北村薫『飲めば都』。


酒を愛する人、あるいは本を愛する人、そして本を愛する人々を幾度もこれ以上無く見事に描きぬいてきた北村作品を愛する人は、きっとこの小説に惹かれずにはいられない。

飲めば都

飲めば都

笑った、笑った、笑った!
今年一番笑えた小説。帯に「仕事を愛する酒女子必読!」などとあり「自分は酒を飲まないし、女子でもないし、仕事は……愛して…るのか?」と思いつつも、そんなことはおよそ関係の無い面白さ。


書店で見かけたなら、一章の第一節、最初の5ページだけでも目をやってみて「笑える」かどうか試してみるといいと思えます。


それが大いに楽しめた人なら、この小説全体は更に何層倍も、その期待に応えてくれる筈です。
逆にそこで反りが合わないようならば……ちょっとその人とこの作品は、相性が悪いのかも知れません。
とても分かりやすい判別法と思えます。

※丁度「まずはここまで読んで欲しい」と思えた最初の5ページ、第一章第一節までが新潮社のwebサイトで無料公開(立ち読み)されています。
「紙の本である事」に強いこだわりを持つ作家の、「本」という形に大変関わりが深い作品なので出来れば本の形で触れて欲しいのですが、あまりお時間等に余裕が無い方はそちらをご利用下さい。

新潮社/北村薫『飲めば都』立ち読み
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/406607.html

なお、話の進展につれ、第三章での心に痛い"飲まずにはやっていられない"エピソードを経て、物語は酒と恋------とりわけ、いかにも北村作品らしい"本を愛する男と女の心の機微"を濃やかに描くものとなっていきます。
「酔いにまかせて意図せず内面が曝け出されてしまうこと」と、「意図を練りあげて、本や版画の作者が作品を通じて自己の中の大切なものを表現すること-----それを作中のある人物曰く、「本の蔵に住むウイスキーキャット」として編集者たちがその表現を護り、引き出し、支えること」が混じり合っての妙味が、香り高く味わい深いカクテルとして読み手に差し出されます。
男と女。「気のおけない異性の同僚」と「恋人」との狭間。夫と妻。友情と各々のプライドと。作中人物と、そのモデルとなった人物ご本人と……語られるものと、秘されるものと。許せる逸脱と、どうしても許しえない漏れでた本音と。明かされる心と、あえてつき通される嘘と。
虚実皮膜のうちに泡立つ「人と人」、その「と」が当代一の巧みさで、溢れるユーモアと笑いと共に描き出されたこの『飲めば都』という小説。
是非とも、楽しみ抜き、笑い抜き、味わい抜いてみて下さい。
これは、そういう物語だと思えます。
本を愛する人、本を愛する人々を幾度もこれ以上無く見事に描きぬいてきた北村作品を愛する人は、きっとこの小説に惹かれずにはいられない筈です。


また、過去の北村作品との関係でいえば、『飲めば都』は『朝霧』収録「走り来るもの」で描かれた痛ましくも毅然とした、知と意志とに彩られたエピソードを"より明るく、笑いに満ち満ち、時に痛みや悲しみを酒と酔いに任せての大暴れに委ねつつも、明日へ向かうエネルギーに詰まった物語"に大きく広げていった小説のようにも思えます。
出来るならば、「走り来るもの」と併せて読んでみて下さい。

朝霧 (創元推理文庫)

朝霧 (創元推理文庫)


最後に、『空飛ぶ馬』の《私》をはじめとして、同シリーズの庄司江美、『スキップ』の桜木(一ノ瀬)真理子・柳井さん・"ニコリ"島原百合香・里見はやせ、『リセット』の弥生原優子、『街の灯』の桐原道子・"ベッキーさん"別宮みつ子、『覆面作家は二人いる』の新妻千秋、『ひとがた流し』の石川千波、北村作品の単体短編の中で押しも押されぬ傑作として揺るがぬ地位を誇る名作「ものがたり」(『水に眠る』収録)の茜など、北村作品における魅力的な女性たちは、その秘めた勁い想いと意志の美しさとが掛け替えのない魅力となっているわけですが。


それに比して、『飲めば都』の小酒井都さんが運命のお相手とぐっとその距離を縮めたエピソードは、「内に秘めた想い」という概念に収めようとどんなに願ってどんな理屈を立てようにも収まり得ない、なかなかに北村ファンとして天を仰ぎたくなるものではあって。


ただ、そんなことなど限りなくどうでも良くなってしまう、邪魔者など馬に蹴らせて殺してしまわんとする素晴らしい勢いとエネルギーこそは、正しくこの作品固有の魅力だと思えます。


この部分については是非作品の本文を参照された上で、「お前なあ……あれを読んでそういう感想になるのか」と笑ってやって下さい。

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

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スキップ (新潮文庫)

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リセット (新潮文庫)

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覆面作家は二人いる (角川文庫)

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