大久保圭『アルテ(1)』〜「何を」より「どう描かれているか」の魅力を。

アルテ 1 (ゼノンコミックス)

アルテ 1 (ゼノンコミックス)

これが初単行本とのこと。
こちら http://comic.pixiv.net/works/745 で1、2話が無料・無登録で読めるので「未読の方はまず、ぜひ」と思うのですが。
しかし……なんでいきなりこんな、上手いんだろう。


"16世紀初頭フィレンツェを女性をまともに人間として扱わない社会とした上で、画家を目指す貴族令嬢アルテの自立と恋といったテーマを直球で前面に押し出し描かれる漫画"


……と紹介すると、それで興味を持つ人もいる一方で。
「あ、ちょっと苦手」と思われたり「あまりにもP.D.ジェイムズ『女には向かない職業』っぽい」(というか読むと割合そう思える面はあります)と思ったりする人もいそうなんですが。

もし仮に、そうであっても(ド直球で語られていくテーマの時点で好きになれそうな人は、もちろんその面でも十分以上に楽しめるかと思います)。
「「何を」より「どう描かれているか」に注目すると遥かに楽しいのでは」と強く思えます。
なお、ここで。
「どう描かれているか」に関しては、最初にも触れた通り、まず無料公開の1話、2話を観て頂くのが最も手っ取り早くもあれば説得力豊かかと思います。素晴らしいです。
ちなみに「なんとなく画も話も『Fellows』(現『ハルタ』)系だなあ」と思えたところ、過去に別PN・鳴海圭で作品が掲載されていたとのこと。
(※2011年に鳴海圭名義で「ハンマーハンマー」(フェローズ18号)でデビュー。2012年からは大久保圭ペンネームを変更)。
なるほど。


個人的にはその上で。
時代と格闘する精神を持つアルテと対称的な価値観をもつ母親を、決して悪人ではなく情け深い人物として描き。
四話から登場する高級娼婦(コルティジャーナ)ヴェロニカをアルテとやはり対照的に、かつ素晴らしく美しく描いているところが、この一巻における非常に大きな魅力になっていると思えます。


快活で情熱に溢れ、激しい怒りを抱えながら常に前向きで素直なアルテは、性格としても画としても魅力的に描かれ。
一方、ヴェロニカは社会が(家庭と異なる場において)役割として求める美を体現し(画としても演出としても、アルテに比べてもはっきり美人として描かれます)、本心でなく相手の求める表情や言動を見せることに長けに長けた存在として見事に描かれます。


その上でのアルテが寄せる一途な尊敬と好意、ヴェロニカが返す労りとアルテの未来への懸念に強く惹かれます。
多くの面で対照的な二人は、社会の中で「自分の足で立つ」という強烈な意思においては強く共通し、共鳴していて。
その交流と未来は果たしてどんな明日を迎えるのか。
続きが大変気にならずにはいられないところです。



先述したように、画としても演出としてもその美しさが際立つ高級娼婦ヴェロニカさん。
描写において、こちら https://twitter.com/akabane55/status/464403108387246080 でのakabane55さんとStBeSeさんの『屋上姫』会話に割り込んで触れた「蛾の触角みたいな睫毛」も用いていたりします。
(そうお勧めさせて頂いたところ、赤羽(akabane55)さんに興味を持って頂いて手にとって貰えるようで、嬉しいし、感想も待ち遠しかったりします)

屋上姫 1 (フレックスコミックス)

屋上姫 1 (フレックスコミックス)


なお、ヴェロニカさんの描き方については、こちらの記事

大久保圭『アルテ』|そのスピードで」
http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1811.html

の最後から二つ目のキャプチャー。
個人的に一巻で最も好きな四つのコマ(左ページ最上段〜二段目二コマ目)あたりですこし、確認頂けるかとも思います。



なお、主人公の名前「アルテ」はとても多義的なイタリア語で(たとえば塩野七生がヴィルトゥスと共によく問題にする言葉であったりします)。
その幾つもの意味がそのまんま作品のテーマにも繋がっている感があると共に、その在り方が主人公のキャラクターによく似合い、そこもなんだかとてもいいです。



ところで、この大久保圭『アルテ』1巻では主人公が画家の徒弟となりつつ、(貴族令嬢の習い事という域を越えた指導を父の計らいで受けていたという設定も用いて)修行をものすごいスピードですっ飛ばして画家としての初仕事、初注文にまで進んだりしていて。
ここでアルテに数年以上長々と修行されても困る(あまり面白くなるとはとても思えない)ので、無論、この作品はこれでいいと強く思えるところなのですが。
「そこら辺ちょっと……」と納得いかない、あるいは引っ掛かりを覚えてしまうという方に対しては(あるいはそうでなくても)。
※たとえば「一人の親方がこうして勝手な一存で修行期間を大幅に短縮してしまうというの、ギルドの他のメンバーは許容するのだろうか?「レオ。ヤツは孤高の職人だから」で押し通すには無理があるだろう」というツッコミあたりはあるかと思えるところですが、そこら辺は「分かった上での必要な嘘」として受け入れられるべきでは、と思えるところです
佐藤両々の四コマシリーズ漫画『わさんぼん〜和菓子屋顛末記〜』を強くお勧めします。

わさんぼん 1 (まんがタイムコミックス)

わさんぼん 1 (まんがタイムコミックス)

わさんぼん』では菓子職人の主人公や周囲の職人が本当にまっとうに年月をかけてゆっくりゆっくりと修行を重ねていく様子を、しかしコミカルかつ魅力的にも描いており、こちらはこちらで、とてもお勧めです。
特に『わさんぼん』は三巻、表紙も飾っている柏木さんというサブキャラがメインになるエピソードがもう、最高ですよ!!言うまでもありませんが、『アルテ』も『わさんぼん』もそれぞれ固有の魅力を大いに備えた漫画として、僕はどちらもとても好きです。


あるいは、職人の矜持や厳しい修行や環境が実にしっかり描かれ。
それに加えて、幼かった者が社会に向き合い成長していくビルドゥングス・ロマン「ではない」、「人間として、職人として(技術や流行は誰よりも熱心に採り入れつつ)その本質において変わらないこと」の魅力を描きぬいた作品として。
上田早夕里の連作小説『ラ・パティスリー』『ショコラティエの勲章』を推薦もしたいと思います。

ラ・パティスリー (ハルキ文庫)

ラ・パティスリー (ハルキ文庫)

ショコラティエの勲章 (ハルキ文庫)

ショコラティエの勲章 (ハルキ文庫)

職人として生きる厳しさについては第一作である『ラ・パティスリー』、「変わらないことの魅力」については『ショコラティエの勲章』を特に推します。
第三弾『菓子フェスの庭』も個人的に大変好きな作品です。


上田早夕里先生は『華竜の宮』(第32回日本SF大賞長編部門受賞)その時系列上の続編でもある『深紅の碑文』などの代表作をはじめ、まずSF作家として非常に高名な方ですが。
この洋菓子シリーズも非常に優れた魅力的な作品群であると思えます。


特に『ショコラティエの勲章』は他の上田作品が好きならば、読まないでいるのが実に惜しいと思える作品。
『華竜の宮』『深紅の碑文』で壮大な人間ドラマと共に、種としての人類や地球上の生物全体という規模の変容を同時に描いて見せたこの作家が。
先述したように「「人間として、職人として(技術や流行は誰よりも熱心に採り入れつつ)その本質において変わらないこと」の魅力を描きぬいた様は、比較としても極めて大きな魅力に満ち満ちているとも思えます。