※5/16 追記。
「万灯」を含めた全六篇のレビューを、下記日記にまとめました。
■米澤穂信『満願』収録全六篇の初出との比較で見えるもの。その変容、推測される意図、浮き彫りになる伏線や仕掛けについて。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20140516/
一応、この記事に対するリンクなどもあるのでこちらはこちらとして残してはおきますが、宜しければ上記リンク先をご覧下さい。
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特に随一の傑作「柘榴」の変容は目覚しい(個人的にはなによりこれに対して語りたい。後日、必ずまとめます)。
あの秋の日についてのとある一文の追加が作品の興趣を大きく損なう(と思います)一方、同じ場面について別の場所で触れたところのやはり一文の追加は、物語の世界を大きく広げ黒々と輝かせ、終幕におけるある一文の変更は為されてみれば当然そうあるべき、動かせないものとなっています。
また、「万灯」は変更箇所、その分量ともに群を抜き、小説としてもミステリとしても大きく性格が異なった、より優れた作品となっています。
近日、六作品について改めてまとめますが、まず「万灯」について気づいた点についてまとめておこうと思います。
ただし、大いにネタバレになるので未読の方はご注意を(できれば先に読んで頂けると嬉しいです)。
付け加えるとこの作品をじっくり楽しみたい人ならば、単行本『満願』収録の版だけでなく、『小説新潮』2011年5月号収録の初出の形でも既に読んだ上で先に進んで頂くことをお勧めします。
もちろん、単純に面倒でしたり、いずれにせよ雑誌版にまで手を伸ばすつもりが最初からないのでしたら、問題はありません。
以下、ネタバレありの本論に入ります。
米澤穂信「万灯」改稿は箇所の数においても、各改変の分量においても『満願』収録の他5編を圧倒し、物量としてはこれ一篇で他五編を上回ります。
数十行丸々入れ替え、追加といったところもありますし、冒頭と結末もセットで別物に代わっています。
初出ではあった大きな叙述トリックがひとつ、単行本では取り除かれてすらいます。(性質上詳しい言及は控えますが)その排除による筋の一本化は、ミステリとしても小説としてもより美しいかたちに整うことになり、大正解でしょう。
そして全般的に語り手が商社マンとして更に優秀になり、一方、井桁・OGO両社の社員への扱いが冷淡になっています。
競合他社がバングラディシュで仕事をしているのに気づかないほど間抜けではなかったり(森下の所属がバングラデシュ支社⇒インド支社)、帰国時に総務部には当然連絡を入れていたり、ロビーラウンジで森下を待ち構える間は「じっとりと手に汗を握る」で済んだりしているのです(初出では(別の理由(=コレラ)があるのかもしれないが)トイレにいって吐く)。まあ、あと、森下殺害にはスタンガンからの絞殺(初出)でなく金槌を使ったりもしています。
語り手の部下・斉藤が腕を折っての退職後、初出ではすぐに後任として新人が補充されますが、単行本版ではされません。
森下は初出では退職ではなく休暇でした。
村での事件ののち、森下の動向を問い詰められた勤め先の反応について「つまり、「面倒だから森下の始末は森下につけさせよう」と思わせたのである」(初出はこうで、OGO側について記述なし)⇒「OGOはそれほど抵抗しなかった」となり、冷淡さが強調されています。
そして、帰国後の本社総務部とのやりとりの異同と、改稿後の伊丹の述懐が大変に重要です。
(前略)本社に電話を掛ける。総務部が準備をしていてくれるはずだ。
電話口に出た男は、なぜかひどく不機嫌だった。
「支社から連絡が行っているものと思いますが、手配をよろしくお願いします」
そう下手に出る。
「ええ、準備はしてあります。何時頃に着くんですか」
「八時か九時くらいには」
「ぐらいじゃ困るんですよ。ここはバングラディシュじゃないんだから、時間にいい加減なことは言わないでください。じゃあ、八時で進めておきますよ」
嫌味を言われても、午後八時に仕事にいけるかどうかは、森下が何時につかまるかによる」
(小説新潮掲載版)
(前略)本社に電話を掛ける。総務部に話は通していた。
電話口に出た男は、機械のように淡々と受け答えをした。
「バングラディシュ開発室の伊丹ですが、伝言はありませんか」
「伊丹さんですね。いいえ、伝言はありません」
室長が不意の出張でいなくなっても、二、三日なら何とでもなる。何か起きたとしても現地スタッフだけでたいていのことは解決できるし、そのための態勢も整えてきた。それはわかっていたが、やはり少し、寂しさを覚えた。
たとえば私がこのまま東京に溶けて消えてしまっても、せいぜい予定が一年遅れるかどうかというところなのだろう。開発は決して、止まることはない。
しかし今日、東京に消えるのは私ではない」
(単行本『満願』掲載版。p203)
伊丹の強烈な自負と高い能力に関わらず、彼も替えのきく歯車でしかありません。
そのギャップの強調と冒頭そして結末の変化(全面改稿なので大枠だけ書きますと"迫られる決断⇒裁きを待つ"です)は連動しています。
そして、改稿後が明らかに良いのです。
彼が心から信じ、人生を懸け、他者の犠牲も積み重ねた上でも、彼一人の行動が(いまこの時も、これまでにおいても)左右できるわけではなかったのだという無情感が、素晴らしい。
タイトルの意味も変わります。彼の双肩に東京を埋める灯がかかっているのでなく、彼のもたらそうとしたものも彼という存在も、万の灯のひとつに過ぎません。
そして、先に触れたように初出では語り手の帰国後にひとつ叙述トリックがあるのですが、単行本版では除かれた上、代わりに吉田工業の脱硫によるエネルギーコストの話が置かれています(この部分は初出ではまったく存在しません)。
新たに加えられたこの挿話は、伊丹が掲げた目的に至る道としてそれしかなかったのか、それが適切であったのか問うものになっています。
ここで、そういった問題は作者に直接聞くのは宜しくないとは思いつつ。
このくだりについては三原順『Die Energie 5.2☆11.8 』(『三原順傑作選 (’80s)』(白泉社文庫)収録)に想を得るなり、大いに踏まえるなりしてはいないか、と尋ねたくなってしまいます。
あまりに、しっくりくるかと思ってしまいますので。
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※参考
「原発マンガ「Die Energie 5.2☆11.8」についてまとめてみた〔レビュー/反応」
http://matome.naver.jp/odai/2130395747489431701
他の変更としては、
「私が井桁商亊に入社したのは十五年前、昭和五十年のことになる」(小説新潮掲載版)
「私が井桁商亊に入社したのは十五年前、昭和四十一年のことだった」(『満願』p141)
も「万灯」という作品においてとても大きいものです。
語られる事件が昭和五十年(1975年)から十五年後=1990年=湾岸戦争の年のものであるか、81年=79年イラン革命後の第二次石油ショックが80年にピークに達した翌年のことか。
それによって「エネルギーという名の、資源という名の神」(『満願』p205。この周辺は丸々改稿。森下が現れての感慨が「結果としては、私はかなり幸運だった」⇒「そしてその神は、よほど冷淡に違いない」などなど)の貌(より正確にいうならば、それを見上げる日本人の眼に映る貌)も変わるでしょうし、バングラデシュも帰国後の日本の風景もだいぶ違うことになります。
ただし、初出でも単行本でも語り手は入社三年目の春にインドネシアの天然ガス開発に関わっていたとありますが、史実でLNG開発及び日本の商社のプロジェクト参入は70年代前半であるらしいところ(個人サイトからの情報を適当に拾っただけなのでソースとして微妙ですが)、変更後(単行本収録版)では昭和四十四年(1969年)から関わっていたことになってしまうのが問題ではあります。
※参考
「LNGの開発輸入」
http://www16.plala.or.jp/bouekitousi/sub34.html
より、以下引用。
「インドネシアのLNG事情
1. 天然ガスの開発
生産分与契約(P/S 契約)に基づいての探鉱の結果、モービルは1971年末、北スマトラのアルン地区で、ハフコ(現在はVICO)は1972年初頭、東カリマンタンのバダック地区で、それぞれ、世界有数の埋蔵量を持つガス田を発見した。プルタミナ、モービル、ハフコの3者は、天然ガスを液化して日本向けに輸出することに合意し、ベクテルをコントラクターに起用してのLNGプラント建設の準備を整えた。
プルタミナは、子会社で日本法人のファーイースト・オイル・トレーデイング(FEO)と日商岩井(現在の双日)を窓口に、日本のLNG ユーザーである電力・ガスと輸出商談を始めた。1973年12月3日、プルタミナと関西電力、中部電力、九州電力、大阪ガス、新日鐵5社との間に20年間に渡る長期売買契約が締結された。その時点、LNGの生産体制はまだ整っていなかったが、プルタミナは、1977年中頃までには、プラントを建設しLNGを輸出することを約した。生産体制を整えるためには、インドネシア側はガス田よりのパイプラインとLNG プラントの建設資金を必要とした。世界的に権威のあるデゴニア・マクノートンによって確認された埋蔵量はバイヤーや金融機関などに大きな効果を発揮した。これにより、LNGプラント建設に必要な資金をプルタミナに供与する融資契約のネゴが始まった。1973年暮れに長期売買契約が締結されて、すぐ翌年(1974年)の2月25日、プルタミナへの窓口として、売買契約の交渉、契約の実務実行、ファイナンス手配などを業務とする日本インドネシアLNG 株式会社(JILCO)が、日商岩井とFEO、電力・ガス等5社を中核に設立された。JILCOは、1974年5月17日、LNG 輸入代金の前渡金という名目でプルタミナに資金供与する融資契約をプルタミナと結んだ。
おりしも、1973年10月にオイルショックが発生したことから、日本政府はエネルギー政策上、インドネシアのLNG 事業を最重要案件と位置づけた。両国政府の話合いによりガス田よりのパイプライン敷設には海外経済協力基金の円借款の供与も決まった。」