『ALWAYS 三丁目の夕日』〜どこまでもベタな展開も、ここまで突き詰めれば……


この映画には、深遠な思想や文学的・哲学的な深さなどは無い。言い換えれば、観る人によってあまり感想の種類が変わらず、そのイメージのディティールこそ違え、誰もが似たようなものを作品の中に見出すだろうとも思う。

しかし、この作品は、「で、それがどうした?」と堂々と言い切れてしまうだけの、映画ならではの力に溢れている。いかに筋書きが(極めて意図的に)型にはまり切って進んでいこうとも、これを観て笑えない、この作品で泣けない人というのはとても少ないだろう。いたとしても、控えめに言ってもあまり羨ましくはない。
映像も、全てのキャストも、脚本も、その他の演出も、音楽もおよそ文句のつけようがなく、"日本アカデミー賞ほぼ総なめ"というのも、あまりにも当然の結果だ。


特に、冒頭の画面を細かく揺らしながらのカメラワーク、最高のはまり役としか言いようが無かった吉岡秀隆はちょっと言葉に出来ないくらい良かった。あと、医者の宅間先生の死んだ娘役の子は、名演揃いの子役の中でも特に映画の空気に合った愛らしさで、それほど出ていた時間は長くなくとも、実に印象的。

また、「あの宅間先生って、三浦友和だったのか……」「氷屋、どこかで見たことのある顔だと思ったら、ピエール瀧かい!!」など、配役が単に素晴らしいというだけでなく、面白くさえあるのは、何とも愉しい。


東京タワーの使い方------まずは六子の上京時に電車の中での会話に現れ、"鈴木オート"の社長が彼女に初めて配慮らしきものを込めた言葉を掛けたのが、まだ基礎だけが出来たばかりの姿の紹介であり、、盆が近づいた時にはその工事の進み具合が時間の経過を示し、年末に故郷へ帰る六子が「ああ、出来たんだ」とまずは声だけで示し、その後で鈴木一家が夕日の中で眺める------に代表される演出の巧みさも、いちいち書いていくまでもないだろう。


高い評価を得るべくして得た、邦画の傑作だ。