『WHITE ALBUM2』ネタバレ有り感想その3〜雪菜・春希・かずさを結ぶ三つの基本的な構図

WHITE ALBUM2』についてのネタばれ感想、その3です。


※※※以下、『WHITE ALBUM2』のネタバレがあります。
※※※未プレイの方はできれば閲覧を避けてください。















































WHITE ALBUM2』における基本的な構図として、次の三つがあるように思います。


○「雪菜>かずさ>春希>雪菜」という「相手を壊す」関係。
○「春希⇒雪菜⇔かずさ」という「もし、こうあれたら」と憧れる関係
○「かずさ⇔春希⇔雪菜」の「相手を求める」恋愛関係

このゲームについてあっちこっち考え続けるうち、「もしこの三つの構図の捉え方が間違っていなければ、他の話に踏みこんでも大筋は間違えずに済むのではないか」と思うようになり、とりあえずまとめてみました。


まぁ、薄っすい論証や根拠提示先延ばし等もろもろ満載な、飛躍と偏った決めつけに満ちた殴り書きなんですが。
特に春希の家族関連のトラウマの影響に関しては急いである程度説明追加しないとなぁ、とも思うわけですが。


ともあれ、以下本文です。


○「雪菜>かずさ>春希>雪菜」という「相手を壊す」関係。



雪菜はかずさに勝つ。かずさは春希に勝つ。春希は雪菜に勝つ。



「雪菜>かずさ>春希>雪菜」の循環。


かずさ>雪菜でなく、雪菜>かずさがポイントかもしれません。


「勝つ」の意味=相手を壊すことが出来る、です。


雪菜にはかずさが臆病に世界を拒む壁を壊し、その世界を広げる力があり、
かずさには他人のために他人の問題を解決してばかりの春希に、愛する相手をエゴイスティックに求めさせるように壊す力が、
春希にはみんなの幸せを求めてやまない良い子の雪菜を壊し、人を傷つけてでも愛する相手の一番であることを求めるように壊す力がそれぞれあるのだと思います。


・雪菜>かずさ


introductory chapter(以下、IC)で一度はかなりこじ開け、そして雪菜TRUE ENDで見事に達成。
愛して、認めて、挑発して、叱ることで踏みこんで、かずさをその籠っている世界の外へと連れ出せる唯一の人物です。
codaでどうやってかずさの殻を破ったかを先日の日記で詳しく紹介してもみました。

WHITE ALBUM2』ネタバレ有り感想その2〜雪菜とかずさの八日間
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20120921


・かずさ>春希


これはもうIC開始時点で既に調教が進んでいたというか、出会った瞬間から成功を始めていた無双っぷり。
他人の問題に対してとことん他人のために見返りを求めないお節介ばかり焼いていた春希は、ただ一人、一目惚れしたかずさに対してだけは無視でも罵倒でもいい、ともかく自分を見てもらいたいというエゴのために動いていたわけですから。


おまけにIC終盤で春希の抱える家族問題のトラウマをとことん蹂躙して壊しに壊すえらい傷跡を残していっています。
その事情については近々IC/雪菜誕生日パーティの裏切り前後の解説を通じて説明できると思っています(それならいいから早くやれよ、という話ですが)。


簡単に前振りすると「すがった相手に置いて行かれる」という状況になると必ず壊れるのが春希という人物。
例えば、cc千晶シナリオ12月30日に目が覚めたら千晶が居なかった時の惑乱。
例えば、麻里シナリオで年末出張に《置いていかれた》と感じてからすれ違いや自暴自棄の休みなしの出社、そして帰国直後の麻里に見ぬかれマンションに連行されての暴行。
その異常さはあまりに他の場面での春希と比べて浮きに浮いているわけですが、まあ、あからさまに小学六年生時の親の離婚のトラウマですよね、と。
その春希があの場面では「愛する相手に置いていかれる」+「見捨てられた子ども同士だと思っていた相手に、一人だけ先に和解して置いていかれる」の合わせ技で二重に壊されて追いつめに追いつめられていたのだと思えますよ、他、諸々の話です。


ともあれ。
そこで深刻過ぎる後遺症を残したことでclosing chapter(以下、cc)以降がああいう展開になっているわけでもあり、ICでの裏切りの場面で何が起きてたかをしっかり押さえておかないと、その後の物語の受け止め方全てに問題が出てくると思いもします。


で、話を戻して。
五年後のいわゆるかずさルートにおいて、言うまでも無くいい感じにかずさは春希を壊し抜くわけですが。


ここで、春希の壊れ度数でいえば通称・かずさTRUE ENDよりも通称・かずさノーマルENDとされるルートの方が高いようにも思えます。
思い出の旅館で子供とおっぱいを巡って、母子関係のトラウマ全開の発言を繰り出しつつ逃避というか退行していたのがその極まった姿かと。

「お前、あたしのこと、
おかあさんと勘違いしてないか?
言っとくが、まだミルクは出ないぞ?」
「母親なんかであるわけないだろ…
かずさは、ただの、俺のかずさだ」
「春希…?」
「だいたいさ…
母親のおっぱいなんて想像したくもない。
そんなもの欲しがる奴なんかいるのか?」
「お前…」
「別に、人の価値観を否定するつもりはないけど、
なんか、ピンと来ないな」
「春希だって、子供の頃は
母親のおっぱい吸って育ったんだろ?」
「だと思うけど、
育つにつれて、そんな記憶
綺麗さっぱり消えていったな」
「………」
「わかんない。
勝手に消えたのか、無理やり消したのか…」
なんでだろ…
かずさは、俺の母親じゃないのに。
そんなこと、心の底から理解してるのに。
なんでこんな、
肉親に話すような、生っぽい話をしてるんだろ、俺…」


・春希>雪菜


やはりICで大分浸蝕を進めたのだということが「歌を忘れた偶像」で「小木曽さん家の良い子」でなくなった雪菜の姿として描かれているわけです。
みんな大好き・友近さんも「よくそれで学園のアイドルやってるな」とびっくりですよ(ちなみに友近さんへの春希の異常な入れ込みようについては、彼の苦労の理由が「母親の病気」であったこともとても大きく影響していると思います)。
でも、ただ一人、雪菜だけはかずさルートでも、雪菜ルートでも「壊れきらなかった」ことがとてもとても重要で。


あと、かずさルートの方が一見酷い目にあっているように見えますが、あれは雪菜自身が「壊れよう」と願って果たせないという話かとも思います。
下記引用参照。

「わたし、あなたに言ったよね?
日本を捨てるって、二人についていくって。
それが、できるって…」
「あれは…」
「でも、嘘だった、それ。
わたしは、小木曽家の子供であることをやめられない。
日本人でいることもやめられない」
(中略)
「わたし、最後の最後で、壊れきれなかった…
あなただけに、こだわりきれなかった…」
だって、そうじゃなければ、雪菜じゃない。
「こんなに悲しいのに、
こんなに心が引き裂かれてるのに…」
理性的にも、感覚的にも、
どっちにも振り切れてしまうことはない。
「でも、考えちゃったんだ…
お父さんもお母さんも孝宏も、心配してるだろうなって」
いつも両方持ってて、いつも揺れてて。
「依緒や武也くんや朋、探してるんだろうなって。
会社の人たち、連絡取れなくて困ってるんだろうなって」
必死で折り合いを付けて、自然とバランスを取って。
「そういうこと、考えちゃったんだ…」
俺の愛した小木曽雪菜は、そういう子なんだ。
「もう何もかもどうでもいいやって、
投げ出すことができなかったんだ…」
そういう女の子だったから、大好きだったんだ。
愛して、たんだ。
「なんなの、なんなんだろう、わたし…」
「駄目だった。
あなたに捨てられても、
世界と自分を切り離せなかった」
「…っ」
駄目なんかじゃない。
それこそが君で、そして正しい選択だ。
「だから、かずさに勝てなかった。
春希くんのために、平気で全てを捨てられる
かずさを超えられなかった」
(coda/かずさルート/公演での春希との別れの場面)


ひき比べて考えると、実は春希が壊れるのと同じ分だけ雪菜も壊れていきながら、≪春希を壊し切るとこまで耐え抜きつつ、しかし自分は最後の最後に逆転するまで絶対に壊れるわけにはいかない≫というえげつなさすぎるチキンレースを走り切った雪菜エンドの方が、よりとんでもないことに耐えているとも思えます。
それは雪菜エンド幕切れ寸前の春希の告白の解説を通じて書くことができるだろうと思っています(そういうことならそれも早くまとめ
ろ、という話なんですが……)。


といいますか、この「決して壊れ切らなかった小木曽雪菜というキャラクターの魅力」というのを伝えたいばかりに、ここ一週間ほどずっと頭を抱え続けているわけなんですが。
どうしたものでしょうね。



なお、興味深いことがひとつ。
それぞれ壊れる度合いが進むというのは各々の歪んだところが直されていくということになり、むしろ壊されることで普通になる関係です。
さすがに「この三人って、壊されることで初めて真人間になるよね」とまで言いきるのはどうかとも思えますが。



○「春希⇒雪菜⇔かずさ」という「もし、こうあれたら」と憧れる関係


雪菜はかずさに憧れ、かずさは雪菜に憧れ、春希も雪菜に憧れる。
「春希⇒雪菜⇔かずさ」という関係です。
それぞれ、「もし、そんな人間であれたら」という夢を抱いているのだと思えます。


春希がかずさを選んだ場合のルートでのそれぞれの述懐がいろいろとポイントになるかと思います。


・かずさが雪菜に向ける憧れ

「無意識にあたしのこといじめるくせに、いざってときに、どうしようもないくらい自分を殺してしまう」
「壊れるのも構わずにさ…っ」
「……」
「強くて、人のことなんでも見透かしてて、逃げ道を塞いで、常に先手を打って…」
「だからすごく苦手で、ちょっと嫌で、羨ましくて、憧れてて…」
「でもあいつ、最後の最後でどうしようもなく優しくて、見誤って、手を離して、足を止めて…」
「だからやっぱり憎めなくて、好きだった…」
(coda/かずさルート/かずさが雪菜に会い、自分の手を潰そうとして止められて帰って来ての夜)


かずさは弱くて臆病で、同時にどうしても自分を殺せません。
その上、かずさの持つ有り余る才能が支える力は引きつけるにしろ嫌わせるにせよ、大き過ぎてすぐに相手をどうにかなってしまわずにはいさせません。
二重の縛りで世界と関わり難い。
なので、閉じこもった自分にさえ踏みこんでこれた雪菜のように、世界と繋がって、相手も自分も幸せにできるような人間になれればと、羨ましくもあり憧れもするのか、と。
いや、ICは結局ものの見事にゲームの開始の開始のメッセージの通り「どうしてこうなってしまったんだろう」という状況になったのですけども。


・雪菜がかずさに向ける憧れ

雪菜の述懐はつい先ほど「壊れきれなかった」という話で引用したところ。
その切望はそこで雪菜自身が吐露した通りと思えますが、同時に、そういう雪菜だからこそ、ICで描かれた最初の出会いの時からいかにかずさのあまりにも子供な恋に全てを投じられる一途さがいかに可愛らしく、いじらしく、ちょっともどかしく、最悪の恋敵だと分かっていても好きにならずにいられなかったかも重要なことと思います。



・春希が雪菜に向ける憧れ


小木曽家が春希にとって理想の家庭であること(自分の母子関係は遠すぎ、曜子がかずさをひたすら甘やかす冬馬家の母子関係は近過ぎる)は作中幾度も繰り返して触れられることで。そんな家族に愛され、家族を愛するのが雪菜。
自分の願う幸せをはっきりとわかっていて、自分が幸せになることで相手も周りも幸せにすることが出来る女性です。
そして、先程の雪菜の述懐を聴きながら春希が独白するように「理性的にも、感覚的にも、どっちにも振り切れてしまうことはない」バランスの取れた人間。


一方、春希は幼いころから家族関係(小学六年生時の親の離婚とそれからずっと続く母親との相互不干渉)をトラウマにし続けていて。
自分の心の奥底に動かし難くあるかずさへの思いに気づきつつ、千晶・小春・麻里との繋がりからなにから支えになるべき諸々を必死に揃え立ててそれを消せると思い込み(「すごく真面目に考えて、思い悩んで、正しい結論に辿り着いた上で、自信満々に逆の選択をしているだけだよ」)、それによって自分も相手も結果的にどうしようもない窮地に追い込まずにはいられなかった男です。
そして、雪菜ルートで曜子が「勇気がありすぎる」「どうにもならないことをどうにもならないって嘆く弱さが必要なのかもしれない」と見抜いた通り、春希は理性的にも感覚的にもどちらにも振り切れてしまえる、使うべきブレーキを自分で取っ払ってしまえる危うい人間。
その癖、普通でありたい、そして「正しく」ありたいという志向も人一倍強烈なのが北原春希と言う人物であり、だからこそ雪菜が体現する「正しさ」に憧れるのだろうと思えます。



○「かずさ⇔春希⇔雪菜」の「相手を求める」恋愛関係


かずさと雪菜は勿論、ふたりとも春希を愛しています。


ただ、「冬馬かずさが愛する北原春希」と「小木曽雪菜が愛する北原春希」はそもそもの最初から、春希の二人に対する最初の接触時点から一貫して全く違うのが面白いところです。



・かずさの愛する春希


冬馬かずさが愛するのは、ひたすら自分を愛して、そのために似合わないことでもなんでもやってしまう北原春希。
みんなの委員長な優等生が、弾けもしないギターを高校三年にもなって始め、堅物なのに一途な恋の歌詞を散々苦しみながらでも書き上げ、一日だけでもギターを教えられて「1日10時間練習が必要」といわれただけで成績も試験も最低限の点数だけで満足して1日10時間練習してしまってそうでなければできない上達をした(それでもへたくそな)音色を聞かせ、学園祭に向けて例年通りに周りから頼られても断りに断って好きな女の子と一緒のバンド活動に熱中する……ただ、好きな女の子に振り向いてもらうために、とのエゴ丸出しで、自分に向かって来た北原春希。
三年の始業式から数日後、かずさの登校初日から何度罵られようが拒絶されようが執拗にアプローチを続けてきた春希。
出会いの時から彼女にとってだけは彼はそんな存在で、冬馬かずさが愛するのはそんな北原春希。



・雪菜の愛する春希


一方、小木曽雪菜が愛する北原春希の姿はだいぶ複雑。
「学園のアイドル」に祭り上げられてしまっていた自分を特別扱いもせず、でも、初めて雪菜の側の事情を思いやって配慮してくれて、隠していた素の顔も見つけていた、誰にでも親切な永遠の委員長。
でも、それが嬉しくて近づいてみた彼はとてもとても不器用に臆病に、一人の女の子だけをひいきしていている男の子でもあった。
そして、「もしも、その彼がひいきする女の子が自分だったら」という夢を小木曽雪菜は愛してしまって。
そもそもの初めから、とてもとても面倒な惚れ方をしてしまっています。


で、その理想に貪欲に忠実で、決してあきらめないという強さとわがままさがどうにも雪菜という女性の凄まじいところで。


coda終盤で親である冬馬曜子ですら、どう考えてもこの状況では春希にとってかずさから手を引くのが「正しい選択」だろうと言うわけですが。
その「正しさ」に全力で背を向けているのは春希だけでなく、雪菜も、あるいは雪菜こそはそれを断じて認めません。


雪菜にとってかずさが大切な親友であることも勿論大きいのですが、それ以上に《そんなのはわたしの春希くんじゃない》からだというのが雪菜さんのハンパないところ。
自分が愛しているただ一人の相手にはそうあって欲しい、そうでなくてはいけない、だってそんな相手の一番であることが私の幸せだから……という強烈極まるエゴこそが最大の理由のようなんですね。


「他のすべてを捨ててでもわたしを愛して」というかずさのこの上なく単純ですが深いエゴと、「大切なものを見捨てたりなんかしない人がわたしの愛する人だから、捨てないあなたでいて。その上で、わたしを一番愛して、ひいきして。私を一番ひいきするというなら、私の愛を、私のエゴを叶えるためにこそ、私を本当に幸せにするためにこそ、大切な誰かを決して見捨てないあなたでいて」というおそろしく面倒くさく業深い雪菜のエゴ。
どちらがより厄介な代物なのかはなかなかに甲乙つけがたいところがあるかと思います。


・春希について


ともあれ。残るは春希からかずさ、雪菜へと向けられる愛なわけですが。
「北原春希が心の底で一番愛するのはどちらか」という問題は「冬馬かずさが愛する北原春希と小木曽雪菜が愛する北原春希、彼は本当にかくありたいと願うのはどちらの北原春希なのか」という問題とイコールだと思われるわけです。


で、どうも、理性的にはいつだって雪菜の願う自分、感性的にはいつだってかずさの願う自分となり、二つをぶつけると常に後者が勝つようで。


そもそも、原点に問題があるのだとも思います。
雪菜が好きになった春希は、かずさをひいきする春希だったというのが当然にまず一つ。
ただ、それに加え、「誰にでも平等に優しくて、けれどわたしには、ほんの少しひいきしてくれると最高」という雪菜の理想像も実態と違ったのでは。
「誰にでも平等に優しくて、けれどかずさをひたすらひいきして、本当はそのためならその他大勢は捨ててしまえる」のが当時の春希で。
《そもそも雪菜が理想として思い描いた春希は、最初からどこにもいなかったのではないかな》と思えたりします。


それでも雪菜が理想の北原春希を得るとするなら、北原春希の理性と憧れが選ぶ通りに雪菜が望む北原春希になれるとするなら、更にそれ以前にまで遡ってやり直しができた時だけ。
で、実際に唯一それを成し遂げたのが雪菜TRUE ENDなのだと思います。

9/28追記。


雪菜TRUE ENDでの「婚約者特権」を使ってのお願いについて。

「婚約者特権…
早速、使わせてもらってもいいかな?」
(中略)
俺は、まだわかっていなかった。


小木曽雪菜という女性の…本当の、強さを。
(中略)
「……………っ!
雪菜、お前最初から俺を騙すつもりで!?」
「うん、最初からだよ。
 あなたに申し込まれたら、絶対に騙そうって…」
(中略)
社会人になってからも、
年に一、二度しか会ったことのない…


相互不干渉が、もはや伝統芸能のように確立された、
俺の、母親に会いに行く…


俺のプロポーズを受け入れた時から。
幸せ一杯の表情で、俺に抱かれているはずの時から。


そんな、辛い将来を見据えた戦いを…
俺の一番の暗部と戦う決心をしていたって。
(中略)
「お願い、春希くん!」
「………」
「わたし、本当に、本当にワガママなの!
誰もが幸せでないと嫌なの!
誰もがわたしたちを祝福してくれないと、嫌なの…」
「雪菜、ぁ…」
「あなたのお母さんは生きてる…
病気でもない。居場所だってわかってる。
北原春希の母親って肩書きを捨ててないんだよ?」
「でも、でも…俺」
「かずさだって…できたんだよ?」
「っ…」


今まで、ずっと言わなかった。


俺が頑ななまでにこの話題を避けてたから、
空気を読んでくれてるって、思ってた。
「お願い、お願いだから…
まずは頑張ってみようよ…」


けれど、そうじゃなかった。


「一生懸命頑張って、それでも駄目なときは、
 わたし、春希くんの母親にもなってみせるから」
「〜〜〜っ!」


雪菜は、ずっと待ってたんだ。
自分が、この問題の当事者になるその日まで。
(中略)
かずさ…ごめんな。


俺、お前のこと本当に好きだった。
このコを好きになる前から、好きだったんだよ。


でも、ごめんな…


俺、本当にこのコを選んで良かったって、
心の底から、思えてしまったんだよ…


「なぁ、雪菜…」
「ん…?」
『もう、俺は俺一人のものじゃない…』
数時間前、雪菜に誓ったその言葉を…


今は、あの時とは比べものにならいないほど
重い意味で使う。


婚約のしるしの指輪なんて、もういらない。
そんな軽々しいもの、贈る意味がない。


だから…


「俺の命を捧げます。
…自由に使ってください」


あれはいわば《最初にされたことをやり返した》という話なのかもしれないな、と。
誰もが(あるいは無二の親友である武也をのぞいて)気づかなかった「本当の北原春希」を見つけ出して、誰も気を配らなかった春希の事情に最高の配慮をした上で、求め、踏み込み、救ってみせた。


北原春希を額面どおり「永遠の委員長」と受け止めてしまうことはきっと、小木曽雪菜を「学園のアイドル」、飯塚武也を「軽薄な女たらし」とだけ扱うのと同様のこと。
揃って大変に資質なり才能なりもあってこそ誰もが認めるそういう存在になった一方、それぞれに裏の事情があるのだと思えます。


春希の事情について過程を飛ばして結論を書くと。
他人の問題に対して見返りを求めず他人のためにお節介を焼いては問題を解決して周り、解決したら必ずお説教を繰り広げて離れていく問題探知式誘導ミサイルみたいな春希は、《そうすることで「小学六年生の自分」を救い続けようとしているもう一人の「泣きやまない子」》なんだろうな、と。

「でもさ…
ウチだって、数年前まではあんなだったぞ?」
(中略)
「中学に上がる頃には、
そうやって俺に関心を持つことはなくなったけど」
「子離れ?」
「…親父はリアルで離れてったけどな。
ま、養育費結構もらってるから文句はないけど」
「………」


自慢じゃないけれど…
特に冬馬に対しては、本当に自慢じゃないんだけれど。


ウチの父親の実家は、岡山の方に屋敷のある、
結構名の知れた企業の創業家一族だったりした。


そこの長男で、
次期経営者として期待されてたのが俺の親父で、
成績優秀のまま、いい高校を出て、いい大学を出て…


そんな順風満帆の人生においての唯一の失敗が、
俺の母親との結婚と、俺の誕生だったという話で。
…いや、実家的に。


その辺りに何があったかは、
まぁ母親の繰り言で色々知ってるけどどうでも良くて。


けれどその際、双方の、相手に対する
あまりにも思いやりのないやり取りの応酬に、
すっかり誰にも味方する気が失せてしまい。


かくしてここに、
岡山の名家からの援助でのうのうと暮らす北原家と、
お互い無関心となってしまった母子だけが残った。
(春希/IC/小木曽家初招待からの帰り道でのかずさとの会話)

本当に解決したい問題は一つで、どうしても説教をしたかったのはその時に「相手に対するあまりにも思いやりのないやり取りの応酬」をした人たち。
武也が「一人の女の身代わりに百人の生贄を必要とする」(ic/学園祭コンサート終了後、ライブ録画を受け取っての千晶の武也に対する評)のとおそらく構造として大変に似ている話(武也と依緒の問題の原点がろくに描写されないのが難しいところですが)。
だからこそ、かずさと春希の関係に自分と依緒とのそれを重ね合わせる以前の出会いから春希の親友であったのかとも思えます。


ともあれ。
その「泣いている子」を見つけ出し、求め、そうするべき時を耐えに耐えて待ちに待った上で踏み込んでいったことで。
かつて春希が雪菜の心を決定的に捕まえたように、雪菜は春希を今度こそとらえきったのかと思えます。


以上、「内容が次に書く予定の日記とかぶりまくるなぁ」と嘆きつつの追記でした。

9/28追記その2。


春希がどちらを選ぶかについて、もう一つレイヤーが上の物語の類型な話に入れ込んだ場合の話です。


物語の型というか方向性では普通は明確に一方は心中志向、もう一方は母性に包まれての克服と新生に向かうだろう流れと思えます。
でも、両方で逸脱した上、ユーザーにそれを自然に受け入れさせることにも成功している(と思える)ことが面白いし、凄みなのだと思えるわけです。


心中側は寸前で正気に立ち返るか、終わらずに逃げる。新生側は無条件な受け入れ・赦し・肯定なんて枠から最後の最後に逸脱する、ワガママな幸せを求める強さが打ち出されます。
あの流れでユーザーにも《心中》側を「そこで終わるべきだろう」と思わせない作り方、《新生》側のヒロインを母性だなんて単純に片付けさせないし、実際にそうではないキャラクター造形。
他作品との関係というか、既存の型との比較、位置づけの話をしようとなると、焦点はそこら辺になるのかな、と。
あと、父性の超克という要素がまるで入っていないことも、何やらいろいろと論じようがあるのでしょうね。


もう少し言葉を増やして書くと。
かずさ方面は《(トラウマというよりも)宿命を持った強い男がいて、運命の女(ファム・ファタル)に出会い、何もかも失って破滅する》という型。
雪菜方面は《運命に魅入られて破滅の道を歩むはずの男が、自らを暖かく包み込む大きな母性に包まれ、癒され、克服なり新生なりして世界との正しい関わりを取り戻す》という型。
一見、それこそ典型的な枠に入るように見えて、でも、たぶん違いますよね、と。


型通りの話なら、運命の女に出会ってその運命を突き進むなら破滅は徹底的なものになり、心中が終着点になるのが適切。
通称かずさノーマルEND方面は逃亡の果ての旅館だとか、雪の中に一人立つかずさの姿だとか、心中ものの風景そのまんまだったりします。でも、そこから帰還する。
通称かずさTRUE ENDの方でも「終わる」のではなく「逃げる」。逃げて、生き延びます。
そして、ユーザーにも「とことん終わっていた方が良かった」とはまず思わせないように描かれているし、描けていると思えます。
その意味と意義を検証するのはおそらくとても面白い。


雪菜の方では、雪菜というキャラクターが母性、もっというならいわゆる「グレートマザー」という型に収まる存在かどうかというのが問題で。
どうも、例の「婚約者特権」を持ち出す前、春希の告白とその受入れの時点だとえげつない程の母性ということで収まる話が、その後の大逆転で逸脱がなされているように思われます。
グレートマザーであれば受け入れ・赦し・肯定する一方で、そのエゴのままに束縛し、飲み込み……そうなるとやはり破滅するか、対決してその影響から逃れ出るかという話になる類型なところ、雪菜の場合はとことんエゴに取り込むことで取り込まれた相手がとても健全に世界と向き合えるようになるわけで。
雪菜のそのエゴのあり方、ユニークさは物語類型を論じる視点の上でも諸々面白そう。そんなことを思ったりします。


あまりに繋ぎの抜け落ちが多い上に偏った決めつけが多いので「なにいってんだ?」という話に当然なると思いますが、残念ながら、現状、これで手いっぱいな感じです。
早く最低限の穴を埋めていけるといいんですけどね……。


※以下、続き。
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