『劇場版 響け!ユーフォニアム 届けたいメロディー』ネタバレ感想。

『劇場版 響け!ユーフォニアム 届けたいメロディー』。

追加上映を新宿ピカデリーで観てきました。良かった、間に合って……。

 

とことん「黄前久美子田中あすかの物語」に再構築、高坂麗奈は人間関係ではとことん後景に退き(つつ演奏場面のトランペットで圧倒的な存在感を示し) 鎧塚さん周りも思い切って削り切り、あすかの抱えるものに久美子を届かせるために姉と父母とのエピソードはなぞりつつあるいは強化されていて。
時系列やイベント内容もいじられている。
実に大胆かつ面白い。そして、素晴らしかった。

 

大事なことはなにより音楽を、演奏をもって語られるのも見事だった。
だから河原であすかが(久美子が卒業式の日に初めてその曲名を知った)「響け!ユーフォニアム」を自分だけに吹き聴かせてくれたあの時の回想で作品が締めくくられるのも、まさにそうあるべくしてそうあったかと思う。
この作品においては彼女たちは言葉より表情その他の演技より何より、その音楽を、演奏をもって彼女たち自身を語る。
他にも例えば、京都駅吹き抜けでのコンサートで、晴香のソロをあすかは言われた通りにしっかりと聴き、見届け、そして支えてみせる。
全国大会の演奏が部員一同の人間関係や心情その他の集大成であったことも、改めて言うまでもないことかと思う。

 


ただ、それでも台詞と演技で語られた部分についても触れていくと。
例えば「そんな相手に本心を語ってくれると思う?」はあすかは久美子に語りつつ、もちろん、あまりにも当然に、自分のことについても語っていたわけで。

タイプこそ違え、他人に本心を見せず踏み込ませず、傷つくことを恐れていることで自分と久美子とはよく似ているとも思っていて。
だから、他の誰でもなく小笠原晴香部長でも互いに恋人のようでもある中世古香織でもなく、黄前久美子には他の誰にも見せないものの一端を見せた。
「黄前ちゃん、いつもと違うね」「あすか先輩が普段と違うんですよ」というやり取りが非常に示唆的。

 

そして、田中あすかはそれでもどうしても本音の本音をストレートにはぶつけることなどできなくて。
だからこそ、久美子が(偶然にもあすかと母との問題とも諸々重なる姉の問題に触れたことにも背中を押され)疑いようもなく真情を、激情をぶつけてきた、ぶつけてきてくれたことが涙を堪えられなくなるくらい嬉しかったのだろうと思う。

 

しかし、そんなことがあってすら。
あまりにも我儘に「私欲」で動いてきた自分、誰にも本心を見せず踏み込ませず、その本心では周りを色々冷たく観ている側面もあった田中あすかは。
そうであるからには本当は酷く嫌われていたのにも違いない、例えば同じユーフォニアムパートの久美子にも……卒業式の日になってすら、きっとそう思い込んでしまっていたのではとも思う。
卒業していく先輩たちとそれを惜しむ後輩たち(教師たちも)の環を避けた田中あすかは、実は「怖がって」もいたのではと思う。
表面より深い部分において、傷つくのが怖い臆病さにおいても田中あすか黄前久美子はきっと似ているから。

 

だから、自分が避けた「環」から離れてまで、こんな自分を探しに久美子が走ってきて、語り始めてくれても。
「本当は嫌っていたのかも」と言われ「知ってたよ」と寂しげに受けてしまう。

そして、その上でこそ。
「大好きだから」「あすか先輩の演奏をもっとずっと聴いていたかった」と涙ながらに再び真情をぶつけられた時の心情たるや……。

そんな掛け替えのない贈り物に対して返すべきもの、渡すべきものがあったのはむしろ、田中あすかにとって幸いだったかもしれない。
自分が相手にとってどれほどのことをしてのけたのか、きっと本当には理解なんてできていない黄前久美子は渡されたノートを、身に余る贈り物、これからせめてそれに少しでもふさわしい自分であるべく精一杯を尽くさないといけないものとして受け取りもしたのだろうけれど。

 


なお、他のキャラクターたちについても。

たとえばTVアニメよりだいぶ登場頻度が控え目になったことで、中世古香織さんの穏やかな優しさ、様々なものを受け入れる度量、それでもできることをしっかりやり続ける強さといった美質はむしろ更に強調されていたようにも思う。個人的にはこのキャラクターについても、より好きになれた。

 

中川夏紀も(たとえば吉川優子とのじゃれ合いなどはほぼ削られつつも)短い描写の中でも、当人もより魅力的にも映りもすれば。
「私欲」のために動く自分が周囲から嫌われていること、本当は自分の存在は望まれてなんて歓迎されてなんていないんじゃないかという「怖さ」「臆病さ」を抱え続けていたのではと思える田中あすかにとって、きっと。
事情を理解して代役を引き受け準備を続け、自分が出たいとも勿論望みつつ……それでも本当に復帰を心から喜んでくれた夏紀の存在はたまらなく嬉しいものだったのではとも思える。

 

小笠原晴香部長も、あえて何がなんでもあすかを復帰させようとしなかったことが素晴らしく立派だったと、劇場版を観ながら改めて。
あすかが居なくても部を導き支え続けてみせることで親友の助けになろう、今まで「特別扱い」してきてしまったことの償い(本当は特別なんかじゃないのに。これは久美子が叫んだ「ただの高校生じゃないですか!」とも繋がる)をしよう……悲壮な決意を抱き、貫き通したのがあまりに見事だった。
そうした諸々が例えば、先述のように京都駅吹き抜けコンサートでのソロ演奏に凝縮されていたのも。

 

吹き抜けコンサートと言えば、川島緑輝が他の部員から思いっきり離れた場所で演奏し、楽器の性質もそこから出る音もあんな感じで。
<この子はこの物語においてはちょっと浮いていることで、それでもって役割を果たしている子です>
とものの見事に示して見せたいたことも、とても面白かった。

 

あと、いわゆる(?)モブ部員(作画とか諸々みていると「この作品に「モブ」部員というのはいないんだ」という制作陣の強いメッセージを感じもするけど)の中でも。
TVアニメ版の頃から(アニメや映画では作中で名前すらたぶん出てきていない)岸部海松さんが好きで、劇場版でも本当に僅かな出番でもやっぱり好きで。

 

あと「私欲」といえば、黄前久美子田中あすかは勿論(それに高坂麗奈も)、滝昇のそれも個人的に大好きで。

ここで、滝先生については、TVアニメシリーズ一期放映の各話放映時にも例えばこんな感想出してもいて。

※2話放映時点

 
※3話放映時点


滝先生、音楽にも部員にも真面目で誠実な人ではあるけれど。

顧問に着任した最初の最初からこの人はこの人で、何が何でも部を(遠くない将来に)全国金賞に導きたい事情(亡き奥さんの夢)があり、部員の皆さんの自由意思を尊重する……みたいな建前はありつつ、思いっきり心理を誘導して人心掌握にも手練手管を大いに用いてもいたりもしたわけで。

心底音楽に真摯で、部員たちも皆、きっと心から愛しつつ。

それはそれとして自分の私欲、望み、願いのために全力で誘導を掛けることも躊躇わない。

そういう手段を用いて両立させてもいく。

 

ごくごく個人的にはそういう在り方、まったく問題ないというか、むしろそれが素晴らしいと強く思えてならない。

そういうキャラクターへの共感や愛着といった面においても『響け!ユーフォニアムj』という作品、TVシリーズも劇場版もとてもとても好ましい。


そんなこんなで。
ともかく、あまりにも素晴らしい作品だったなと思う。