巨大な自然災害や放射能の不安。そんな中でのお勧め作品(?)

節電に役立つ娯楽の一つは読書。
さて、巨大な自然災害や放射能の不安の中でのお勧め作品を考えるとなると、どんなものでしょう。


「それでも立ち上がるぜ!」とガンガン復興な気分には、


小川一水『復活の地』

復活の地 1 (ハヤカワ文庫 JA)

復活の地 1 (ハヤカワ文庫 JA)


が多分お勧めです。
技術者や各分野のプロ達が死力を尽くすプロジェクトX風の作品に定評があった作家。


ただ、現在進行中の大長編シリーズ『天冥の標』は過去の要素を大結集した上に更にその枠を大きく超えていく感じの超傑作なので更にお勧め。
あ、『天冥の標1』も植民惑星唯一の発電炉不調で配電制限で大混乱、から始まる話でした。


小川一水『天冥の標1 メニー・メニー・シープ』

特に、アシモフ小松左京が好きだった人は絶対読んだ方がいいですよ。……って、そういう人はまずもって、とっくに読んでますね。はい。

「結果如何よりも、危機に対しても努力することそのものが偉大」だという、


上田早夕里『華竜の宮』

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)


は、壮大なビジョンと醒めた現実感覚が同居する、昨年刊行の絶対お勧め作品。
SFが読みたい!』の昨年度国内SFナンバー1にも選出。そりゃあそうですね。
雑誌連載かつ未完も含めていいなら、飛浩隆『零號琴』との間で悩みますけれど。


「避け得ぬものは仕方ない、穏やかに受け入れて」というなら古典的名作、


ネヴィル・シュート『渚にて

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)


……というのもアレですので……


ここは「非常時にこそ冷静に紳士的に」という最高の見本、同じ作者の


『パイド・パイパー』

パイド・パイパー - 自由への越境 (創元推理文庫)

パイド・パイパー - 自由への越境 (創元推理文庫)


描かれた状況と作者の立場を考えた時(たとえ考えなくても十分以上に傑作ですが!)、これのバランス感覚と矜持はとにかく凄いんです。


第二次大戦下のフランスから、やむをえず次々と預かった様々な国の子供たちを連れて英国に脱出する老英国紳士の脱出行。
書かれたのは1942年。
作者は大戦中、かなり高度な兵器開発にも従事したエンジニア兼大小説家。


国同士が存続を賭けて戦う大戦の中、各々が「こんな時、人は自分の国にいなくてはいけません」と責務を果たさんとしつつ、争いの悲惨さを痛感しながら、それらと関わりない幼い子供たちをその災いから遠ざけたいという思い。
その責務と子供たちへの思いにおいて、英国民の老人や、瓦解した国際連盟の職員や、ドゴール派のフランス人漁師とも重なるものを、作者はゲシュタポの少佐にも認めます。
これぞ大人、これぞ紳士です。


英国が興廃をその一戦に賭けたバトル・オブ・ブリテンは1940年。
チャーチルが「もしヒトラーが地獄に侵攻することになれば、私は下院において悪魔に多少なりとも好意的な発言をするようになるだろう」と演説したのは1941年。
その中での1942年の作品。


こんなにも偉大な心と眼を持つことなんかは到底難しくても、せめてしょうもないデマや偏見には引っかかり過ぎない程度の心構えは持ちたいですね(・▲・)/
9.11後のアメリカのヒステリーなんてみてられませんでしたし。
つまらない感想で締めてしまって申し訳ないですが。



追記で重ねて推薦、上田早夕里『華竜の宮』。
日本どころか、地球沈没という気宇壮大なビジョンを、技術も政治も描かれる場面の「絵」としての鮮烈さもとにかく見事に描く作品で、その中で奮闘する人々が描かれるのですが。
話の中で、奮闘にも関わらず、国々の対立も、偏見や差別も、役人根性も、人々の身勝手もおよそ「解決」などされません。
されない中、それぞれしがらみにも囚われ限られたことしか出来ず、「それでも」の努力をこそ最も尊いと描く作品なんです。


同じ作家の全く雰囲気の違う短篇集、


ショコラティエの勲章』

ショコラティエの勲章 (ミステリ・フロンティア)

ショコラティエの勲章 (ミステリ・フロンティア)


もいい小説です。
人々の仲違いやすれ違いを各話の枕に、菓子職人や菓子作り周辺の人々のこだわりや誇りを描く作品なのですが、そこでも『美味しんぼ』みたいに問題が解決したりはしません。


人間関係の軋みも、ダメな人の嫌らしさも、汚れてしまった根性も「食べ物一つではい、解決」なんてなりません。
ただ、それでも「美味しい」という思いは食べた人皆が持つ。
それだけでいい、その「美味しい」さえ後で忘れられても構わない-----そう、話の中の職人は静かに誇りを込めて語ります。


壮大な架空の未来の幻視にせよ日常を彩る菓子の話題にせよ、問題を広い視野で多方面からかつ深く捉えつつも、それを快刀乱麻に解決する快感にも、絶望や厭世、冷笑にもいかず。
技術と研鑽と誇りに支えられた堅実な努力を静かに描き、称える。


その上田早夕里の作風も、前述のネヴィル・シュートに負けず、劣らず、素晴らしいバランス感覚に基づいた「大人」のものだと思います。
こういう時こそ、そういう「大人」な作品を読むのは楽しいだろうと思えます。

※3/26追記。


ほのめかすだけにしようかと思いましたが、あえて書くと、わざわざ震災時にこんなお勧めしているのって。
ようするに「危機だ危機だ!」と騒ぐはデマ飛ばすわ、「○○(東電でも政府でも原発でもなんでもいいです)がとにかく悪い」「○○がこんな機会に暴れている!」とか偏見飛ばしまくるのは勿論、「これで全て、めでたく解決!」みたいな安易な希望に飛びつくような流れについても、「少し頭冷やしてほしいよな」ということです。
仮にも大人なら、もう少しマシな反応しませんか?


ちなみに、『パイド・パイパー』は手に汗握る冒険小説として、『華竜の宮』はしっかりした科学考証や技術論に支えられつつ読みながら浮かび上がる「絵」も鮮烈、人間ドラマも濃厚なSFエンターテイメントとして、とにかく面白い小説です。
何よりもまずそれが魅力であることは強調したいところです。



ああ、そうそう。ダメな市民運動、例えばUstreamで記者会見してた、こんな時にも政府批判しか興味がなさそうだったNPO原子力資料情報室とか、広瀬隆とか。
そこら辺にうんざりな方は、


J・G・バラード『楽園への疾走』

楽園への疾走 (創元SF文庫)

楽園への疾走 (創元SF文庫)


なんかどうでしょう。
更にうんざりできます……って、ダメかそれじゃ。

※念のため。うんざりの対象は作家・バラードじゃなくて、作中の超ラディカルな反核環境保護運動家や支援者の皆さんです。


あと、当たり前ですが真っ当で尊敬すべき市民運動もたくさんある筈(震災支援でも今、有効に大活躍中のところも多いでしょう)。
繰り返しますが、ダメな人が目立ったり多かったりしても、集団全体がダメなわけでは勿論ありませんから。
例えば、選挙で支持され最多得票したから石原慎太郎なんてのが都知事三選、下手すると四選されそうなわけですが、だからといって「都内の選挙民なんだから、お前アレを支持する連中と同類だよな」とか言われたら嫌ですよね(・▲・)/(嫌韓とか言い過ぎたりやり過ぎたりする人も、こういう想像してみた方がいいんじゃないかなー)


まぁ、バラードってひたすらいろんな形の破滅ばっかり書いた人で、数作品読みましたけど個人的にかなり苦手ですが……。


あと、最後に取り上げたいのが、相当古い漫画(1981年!)なのですが、三原順「Die Energie 5.2☆11.8」。


三原順傑作選’80s』

三原順傑作選 (’80s) (白泉社文庫)

三原順傑作選 (’80s) (白泉社文庫)


に収録された中篇です。
こちらに関しては、素晴らしい紹介をされている方がいましたので、そちらへのリンクを持って推薦に代えさせて頂こうかと。

charlotte sometimes (Tateno's diary 1998.9)」
http://tateno.pos.to/diary/199809.html
※ページ半ば。


Die Energie 5.2☆11.8 /三原順
1998.9.18 (06:19)


というところで丁寧な紹介がされています。


久々に「Die Energie 5.2☆11.8」を読み返してみた時、震災以来目にしたラディカルな原発反対のどの声よりも、30年も前のこの漫画で描かれていることが、現在の原発について考える上で参考になりそうだと思えました。