東野圭吾『探偵ガリレオ』〜第一章「燃える」がいい。ただ、冒頭の記述について一箇所、少しばかり文句が……


探偵ガリレオ (文春文庫)

せっかく『容疑者Xへの献身』を読んだのだから、ということで続編『予知夢』と共に購入した一冊。
五篇からなる連作短篇だが、出来栄えが頭一つ抜けているのが、第一章「燃える」だと思う。
ただ、《ミステリ》的な興味としてはそれほど惹かれるものはないので、主に装飾的な要素についての話を。

ネタバレにもなるので、以下、問題の在る箇所からは白地に白文字で記述。


文庫版23ページ、「笑わず、きょとんとしていた」で------およそミステリにおける、論理に基づく望ましい推理ではないが-----犯人はこちらだろう、と目星がついてしまう。
それなりに本を読む人ならば、その「きょとんとした」気持ちがわかるだろう。あるいは、多少は年季の入った本読みなら、苦笑しつつその心情を察するだろう。ことに、それがブラッドベリの『火星年代記』ならば、なおさらだ。つまり、彼にとって世の中にはその本を「読んで引き込まれた人」と「読んだことがない人」の二種類に分かれるのであり、「読んで引き込まれなかった人」がいるなどとは到底信じられないのだ。

そして、その思いが引っ掛かれば、52ページ「心の中で、彼はそう呟いた」という罠もヒントになる。普通に喋れる人間も、声に出さずに心の中で呟く。むしろ、一言も喋れない人物ならば、心の中ででも「呟く」ことはしない。「思いを巡らせる」としなくてはいけないだろう。さて、ということは……と思考が進む。
しかし、そこで遡って読み直し、考えてみたところ、よくわからなくなって仕方が無くページをめくって終わりまで読み進めてしまった。で、正直言って、「これは読み手であるこちらの責任だろうか?」と疑問に思う。即ち、冒頭、9ページ「彼の部屋は北東の二階だ」という地の文の記述はどうかと思う。「彼のいる部屋は北東の二階だ」と書かれるべきではなかっただろうか?そこには大きく不満が残る。


なお、なぜ『火星年代記』、特にその中でも「一九九九年二月 イラ」なのか、それが犯人の心情とどう重なるのか、といったことは説明するだけ野暮かもしれないと思うのでパス。『火星年代記』を思い返すなり読み返すなりすればちょっと楽しくなる部分。
もう一つブラッドベリ絡みでいえば------本の内容よりもとりあえず題名からの連想として-----この事件の被害者たちのところには、「何かが道をやってくる」ことになったわけか、ああ、なるほどね、と思う。


何かが道をやってくる (創元SF文庫)