『PROMISE』〜いけいけ、ぼくらのコスプレ公爵!!


真田広之チャン・ドンゴンセシリア・チョン
……ああ、まあ、確かにそんな人も出てたみたいだ、うん。
でも、そんなことはどうでもいいじゃないか!!

さあ、ただただ、ニコラス・ツェー様を讃えよう!

あぁ、もう、どうしようもなく最高、あの


怪人二十面相公爵。

最高だよ、アンタ!!

……あの素晴らしさは、もう、実際に観ないと絶対に分からないね。あの偉大なるサービス精神。
いいぞ、「妖艶な美の化身」!!
(予告篇でのニコラス・ツェーのキャッチ・フレーズ!)。


絶対、死ぬほど金かけて、この人を怪人二十面相役で、江戸川乱歩の少年探偵団ものの映画を撮るべきだって。
中でも、もう、あの華鎧の場面を観てしまったら、そうとしか思えない。直前の場面で抱いた祈るような期待------こうなったら、登場の仕方はただ一つだろう、そうだよな!?-----に完璧に応えてくれた時点で、彼は神になったね。後光が射してみえた。(「中の人などいない!」)
なぜ、あのコスプレ公爵はあそこまでやるのか。やってくれるのか。やってしまうのか。
はっきりいって、どこにもそんな必要なんてないのに。
無論、間違いなく、笑いの神への全身全霊を込めての奉仕であるに違いない。
いや、むしろ、ヤツこそが笑いの神の化身だろう。
で、あの指差し棒が神器。神の象徴。
あの御方の手にかかれば、「満神」なんざひとひねりだ。


さらば、わが愛覇王別姫』(これは本当に名作中の名作)のチェン・カイコー監督と『グリーン・デスティニー』の撮影・美術チームのタッグは、やっぱり凄いもの作るね。予告篇を観て高まり続けていた期待に対して、見事に期待以上のモノを見せてくれた・・・・・・。

ちなみに、ピーター・ジャクソン版『キング・コング』の恐竜大爆走をめいいっぱいショボくしたような黒水牛大暴走や、なんだか鬱陶しい「かもめのジョナサン」話なんかはまあ、観なかったこと、聞かなかったことにしておこう(まあ、あれはタオイズムから来てるわけだからして、中国の監督がああいうこと言いたがるのは、むしろ当然なのかもしれないが。なんだかなぁ、もう)。

あと、字幕の中の人に一言。「侯爵」じゃなくて「公爵」なんじゃないかな?予告篇とかパンフレットとか皆そうだし。そういう部分で大ポカしないで欲しいんだけどなぁ。。。


ところで、念のため。
『PROMISE』は実は、伏線の張り方も俳優の演技も音楽も映像も(牛大暴走のようなひどい出来の場面もあったりはしたが)、相当練り込まれた高いレベルにある映画だ。
だからこそ、それが製作者の意図と大きく離れた、何か別のものを達成してしまっているのがたまらなく面白いという、高質の笑いを提供してくれるわけだ。


グリーン・デスティニー』『マトリックス』、そしてお笑いアクションの金字塔『リベリオン』といった作品たちにも全く同じことが言える。
グリーン・デスティニー』の(皮肉でも何でもなく)感嘆させられる他ない美しい映像(特に水面の反射、ワイヤーアクションの飛翔感覚)と音楽、『マトリックス』の斬新な映像美、「なぜ、アクション映画のヒーローにだけ敵の攻撃が当たらないのか」ということを、本気で真剣に考えてしまったのであろう(多分、アレは天然だと思う)『リベリオン』の《ガン=カタ》の発想……どれも、群を抜いた、文句のつけようの無い出来だ。


ただ、それだけのものを揃えた上でそれぞれが表現しようとしているもの、もしくはそのテーマの掘り下げ方が、どれもこれも、どうにも真剣に------例えば哲学的にだか文学的にだか、何だかともかくそんな感じに------受け止めることなど到底できない相談のシロモノであるからには-------これはもう、笑うしかないだろう。

しかし、こうした《壮大な金と才能の無駄遣い》というのも、映画ならではの醍醐味なのだとつくづく思う。この感想も、半分以上皮肉ではなく、真剣なものだ。
これだけ派手にやられれば、無駄遣いは無駄遣いであるがゆえに、それでしか達成できない痛快さを感じさせてくれる。そうは思わないだろうか?