さん喬、権太楼、志の輔、三者各々の『井戸の茶碗』

また、『井戸の茶碗』という噺を巡る、さん喬、権太楼、志の輔という実力者三人の演出の違いは、その対照が実に鮮やかで興味深かった。
権太楼の屑屋・清兵衛に焦点を当てた庶民の強かな生活力と武士のタテマエへの抗議、志の輔の中間・良助に力点を置いた現代的な感性からの皮肉と、さん喬の高木作左衛門の清冽にして涼やかな存在感は、三者三様の魅力を放つと共に、それぞれの特質を浮き彫りにして面白い。
(もっとも、ことこの噺においては、さん喬の演出が頭一つ抜けていると思う。)

ただ、この噺において三者の演出はそれぞれ優れているが、それらは共存できない。さん喬の作左衛門に権太楼の屑屋は訪れ得ないし、志の輔の中間もおよそウマが合わなさそうだ。当然ではある。