『白銀の墟 玄の月 十二国記』石≒意思のモチーフ ※ネタバレ感想

 

白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記 (新潮文庫)

 

 

石≒意思のモチーフが凄い。

 

苦難の中、またそれ以前から積まれた石が、その積み重ねや連なりが希望や命を繋ぐ。
中でもその中心にある轍囲を巡る年月も世代も越えた絆が、語られる事態の中心(驍宗と驍宗の不在は常に事態の中心に在る)で人知れず文字通り命を繋ぎつつ、当事者……流す側も受け取る側もそれをそうとは知らないまま繋がっているという構図、その描き方が素晴らしかった。


報いを求めず、それが届くとも役立つとも思えなくとも、文字通り我が身も大切なものを削りながらでも、かつての恩の為、それを決して忘れない人間でありたいという己のために流す、流し続ける男と家族。
そんな人々とそうして(知らぬまま)確かに繋がりつつ、玉……貴重な石を掘り出す鉱山の底でたった一人での、孤独で孤高の挫けることなき歩みも描かれる。
それらは人にも権力にも囲まれつつ、確かに繋がっていたものを自ら断ち、失い、寂しく歌う者。
そして彼との繋がりの喪失を嘆く者たちとの鮮やかな対比も成している。

 

対比と言えば、そうして年月も世代も重ね、越え、血も汗も涙も注がれ続け積まれ続けた石の連なりに対して、終盤で用意された卑劣な処刑のための、文字通りの石たち……人々が手で掴み、放り投げ投げつけることを誘うべく手ごろに並べられた石積みがあるわけで。
石≒意思なのだな、それは見事に積まれ続け求める高みに届くこともあれば、こうして卑劣に安きに流れるように誘導され、放り投げ、自ら放棄し……貴き者、投げつけるその人々を救い得る者に向かって投げつけられてしまうこともあるものなのだな……と示されているのかと思う。

 

また、石≒意思は、長い年月をもって大事に育まれることで美しく価値あるものに育つもの、すぐに傷つき損なわれてもしまうもの、採り尽くされれば枯れるもの……といった描き方をされる「玉」とも繋がるモチーフかと思う。
それを踏まえた上で、愚王の世には玉を言い値で買う驕王と繋がり、財を築いた商人が正当な王不在の荒れた世の今では屑の玉も広く買い取りつつ、築いた財をもって何事かを備え、図っていくというエピソードも見事だったと思う。

 

そして、損なわれれば価値を喪い戻ることのない玉に対し、最も尊き存在たる麒麟がその象徴たる角を斬られ喪いながらも意思を鍛え屈っすることなく戦い続け。
折れた角も癒やしその力を取り戻し、穢れを本能的に嫌い触れれば病む存在にも関わらず躊躇わず自ら手を汚すことを選んで見せる……玉などと比べるべくもない尊さの極み、意思の化け物としての泰麒の在り方、描き方が素晴らしかった。

 

ここで、地に積み上げられていく石≒人の意思は天命と対比されるもので。
琅燦は王と認める驍宗への恩義忠義や今この時の民の苦しみよりも、時にあまりに形式的だったり不条理(例えば、なぜ現在の王と同じ姓の者は絶対に次の王に選ばれないのか?)な天、天命、そのシステムに関心を注ぎ、多くを巻き込んでも試し、探求せずにはいられなかったらしい。
民の苦しみが目に入らないわけでも恩義忠義を欠くわけでもないが、それ以上に追い求めずにはいられないものがあったということのようで。
そして天、天命が作中世界でこれまでもこれからも、どれだけ不条理に人を振り回し傷つけ続けているか……人の積みあげる石を蹴飛ばし崩してきたかという事を考える時、琅燦の振る舞いも必要な布石であり。
天命の器であり、逆に言えば器でしかない筈の麒麟の身で前代未聞の個の意思を示し貫いてみせた泰麒の行跡こそは、作中における人と天とのこれからの関係において戴一国の行方に留まらない、大きな大きな意味を持つことになり。
支援という形で諸外国が戴と関わる状況もそこで諸々活きてくるのではと思う