山田風太郎『戦中派闇市日記』〜乱歩への屈折した敬意、探偵小説と風太郎。



乱歩への屈折した敬意、風太郎の探偵小説への様々な関心(乱歩について、『アクロイド殺人事件』についての論評、風太郎にとって探偵小説は「生涯の仕事」とは当時から思えなかったこと、等々)などが興味深いが、1/22の日記で書いた『戦中派焼け跡日記』の点描ほどメモしておきたい事項がないので、途中までで打ち切る。


22年1月11日。乱歩主宰の土曜会の通知。以後、ほぼ毎回について記述あり。『雪女』『達磨峠の事件』の二作を乱歩、水谷準に賞賛され、いかにも風太郎らしいひねくれた照れ方と自慢をしているのが面白い。
「わが作ではそうではないが他作品の評を読んでいると、この江戸川氏と水谷氏の評が全く反対のものが少なくない。如何に所謂大家の評が気にするに当たらぬかということがわかる」


22年1月18日。土曜会で横溝正史『本陣殺人事件』の合評。「器械的トリックの不自然、事件をめぐる人々の心理の不自然etc種々欠点あれど、兎に角日本に初めて現れたる本格的野心作なりとの結論一致す」。風太郎、乱歩及び徳川夢声と初めて直接会う。「探偵小説の鬼ともいうべき人々の熱論の醸し出す雰囲気にボウとなりたる顔にて夕、岩谷書店を出る」。


22年1月30日。GHQ発の不条理かつ厳格な医学校再編令下る。風太郎、自らの意見を抑え、周囲の反応を静かに描写する。


22年2月20日。「米国南部の農民の苦闘を詩情たたえて活写」したジャン・ルノワール『南部の人』の感銘が、遥かに洗練された演出を誇るヒッチコック『断崖』に大きく勝るとし、「ここに於いて余思えらく、探偵小説の限界は知れたものなり、決してこれに全精神を打込むべからずと」。


22年3月28日。『眼中の悪魔』執筆開始。


22年4月15日。「吾々が注目すべきは、いずれが正義であったかということではなく、いずれがその理論の裏づけが巧妙であるかということである」。


22年4月17日。「探偵小説に於ける「死」の基本的条件を考える」として、「死」の状況の様々な分類を試みている。


22年4月21日、27日。自らの貧窮への憤りの吐露。