A・ブラックウッド 他『怪奇小説傑作集1 英米篇Ⅰ』(平井呈一・訳/創元推理文庫/新版)〜平井訳の妙味

怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)

怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)

●収録作品一覧
ブルワー・リットン「幽霊屋敷」
ヘンリー・ジェイムズエドマンド・オーム卿」
M・R・ジェイムズ「ポインター氏の日録」
W・W・ジェイコブズ「猿の手
アーサー・マッケン「パンの大神」
E・F・ベンスン「いも虫」
アルジャーノン・ブラックウッド「秘書奇譚」
W・F・ハーヴィー「炎天」
J・S・レ・ファニュ「緑茶」


上記リストを一見して分かるとおり、怪奇小説の定番中の定番を集めた選集。1969年にまとめられ、以後の日本の怪奇小説の分野に多大な影響を与えたものとのこと。
いずれの作品も大変味わい深いのは勿論ですが、解説の最後で平井呈一が、

「最後に訳者として一言-----この文庫ではじめて恐怖小説を読まれて愛好者になられた方は、これを機会に、語学の勉強にもなることですから、ぜひ原書で恐怖小説に親しまれることをお奨めします」


(465ページ)

と語りかけるように、独特の風情をもった訳文の妙味も強く印象に残ります。
ここでは、その訳の特徴に焦点を絞った感想を書いてみます。


まず、誰もが気づくだろうことは、「ナント」「キッパリ」「ニタニタ」「ウロウロ」「スラスラ」「モジャモジャ」「ウンウン」といったカタカナ擬音のリズム感を生み出す使い方。特に後ろの五つのような繰り返し表現を多用する。
これがまた、エグい場面で効果的に使われるんですね、まったく。特にE・F・ベンスン「いも虫」でのその効果はなんというかもう、「うわァ、えげつないなー」と嬉しくなってしまう。


次に、その幅広いバックグラウンドを示す訳語の豊潤さにも、改めて感嘆させられて。
例えば、巻頭を飾るブルワー・リットン「幽霊屋敷」の最初の会話がコレ。

「ナント、きみにこの前会ってから、ぼくはロンドンのこのどまんなかで、幽霊屋敷を見つけたぜ」
「ほんとうに幽的が出るのかい?------どんな幽霊だね?」

「幽的」!ほとんど落語でしかお眼にかからない表現です、これ。
ただ、特にこの話の性格からして------最後の個人的には非常に鬱陶しく感じる心霊談義を除いて(ただ、訳者解説にもある通り、この話ってここが肝らしいのですが。でも、私にとっては「そこ以外」が好きな話です……)-----こうして「落語」の雰囲気が少し香り付け程度に匂わされることは、とても面白いと思えます。
だって、この一人称が"余"(これもいい選択)の語り手って、ある意味落語的な相当イイ性格をしているんですから。

また、

「余はふたたび寝室にもどると、奥の間との仕切りのとびらをしめて、錠をおろし、さて暖炉の前に立って、妖怪ござんなれとばかりに身がまえた」


(33ページ)

の「妖怪ござんなれ」も愉しい。今度は講談調というわけか。もしも、原文にその時の"余"の姿かたちの描写があれば、もっと悪ノリ出来て面白かっただろうに。


他にも、M・R・ジェイムズ「ポインター氏の日録」の2ページ目で出てくる、

「この話のあった二年ほど前、火災があって、そのとき古い屋敷は焼け落ちたのであるが、よしんば美邸珍荘だったにしても、祝融氏の禍はまぬがれるわけにいかなかったろう」


(145ページ)

の「祝融氏の禍」という表現もいい(ちなみに私はこの言葉を見ても、「まぁ、火事のことなんだろうな」くらいにしかわからなかったのですが。後で調べたところ、「祝融氏」は中国古代の火の神なのだとか)。
古本狂いの男が出合った遥かな過去の日記とそこに挟まれた布地の由緒来歴、因縁故事にまつわる物語の幕開けに置かれるのに、実に似つかわしいものだと感じられます。
負け惜しみ(?)で言うのではなく(いえ、それもちょっとありますが)、これは読者がその意味を知らなくとも、《《知らない言葉である》ということそのものが、十分な効果を発揮してくれる》という訳文と思えます。


そして、中でも圧巻なのが、A・ブラックウッド「秘書奇譚」の訳。
訳者もこの一篇には他の作品にも増して、凝りに凝った姿勢で臨んだに違いありません。なんといっても、これだけの面子の中から「A・ブラックウッド他」とするほどの入れ込みようなんですから。
確かに、この平井訳を読むと、原文が気になります。実に気になります。例えば、次の二箇所です。

「社長はその間に、さがしていた書類を見つけだした。見つけた書類を小手にかざし、右手の甲でそいつをポンポンとたたいたところは、さしずめまず、その書類が舞台で使う小道具の手紙で、ご主人は赤ッ面の悪役になりすました……という見得である」


(311ページ)

「むかしはシカゴで、なんのなにがし殿とはばをきかしたジョエル・ガーヴィーが、みずから選んで居を卜したところは、ナント見る影もない荒涼たる寒村で、とりわけその日はふだんよりも、あたりの景は蕭殺たるものを見せていた。(中略)その木立の根方を寒々とした青い刈草で巻いてあるのが、まるでしおたれた土左衛門に薦をかけたようだった」


(316ページ)


「ねぇ、平井先生、これ一体、原文ではどう書いてあったんですか?」
なんだかもう、思わずそう尋ねたくなってしまう



※ちなみに原文をこちらで読むことができます。
THE STRANGE ADVENTURES OF A PRIVATE
SECRETARY IN NEW YORK
BY ALGERNON BLACKWOOD
http://fullreads.com/literature/the-strange-adventures-of-a-private-secretary-in-new-york/


で、「社長はその間に〜」「むかしはシカゴで〜」のくだり、原文はそれぞれこうです。

Mr. Sidebotham had meanwhile found the paper he was looking for. He held it in front of him and tapped it once or twice with the back of his right hand as if it were a stage letter and himself the villain of the melodrama.

It was a bleak country that Joel Garvey, Esq., formerly of Chicago, had chosen for his residence and on this particular afternoon it presented a more than usually dismal appearance. An expanse of flat fields covered with dirty snow stretched away on all sides till the sky dropped down to meet them. Only occasional farm buildings broke the monotony, and the road wound along muddy lanes and beneath dripping trees swathed in the cold raw fog that swept in like a pall of the dead from the sea.

そして、この訳文は、他の作品以上に、その内容を大きく活かすものになっているのがなんともスゴイ。
何故かといえば、この話の謎解きというかネタの割れ方というか、その抜けぬけとした馬鹿馬鹿しさというのはそれこそ、一部の歌舞伎狂言------例えば歌舞伎十八番の『毛抜』------と同じくらい強烈な代物なので(勿論、表現の種類としては、およそかけ離れたものではあるのですが)。


そして、この訳文はなにより溢れんばかりの訳者の心踊りが伝わってくるのが何よりの魅力で。これはもう、「この俺の訳を読め!俺の他にこの作品を扱えるヤツはいない!」くらいの問答無用の勢いを感じてしまいます。
人によっては眉をひそめそうな大胆過ぎるほどに大胆な翻訳ですが、強く惹かれてしまわずにはいられない。スゴイ人だったのですね、ホント。

ところで、かなり期間限定の脱線になるのですが----

地下室の3夜連続トークショーその③
江戸川乱歩全集』&『日本怪奇小説傑作集』
完結記念トークショー−日本の幻想と怪奇を尋ねて−
(二部構成)
6月6日(火)19:00〜 東京古書会館地下
定員80名 入場料1,000円
(17:30より会場にて販売開始。当日券のみ。)
第一部
江戸川乱歩全集』(光文社文庫)完結記念トーク
ゲスト 新保博久 本多正一
これまでの刊本を一新し、新たな定本を目指した新版『江戸川乱歩全集』が完結。編纂校訂の苦労、そして新発見の数々。山前譲さんとともに監修にあたった、乱歩研究、ミステリー評論の第一人者・新保博久さんが語る乱歩文学の新地平!
第二部
『日本怪奇小説傑作集』(創元推理文庫)完結記念トーク
ゲスト 紀田順一郎 東雅夫
近現代の日本作家が生み出した怪奇小説の中から、名作中の名作50編を全3巻に集成した『日本怪奇小説傑作集』。大反響をもって迎えられた画期的なアンソロジーの共編者である紀田順一郎東雅夫両氏が語る、編集秘話と戦後幻想文学出版史!
http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/2006/04/post_ec80.html 

……勘弁してください。
平日の17:30になかなか時間なんて空けられません。
むしろ、知らなきゃ良かったな、と……