『ファンタジーの宝石箱 第一集 人魚の鱗』

2006/3/19の日記で触れた、池袋コミュニティ・カレッジ講座「ミステリ読むこと書くこと〜講師:北村薫×杉江松恋」で話題になった本の一つ。
収録された作品のうち、印象に残った幾つかの作品について軽く感想を。

川上弘美「ミナミさん」

この人の小説については、表面上描かれているように見えるものと、実際に作品が持つテーマとが、大きく異なるように思えることが多い。
例えば、およそオカルトや超常現象といったものを信じていないとしか感じられないこの人が、幾つもの小説で好んでそういった要素を取り入れる。この人はそうした手口によって、そうしたものとは大きく離れた、そうした手法でこそ描けるものを書いているのだと思う。


この作品も、同様にややこしい代物だと思う。
端的に言えば、この本においてこの作品は『第Ⅰ章 いつも隣に君がいる』というグループに分類され、そのトリを務めているが、本来、『第Ⅱ章 きらきら家族』に分類されるべきなのではないのだろうか。


川口マーン恵美「僕の犬」

「よし、お前が十八才になったら、犬を買ってやろう」と言った。僕はがっかりした。十八才だって? そんな年寄りになって犬を飼う気は、僕にはさらさらない」

上記引用部分がいい。

松谷みよ子ペチュニアビヤホールはこわいよ」

申し訳ないけれど、悪い意味で印象に残った。
最後の一文は明らかに要らない。作品の命がその一突きで殺されている。

木坂涼「公園」


この小説と、阿刀田高「雪の朝」、小池昌代「ドーナツと雨音」の三作品が、この作品集の三傑だと思える。

「だいいち、今日は思っていない。今日思ってないことは、自分に遠いことみたいだ」


という表現が《子供》を象徴的に活写し、

「さびしさとあったかさでわたしもいつか帰ってくるの?」


は、作品の核となる、詩人ならではの言葉。そして、

お父さんは、さっきから束ねていた新聞を三つ重ねて窓のそばに置いた。

という下りをうまく入れられるかどうかが、「センスのいいアマチュア」と「優れたプロフェッショナル」との差だと思える。

内海隆一郎「おまじない」


筋はあまりにベタで好きになれないし、《おまじない》の内容も「子供でもネタばらしの前に分かってしまう」と思えるのだけれど、それでも、それを叫ぶ場面でその声が響いてくるように思えてしまう。それは、小説として、《力が有る》ということなのだと思う。

小池昌代「ドーナツと雨音」

いつかやってくる、その小さな孤独を、安見子は奥歯でそっとかみしめた。甘くも辛くもすっぱくもなかった。

上記引用部分がいい。


……ところで、こうした少年・少女時代の、《未来を心を震わせながら予感する》想いといえば、栗本薫という人はその全盛期には、それを描くのが滅法巧かったのだと思う。
今は昔日の姿が見る影も無くなってしまった『グイン・サーガ』の外伝、『ヴァラキアの少年』『星の船、風の翼』は、そうした資質の良き結晶のような作品だと思える。