題名に明示した通りネタバレも含みます。
未読の方はご注意ください。
『ジャック・グラス伝 宇宙的殺人者』。
ジャック・グラス伝: 宇宙的殺人者 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
- 作者: アダムロバーツ,Adam Roberts,内田昌之
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/08/24
- メディア: 単行本
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壮大で輝かしくも馬鹿馬鹿しいSF小説であり、本格ミステリかつバカミステリであり、いずれの面においても素晴らしく愉しい傑作かと思えます。
大体どんな作品であり、見所はどんなところか……大まかな紹介・解説は(他の作品も大体そうなんですが)冬木さんによるものが非常に参考になると思えるのでまずそれを観ていただくとして。
ここではちょっと局所的だったり小ネタ的だったりするあれこれについて少し書いてみたいと思います。
特に第二章の彼の名乗りと、第三章のホワイダニットについて等々。
まずは大まかな感想を。
開幕の読者への挑戦からめっぽう面白く。
一章である種「奇妙な味」のミステリかな、と思ったら二章の派手で鮮烈である種バカSFでもある?大仕掛け、全三章が有機的に連動した構成なのも楽しめました。
そして、二章での彼の名前が……作中でシェイクスピア云々なんて話も出つつ、忠実極まる従僕達、その中で"主人に一際近く使える忠実な「イアーゴー」"って!!
ある種のぬけぬけとしたジョークというか、その時点であまりにも「お前だろ!!!!!お前でしかありえないだろ!!!隠す気ゼロだろ!!!!!」と笑えもして好きでした。
原語版を読んだ方に確認してみた所、綴りはやはり「Iago」であるとのこと。
『オセロ』に登場する、仕えていたヴェネツィアの軍司令官オセロを陥れるその旗手、シェイクスピアが生み出した数多くの人物たちの中でも指折りの魅力的な悪の華として知られるキャラクターの名前であるわけです。
その上で、頑健な足腰云々とか……微苦笑で読んで欲しい、といった読者との共犯関係?が素晴らしく良い感じかともまずは、思えました。
「まずは」と書いたように、これについては後により突っ込んで書いていきます。
また、二章の超新星云々と事件の真相の密接な繋がりが一番痺れもしました。
あまりにも鮮やかでしたから。
三章は二章がああいったものであったことで、また「犯人はジャック・グラス」と作品冒頭の読者への挑戦で明示されてもいたこともあり、「見えない銃」の性質と所在等は諸々予想はつきはしたけれども(ただ予想がついても十二分に面白かったわけですが)。
謎解き大好き令嬢、"謎を解くため""問題を解決するため"に人工的に遺伝子操作の粋を尽くして生まれたヒロインのダイアナは登場当初は何やら『虚無への供物』の奈々村久生じみた風情も漂わせ。
二章で姉妹に課せられた「テスト」の性質を鑑みれば正に"謎"や"問題"に向き合う際の姿勢をもって資質を問うものであったとなれば、なにやらその線でも面白くもあったかな、と。
別に『ジャック・グラス伝』は別におよそアンチ・ミステリではありませんけれども。
それと、邦題の「宇宙的」殺人者って、なんだよwというのはすこし。
『Jack Glass The Story of A Murderer』の方がカッコイイんですよね、裏表紙の「ゴランツ版カバー」(ステンドグラスをイメージした図案)もそれによく似合っているし……とも思いつつ。
しかし、どちらもぱっと見あまりにも地味で、なんとか少しでも目を引くように?そういうアレンジ?をしたくなるのも分からないではないかな、とぼんやり思えたりも。
あと訳者あとがきで「どこかで聞いたようなフレーズではありますが、本書はロバーツにとって「一〇〇%趣味で書かれた小説」なのかもしれません」とあり、唐突な西尾維新が楽しかったのですが。
そこについてもこの作品を強く推す人との雑談の中で触れてみたところ、
「何気にジャックグラス伝、ミステリ的な側面も好きなんですが家が力を持っているとか、それぞれ特化した能力があるとかいう中二設定も西尾維新じみてて好きですね」
とも返って来て。
「確かに、なんというかある種のバカミスっぽさ、先行諸作への実はリスペクトにも満ちたパロディ精神なんかでも妙に通じるものがあるのかもしれませんね」
と。そんなやりとりに発展したりも。
ジャック・グラス~宇宙的殺人者とイアーゴー~文学的大悪人
さて、ジャック・グラスが「Iago」であり。
あまりにも有名な「『オセロ』のイアーゴー」の名を持つ、無数の名を持つ中でその名が作中で幾度も強調され続けているのだとすると。
「ジャック・グラス=イアーゴーはなぜそんなことをしたのか?」という話なり問いなりが『オセロ』とも重なり得るのかもしれません。
『オセロ』のイアーゴーと3章(及び2章あるいはその半ばから?)で描かれた/明かされたジャック・グラスの心のあり方を重ね合わせたりすると、少しばかり面白い風景も立ち上がり得るのかもしれません。
そして、ひょっとするとあるいはそれこそが作品を通じてのホワイダニット……「ジャック・グラスは何を思い何がためにこの三つの事件を起こし、窮地を斬り抜けていったのか。果たして彼はどのような男なのか……を解いていく鍵なのでは?とも思えます。
ここでまず、イアーゴーとはどのような人物であるでしょうか。
なぜ『オセロ』においてイアーゴーはオセロを、デスデモーナを、キャシオウを陥れたのか。
その動機は台本で明確に語られていないため、非常に多くの議論があるところかと思います。
ただ、ごく個人的に思えるのは。まず、オセロは本人がその最後にこう言い残したような人物であり。
※引用は下記webサイトからさせて頂いています。
「Of one that loved not wisely but too well」(「愚かな、しかし深く愛した男です」)
は特に名高い一節かと思います。
そして、イアーゴーはオセロがそうであるがゆえに。
彼が愛を知らないが故に、愚かでも「深く愛した」オセロを、それに同じく深い愛で応えたデスデモーナを、彼らを一心に敬愛するキャシオウを嫉妬したのでは。
そんな風に思えもしますし、そのような解釈もそれなりに有力だったかと思えます。
一方、原語版を読んだ方に「アイアーゴーの綴りってやはり、『オセロ』と同じ「Iago」ですか?」と尋ねた際に「そのようです」と参照情報として送って頂いた、『ジャック・グラス伝』のクライマックス(と自分には思えるくだり)にはこうあります。
ド直球ですね。
Iago said:"because I love you."
この作品は『ジャック・グラス伝』で、彼はもちろん、ジャック・グラスであるわけですが。
この彼の全てを掛けた台詞はJack saidではなくIago saidと語られるわけです。
狩猟(彼女は狩るように謎を解く)と月(Lunatic。狂気!)と貞節を司る処女神・ディアナの名を持つダイアナにとって、彼はまず当然に忠誠心(loyalty)に溢れたIagoであるからかと思います。
ダイアナは遺伝子操作により産み落とされた、「謎を解く」ために生まれ、謎を解くために生きる少女です。世界は彼女にとって解くべき謎であり、解くべき謎がなければ彼女にとって生きる意味はなく、存在する価値もない。彼女自身も自身をそのように観て、そのように捉え、自己規定しています。
そしてジャック・グラスは原題『Jack Glass The Story of A Murderer』が示すように、またJackが切り裂きジャックを由来とするように「殺人者(A murderer)」です。
「なんて言えばいいのかな?」ジャクは作業をしながら語りかけた。「これは宇宙で居留地を建設する際の真理なんだ。エネルギーは高価で、原料も貴重だが、人間は活用すべき資源でしかない」p128
「わたしたちは下級の人々を資源として活用するしかないのです」二人のMOHミーが、ひとりとして言った。「権力者とはそういうものです。権力を永遠に放棄するか、それを受け入れて人びとを永遠に利用するか、どちらかを選ぶしかありません」p317
これは単に第一章の脱出劇に留まらず。
ジャック・グラスは人に「死」をもたらすこと、そして人の「死」を資源やエネルギーや物事のきっかけとして「活用」することに宇宙的に観ても優れた圧倒的な才を誇る人物であるのだと思えます(死者は生者に一方的に利用されることをしばしば甘受しなくてはなりません。第一章で冷酷に示され抜いたように。「死」を与える力は強大極まる権力に他なりません)。
その才をもって太陽系世界全体を避け難い破滅から守る使命を持つ、宇宙的に重要な人間なのだという自負と自覚をジャック・グラスは幾度となく語りもします。
ここにおいて、ダイアナが人の死を前にしてさえ否応なく解くべき謎を見出し、興奮し夢中になってしまうように。
ジャック・グラスは人をどうしても活用すべき、それも「死」をもってそうすべき相手と、どこか深いところでそう観てしまう。そんな彼にまずもって、一人の生きた人間を愛することなど出来るわけもありません。
しかし、そんな彼、ジャック・グラスが"because I love you."愛故にたった一人の生命を「死」の運命から逃れさせ。
そのために使命であり誇りとし続けそのために多くの犠牲も時に受け入れ、それ以上に自らの手とglassをもってもたらし続けてきた「死」によって、その活用をもって避けるべく必死の努力を重ねていた宇宙の破滅の危険性をも、やむをえないものとして受け入れようとしてしまっていた。
愛を知らない筈のイアーゴー=ジャック・グラスが"because I love you."とこれまで進み続けてきた道から外れようと決意していた。その意味をこそ……。
三章において……あるいは全三章において読み解かれるべきホワイダニット。
序文で読者に挑戦状を叩きつけた語り手がきっと"どうか分かって欲しい"とも思い願いつつ、同時に"この私以外にわかるものか"ともきっと思ってもいる……
"ジャック・グラスとは何者か。
彼は何を思い、何のために語られた三つの事件を起こしたのか。
何を切望し……そして何を無残にもその手に掴むことができなかったのか"
その謎は、例えばこのように「イアーゴー」という彼が名乗り、彼が唯一愛した少女がそう呼び続けた名前から読み解こうとしてみるのも、きっとなかなかに面白いのでは。
そんなことをこの『ジャック・グラス伝』について思えたりもします。
また、「嫉妬」は『オセロ』において非常に重要なモチーフで、特に以下の下りがよく知られていますが(「嫉妬は緑色の目をした怪物」)。
「O, beware, my lord, of jealousy;
It is the green-eyed monster which doth mock The meat it feeds on;」(「嫉妬です!我が将軍よ。その緑色の目をした怪物は自らの獲物を弄ぶのです」)『オセロ』第三幕第三場
『ジャック・ヴァンス伝』において ダイアナの姉・エヴァを突き動かしたのもきっと、<なぜ、私ではないのか>という、普遍的な逃れ難い嫉妬ではなかったかと思えます。
余談。幾つかのイアーゴー像と『オセロ』について
なお、余談ですが様々な人が語る様々なイアーゴー及び『オセロ』について、個人的に好きなものを少し。
まず、一つ引用を。
「あんたはあの人?------つまり、あんたは血を吐くイアーゴーなんだ」
(中略)
「------人には誰も、求めて得られぬものがあるさ。そうじゃないかい、お嬢さん」
「イアーゴーのこと?」
「そうだ、誰もがイアーゴーだよ」
作中において、魅力的な独自の演出(そこにおいて無彩色の舞台でただ一度、イアーゴーが咳き込み吐いた血により、オセロがデスデモーナに贈った、イアーゴーの手に渡ったハンカチが「舞台においてただ一度現れる有彩色」として赤く染まる)で上演される『オセロ』を描いてみせてからの一節です。
続いてひとつ、映画の紹介。
オリヴァー・パーカー監督版『オセロ』。
オセロに偉丈夫ローレンス・フィッシュバーン
デズデモーナに麗しのイレーヌ・ジャコブ。
エミーリアに世間知に長けた小狡い印象のアンナ・パトリック。
そして、イアーゴに名優"現代のローレンス・オリビエ"ケネス・ブラナー。
この映画版では、デズデモーナに「忠実な」(Loyaltyを持ち続ける)イアーゴーの妻・エミーリアはしかし、デズデモーナのどこまでも純粋な愛の価値を理解しません。
※なお。このあたりの話はどうか現代的なジェンダー観?云々とかから離れて、演劇的な?抽象的な話としてご理解ください。一応、念のため、書いておきます。
このオリヴァー・パーカー監督版『オセロ』においてイレーヌ・ジャコブ演じるデスデモーナが上記引用のやりとりの最後にエミーリアに向ける、ある種の諦念(ああ、「忠実」なエミーリアは私を理解してはくれないのだ)の表情と声は非常に見事だと思えます。
そして、その真逆の話として。
「忠実」(loyality)を騙り、妻であるエミーリアも騙し、オセロとデスデモーナを陥れるケネス・ブラナー演じるイアーゴーは。
オセロの愛(「Of one that loved not wisely but too well」)、デスデモーナの愛を、その輝ける価値をあるいは当人たちよりもより深く理解し感じ取ってしまうからこそ、自らの手にし得ぬそれを嫉妬し、彼らを陥れずにはいられなかったのではないだろうか。
ごくごく個人的に、そのように捉えさせられる名演を見せてくれています。