Googleのブック検索が改めて凄い件について。

さて、Googleトップページがリニューアルです。


それで、強調されている機能の一つ、「ブック検索」を改めて使ってみました。
http://books.google.co.jp/
……いやぁ、凄いですよねぇ、これ。
「ナニを今更」という感じではありますけど。
実態、これまでよく知りませんでしたので。



例えば、「空飛ぶ馬」とか書名で検索してみますと。
Subaru」とか「Ushio = - 259 ページ」とか出てきて、該当箇所がごく僅かに引用されて出てきたりするわけです。
海外からのデータということもあり、文字化けなども目立ち、なんだか無茶苦茶ではありますが。

「... でいくか本作の醍醐味は何よりそんな日常下で哲闘する彼女の健気な成長ぶりにある。「空飛ぶ馬口(別元推理文庫)など「名なしの女子学生 ...」
「たのが北村蕪「空飛ぶ馬ヒ(杢足創元社、一四四二円) 0 名無しの女子学生が知り合いの落語家とともに身の回りに起きた事件を解決していく ...」
で、検索結果を参照すると、どうやら「すばる」の「v.17 1995 Sep-Oct」に掲載されているとか、「潮」の「no.390-391 1991 Sep-Oct」にあるとか分かったりして。


うーん、これ、きちんと日本の大規模図書館も対応してくれれば、更に相当便利だ……。
学術関係の予算とか、こういうのに使って欲しいナァ。
ん?例によって村井純とかが旗振って、思いっきりもう動いているんだったっけ???
「図書館プロジェクト」にはいろんな抵抗や障害があるそうだけれど、この有用性はあまりにも圧倒的だと思うけどナァ。


別に《調査・研究》などといった物々しい言葉を持ち出さずとも。
《好きなものについてとにかくもう、いろいろなことを網羅的に知りたい》という時。
《よく整備されたデータベース》がその衝動に。その欲望に。その好奇心に対して、どれだけ役に立つものであるか。どれだけありがたいものであるか。


……どんなジャンルのどんなことが対象だって構いません。
《《何か》に対して一定以上の関心を持ったことがある人》なら、データベースの大切さをよくよく知っていることでしょう。
あえて言ってしまえば、もしその程度のことすら実感としてわかっていないのであれば。
概ねその人は、何についてでも《本当に好きだ》とか《本当に関心がある》なんて言えた立場ではないでしょう。


だってですよ。
例えば、本気で特定の作家や作品世界のファンになったりすれば。
……作ったことありませんか?いや、作るでしょう?なんらかのデータベースって。


作家の年表とか。
作品内世界の年表や地図とか。
用語集や名言集とか。


それでもって。
一度でもそうしたことに自ら手を染めてみれば。
よくいろんな作品にくっついている、作者・編集者あたりがつけた地図や年表や間取り図その他諸々が持つ意味とかも、ある程度わかったりするでしょう。
……といいますか、分かりますよね?


あと例えば、《ごく早い時期からの《自称活字中毒者》かつ《一人の作家の長年に渡る熱烈なファン》で《長期に渡って首都圏在住》でありながら。国会図書館にも大宅文庫にも都立中央図書館にも------いずれにも一度たりとも行ったことがない。そもそも、それらがどんな存在であるかすら知らない》とか。
……申し訳ないけれど、《それってちょっとどうかなァ》と思ってしまったり。
あ、なんだか今、物凄い広範囲の人に割合強く文句をつけてしまったような!!??んでも、申し訳ありませんが、本当にそう思います。仕方ありません。


モチロン、何にしたところで例外というのはありますけどね。
また、関心や熱意の持ち方というのも、人それぞれではありますし。



……それに、自分を振り返っても、データベースの件でも特に自慢できるような話もなく、他の面においてはひたすら情けない限りですし。
例えば、そんなにアシモフが《神》なら、邦訳をウン十冊読む(なんか手元に216冊のアシモフ著作リストのコピーとかあるわけですが。図書館で読んだ自伝の巻末にでもあったのかな???出典がメモされてない。アホが……)間に、『われはロボット』一冊でも、リストにある未訳作品のうち、特に面白そうなのでもいいから、原書で通して読めばいいのにとか。
あるいは、もっと進んで一冊くらい私的に訳してみりゃあいいのにとか。


これまた常識的に考えて、本当に活字中毒だとか本当に〜マニアだとかいうならば。
国内のみならず、海外作品の原書なり翻訳なりに手を染めていきますやね。
まぁ、昔の作家な皆さんについて書かれたものをみると。ほぼ揃いも揃って学生時代に翻訳やりまくってますよね。
今でも、村上春樹とか丸谷才一とか、そういうの大得意な大作家は非常に多いですし。


まぁ、特に明治・大正の作家たちが生きた時期には、《海外の先端文化を取り入れることこそ、国家的使命!文化的使命!》といったところや、《そもそも自分たちが翻訳でもしないと邦訳なんて殆どないぞ!》という状況があったことを加味するにせよ。
あの連中、《三ヶ国語くらい読み書きできないヤツは人間じゃない》とか内心で思っていてもまったく不思議じゃなさそうですからね。。。
漱石にせよ芥川にせよ、帝大の英語教授だの海軍の英語教官だのやってたりもしたわけですし。


まぁ、そんな化け物どもの話はさておき。
問題はごく一般のファンのレベルとしても。
自分で自分に対して言うのもなんですが、私的翻訳一冊程度のことすらしていないのは、あんまりにも怠惰なのではないかと。
《語学苦手!》とか言ってる場合じゃねーぞ、と。それ、《働いたら負けだと思ってる》と同じくらい情け無い話とちゃうんかい、と。


例えば、北村薫先生などは《語学が苦手》と公称されていますが。
その《苦手》ってどのレベルで苦手なのでしょうねぇ。。。
ポール・オースター柴田元幸のようには決して訳せない》とか、《『フィネガンズ・ウェイク』は私には翻訳不可能》とか、そういうレベルの《苦手》だという印象がするのですけどねぇ。。。


まぁ、そういうわけで。
私はおよそ、《活字中毒》であるとも、《○○ジャンルの本格的なマニア》だとも自称できない立場だと思ってきています。



まぁ、なんにせよ。
早くブック検索、国内所蔵資料についてもカンタン便利に使えるようになって欲しいナァ。