「まどか☆マギカ」10話迄のネタバレ感想〜「弱さ」の描写の巧みさ。

今更かつ大した話じゃないけど『魔法少女まどか☆マギカ』9話、佐倉杏子美樹さやかの関係について少し雑談。
あと、9話までの物語が10話で反転する、その対照の描き方を改めて振り返ると見事だね、という話を少し。
タイトルにも明示したけれど、10話までのネタバレを含むので、未視聴でネタバレを嫌う方は飛ばしてください。






















杏子のさやかへの思いって、全てではないにせよ、偏った他者救済に走った父親や、巻き込んで死なせてしまった妹を投影している部分は大きい。
初対面の相手に対しては大きすぎる苛立ちも、自分の過去を話さずにはいられなかったことも、その後の急激な肩入れも、それを抜きにしては語れない。


なので、最期に呟く、


「一人ぼっちはさみしいもんな…」


も、ほむらの多くの発言が実はなにより自分について語っているのととても似ている。
自分の過去を投影しているさやかの破滅を目の前で見せつけられての「魔法の力は自分のためだけに使うって決めたんだ」というさやかのそれと裏表の誓いを守っていく、強さというか強がりを保てなくなった諦めの言葉。
さやかの、


「私ってほんとバカ」



と同じだと思う。


更に付け加えれば、



「頼むよ神様。こんな人生だったんだ。せめて一度くらい、幸せな夢を見させて」


この場面を転機に、さやかの救出から、自分の人生の締め括りに心境が移ってしまっているように描かれていると思う。


そして、その未来への諦めと過去を投影しての心中で向けた願いは、さやかの上条への思い同様、まったく届かない。
公式サイトの魔女図鑑、Oktavia von Seckendorff (オクタヴィア・フォン・ゼッケンドルフ)の説明が冷たく断言する通りに。

http://www.madoka-magica.com/special/dic/card19.html
杏子に出来たのは、自分と共に、さやかを「終わらせる」ことだけ。


こうした「弱さ」を饒舌な説明を廃し、しかしきっちりと、そうであるが故に本来の願いを叶えられず利用され尽くすところまで描き切っているところが、『まどか☆マギカ』の見事さであり、誠実さでもあると思う。勿論、残酷さでもあるけれど。


ちなみに、「弱さ」の見事な描写といえば、やはり、美樹さやか
上條へのさやかの思いすら、作中なんどもさやか自身の言葉として強調される"自分の平凡さへの苛立ちの投影"の比重が大きいというのは、さすがに言い過ぎかもしれないけれども。


ただ、最期の歪んだ幻想が、上條本人でなく、あくまで上條を思わせる巨大な影を背景にした「魔女のためだけに存在し、魔女には楽団が全て」という哀しさは痛烈。



魔女の世界の回廊に何枚も何枚も貼られたポスターに乱舞する言葉は、文字を解読すると「Look at me」だというのも哀しい。

http://blog.livedoor.jp/animega_hz/archives/51628712.html


ただ、こうして平凡で弱くて不毛で、最期の幻想すら憧れに寄りかかったものでしかない……それだからこそ、美樹さやかというキャラクターには惹かれる。
彼女こそ、映画『アマデウス』のサリエリに祝福を受けるべき存在なのかな。
勿論、それは全身全霊を賭けた彼の呪いでもあるけれど。


そして、中学二年生だね。見事なまでに。
少女でも少年でも、かつて十四歳、中二であったことを思い返せば、少なくとも、美樹さやかを悪く思うことは難しいんじゃないかな。


同様に、弱く、結局はその弱さに耐えられず自ら死を選んだとも思えるのだけれど、だからこそ佐倉杏子は愛おしいキャラクターでもあるね。
青と赤。綺麗にさやかと対になるように見えて、とても近しいキャラクターとして描かれていると思う。


そして。
事実上そんなさやかと杏子の「諦めと弱さの物語」として9話までを描いてきた上で。
10話において、暁美ほむら(と鹿目まどかの?)の「意志と強さの物語」として、ストーリーが反転する。

○1話〜9話の表の軸。マミ、さやか&杏子の挫折と敗北の物語。
[1]マミの悲惨な死とその衝撃。
[2]ゾンビとなってしまった体。
[3]一度魔法少女となってしまったらもう決して救いは無い。
[4]願いはあくまで自らのものとして受け入れなければいけないという孤独。

○10話で明示されるそれまでの「表の軸」も含んだ、ほむらの意志と克服の物語。
[1']守りたかった仲間たちと、約束したなにより大切な友人の死の繰り返しに
歪んでいく目覚めの表情。
[2']体が"抜け殻"となったことを受け入れて、ならばとそれを組み替えてしまう。
[3']ループしてもしも他の仲間、そしてまどかを救えたとしても、
ほむら自身が救われることは決してない。
[4']それでも戦い抜くという孤独な決意。


それまでの物語でさやか、杏子、まどか、マミが打ちのめされた苦しみを、
ほむらが幾度も味わい、彼女だけがそれに正面から立ち向かう意志を示し歩み続ける。
この対照の見事さは、余りにも見事ですし、僕の好みど真ん中です。
そんなこんなで、このMADはとても好きだなぁ。
D




えーと……巴マミさん?そうだね、マミさんについては、まぁ、可哀想だよね、いろんな意味で。

シナリオ上都合良く使われているというか、なんというか。


でも、「マミさんが好きすぎる人」とかもいるし、それはそれでいいんじゃないかな。多分。きっと。
あんまり変なこと言うと、「ティロ・フィナーレ(物理)!」が怖いね。
D


最後に、演出・映像としては七話のさやかの影絵での戦闘場面はもう、とにかく無茶苦茶好き。最高。あれだけでも凄い。
D
杏子「……まったく。見てらんねえっつうの。いいからもうすっこんでなよ。手本を見せてやるからさ」
さやか「邪魔しないで。一人でやれるわ」



ちなみに、ほむらがループを繰り返して何度も
まどか☆魔女化が行われたことって、QB的に、


/人◕ ‿‿ ◕人\「優秀な再利用可のエネルギー源としてご活躍ありがとう。僕、満足!」


とかいう、とっても嫌な話とかあったりするんですかね。


そして、そして、まどかの魔法少女化はあるのかないのか。
あるとしたならば、何を願いとするのか。
正に、アニメ全体の焦点ですね。

よく言われているように『ファウスト』をモチーフにしているならやはり、


「時よ止まれ、お前は美しい」


の類型になるのかな。
少女⇒魔法少女⇒魔女のエネルギー生成システム全体の終焉の願い。