ジュンク堂トークセッション「萩尾望都、石飛幸治「人生のことはすべてマンガで教わったの?」


現在、池袋ジュンク堂では「萩尾望都のラララ書店」と題して、萩尾望都お勧めの書籍を集めた特設コーナーが設置され、連続して対談企画も実施されている。
この対談もその一環。幸運なことに、3/10の三浦雅士とのトークセッションに続いて抽選に当たり、そのお話を伺うことが出来た。


とりあえず、イベントの内容と感想とをまとめてみる。
断片的かついい加減なメモと記憶を頼りに------無論録音もしていない-------無理やりまとめている文章なので、発言内容や話の流れに事実と異なる点も多数ある筈。
そこらへんは、ご容赦を、ということで。

イベントの背景と観客層


現在、池袋ジュンク堂では「萩尾望都のラララ書店」と題して、萩尾望都お勧めの書籍を集めた特設コーナーが設置され、連続して対談企画も実施されている。
このイベントもその一環。幸運なことに、3/10の三浦雅士とのトークセッションに続いて抽選に当たり、そのお話を伺うことが出来た。
二回に分けて、その内容の概略と感想を書いていってみたい。


……なお、40人程度の客の9割近く(もっと?)は10代後半〜40代くらいの女性。三浦雅士との対談では7割程度(だったかな?)だったのに。
まあ、石飛幸治という人がStudio Life(スタジオ・ライフ)の俳優(たまに演出も)だから、という事情が重なっての結果か。

萩尾望都先生とその印象について

まず、萩尾望都が誰か、などということは説明不要だろう。


おそらく日本の戦後漫画史上、手塚治虫の次に重要な作家なのでは、とさえ言われることもある人物。いわば、漫画界の現人神とすらいえる存在である筈なのだが------前回(3/10)の三浦雅士との対談においても今回のものでも、ご本人を目の前にしての印象は、《神様》あるいは《大巨匠》といった言葉とはかけ離れたもの。


物々しさ、威圧感といった空気は無く、どこまでも上品な落ち着きと知性に満ちた、《分別ある大人》という風情。《奇矯な天才》といった様子は微塵もなく、実にバランス感覚豊か。まるで大学教授------それも優秀な学生が自然に集まり、その尊敬を受けるであろう看板教授-------のようだ、と思わされる。


実際に、二回の対談とも、ややもすると暴走しがちな相手に対し、その話の腰を折らずにやんわりと話題を先に進めたり、論点をまとめていく、実質的な《司会役》まで務めていた。


とんでもなく多方面の分野であれだけの実績と名声を得ながら、未だにそうした態度をとれている------しかも、ごく自然にそうやっているようにみえる------のは、ちょっと考えてみれば、もはや凄いというより怖いとすらいえることだ。


ただ、あえて意図的にそういった当然の想像を働かせないようにすれば、聴き手が萎縮しすぎずに質問できるような、《柔らか》とすらいえる雰囲気を作り出す人でもあり、どこまで懐が深いのか、およそ底が知れない。世の中には恐ろしい人がいるなぁ、と思わずにはいられない。


……ちなみに、そんな相手だから、余計な想像を働かせてしまうと逆に怖くなってしまって、対談後の質問の機会は、こちらはこちらで興味深い人物だった、石飛幸治さんへ向けたものにしてしまった。……ヘタレだなぁ、自分。。。

石飛幸治氏と劇団「Studio Life(スタジオライフ)」について


ともあれ、その対談相手、石飛幸治の紹介もまじえつつ、肝心の対談の内容について簡単に。


ゲストの石飛幸治という人は、劇団「Studio Life」の俳優であり、時に演出も担当する人だという。


ここで、この劇団の公演は昨年の年末に『白夜行・第二部』(原作・東野圭吾)、数年前に『死の泉』(原作・皆川博子)を観たことがあった。
そして、以前もちょっと書いたことがあるのだけれど 、とにもかくにも、《演出家の倉田淳が絶対的に君臨し、統治する》劇団だという印象が強い。
それだけに、その中で《演出》も任されることがある俳優とはどんな人物なのか、ということは大変興味深かった。


つまり、前回に続いて、今回も萩尾望都のみならず、ゲストの方にも惹かれてのイベント参加ということになる。


ちなみに、Studio Lifeは演出家を除き、全員男性で構成されることと、萩尾望都をはじめ、現役作家の名作少女漫画や、主に《耽美系》とされる有名小説を、原作を大変尊重しながら演劇化することで有名。当然、団員に少女漫画好きの人間も多いだろうと思われるが、石飛氏はその中でも特に筋金入りのマニアなのだとか。
実際、今回の対談ではそのマニア振りが遺憾なく発揮され、萩尾先生が前回に引き続き、《相手の話をよく聴く》ことを心掛ける姿勢を通したこともあり(こうした態度が《地》であるのか、意識してコントロールしている結果なのかは私にはわからないけれど)、主に石飛氏の具体的な作品名を挙げながらの、少女漫画に関する熱烈なファントークが中心となった。


以下、(前置きが長くなってしまったけれど)トークセッションの概略について少し。

対談序盤その(1)〜石飛氏、「キャンディキャンディ」について熱く語る


対談の序盤に飛び出したのは、いがらしゆみこの(いろいろな意味で)有名な作品『キャンディキャンディ』。萩尾先生の「少女漫画を読むようになったのはいつごろから?」という水向けの直後から石飛氏、もう、語る、語る。一観客の視点からも(おーい、落ち着けー。落ち着けー)と思わず心の声を送ってしまいたくなるくらい、熱い思いのたけをぶちまけていく。
なんでも、石飛氏と漫画との関係は、小学校から中学校の途中までの間くらいまでは、ひたすら「キャンディキャンディ」に尽きたらしい。漫画の場面や作中の小物まで、手作りで自分なりに作ってしまうくらいの入れ込みよう、台詞も名場面はほとんど暗記してしまうくらいなのだとか。


そこで萩尾先生も、「私も姉と一緒に、漫画を基にした小物なんかを作ったりしましたねぇ。あんまり熱中して何時間もかけて作った挙句、それを使って遊ぶためにやったのに、結局遊ぶ時間がなくなったり……」と応じる。
これはそれとなく、《こうして自ら物語世界を《作る》ことに早くから関わっていたのが、後々漫画家になったり俳優・演出家になる何らかの基礎になったのかもしれませんね》といった、イベントのお題に沿った方向性への誘導にも思えたのだけれど-------それでも、石飛氏の迸る熱いパトスは留まるところを知らず、《落ち着いた進行》という流れを裏切っていく(ある意味愉しい、憎めない自然な愛嬌のある人だなぁ、と思わされもした)。


そうした中での、萩尾先生の一言が実にもう、《お見事》。


「……で、キャンディキャンディから、人生に必要な何を学ぶことになったんでしょうか」
「あー、その、なんでしょうね」 と首をひねる石飛氏(そりゃぁ、そうだ)。


続けて、「あの作品だと、《我慢していると、いつかお金持ちのおじさんが来て助けてくる》ということかな」 と萩尾先生。
(ある意味きっついユーモアだなぁ)と思って聞いていると、続く言葉は真面目に興味深いものに。


「子供の頃は、いろんなものに我慢しなくちゃいけないですからね。大切なメッセージだと思います」


……しびれるなぁ、萩尾先生。
少女漫画に熱中した少年時代を語る石飛氏に向けた、「それもいい青春ですねぇ」という一言も、なかなか印象深いものだったけれど。

対談序盤その(2)〜「巨人の星」を真似てみたら……


「「我慢」といえば、韓国ドラマ、というか「チャングム」が……」といったよもやま話も交えつつ、対談の中にはやがて、別の漫画の話も。


石飛氏曰く、「巨人の星」のような少年漫画にも惹かれ、実際に野球をやってみもしたが-------現実にやってみると、いかに自分がそうした現実のスポーツに向いていず、嫌いで仕方なくなってしまうか痛感したという。しかし、「エースをねらえ!」などの少女マンガのスポ根ものは、ますます好きになっていったという。なるほど。


それに対し、萩尾先生、「ああ、以前対談した津原泰水先生も少年漫画が苦手で、少女マンガばかり読んでいらしたそうです。少年漫画はどれもこれも「どっちが強いか」ということばっかりやっているけれど、少女漫画はもっと面白いテーマを扱っていると思えたんだとか」と、フォローの解説。


……えーと、そうした流れを決定づけた最大の立役者こそ、まさしく萩尾望都先生ご本人なのでは。
まるで他人事のようにあっさりそう語るのは、ある意味凄い。


……ついでに、こちらは石飛氏に関する蛇足な感想だが、「巨人の星」絡みの話を聞いたとき、「そういう少年漫画の《熱血もの》が苦手で、少女マンガの《スポ根もの》が好きだったこの人にとって、河合克敏『帯をギュッとね!』なんかはどんな印象を与えるんだろう?」と興味を惹かれたりもした。他の質問のついでに聞いておけばよかったかな?


そして、話題は美内すずえガラスの仮面』へと流れていく。

対談中盤その(1)〜「ガラスの仮面


石飛氏にとって、「キャンディキャンディ」に勝るとも劣らぬ衝撃を受けた作品が、「ガラスの仮面」であるらしい。中学時代に別マ(別冊マーガレット)や別フレ(別冊フレンズ)が毎週回し読みされていたという環境で育った彼にとっても、他を引き離して特別な作品だったという。


そして、話は「連載時の内容と単行本での話の展開が全く違う」というマニアックな(?)事実にも。
この話題には萩尾先生も「そうなんですよねぇ。連載を読んでコミックを読むと、「あれ?あれれ?」と思っちゃう。もう、(連載と単行本とは)パラレルワールドなんだ、とでも思わないと」と応じ、盛り上がる。


更にここでは、楽屋裏の愉快な(?)話も。
多くの作家と交流のある萩尾先生、結婚以前の美内先生とも親しい付き合いがあったのだという。


そんなある日、美内先生の「ネームで困って困って仕方がなくなったらどうする?」という定番の悩みに、「連載は何とか出して、《後で単行本にする時に手直しする》というのはよくやるわね」と萩尾先生はアドバイスをされたのだとか。


……そしてしばらくの後、あのパラレルワールドが産声を上げることになったのだとかなんとか。
美内先生、連載時の原稿を「切り貼りしてくっつける」ことに無上の喜びを感じるようになってしまったのだそうで。
「いいことを教わった!」とご満悦で、「ジグソーパズルみたいで本当に面白いわ」と宣われたそうな。


萩尾先生は、内心、(それ、私の言った「加筆」と違う……)とツッコミを入れつつも、暖かく見守ることにされた模様。
現状についても、「思うんですが、今の単行本の他に、「連載版」とういのをまとめて出したらそれもよく売れるんじゃないかしら」とのご発言。


結果として実に興味深い表現が生まれたということなのか、かの有名な《神の声》絡みのこと同様、止めようと思っても止めようがないことだったのか、そのミックスなのか。
また、どこまで本当でどこまで誇張交じりの冗談なのか-------よく分からない部分も多くもある。
ただ、何はともあれ、大変面白いエピソードだったと思う。


そうしてますます話が弾む中、事実上の《司会》も自ら務める萩尾先生、

「……で、『ガラスの仮面』からは何を学ばれたことになるんでしょう?」

と話題を本筋へ戻す。それに対し、

「あ、そうですね。たとえば、いろんな演劇の筋とか……」

と、今度はほぼど真ん中、まさにあるべき形で応じる石飛氏。
なんでも、幾つかの演劇の筋もこの作品で扱われているのを観て自然に馴染み、覚えていったのだとか。
幾つかの台詞などは、「今でも暗誦できる」と自信を持っていえてしまうらしい。


そこから話は、

「TVドラマの安達祐実さんの演技、うまかったですねぇ」(萩尾)
「舞台で見た大竹しのぶさんも印象的でした。ともかく長い舞台でしたけど」(石飛)

と再び広がっていく。


そんな中、石飛氏から、

「そういえば少年漫画を読んだとき、台詞にテンやマルがあるのに驚いてしまって。「え!?漫画なのに!?小説じゃあるまいし、なんでテンやマルが……」という感じで」

とユニークな一言。
萩尾先生も

「面白いことに気づいたんですね。確かに、そうですね」

と相槌を打つ。
石飛氏、

「実は大好きな少女漫画にテンやマルがなかったからか、いまでもそういうのは苦手で、台本なんかでもうまくノレないなぁ、なんて思うんですよ」

と続ける。

……夏目房之介っぽい面白い着眼点だと思わされたけど、石飛氏、「句読点」といわず、あくまで「テンやマル」で通すのは何かのこだわりだったのだろうか。
ともあれ、流れの中で山岸凉子アラベスク』などのバレエ漫画の話が出たのを機に、対談の話題は新たなものへと動いていく。

対談中盤その(2)〜バレエ漫画の興隆と衰退→山岸凉子アラベスク』による復活


石飛氏が好きな少女漫画の一部に『アラベスク』などがあるという。
その作品名が出たところで、萩尾先生がさらっと解説したのが、業界におけるバレエ漫画の栄枯盛衰の一過程。


ある時期(昭和20年代後半〜30年代?)、業界でバレエを題材にした漫画の一大流行があり、その後、逆に「バレエはウケない」が定説になってしまったのだという。なぜなら、どれもこれも「”トゥシューズに画鋲”などのいじめ」「継母」「嫌味な金持ちライバルと貧乏な主人公」といったパターン化が進み、読者に飽きられてしまったから。
そこに登場し、状況を一変させたのが山岸凉子の傑作『アラベスク』-------と、ここまでは有名な話。
だが、そこは萩尾先生のこと。ここからこそ、更に詳しく興味深く細かいエピソードが語られていった。


(時は1971年、)山岸凉子はどうしても大好きなバレエを描いた作品を描きたかった。とにかくもう、描きたくて仕方がなかった。
しかし、編集部はともかく嫌がる。「そんなの、当りませんから」ときっぱり言われてしまう。
ここで山岸先生、しぶとくしぶとく企画を持ち込んだ。今までのしみったれた《努力・貧乏・奇跡》な話と違う、自分の描きたい話はこうだ!!-----努力の甲斐あって、遂に編集部を押し切り、『アラベスク』は雑誌(『月刊りぼん』)に掲載されることに。
しかし、編集部側の最大限の譲歩として、全・中・後編の三回掲載の枠しか与えられない予定で始まったという。


その事情が一変したのは、『アラベスク』第一回が掲載された号のアンケート結果が出たとき。なんと連載一回目にして、アンケート二位を獲得。手のひらを返した編集部は、山岸先生に長期連載を逆要望。
こうして、不朽の名作長編漫画『アラベスク』が真に日の目を見ることとなった……。


しかし、そうした輝かしい成功の影で、当初三回の枠を予定していたため、本来のプロットが相当圧縮され、削り落とされた形で物語は始まってしまっていた。萩尾先生の眼からは、《中でも特に辛かったのは、主人公ノンナとその姉、そして姉に入れ込んでいた母との関係を十分に描ききれなかったことなのでは》と思えたという。
そして、現在ダ・ヴィンチで連載されている『テレプシコーラ』(『舞姫 テレプシコーラ』)において、ちょうど現在(2006年4月)、主人公の姉のエピソードが深く掘り下げられているのを読み、「ああ、あの時出来なかったことを、ここで改めてやっているんだな」と感じたとのこと。
また、関連する『アラベスク』の印象的なシーンとして、「なぜ、姉でなくノンナを?」と問われたミロノフが言い放った「彼女はもう成長しきっている」という言葉を挙げ、《その冷酷さと鮮やかさが印象的でしたね》と石飛氏と頷きあってみせた。


話題はその後、石飛氏、萩尾先生、それぞれのドイツ訪問や、二人が共に最近お気に入りの漫画と口を揃える-------『のだめカンタービレ』や作者である二ノ宮知子先生に関するもの、ここでも再登場の山岸凉子テレプシコーラ』といったあたりへと移っていく。

対談後半その(1)〜それぞれのドイツ訪問


スタジオライフの次回公演の原作でもある『トーマの心臓』などの話題をきっかけに、それぞれのドイツ旅行の話が少し続く。


石飛氏は以前、劇団を率いる演出家・倉田淳ともう一人の方との三人で、ドイツ旅行に行ったことがあるのだという。
その時、現地のギムナジウム(12歳から18歳まで、日本で言う中高一貫教育を行うドイツの教育システム)も勝手に訪ずれズカズカと入っていき、「ああ、これが『11月のギムナジウム』や『トーマの心臓』の……」と盛り上がったのだとか。


一方、萩尾先生もまた、(おそらく『11月のギムナジウム』執筆以前に?)ドイツ旅行の経験があるという。
その際、当然ギムナジウムにも興味津々ということで、現地の事情に詳しい人に「ヘッセの作品が好きで、あんな世界観の作品が描きたいと思うんです。それで……」と話したところ、「ああ、そんな空気、今のドイツにはありませんね」と言われてしまったそうな。


なお、後に他の実際にドイツで学んだ方に伺ったところによれば、こちらは「僕のいたところは、まんま、そんな雰囲気でしたよ」との答えで、「実態はどうなんでしょうねぇ」と萩尾先生。


もっとも、とにもかくにも、案内を頼んでギムナジウムは見学したのだという。
ただ、そこで結構しつこく「目的は何ですか?」「あなた、ご職業は?」といった感じで、こと細かに尋ねられることになってしまったのだとか。


……実にドイツらしいエピソードではあるなぁ、と思わされた。
また、ギムナジウムに行き着くイメージソースとして、エーリッヒ・ケストナーに優先してヘルマン・ヘッセの名前が挙がるというのも、萩尾望都という作家らしいとも(特に『トーマの心臓』とヘッセなら、言うまでもなく『デミアン』のイメージが作品と重なってくる。勿論、『車輪の下』も)。

対談後半その(2)〜最近の注目漫画


やがてトークの流れは、「今の気になる漫画」という話題に。
萩尾先生が最近楽しみでならないのは、なんと言っても山岸凉子舞姫 テレプシコーラ』だという。『ダ・ヴィンチ』連載ということで月二回。しかもたまに休載があるので、そんな時には次回が早く読みたくて仕方がなくなってしまい、最新の回を二度、三度と読み返さずにはいられないのだとか。
しまいには、《「テレプシコーラ」を読んでいると、「ああ、漫画ってこう描いていけばいいのか」と改めて思わされることもあった》とのコメントも。
……言った人が言った人だけに、すごい感想だ。


そこで、石飛氏の「のだめカンタービレ」もいいですよね」という発言から、萩尾先生ならではの作者絡みのエピソードや、作り手側の視点による、作劇術に関する興味深い指摘が続くことに。


まず、作者の二ノ宮先生について。
田舎育ちの彼女が東京に出てきて暮らすうち、「園芸をやりたいなぁ」と思ったところ、「まず土を買う必要がある」という事実に驚愕。「都心ではとても暮らせない」と腹をくくった-----といったエピソードや、主人公のだめ(野田恵)が、作者の実在の友人(単行本あとがきで「リアルのだめ」と言われている人)を元にしている云々と、軽くよもやま話。


そこで石飛氏、「作品のモデルといえば------」ととあるエピソードを紹介。
なんでも、スタジオライフの公演『メッシュ』(もちろん、原作は萩尾望都)を、二ノ宮先生とその家の子郎党------すなわち、平成よっぱらい研究所のお馴染みの面々--------が集団で観に来たことがあったのだという。
その面々の顔や雰囲気が、もう、漫画で描かれているキャラそのもの。
石飛氏、「あ、漫画と同じだ!」と叫びそうになってしまったんだとか。


ここで、萩尾先生が話を戻し、

「「のだめ」みたいな音楽モノって、大変なんですよね」

と語る。

「最初のほうは、学内やコンクールでのライバルとの競争で話が進められるけれど、その後が難しい」
「(漫画の主人公の片割れ)千秋君、今はフランスにいってオーケストラで大変で……と苦労が絶えないんですが、その《苦労が絶えなく》させるのがポイントですね。作者はそうやって《苦労を用意》しなくちゃいけない」

「苦労といえば、『残酷な神が支配する』も……」(石飛氏)
「ああ、あれは、苛めるのが楽しい話でしたね」(萩尾先生)

といった愉しいやりとりも交えつつ、他に幾つかの話題を転々とした後、対談終了し、観客からの質問の時間が設けられた。

観客からの質問


幾つか出た質問の中でも特に興味深かったのは、「萩尾先生は大変お忙しい方なのに、ラララ書店をみると、とてもたくさんの本を読んでいらっしゃるのに驚かされます。萩尾先生はどのようにして、すごく広い分野の本を選んでいるんでしょうか?また、他の漫画家の方も、同じように読書家なんでしょうか?」といったもの。
ここで面白かったのは萩尾先生の後半の質問に対する返答の一部。

「それぞれ、詳しい分野というのがありますね。例えば、美内すずえさんなら演劇が大変好きで、話題がいつもそれになるとか。ただ、山岸凉子さんなんかは、あまり本を読まない、あるいはあえて読んだ本の話をするのを避ける、というか。-------例えば、「トマス・マン『魔の山』あたりに影響を受けた」と言われたくないのかもしれませんね」

……山岸凉子の作品と『魔の山』とは自分の中では意外な結びつきだけれど、萩尾先生と山岸先生はいうまでもなく、かつて「大泉サロン」で共同生活を送った、いわゆる「24年組」の盟友。その萩尾先生の評だけに、その一言は大変興味深いものに思えた。


また、自分でも、せっかくの質問時間ということで、石飛氏に「Studio Life」に関して、少し気になっていたことを尋ねてみもした。

「石飛さんは俳優としてでなく、時に演出も担当されるということですが、例えば萩尾先生の作品なら、『この娘、売ります』のような明るい作品を手掛けるような予定や企画はあったりするのでしょうか?
スタジオライフの舞台は「死の泉」「百夜行・第二部」と二回ほど観た事があるのですが、それを演った人たちが明るい作品を上演したらどうなるんだろう、と興味を惹かれたので・・・・」

石飛氏の答えは、

「幾つか(私たちの舞台を)観て頂けたようで、ありがとうございます。とりあえずそういった予定はありませんが……。明るいコメディ系の舞台は、小さな劇場なんかでたまにやっていますよ。そちらも是非、観に来てみて下さいね」

といった内容。


後で調べてみたところ、どうも、ウエストエンドスタジオなどを会場にした公演がそれに当たるらしい。
少し詳しいファンなら、当然知っていたことなのだろう。ちょっとばかり、無駄な質問をしてしまったかもしれない。
ともあれ、いつか、機会があればそうした公演も観にいってみようと思う。


それにしても……例えば、「のだめカンタービレ」に関する質問でもしてみれば、もう少しマシな問いになりもしただろうか。


「のだめ」に関して一つ尋ねるとしたら、ヴィエラがジャンから千秋の名前を聴かされての《あの一言》の描き方になる。
あそここそは、作品の在り方を象徴しているような見事な一場面だったと思う。
別の言い方をすれば------普通の作者ならば、直接二人を会わせるか、そうでなくともその言葉をはっきりと千秋に伝えさせていたのではないだろうか。


そこで、萩尾先生と石飛氏に、「自分で描くとしたら/演出するとしたら、二ノ宮先生と同じようにしただろうか?」と聴いてみたかった。
この質問を考えたのは既に一つ質問をしてしまった後なので、実際には遠慮して聞けなかったのだけれど。


このイベントでは、それだけがやや残念だった。


あと、このレポートに関しては--------後半が、当日から少し時間も経ってしまい、メモをろくにとっていなかったこともあり、内容も文章もボロボロだ。。。
なんだかなぁ。。。



……なお、ラララ書店の今月の品揃え(毎月少しずつ変わっている模様)はミステリ書店TRICK&TRAPとは種類こそ違え、実に危険なくらいに面白く、いつになく読みたい本が溜まっている状況だというのに、更に多数の本を買い込むことになってしまった。

その中には衝動買いしてしまった吉田稔美という方のピープショー(※)「つづきのねこ」\10.500なんてものも……。
ただ、その値段も断じて惜しく無いな、これ。改めてゆっくり観てみると、ともかく面白い。
去年生まれた甥っ子(四歳上の兄の初の息子)とその母親宛のプレゼントにもいいかと思ったけれど、贈るのが惜しいくらい気に入ってしまいそう。
どうしようかな。同じく贈り物にいいかと思えた絵本『月光公園』(東逸子・絵、宙野素子・文)だけでもいいかなぁ……(←ひどい)。
あぁ、でも、この絵本も手元に置いておきたいような気も……年齢的に、まだ二年は早いかとも思うし、うーん(←更にひどい)。
いや、だって、この本を開く誰もが眼を奪われるに違いない見開きページ-------《月のブランコ》-------なんてもう、言葉にしようがないくらいにいい(ちなみに、棚にあった幾つかの絵本をパラパラめくるうちにそれを見た瞬間、迷わず買うことを決めた)。
そのページを見せれば、「これは手放したくなくなるのも仕方が無いよね」と、多くの人がきっと納得してくれると思う(←未練がましい)。
さて、どうしようか……。

※「ピープショー」という魅力的なオモチャと、吉田稔美という方についてはこちらのページ↓をどうぞ。
http://www.interex.co.jp/Ngirl/peepshow/peepshow.html

ジュンク堂のコーナー紹介はこちら。
http://www.interex.co.jp/Ngirl/lalala/index.html
……ちなみに、このページ↑右上のイラストの通りの、キリコの『通りの神秘と憂愁』をモチーフにしたのだと思われる紙細工が棚に数個置いてあり、それも大変欲しかったのだけれど、「ディスプレイ用です」とのことで断念。
うーん、家でも一緒に並べておきたかったんだけどなぁ。「そこを何とか」とゴリ押しするのもどうかと思えたので素直に引き下がってしまったけれど、言うだけ言ってみるべきだったかなぁ……。