「銀座らくごアーベント(小米朝、小朝ほか)」〜小米朝の「掛取り」

三遊亭王楽 「宮戸川
三遊亭歌武蔵 「風呂敷」
春風亭小朝豆腐小僧
(仲入り)
林家いっ平 「四段目」
桂小米朝 「掛取り」

さいたま芸術劇場で「タイタス・アンドロニカス」を観てから駆けつけたので、会場についたのは王楽の噺の途中(終演後の吉田鋼太郎(タイタス)、小栗旬(エアロン)、松岡和子(翻訳者)のトークショーの時間を計算に入れていなかった)。


……まず、どうしても一言いいたくなるのは会場のこと。
銀座資生堂ビル9階WORDホールには、初めて来て、これが最後になるが(これを最後にこの会は銀座みゆき館劇場に移るとのこと)、落語の会場としては余りに酷すぎる。
高座の作りは出来合いのいい加減さ、照明も変なあたり方、何より声が乱反射して妙な響き方をする。それに加え、一度に数人程度しか乗れないエレベーターでの出入り、トイレの狭さ……この会をプロデュースした小朝は、一体何を考えてたんだ?そんなに会に来た人間に、落語を嫌いになって欲しかったんだろうか。それは会場移転にもなるだろうよ(「消防法の問題で」ということだったが)。というか、やる前に気付け!!


トリまでの噺の出来も、正直いってうんざり。

歌武蔵「風呂敷」

普段は、外見に似合わず(ぉぃ)、ごくまっとうに巧い人。しかし、今回はおよそやる気が感じられなかったような。退屈でぼーーっとしているうちに、いつの間にか終わっていた。

小朝「豆腐小僧」。

なにやら、「ヒロシです」という人気お笑い芸人のネタのパロディに適当に人情噺風の味付けがされた、およそ面白みが感じられない噺。こんな代物を聴かされるより、ヒロシ本人のネタを聴いた方が遥かにマシだろう。
「落語界の振興云々の前に、劣化しきった自分の噺をどうにかした方がいいんじゃないのか」とすら言いたくなった、最低の出来。
少し調べてみたところ、京極夏彦が原作らしいが……原作もこんなダメ作品なのだろうか?多分、違うと思うのだけれど。

いっ平「四段目」。

…………。
歌舞伎の声色もごくいい加減にしか出来ないのに、この噺をやるのはやめて欲しい。

小米朝「掛け取り」

そして、ようやくトリの桂小米朝が、出囃子がわりにモーツァルトの曲に乗って登場。
待ってました!本当に、心の底から!!……もう、それまでの時間がひどく辛かったので。
小米朝師匠、マクラに入ってわずかな間に、持ち前の華やかなオーラと、機嫌のよい口調でくすんだ会場の空気を一変させてしまう。


この噺の主役は、甲斐性がなくいい加減で女房泣かせ、けれどどうしても憎めない愛嬌と大らかさに加え、多彩な趣味と教養をもった小市民。こういう人物は、まさにこの人のイメージにぴったり。
……仲トリで出たどこかの誰かさんも、こうした噺は得意にしていたという評判も聴いたような記憶があるのだが、きっと気のせいだろう。


まあ、それはともかく、小米朝師匠。自身の興味を生かして、借金取りの趣味がクラシック音楽という趣向。作曲者尽くしのユニークな言い立ては、正に立て板に水。「銀座」という土地柄にも似合う噺にもなっていたのではないだろうか。

※「作曲者尽くし」の内容の詳細はここで文章で見ることが出来る。
 [上方落語メモ第三集]その138/掛け取り
 http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug138.htm

その後、これは従来どおりの「ケンカが趣味」の取立て人を無事に追い返し、最後に迎えるのは芝居狂いの醤油屋。花道の出から、幕切れの掛け合いまで、身振りも声色も、実に堂にいった名調子。
人物描写では、歌舞伎狂の醤油屋が男の趣向を察し、《よし、それに乗ってやろうじゃないか》と決めるくだりが、なんとも上方的なユーモアと人情味を感じさせる聴かせどころだったと思う。


もう、この噺を聴けただけで、この会は満足。そもそも、小米朝師匠目当てで来た会でもあったし。
今月12日の米朝小米朝親子会が楽しみでたまらなくなる、素晴らしい出来の「掛け取り」だった。