歌舞伎座七月大歌舞伎(昼の部)『夜叉ヶ池』『海神別荘』



「夜叉ヶ池」は、「春猿演じる百合・白雪姫二役は予想以上に綺麗だったなぁ」という他は、段治郎の萩原晃がなぜか第一声(「水は、美しい。……いつ見ても、美しいな」)から感覚的にひどく反りが合わなかったことや、その後の「海神別荘」のインパクトの強烈さから、殆ど印象が記憶に残っていない。


《反りが合わない》というのは、つまるところ《俺様オーラ》不足。
この泉鏡花特集の主役陣は《この世の"美しいもの"》の代表というオソロシイ役回りなので、それを押し通すには徹底的に《私こそ美の化身でございます》と問答無用の勢いで押し切ってもらう必要があると思う。
そこまでの厚かましさというか、《俺様オーラ》------例えば、藤原竜也野村萬斎にあるような-------が立ち姿よりもなお一層《声》に無かったんじゃないかな、と。


段治郎という人、一昨年のこの月に玉三郎に抜擢されて相手役を務めた、鶴屋南北・作『桜姫東文章』は文句なく、というより驚くくらいに好印象だったんだけどなぁ……。
その後何度か観る度、舞台での立ち姿や(場内販売の)写真などでみる"画"としてのかたちでは立派なのに、あまり動いている姿がその時ほどいいと思えないのは、好みの問題なのかな。


ちなみに、「夜叉ヶ池」での演技は、ネット上の歌舞伎評として最も有名な渡辺保先生(その著書『歌舞伎 過剰なる記号の森』『芝居の食卓』などはもう、たまらなく刺激的かつ説得力があって、特に『芝居の食卓』の前半などは、思わず本に向かってひれ伏したくなってしまう)の評では、高評価。
http://homepage1.nifty.com/tamotu/review/2006.7-2.htm
しかし、「リアルな芝居がいい」と言われても……この劇で「リアル」???



で、それはさておき、『海神別荘』。
先に書いたとおり、《泉鏡花の世界》というより、《天野喜孝の世界・実写版》。
その中で、《俺様オーラ》ではほぼ間違いなく日本一の男・海老蔵がやりたい放題。確かに、この役にこれ以上似合う人もいないだろう。
この劇の《公子》という役の性格は、《人の話は一応かたちだけ聞くだけは聞きますが、つまるところ、俺様が正しいと思うことが清く正しく美しいのです》というステキ極まるもの。それで、かつ、非人間的なまでの気品と存在感が求められる役どころ。


……そりゃあもう、実に気持ちよさそうに、役柄になり切って演じていたように見えましたとも。決め台詞は「違いますかぁぁ?そうでしょうぅぅ?」(本当に語尾が妙な延び方をする)。生の舞台でなく、映像としてテレビで観たりすれば、さぞかし馬鹿らしく感じられることだろう。
それが目の前でやられると、《威厳と気品と愛嬌が入り混じった凛々しい貴公子》として、わけのわからん、《問答無用》というよりむしろ《理不尽》といいたくなるような説得力があるんだから、つくづく不思議な人だ。ちなみに、《威厳と気品》はともかく、原作の公子には別に《愛嬌》なるものの持ち合わせはあまり豊かではないと思うのだけれど、この人が演るとそれが無視できない大きさになる。不思議なだけでなく、どうにもヘンな人だ。


玉三郎玉三郎ネバーエンディング・ストーリーのファルコンもどきに乗り、紅珊瑚の椅子に腰掛け、碇の十字架に磔にされ……どんな時にもそれはそれは美しいわけで。
なんだかこの人、衣装が豪華であればあるほど姿が映えるという特性を持っていると思う。「助六」の揚巻、「籠釣瓶」の八橋、「二人道成寺」の花子……。
ただ、この戯曲の「美女」(すごい役名だなぁ)というのは、はっきりいって、外見以外に一体どこが《美しい》のか、原作を読んでも劇を観てもさっぱりわからないという役。玉三郎だろうが誰だろうが、《美しい》という以上の感想は特に持ちようが無いのでは。ただ、それで十分ではあると思う。


1階中ほど中央での観劇。
……今月、チケット高いよ。昼の部はこの席で泣く泣く定価だし、なんとか30日のチケットを手に入れた夜の部にいたっては……(号泣)出遅れ過ぎた。。。
まぁ、いいや。演目がイマイチに見える来月はたぶん、よっぽど条件のいい券が出ない限り行かないから。八月はその分、落語会でいいのが多いし。