<本>
計35冊。
○リチャード・パワーズ『われらが歌う時』上・下(高吉一郎・訳)
○チャールズ・ストロス『アッチェレランド』(酒井昭伸・訳)
○ジョン・スラデック『蒸気駆動の少年』
○貴志祐介『新世界より』上
○ジョージ・エインズリー『誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか』(山形浩生・訳)
○アルフレッド・ベスター『ゴーレム100』
○恒川光太郎『夜市』
○マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』(山岸真・訳)
○ロバート・チャールズ・ウィルスン『時間封鎖』上・下(茂木健・訳)
○上田早夕里『魚舟・獣舟』
○上橋菜穂子『獣の奏者』[1][2](青い鳥文庫版)
○上橋菜穂子『獣の奏者? 王獣篇』
○上橋菜穂子『闇の守り人』
○上橋菜穂子『精霊の守り人』
○上橋菜穂子『夢の守り人』
○上橋菜穂子『虚空の旅人』
○支倉凍砂 /イラスト:文倉十『狼と香辛料』[10]
○竹宮ゆゆこ『とらドラ』[1-9]
○ジャック・ルーボー『麗しのオルタンス』(高橋啓・訳)
○高野史緒『赤い星』
○犬村小六/イラスト:森沢晴行『とある飛空士への追憶』
○磯崎憲一郎 『肝心の子供』
○SFマガジン編集部『SFが読みたい!2009年版』
○『EX-PO』(エクス・ポ)第一期(1号〜6号)円城塔『後藤さんのこと』他
※感想など※
○チャールズ・ストロス『アッチェレランド』(酒井昭伸・訳)
○貴志祐介『新世界より』上
○上橋菜穂子『獣の奏者? 王獣篇』
○竹宮ゆゆこ『とらドラ』[1-9]
○ジャック・ルーボー『麗しのオルタンス』(高橋啓・訳)
などなど、読書メーターにメモ↓
http://book.akahoshitakuya.com/u/13251/commentlist
○マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1089947157&owner_id=211281
○アルフレッド・ベスター『ゴーレム100』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1081923733&owner_id=211281
○伊藤計劃『ハーモニー』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1078620469&owner_id=211281
○『EX-PO』(エクス・ポ)第一期(1号〜6号)
⇒この日記の後半。
<演劇・落語・歌舞伎など>
計2公演
○東京バレエ団「ベジャール・ガラ」(五反田ゆうぽうとホール)/演目:シルヴィ・ギエム「ボレロ」他。:2/8
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1075519809&owner_id=211281
○柳家喬太郎ミニライブ(秋葉原石丸電気)「町内の若い衆」「火事息子」:2/20
<DVD/ビデオ/TVなど>
[TV]全豪オープン決勝 ナダルVSフェデラー
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1068928125&owner_id=211281
[TV]グスターボ・ドゥダメル指揮/シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ初来日公演(2008年12月17日/東京芸術劇場)
[TV]グスターボ・ドゥダメル指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団<ワルトビューネ・コンサート>(2008年6月15日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1087109953&owner_id=211281
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1087353142&owner_id=211281
<漫画>
計44冊。
○岩明均『ヒストリエ』[5]
○山田芳裕『へうげもの』[8]
○高橋慶太郎『ヨルムンガンド』[5]
○季刊「GELATIN」
○渡辺航『弱虫ペダル』[1-4]
○幸村誠『ヴィンランド・サガ』[5][6][7]
○やまむらはじめ『神様ドォルズ』[4]
○山田穣『がらくたストリート』[1]
○水上悟志『戦国妖狐』[1-2]
○道満晴明『最後の性本能と水爆戦』
○藤原カムイ(原作:上橋菜穂子)『精霊の守り人』全三巻
○比良坂真琴/原作:ZUN『東方三月精』[2]
○釣巻和『くおんの森』[1]
○田辺イエロウ『結界師』[23]
○絶叫/原作:竹宮ゆゆこ『とらドラ!』[1][2]
○小山宙哉『宇宙兄弟』[1-4]
○大和田秀樹『機動戦士ガンダムさん よっつめの巻』
○大場つぐみ&小畑健『バクマン。』[1]
○岩岡ヒサエ『土星マンション』[4]
○荒川弘『鋼の錬金術師』[21]
○赤松健『ネギま!』[25]
○TONO『カルバニア物語』[1]-[11]
※読書メーターに諸々メモ↓
http://book.akahoshitakuya.com/u/13251/commentlist
<その他>
○[CD]ALiCE'S EMOTiON「Trois Rouge」
○[CD]ALSTROEMERIA RECORDS「Trois Noir」
○[CD]Sound Online「Trois Bleu」
○[CD]グスターボ・ドゥダメル指揮/シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ『FIESTA(フィエスタ)』
○講師:北村薫「アンソロジーの楽しみ」(朝日カルチャーセンター講座全三回/二、三回目)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1071060610&owner_id=211281
○お江戸ミーティング(2/11)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3001501
○個人オフ(2/12)
○SFファン交流会(2/21)
○AtoZ読書会(課題本:上橋菜穂子『獣の奏者』)(2/22)
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●雑感
○オフ会など
公開講座、オフ、読書会と、先月に引き続き、外に出てみる機会を増やしてみた月でした。
六割楽しくて、四割凹みます。あるいは割合が逆かも。
これまででも頭では分かっていたことですが、過去も現在も、ヌルくやって来ちゃったなぁ、と実感。
センスも量も質も、そして何よりそれらに支えられた自負が足りません。
そこらへんをもう少しなんとかしない限り、話せるものも話せませんし、聞くものもうまく入ってきてくれなかったり、聞き出せなかったりするわけで。
<ギアをもう二、三段くらい上げないと、ちょっとどうにもならないかもしれないなぁ>という印象です。
今月初めから使い始めたんですが、ついそちらでメモで済ませてしまって、Mixiの方でまとめるのが億劫になりがち。
上橋菜穂子関連、チャールズ・ストロス『アッチェレランド』、貴志祐介『新世界より』、上田早夕里『魚舟・獣舟』 あたりについてはいつかもう少しまとまった形で書けたら、と思います。
実のところ、一番何か書きたいのは圧倒的な大傑作、リチャード・パワーズ『われらが歌う時』であったりしますが、正直難しい------といいますか、無理です。
ちょうど、『EX-PO』第六号の豊崎由美×仲俣暁生×佐々木敦「プロフェッショナル読者論」でも取り上げられていて、
「『われらが歌う時』から入ってもらって、『囚人のジレンマ』を経て、『舞踏会へ向かう三人の農夫』に向かい、最後に『ガラテイア2.2』に挑戦する。そういう薦め方ができるので、ありがたい本なんですよ」(豊崎由美)とあるので、正にそうしようと思っていたところでもあり、素直に従ってみようかと思います。
『われらが歌う時』を読んだ直後に『囚人のジレンマ』注文して冒頭少し読んでみたんですが、あまりに引き込まれそうでなにか怖かったので、そのまま3週間弱逃げてしまっていたところなんですよね。いい加減、きちんと読まないと。
○その他
通販でまとめ買いしたなんとも不思議な雑誌、『EX-PO』はお目当ての「後藤さんのこと」は勿論、ボーナスページの編集後期というか対談というかよくわからないもの等も、わからないなりになんだか賑やかで、楽しい6冊でした。
※『EX-PO』(エクス・ポ)
http://ex-po.net/
「後藤さんのこと」について。
ゴドーもとい後藤さんが待つまでもなくなんだか奇妙な形でそこら中に居て、最後にはお別れになってしまう。
毎回繰り広げられる趣向も、巫山戯たようにも見え、実際巫山戯けてもいるやり口も、そして、その上での幕切れの一言も。
いつもながらの、例えば「Boy's Surface」や「your head's only」とも似た味のする、好きな一篇です。
……以下、あまりにいい加減かつ無作法すぎる感想なのかもしれませんし、その上かなりヘンな方角から入っていく話ですが、少し。
『われらが歌う時』、『アッチェレランド』の一つ大きな魅力はそれぞれ、壮大なスケールの奇想とヴィジョンと完璧に結びつく形で、愛する者同士(なかんずく家族の間)の断絶し過ぎていていて到底繋がりえない手が繋がり合うことにあります。
断絶の元になる違いをどちらかが捨てるのでも、安易に歩み寄るのでもなく、お互いがお互いであり続けながら、それどころかそれをとことん突き詰めながら、それでも、むしろそれによって繋がる。
また、その断絶の苦悩と、その果ての繋がりの幸福は、彩り豊かなユーモアに満ちてもいます。
断絶に抗するには、真摯さと同じくらい、あるいはそれ以上にどうしてもユーモアが必要とされ、そしてそれが似合う。
逆に言えば、ユーモアを失ってしまった真摯さは、往々にして殉教者じみた気持ち悪さにしか繋がりえません
別の言い方をすれば、最高級の奇想でありながら、二つの物語の主役達はある意味、物凄く<真っ当>でもある。
奇想そのものよりもむしろ、この奇想の中でのその<真っ当>さにこそ、私は強く惹かれます(一方で、『ハローサマー、グッドバイ』のアンフェアの権化のような語り手のガキなどは、ちょっと言葉に出来ないくらい嫌いです)。
ただ、そうした見事過ぎるほどに見事な物語には、正にその見事さ故に強く感嘆もすれば惹かれもするのですが。
同じように断絶を前にユーモアを持って向き合い、繋ぎたい、繋がりたいと切実に望みつつ、手を伸ばしても、届かない物語------それでもなお、手を伸ばし続ける物語。その伸ばす流れに否応なく読者を(心情的にというだけでなく、小説の仕組み的に)引きずりこむ物語、そういう構造を必然的に取らせられることになる物語------には、読者としてより強く、そして切実に惹かれます。
変な話、私は『われらが歌う時』も『アッチェレランド』もこれからもっとそれ自体やその周りを追っていってみたいのですが、それはそれぞれの作品の魅力を追うというだけではなく、そうした《繋がり》に達し得た物語を読み込むことを通じて、《繋がりを望みつつ果たせない》物語であるとも思われる------そのためにより強く惹かれるものでもある------「Boy's Surface」や『Self-Reference ENGINE』をより読み込んで行きたいのだ、というところがあります。
……まぁ、何言ってるのかわからないというか、そもそも多分明後日の方向に特大ファウルどころか、バックネット方向にふらふら上がって行ってキャッチャーフライという見当違いの情けない話ですね。
どうにもこうにも、すみません。
つまるところ、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1071060610&owner_id=211281
で書いたような流れでの話なのですが。