山田風太郎『戦中派焼け跡日記』。その日付を追っての点描。

昨日、今日で山田風太郎『戦中派焼け跡日記』『戦中派闇市日記』(途中まで)を読む。『戦中派不戦日記』の鮮烈さには一歩譲るが、それでも大傑作。
ただ、司馬遼太郎の「この国のかたち」の如く、「山田風太郎は今の日本を、世界を、遥か以前に予見していた!今こそ山田風太郎に学べ!」といううんざりする扱い方を今後されそうな感触がありありとする。もっとも、司馬遼太郎晩年のエッセイがその作品群の中では下の下の部類に属するのに対し、風太郎二十代の日記は後の天才---『眼中の悪魔』『怪異金瓶梅』などの推理小説、『忍法忠臣蔵』『魔界転生』などの忍法帖滝沢馬琴鶴屋南北を描いた『八犬傳』、『幻燈辻馬車』『エドの舞踏会』『明治バベルの塔』などの明治もの、『人間臨終図鑑』、数々のエッセイ、と信じられない広いジャンルでそれぞれ大傑作を持つ大巨人---山田風太郎の原型をはっきりと伝えている傑作。どんな形であれ、広く話題になるのは決して悪いことではないかもしれない(それにしても、妙な持ち上げられ方をしてからの塩野七生の大崩れなどを見ると---カエサル登場後数年の『ローマ人の物語』の迷走などはそれまでの数々の傑作と見比べると悲惨としかいいようがない---つくづく「現代を生きる我々の指針!」というタイプの軽薄愚昧な御神輿担ぎはとんでもない一大害悪だと思う)。

以下、点描。

21年1月10日。"地獄列車"の景。「利己」「お情け」「日本人」と括弧書きの表記が伝える観察の眼。

21年1月27日。サーカスの観察記録が、既にして一篇の小説。嘆息するばかり。

21年1月30日。「遠藤長官に敬意を表す」。若い、血気盛んな皮肉。

21年2月2日。映画『歌行燈』を観たことからの鏡花評。余りに的確。ところで、後の坂東玉三郎による『天守物語』『外科室』の映画化を後年の風太郎は観ただろうか。観たなら、どう評しただろうか。玉三郎は鏡花が渾身の一筆で描いた美的瞬間を、一つの場面として拡大し映像化することで独自の美学を示した(『外科室』の二人の出会いの場面を見よ)のだけれど。

21年2月3日。戯作風小説論。その後の作風をほぼ完全に自ら予告。また、モーパッサン女の一生』評、的確。師・フロベールと並ぶ自然主義のご本尊の作品が今でも読者に感銘を与え、それを真似た日本の自然主義を標榜した私小説群の多くが過去の遺物となる所以を当時にして既に示す。

21年2月4日。"遂に訪れた自由"を謳う人々の三つの型について。余りにも見事で、これを読んでは「風太郎は今の世界を予見!」云々と持ち上げられても仕方がないかもしれない。病理を見つめる医者の眼。
ここで描かれる山田風太郎の眼は古代ギリシアの歴史家・トゥキディデスの『歴史』(ペロポネソス戦争史)---「歴史は繰り返す」というあまりにも有名な言葉の原典---のそれに極めて良く似ている。そして、その訳者・久保正彰は岩波文庫版冒頭の「解題」(敗北したアテネの将軍であったトゥキディデスの抑制された激情に、同じく敗北した日本の国民である自らの激情を重ね、この大古典の翻訳という大苦難に向かった原動力を示した至高の名文!それを考えれば、その訳文を読んで風太郎の日記、風太郎の作品との共鳴を感じるのもむしろ当然か)において、トゥキディデスがその徹底した実証的・論理的・理性的な叙述に際し、ヒッポクラテースの『病状診断記』などの医学方面からの影響があったのではないか、という卓見を記している。
トゥキディデスの『歴史』の特長は、歴史が動く《過程》、特に政治的判断の節目節目での決定が為されるプロセスを描き出すことに徹底的に注力していること。時間の流れ、経済事情、都市国家(ポリス)間の歴史的な感情や民族関係、重要人物の性格などを精密に描写し、その上でそれらを(大抵の場合)対立する二つの演説に集約している。そして、そうして為された決定についてもそれが戦局に与えた影響を冷静に分析し描写することに徹し、主義主張の善悪や美醜、賢愚を高所から裁くことを壮烈としかいいようのない意志力で抑えている。抑えるからこそ、鋭利透徹古今に絶する理知への賛嘆と共に、その奥にある底知れぬ激情が長大なその作の全てに漲る。繰り返しになるが、時に感情を直截に吐き出しながらも、青年・山田誠也の日記から受ける印象はやはり、驚くほど『歴史』を読むときのそれに似ているのである。

21年3月8日。「西本啓氏への公開状」。1月30日のそれと共に、24歳の若さを伝えて楽しい。

21年3月16日。"思考方法"について。"風太郎の記述が端的に事実として後世の現実と比べてどうだったか"などということの幾十倍も幾百倍も、その元となるこうした思考の過程こそ注目されるべきだろう。

21年3月30日。「日本最大の心理学者---徳川家康」もう、この時にはそれをいって、それからずっとそれを言い続けていたのか。

21年4月2日。正宗白鳥論。「依然絶望的な孤独と寂寥(中略)白鳥には好感が持てる。慰さめようがない」(原文ママ)。例によって的確。かつ、身も蓋もない。

21年5月1日。友人の結婚話と、そして自らの家族について。友人・小西の話とそれを記した後の短い記述が相呼応し、静かで、だが深刻で根深い苦悶を伝える。

21年5月5日。乱歩を論ずる初めての記述。8月2日に至って更に突っ込んだものになる。
卓抜。北村薫が大乱歩に惚れ込む大きな理由であり、私もまた、そういう北村薫に惚れ込んでいる。乱歩も、風太郎も、北村薫も健全すぎるほど健全。そうでありながら、あるいはそれだからこそ、現実に凛然と抗するに足る力を持った虚を描く。

21年5月10日。「天才の天才たる所以は唯技術の上においてのみのことだと銘記する必要があるだろう」。

21年5月14日。荷風論。例によって身も蓋も無い的確さ。8月15日に続きあり。映画『舞踏会の手帖』評。この日あたりから度々、ジュリアン・ディヴィヴィエ賛が日記に混じる(21年6月29日など。9月10には彼独特のオムニバス手法への批判も)。最大級の評価。なるほど。

21年6月12日。アナトール・フランス『神々は渇く』購入の記述。明確な感想は記していないが、14日は図書館でフランス革命について資料を調べている。フランス革命の中、目まぐるしく移り変わる"正義"に翻弄される愚かさに加え、遂には自らの嫉妬と欲望でその"正義"すら汚し、実の母から「人間ではない!!」と叫ばれる主人公が描かれたその作品を、風太郎はどう読んだのだろう。

21年6月17日。「再び大賢は愚に似たりについて」。トルストイ、キリスト、釈迦、孔子論。

21年7月23日。「物を書く才能」について。

21年9月13日。「そうして、自分は結局、何の趣味もない、また自分の職業にそれほどの愛着もない凡凡たる「お医者さん」になるらしい」。後年の風太郎、この年でこの日記を描き、既に『達磨峠の事件』の書稿を進め、あの『眼中の悪魔』の腹案を宿した人物がそう書くのか。

21年10月4日。「乱歩が「探偵小説を愛好するのは論理を愛する心である」というのは真実である。なるほど僕は「論理」を愛する! 遊戯的に。」


・・・深夜三時になる。一時中断。明日に続ける。