米澤穂信(編)『世界堂書店』巻頭収録作、ユルスナール「源氏の君の最後の恋」について

世界堂書店』を読み進めている途中のメモです。

世界堂書店 (文春文庫)

世界堂書店 (文春文庫)

暫定ですが、ネタバレに一応配慮した、全体への感想はこちらの連投で。
https://twitter.com/sagara1/status/464660785558347776
※2014/5/10追記。

多少、「源氏の君の最後の恋」未読の方の目に触れると(狭義のミステリではないと思うのでネタバレに過度に神経質になる必要はないだろうとは思いつつ)やや感興を損なうかと思えた点があったので、twitterでの連投を消して、こちらに退避させています。


以下、感想です。
そんなわけで、初めに収録されている、ユルスナール「源氏の君の最後の恋」未読の方はご注意ください。





米澤穂信(編)『世界堂書店』を半分ほど読み進めている。
冒頭にユルスナール「源氏の君の最後の恋」が置かれているのが素晴らしい。


おそらく原典への批判・非難も込めながら、しかし、ここまで美しく哀切に「雲隠」の巻を著されたことに日本人として特別の感慨を抱きたくなりそうになり、だけれども。
国も民族も時代も超え、こうも普遍を描き得る(かの傑作『ハドリアヌス帝の回想』の作者でもある名手中の名手の)小説の力の前にそんな妙に頑ななこだわりなど虚しいかとも思う。
世界堂書店」の名を冠するアンソロジーの劈頭を飾るにまさにふさわしい作品かとも思う。


ただ、そうはいっても構成としてユルスナール「源氏の君の最後の恋」で始まるなら、迎え撃つ形で最後に志賀直哉『クローディアスの日記』 小林秀雄『おふえりや遺文』 あたりが置かれていたら面白いのにとも考えつつ、それらでは力不足だろうかとも思う。
そして、どんな意図をもって最後に「小説の名手、久生十蘭。行くところ可ならざるは無き」(日本探偵小説全集8『久生十蘭集』扉文)人の「黄泉から」が待ち受けているのか楽しみでもある。


「「源氏の君の最後の恋」の花散里」について、すこし。


源氏の忘却は彼女の(あるいは自身気づかず、それが切なくはあっても)勲章ではあるのではないかと思わずにもいられない。
源氏は最期に他の女たちについて、いずれもなんらかの悔いを語る。
"そこで語られなかった"ということは、生涯にわたってそんな悔いを抱かせなかった証。
「雨夜の星のように稀」にしか心を向けられなかったものの、その終焉の時も唯一身近に支えとなったのもこの小説における彼女。
それは「自分の美しさにも才智にも氏や育ちにも」執着せず、ただ一心に光の君のために尽くした彼女ならではの、彼女だけが得ることができた勲章ではあると思う。


ただ、勿論、そんなものなどより彼女は最期のときにただひとことでも、言葉が欲しかったろうと思う。
それが感謝でなく、たとえばひたむきに向けに向け続けた優しさそのものへの恨み言であってさえ、聞きたかっただろうと思う。
語られないことに比べれば、何倍も何十倍もよかったろうと思う。


その在り方を見事に貫き通し、美しさも才智も氏も育ちも全てを傾けてそれに努めたことで愛する男に最後まで安らぎを与え続けることに成功し、だからこそ最悪の悲痛を味わった彼女はたしかに巻末解説にあるように「気の毒でならない」。


同じく解説で指摘されているように、語られている人物像からして彼女は花散里でなく末摘花であるべきなのだろうけれど、この物語のこの女性の名前として「花散里」はあまりにも似合うとも思う。
フランス語ではどう書かれ、どう発音され、どう受け止められる名前なのだろう。

追記。
『流れる水のように・火・東方綺譚・青の物語 (ユルスナール・セレクション)』感想。

世界堂書店』巻頭収録「源氏の君の最後の恋」が素晴らしく、出典の『東方綺譚』にも巻末の解説も目当てにして手を伸ばすことになった。
米澤穂信さんと深水黎一郎さんとのやりとりにあった通り「源氏の君の最後の恋」がまず素晴らしく、匹敵するのは最初に置かれた「老絵師の行方」と思えた。
それに出来としては先掲二作に及ばないけど、「燕の聖母」は愛すべき掌編。
他も概ね良かったのだけれど、たとえば「ネーレイデスに恋した男」あたりはなんというか、「すこし残念な芥川龍之介」みたいなところが。特にそのオチはある種の定石であることも流れの中でそこにある意味も分からないではないけれど、あまり好きになれないし、相対的にいい短編だとは思えなかった。


「老絵師の行方」は、米澤穂信さんの発言(『満願』など自作に関してか、『世界堂書店』収録作など他者の作品に関してか、小説全般についてかは判然としない) 「問題は文章であり、文体だけが問題なのだ」 を体現する作品とも思えた。
勿論、老画家汪佛(わんふお)とその弟子・玲、そして漢帝国の天子のキャラクター造形が素晴らしいけれど、「老絵師の行方」からはなにより、圧倒的な文体の力を感じずにはいられない。


なお、やはり巻末解説にある話なのだけど、『東方綺譚』は「ユルスナールの作品としては珍しく、この短篇集には長いあいだ「はしがき」も「あとがき」も付けられていなかったが、一九八七年の再刊のさい簡潔な「追記」が執筆された」のとか。
で、「他作品ではどうなのだろ?」と『ユルスナール・セレクション』4巻冒頭収録の「姉アンナ…」とその自作解説を読んでみたところ。
姉弟の禁断の愛を扱った「姉アンナ…」を自ら論じるにあたってユルスナール先生、ジョン・フォード『あわれ、彼女は娼婦』、バイロン『マンフレッド』、シャトーブリヤン『ルネ』、ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスター』、トーマス・マン『ヴェルズングの血』、ロジェ・マルタン・デュ・ガール『アフリカ秘話』……と、次々に古今の名著を縦横矛盾に列挙し論じあげていて、とても面白かった。
近親相姦というテーマに興味がある向きはぜひ、「姉アンナ…」とこの解題を読んで欲しいと思える。すごかったよ。