壮大なスケールに目眩がしてしまう。


題名となっている《へうげもの=ひょうげもの=剽軽者》というのは、
単に馬鹿げた無茶や異様な行動に走る者ではなく、
《わかった上で》そうしてみせる者を言うんだろう。
作中の人物たちだけでなく、作者もおそるべき《へうげもの》だ。


※ここでページ数を出そうとして、初めて、
この漫画が1ページ目を除いてノンブルのスペースも惜しみ、
端まで画で溢れさせていることに気付いた。
……自分、何読んでたんだろうなぁ。




うーん、でも、書いてみてなんだけど、この漫画って、
《個性的過ぎる無茶》にもしっかり裏打ちがあるだろうことを
"なんとなく"わかった上で、そこは"なんとなく"のままにしておき、
その無茶っぷりを楽しんだ方が面白いかな。まぁ、いいや。


あと、この漫画(の第一巻)については、


「第弐齋藤 土踏まず日記」(12/27)
http://sto-2.que.jp/ndiary/2005/12/200512271.html

の感想が素晴らしく面白い。特にこの下り。

 織田信長の「茶の湯政道」があるから面白いのだな、この時代。
 そもそも土地、不動産の奪い合いであるはずのところに、何食わぬ顔で名物(茶器)、動産が紛れ込んでる。

ズバっと切り込んでいく、いい指摘だなぁ……。