山田風太郎『八犬伝』〜否定》を《否定》し、自らは何ものにも《殉ずる》ことが出来ない人間でありながら、ひたすらに《殉ずる》ことの《美》を描き出す。

八犬伝(上)―山田風太郎傑作大全〈20〉 (広済堂文庫) 八犬伝(下)―山田風太郎傑作大全〈21〉 (広済堂文庫)

風太郎自身の姿はまず、南北の中にこそ宿っている。

この作品は、山田風太郎が自身の姿を二人の作家に、かなりストレートに仮託して描きぬいた傑作だと思えます。
更に言葉を重ねれば、《否定》を《否定》し、自らは何ものにも《殉ずる》ことが出来ない人間でありながら、ひたすらに《殉ずる》ことの《美》を描き出す、山田風太郎特有の手法が見事に結晶化されたような作品なのだ、と。


ここで、《二人の作家》とは、無論、滝沢馬琴鶴屋南北のこと。
そして、風太郎の姿は基本的には物語の主役たる馬琴ではなく、誰よりもまず、南北にこそ宿っているように思えます。
ここで、この小説における鶴屋南北とは何者かといえば、彼は、人々が信じ、称え、守ろうとしている信念を、哄笑と共に根本から突き崩してしまう-------しかも、彼らを愉しませつつ!!------存在なのです。

第一の《否定》〜馬琴の掲げた因果応報の否定


それをはっきりと示すのが、この物語における、第一の《否定》、即ち、滝沢馬琴がその半生を賭けて世に示さんとした《因果応報》という観念の、鶴屋南北による否定だと思えます。
仁義八行の象徴である「忠臣蔵」を裏返し、奈落の底から逆さ吊りになり、虚と実について語る南北に、馬琴は打ちのめされます。
なぜ、馬琴は打ちのめされてしまうのか。その理由は、そこに至るまでに執拗に描かれた、馬琴の日常と創作との関係を読んできた人には、あまりにも明らかなことでしょう。


-------普通の作家ならば、ここで鶴屋南北の冥い哄笑と共に、深い虚無を描き出したことに満足して、話を終えるところです。
いえ、そこまで書けたならもう、相当優秀な作家であるといえるでしょう。

第二の《否定》〜その哄笑を覆す、《否定》された脆く虚ろなものに《殉ずる》人々が、《それでも》顕現させる至上の《美》。


----しかし、それで終わらないのが、山田風太郎なのだと思えます。


鶴屋南北に暴き出させたように、人がそのために全てを投げ打って省みない、全ての価値観------例えば、忠義であり、愛であり、慈悲心--------は、他の価値観に照らしてみると、途端にその拠って立つものが崩れ去ってしまいます。
こうしたものの見方こそ、山田風太郎の根本にある視点です。


だが、それでいながら------その"眼"を持ちながら------それらを笑い飛ばし嘲るのではなく、《それでも》それに殉ずる人々を、この上なく哀しくも美しいものとして描き出す。馬琴とお路の神々しいまでの姿を描き出す。
それによって、決して南北が-------山田風太郎が辿り付けない境地に、《殉ずる人々》が達することがあることを描く。


それは、自らの眼が暴き出した否定を、自ら再度否定するということ。
それこそが、風太郎の風太郎たる所以ではないかと思えます。


----よく言われることですが、山田風太郎について語りたければ、『戦中派不戦日記』をはじめとする、幾つかの日記を読む必要があります。
明らかに、そこに作家・山田風太郎の原点があるからです。


それらを読むことで、《殉ずる人々》の正体がわかるように思えます。
それは、終戦時に満23歳だった山田誠也青年もその一員だった《第二次大戦中の日本人》の姿です。

それが例えば《忍法帖》シリーズでは忍者達や、『忍法忠臣蔵』での四十七士などになり-------いずれにおいても、作家・山田風太郎の眼は、容赦なく、彼らが殉ずる価値観の虚構を暴き出します。
しかし、"殉ずる人々"はかっての山田誠也青年の似姿でもある以上、彼らを嘲り、笑うことなどできません。彼らは彼らの価値観に、見事に殉じていきます。そう描かずにはいられない。


そういう意味で、かって山田誠也であった山田風太郎は、滝本馬琴でもあります。
安易なニヒリズムなど足元にも及ばないその凄まじさこそ、山田風太郎の本領だと思えます(その凄まじさを最もわかりやすく知るには、『忍法忠臣蔵』がいいと思います)。


ただ、そうした「否定を否定する」やり方は実に怖ろしいもので、本来、「忍者」のようなとことん非現実の存在に託して描く物語にでもしなければ、到底描けないはずのものでした。
それを、作者である山田風太郎自身と鏡の裏・表の関係にあるような作家・滝沢馬琴を題材にして描いたしまったのが、この『八犬伝』です。


-------こんな真似ができた作家は、他に誰もいなかったと思います。