ポセイドン〜是非とも、IMAXで観よう。そうすれば、オープニングの迫力で全てを許せてしまう。

是非とも、IMAXで観よう!!

映画館で------それも、強く強く品川プリンスホテル付属のIMAXシアターで観る事をお勧めしたい作品。
DVDは勿論、他の映画館で観てもあまり意味がないかと……。
IMAXで観ればもう、理屈も説明も要らない。最初の3分弱のカットで映画全体の評価が◎に。


一応、名作『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイクなのだけれど、事実上、全くの別作品なので余り較べても仕方がない。ド派手な映像を楽しめばそれでOK。


ここで、映像に投じられた努力や技術に付いては、パンフレットの解説が詳しいので省略。
なお、パンフレットに載っている新田隆男という人(肩書を「ライター」としていたけど、脚本家でもある人?)の解説は、いい感じの総論になっていて嬉しい。この映画を観た後に「なんだかよく分からん部分があったんだけど……」という人は、とりあえずそれを読めば大抵解決するだろうと思う。


で、これだけで終わらせてしまうと寂しいので、(その解説の補足のような形で)この映画を形作る《理屈》についても少し。最初に書いたとおり、言ってしまえば《要らない》話ではあるんだけれど。

描かれているのは人物でも、そして群像でもなく、《状況》。

まず、中心に据えられているのは特定の人物ではなく、そして、群像でもなく、世界がある時に文字通りひっくり返ってしまった《状況》。
だからこそのこの短い上映時間(98分)。事件をリアルタイムで体感させるような感覚を誘おうとしている。回想シーンの不在という演出もその一環だと思える。


ここで、"世界がある時に文字通りひっくり返ってしまった《状況》"ということからは、勿論《9.11》が連想されるが、それはそれ以上特に言うまでもないことだと思えるので、ここでは割愛する(……しかし、《元NY市長でかつての消防士》なんて露骨過ぎる設定はある意味スゴイよなぁ。あと、他のヤツも「元潜水艦乗り」とかいう都合の良すぎる設定は一体なんなんだ)。


また、個々の人物像が十分に描かれきらず、その輪郭をなかなか掴み難いように見えるのも、狙いの内といえばそういえるかもしれない。
パニック状況の中でも、これは《脱出のために、能動的に途切れなく状況に向かっていく》というシチュエーション。なので、描かれる人物達は、お互いのことをよく分からないまま、状況に導かれて協力をしていくことになる。その感覚を、観客にも共有させようということだろう。
ただ、余りにもそれを急ぎ足でやってしまうので(本当に、あれよあれよという間に事故の場面にまで突入しちゃったからなぁ)、「これって随分伝わりにくいんじゃないの?」と思えた箇所もちらほらと。


例えば、序盤の大きな見せ場の一つ、パニック映画の定石の一つに真っ向から反する結末を付けて見せた場面。
生き延びるために(以降、重度のネタバレ部分は白文字で記述)極限状況の中、他者を文字通り踏みにじったのは、事故の直前に自殺しようとしていた初老の同性愛者・ネルソン(リチャード・ドレイフェス)だった。
そして、死の落下を遂げたウェイターは、密航者の手引きをしたり、「年収の二倍」という報酬に釣られて船長の指示に反する客に従ったりと、ある意味大変困った職業人だったわけだけれど、買収されて以降は「乗客が最優先」という職業倫理に理想的に従っていた。で、その結果、ああいった結末を迎えてしまったわけで。可哀想といえば実に可哀想ではある。
また、その《極限状況》と、終盤のもう一つの《極限状況》を巡るやりとりとその結末の対比というのもある。


以上の話は、元設計技師の事情や、《あの道案内のウェイターがエレナ(ミア・マエストロ)の密航を手引きをしたのと同じ人間だ》といったことがきちんと観客の印象に残っていないとあまり効果がない。でも、この映画の見せ方だと、《後で思い返してみれば「そういやそうだったな」となる》といった程度にしかなっていなかったと思う。
……というか、正直言ってしばらくの間、それ以前の問題としてミア・マエストロの密航者とジャシンダ・バレット演じるシングル・マザーがゴッチャになって、どちらがどちらやらよく分からなかったりしたのだけど、これは観ていた私の方が酷すぎただけかも知れない。

あと、エレナが閉所恐怖症だってこと、どこかで説明されてたっけ……。なんとなく「そうなんだろうなぁ」と思って観ていたけど、そうでなければ換気口の場面、「何をグダグダやってんだ、一体」と思われても仕方がないのでは。どこかで一言、説明入れても良かったんじゃないかなぁ。


ちなみに、人間ドラマとしては、一時、全ての希望が失われたように思われたとき、カート・ラッセル演じる元NY市長が一向を牽引してきたギャンブラー(ジョシュ・ルーカス)に言う、
人間の寿命なんて不公平なもんだ。誰が死に誰が生きるかなんてわからない。ただ、君は皆に希望を与えた。
という台詞がその核心になるんだろう。
だからどうだ、というほどのものではないけれど。

《グランド・ホテル形式》という映画の一つの《型》に関連して

また、一応、グランド・ホテル形式のドラマということで、舞台となった船がある種の擬人化(節目節目でで徐々に《死》を迎える巨大船の姿が描かれる)されていたり、ラストにはド派手なカタルシスに満ちた爆発があったりと、その《作法》がきっちりと守られている。
……脱線になるが、この作法が三谷幸喜有頂天ホテル』では無視されていた。これが《意識しての映画ならではの一つの《型》への反発》なのか、よく言われるように《所詮は映画のことが分からないテレビ屋だから》なのかは、よく分からない。


ちなみに、グランド・ホテル形式では、例えば『有頂天ホテル』での《しばらく数人を一部屋に閉じ込めてしまう》といったような、交錯する人間関係をうまく処理するための「そこ、ちょっとズルイよね」という工夫(?)が付物。この映画では、例の終盤の《極限状況》の間、《ネルソンが負傷して気絶している》というのがソレに当たりそう。
《全人物を動かしながら複雑なストーリーを進めていく》なんてことは、特に終盤になるとメチャクチャ難しいわけで、仕方がないところといえば、仕方がないところかと思う。