吉野朔実『ECCENTRICS』〜作品の謎

ECCENTRICS (1) (小学館文庫)

吉野朔実の最も興味深い作品について、ネットで面白い論考を見かけたので、それに付け加えるような形で、以前考えたことなどをまとめてみた。


その論考というのは、「やっぱり読書はおもしろい」というサイトの「「吉野朔実「エキセントリックス」考」

読んでみての感想は、まず、何より「何だか似たようなことを考える人っているものなんだな…」というもの。
各論部分では似たようなことを考えて来てはいたものの、とてもここまではまとめられなかった論考なので、一読してともかく嬉しく感じられた。


そこで、これまで自分が考えて来た中で幾つか、丁度、拝見した論考に幾つか付け加えるような形になる要素があったので、それをまとめて読後の感想という形で、その論考の執筆者の《けーすけ》さんに送ってみることに。


即ち、

(1)重要な舞台である駅(原宿駅)と、比良坂の家の場所(表参道の裏)の象徴的な意味
(2)比良坂と鹿島との関係性
(3)「千夜子」という千寿の母の名と、千寿が描いた一つの物語
(4)「日周拓生」「緋川笑美子」という名前の意味について
(5)『ECCENTRICS』のラストと、大島弓子『バナナブレッドのプティング』の終幕との対照性

といったこと。



※以下、けーすけ氏の論考の基本線に沿った話になるので、以下の文章も読んでやろう、という奇特な方は、まずそちらの考察をお読み下さい。
以下、実際に送った文面とほぼ同じものを掲載。

(1)重要な舞台である駅(原宿駅)と、比良坂の家の場所(表参道の裏)の象徴的な意味


この漫画の《駅》は原宿駅、比良坂の家は表参道の同潤会青山アパートの少し奥にあるのだと思われます。


------ここで、「原宿」は「胎に宿る」、「表参道」は「産道」に通じはしないでしょうか。
そう考えていくと、比良坂の家がその表の道の《裏》にある、という意味もまた、明らかなように思えます。
これらの要素の持つ意味は、拝見させて頂いた考察に照らせば自明のようにも思えますので、省略します。

(2)比良坂と鹿島との関係性


Dr.KASHIMAという文字を並び替えると、「HIRASAK」+「DM」となります。
完全なアナグラムではありませんが(「A」が一つ足りず、余る「DM」の意味も不明)、偶然にしては出来すぎと思えます。


ここで、その意味についてですが、千寿の《父》という役割は、実の父に代わって比良坂が完全に務めてしまっているのではなく、その《父》というものの役割は、実の父(その「亨」というどこまでも受身の意味を持つ名前も興味深いものです)、比良坂、鹿島と分かたれて分担されているのではないかと思います。
その《分担》の在り方と意味については、詳しく書いていくと余りに長くなるので、ここでは省略します。

(3)「千夜子」という千寿の母の名と、千寿が描いた一つの物語


「千の夜」に「一つの物語」が語られる夜が加われば、それは「千夜一夜」となります。
それは、自らの物語の中に娘である千寿を《神》として取り込もうとした母の世界が、《千寿の描いた小説=ひとつの物語が加わることによって、終わりを迎えた》ということを象徴しているのだと思えます。

(4)「日周拓生」「緋川笑美子」という名前の意味について


「日」(太陽)を「周」(まわ)って「生」を「拓」(ひら)くというのは、「明智光秀」が実に華麗な名前であるのと同じくらい、徹底して明るい名前です。
そして、「日」は「天」に、「周」は「劫(めぐる)」に、それぞれ繋がります。
つまるところ、双子が千寿に力と意味を与えもし(エロスの面)、突き落としもする(タナトスの面)《男》であるのに対し、日周拓生は千寿をひたすら明るい道へと誘う役割を持った《女》なのだと思えます。


一方、「緋」は血に通じ、「川」はつまり、冥土を流れる三途の川。その「笑み」も「美」も、断じて陽性のものではなく、黄昏の世界に属するものでしょう。
即ち、緋川笑美子というのは、千寿を暗い黄泉路へと誘う、もう一人の《女》なのだと思えます。


ここで、「彼女達二人共が千寿同様、比良坂の元へ引き寄せられずにはいられない」ということも大変興味深い要素だと思えますが、その理由はまだうまくまとめられていません。

(5)『ECCENTRICS』のラストと、大島弓子『バナナブレッドのプティング』の終幕との対照性

これもまともに説明すると長いのですが-------ようするに、吉野朔実が『バナナブレッドのプティング』のラストを読んで、「それで話が済むか!!」と我慢ならないものを感じた結果、『ECCENTRICS』が生まれたのではないか、ということです。
普通、この作品のラストから思い浮かぶイメージソースは夢野久作ドグラ・マグラ』と、その有名な巻頭歌-------「胎児よ、胎児、なぜ躍る 母親の心がわかって おそろしいのか」かとも思えますが、私はそれ以上に『バナナブレッドのプティング』だと思えます。


なお、これらの大きな話題の他には、作中に出て来る食べ物------林檎、トマト(トマトはイタリア語では「ポモドーロ(黄金の林檎)」、フランス語では「ポム・ダムール(愛の林檎)、イギリスでは「ラブ・アップル(愛の林檎)と呼ばれるので、象徴的にはより「林檎」のイメージを神話よりに強めたものといえないこともありません。かなり強引な論理(?)ですが)、桃------のやはり象徴的な意味合いなど細かい話題も幾つかありますが、煩雑になるので省略します。


以上、「「エキセントリックス」考」を拝見してあまりに嬉しく、どうしても何か送らずにはいられませんでした。長文失礼致しました。


……その後、更に返信を頂く中で、《緋川笑美子の名前の由来は、ホーソーンの『緋文字』という線もあるのでは。また、日周拓生の日周という姓は、彼女が《健全な日常》といったものを象徴している現われだとも思える。いずれにせよ、彼女達二人が陰陽一対の関係性を持つことは確かでしょう》といった新たな興味深いご意見も伺え、ますますこの作品が興味深く思えるようになった。