長谷敏司『円環少女』13巻再読。『BEATLESS』との相関についてもいろいろと。

○関連
長谷敏司円環少女』感想まとめ
http://togetter.com/li/394707
長谷敏司BEATLESS』読了直後の感想をややまとまりなく」
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121011


長谷敏司円環少女』13巻を再読。

円環少女 (13) 荒れ野の楽園 (角川スニーカー文庫)

円環少女 (13) 荒れ野の楽園 (角川スニーカー文庫)

読み返しはもう何度目かわからないのに、泣きたくなるくらい面白い。


まず、これだけ笑える小説もない。超シリアスな正念場なのに、いろいろ変態過ぎる。
この日記中でも、しばらくあとに幾つか抜粋。


それと『BEATLESS』で人とモノとが互いに「信頼」を問うた展開と、『円環少女』13巻の展開とがとても似ていることを再確認。
例えば「ハザード」と十崎京香が仕掛けた「人類史が続く限り残る反体制テロの種火」(p177)の相似。
やはり、問われているのは「信頼」。

BEATLESS

BEATLESS

「いいから要点を話せ。それと、再演大系が一番嫌がるのは、自分たちの存在を明かされることだよ。再演魔術は、あると明かされただけで、陰謀を疑われて恨まれるんだ。『自分たちが不幸なのは誰かの陰謀だ』なんて、千年後でも一万年後でも、誰でも簡単に飛びついて憎悪をぶつけられるネタだからな」
 つまり京香は、"未来"の魔導師たちがこの時代の再演操作をゆるめてでも火消しに回らざるを得ない、人類史が続く限り残る反体制テロの種火を撒いたのだ。治安機関の官僚がやることではない。河の上を吹き抜ける強風のせいだけでなく、仁の体が芯まで冷えた。
 京香は再演世界を疑わせる毒をまいた。だが、仁たちが暮らしてきた旧世界(≪地獄≫)も、住人自身がみずから工夫を積み重ねて築き上げた世界を信じられなくなったとき終わる。そのときは、本当の意味で、"未来"の魔導師たちが望む新しい神話の時代、再演世界がはじまる。
(p177)


どちらも世界全体の行方を住人全員が「何を信じるか」に託した賭けであり、信じることが出来た/出来なかった場合それぞれの帰結も正に相似形。


BEATLESS』ではシンギュラリティの先、人間より圧倒的に優れた計算力を持つ機械に完全に任せる救済を拒みつつ、人でない人のかたちをすら愛し、信頼し切る選択が。
円環少女』では魔法による救済を拒みつつ、魔法使いたちという人間は信じて共に歩む選択が描かれている。


BEATLESS』の選択が100年後の未来だからこそのものであるように。
円環少女』の選択は現代というか、近代人ならでは。十崎京香がいろいろと語る。たとえば、次のように。

「古代を引きずってる連中からは、私たち近代人が"異世界人"なのかもねー。法治国家の官僚が、法律に準拠してない、公平さも期待できない社会なんか愛せるはずがない……って言っても古代人にはわかんないか。ほんっと、自由のないシステムなんてムリなのよ。いい条件を見せようが、逃げ場がない完全なシステムを受け容れる人間なんて、この時代ではもう半分以下かもよー」
(p134) 

「タイミングが悪いってことよ。たとえば、お互い問題を抱えた幼なじみの男の子と女の子が付き合い出したとしてね。まー、でも意地を張って、自分のことはひとりで片付けようとした。で、一段落ついたら関係も終わっちゃった。頼りあって深い繋がりを作らずにひとりで乗り切ったら、相手にいてほしかった場所も埋めちゃってた。……それ、どっちが悪いってわけでもないし、強いて言えば、歯車が合わなかったのよ」(p134)

「一万年前に神聖騎士団が≪約束の地≫と呼んだ時の荒れ野はもうないのよ。人間は、世界が暗い迷路だってよく知って、社会も思想も文化も、その環境に血と汗を積み上げて適応してきちゃった。今さら迷路を照らして出口まで導いてもらったって信じられない。遅すぎたのよ」
(p135)


二番目はきずなとメイゼルだけでなく、十崎京香もまた、武原仁を巡る重要なヒロイン候補の一人だったことを示す発言。
仁と京香、幼なじみの恋の終わりと決裂が魔法使いたちから≪地獄≫と呼ばれる地に生きる人々と神聖騎士団との関係と重ねて語られている。


「仁はきずなとメイゼルのどちらを選ぶのか」は「再演世界という救いを選ぶ(救済の前に屈する)か否か」と重なる一方で。
それに並ぶ問題である「神聖騎士団が求め続けて来た(キリスト教的な)救いを選ぶか選ばないか」が、京香・仁との関係に被せられているのだという話。


そして、未来である『BEATLESS』で人間側のキーワードは「チョロい」というものだったけれど。
現代である『円環少女』でのキーワードは「無節操さ」(13巻p142)。
それと、金銭を介した合理的な選択(p163-166)=経済なのだと思う。

「一瞬の幻に過ぎなくても、命を奪い合った敵をすら信じられるなら、この世界はそれほど悪くないと、彼女には思える。そうした無節操さこそが、暗い迷路に灯すべき、実務家のための照明かもしれないからだ」
(p142)

「再演干渉から安全でいるには、魔法消去が不可欠だ。だが、仁が消去を発動すれば、バイクで狙撃を受けたときのように魔法の助けが得られなくなる。一見すると、これはどちらかを諦めるべき二者択一だ。だが、すこしだけ良心のしきいを低くして、彼以外の魔法消去者が乗る電車に相乗りすれば、仁は魔法消去と魔法を同時に利用して移動できるのだ。
 そして、彼にはそれを助ける、社会人の財力があった。
「せんせ?」
 困った子を見守る母のように寛容に、メイゼルが微笑んだ。
「あたし、せんせの、運命とか良心とかに頼らないゲンジツ主義って、キライじゃないわ」
「ありがとう」
 仁は、魔法消去能力を残していた人間を≪魔炎≫から見つけて、電車に同乗してもらったのだ。
 一万人にひとり以下の稀少な魔法消去者が、女子高生だったのはたまたまだ。赤の他人との交渉を手早くする手段が金銭だったことは合理的な選択だった。なのに空気が微妙に冷たい。
「せんせ、女の子におカネ、わたしなれてるのかしら。あたし、あんな大金、ゼッタイ知らない人から受け取ったりしないわ」
「慣れてるわけないだろ」
 女子高生たちと同年代のリュリュが、心臓からことばを絞るように吐き捨てる。
「これが、あなたがたの守りたいこの世界のルールですか。世間知らずというわけではありませんが、このような現実、見たくありませんでした------」
 無償の善意で寒川紀子が助かる奇蹟に比べて、仁のやり口はなまぐさい。ピンチを金で乗りこえてしまった仁に、月光仮面の真似はムリだ。
(中略)
「世界の危機とか、そういう感じなんだよ。奇蹟待つより財布開けるほうが合理的だろ!」
 実際、仁が守っている従来の世界とは、お金を払って取引できる世界だ。だが、泥臭い話だが、そこでは嫌ならお金を受け取らない自由もある。
 逆に、再演大系の新世界では、人間は"未来"からの判断で操られ、知らない間に誘導されてしまう。最悪の場合には報酬も意志ももらえず、肉体を支配されて死地へと引かれてゆく。
「どう言ってよいかわかりませんが、あなたには失望しました」
 リュリュは、まったく仁と目を合わせてもくれない」
(p163-165)


長々と引用したのは、この≪社会人の男性である主人公が通りすがりの女子高生にお金を握らせて自分たちをじっと見させる≫行為が物語の上でガチで超重要だから。
しかも、それに対して女子小学生と少女騎士からの罵倒・軽蔑つき。
なんという御褒美。長谷敏司せんせ、恐ろしい御人だ……。


経済力を使って「魔法消去と魔法を同時に利用して移動できる」ことを実現したやり方は、いわば今後の魔法使いたちと共に歩む社会での賢い生き方のモデルケース。


月光仮面の真似はムリ」も重要なくだり。
寒川淳がかつて夢見たヒーロー。
円環少女』6巻で寒川淳がその姿と言葉「憎むな!殺すな!ゆるしましょう!」を借り、かつての同志、国城田にぶつかっていったのが月光仮面
怨念をぶつける国城田でも月光仮面でもない、清いだけでなく汚れも併せ飲む現実主義が仁や京香が選んだ進むべき道だということ。


「奇蹟待つより財布開けるほうが合理的」は、つまり、奇蹟に頼らずとも「経済」で問題を解決していけることも多いということ。
お金の力は、赤の他人にだってこうして働きかけて望みを実現させてくれる。
むしろ、半端な奇蹟などより遥かに強い力を発揮することだって多い。
王子護たちワイズマン警備会社はだからこそ金に、経済に未来を賭けている。
また「実際、仁が守っている従来の世界とは」〜「死地へと引かれてゆく」は、はっきり再演世界を共産主義に見立てた上での資本主義との比較になっている(⇒再演世界と共産主義の関係についてはこちらのまとめ参照 http://togetter.com/li/394707 )


未来の話である『BEATLESS』では人間の超高度人工知性に対する脆弱性として語られる「経済」が、(並行世界の)現代の話である『円環少女』では潤滑剤として肯定的に語られている。
京香と王子護の共闘もその線上に乗る話ということになる。

「損得勘定は我らの共通の言葉。それはこの天と地の間で二番目に強い絆だ」
橙乃ままれ『まおゆう 魔王勇者』)

という話ともいえる。


で、『円環少女』でも『BEATLESS』でも、『まおゆう』にいう一番目に強い絆はやはり一番強い絆として描かれてる。
それって何?
「なんである、アイデアル」。


また『BEATLESS』で敗北を認めたヒギンズの最後の言葉が以下の引用であるところ……

「人間による自律を期待して一度停止して、条件を変えて仕切り直すという選択肢を、私は取ることができます。量によって愛が担保されるのであれば、知性体が多数いることには意義があり、一つの正答よりも多数の誤答が選ばれることは、充分な妥当性があります」
 それがレイシアたちを作った≪ヒギンズ≫が手に入れた答えだった。
(p642)

正直、『BEATLESS』はやや性急過ぎると思えるところもあり、このヒギンズの「答え」の意味は一読して多少わかりにくいと思う。
少なくとも、自分にはすっと腑に落ちる、というのは難しかった。


そこで『円環少女』で下されたよく似た信頼と選択について、やはり十崎京香にお出まし頂いてご説明を願うことにしたい。

「神聖騎士団の正義に、我々はずっと違和感を持っていました。あなたがたは、この世界の国家と深い関係を持ちながら、驚くほど住民たちと話が合わないことに気づきませんでしたか」
(中略)
「あなたがたが排除するものが多すぎるから、対話をしにくいのです。勝利者と、迷うものと、逃亡者は、すべて正しい。ときには、理屈よりも戦って打ち破るよりないことがあります。ときには、最後に戦うとしても、悩み考えねばならない問題もあります。偽善が必要になることもあります。ときには、人間的で臆病な逃げや、従うことも必要です」
 武原仁と、浅利ケイツと、≪鬼火≫東郷永光とは、おのおの別の局面で否定し得ない正当性を持っている。
(中略)
「どれも正しいからこそ、多数の人間と多数の正義を、システムは抱えていなければならない。強固で一つしかない正しさのモデルに従うシステムでは、我々の社会は、長期間は運営できないのですよ」
(p393-394)


この説明は、先に引用した『BEATLESS』の「≪ヒギンズ≫が手に入れた答え」を理解する上での良き補助線になると僕は思う。


以下、『円環少女』13巻から「信頼」に関わる描写をいろいろと抜粋。
あの話において、「信頼」はこんなにも焦点になっている。
13巻ある分『BEATLESS』より「信頼」について多方面からじっくり濃やかに描けている感はある。

彼の妹は、かつて最後までひとりで戦おうとして殉職した。今も聖騎士との間に信頼関係がないから、昨晩は仁に情報を流したのだ
(p72)

「安心しろ。交渉の場にでたら、顔を突き合わせたやつが勝つよ。隠れて他人を動かしすぎて、再演大系には信用がない」
(p73)

「"未来"の魔法使いたちは、アナスタシアの技倆を信用しなかったんだ」
(p101)

 舞花も狙撃手アナスタシアも、世界を信じなかった。そして、"未来"の再演魔導師たちのもたらす救い------≪人を救う神≫に飛びついた。
 仁は、残酷なこの荒れ野の世界をどこまでも信じられるかと振り返れば、偉そうなことは言えない。世界にはできることとできないことがあると、おとなである彼はわきまえている。
 この世界は荒れ野だ。けれど、メイゼルの信頼を前にすると、ここがもっとまばゆい場所に思えてくる。
(p127)

「結局、信じられるかどうかしかないわけだ。ほんっと、頭くるな」
(p132)

「再演世界の目的は信頼を勝ち取ることだから、嫌がらせにはなるとして、本当によかったのかね。武原君、これは事態の収拾まで考えれば一種の焦土戦術ではないだろうか」
(p176-177)

≪降臨≫の直前、引き金がすでに引かれていた全面核戦争の続きだった。アトランチスの出現を発端とする国家間の相互不信の爆発は、魔法が復活しても、解決などするはずもなかった。
(p170-171)

「結局は、再演操作なしで、魔法使いとこの世界の住民がやっていけると、信じるしかないんだよ。舞花は人間がいいほうに変わると信じていないから、"未来"の魔法使いに荷担した。"未来"のやつらも、自分の手から離れたら何もかもが悪くなると思ってる。俺は、やれると信じる」(p178-179)

「どうせ神サマなんて信じてないんだ。人間を信じられずに、何を信じるんだ」
(p179)

「俺自身が、この世界に希望を持っているんだ」
声にしてみると、赤ん坊のように泣いてしまいそうだった
「この世界に奇蹟はある」
 仁たちがいる≪縦穴(シャフト)≫のはるか頭上では、今も、それぞれの理由で集まってきた専任係官たちが戦っている。深い感慨が押し寄せて、息が出来なくなってあえいだ。
「俺は、この世界を、信じられる」
(p266-267)

「------わたし的に、いちばんナイと思ってたのは、お兄ちゃんがみんなを信じたことだったんだけどね」
(p284)

「けれど、この世界の住民を信じて、彼らが神意にかなう"救い"を求めるまで、この世界に神を返せとせまる者がいます」
(p386)

「わたしは再演大系を信じられません。未来が見えているというその者たちは、今日の世界よりも"よい世界"に住んでいるかもしれない。でも、この場の犠牲をただの踏み台としか見ていません」
(p259)
「人に執着してきました。……不信がわたしを人間にしたのです」
(p277)

円環少女』13巻。最初に読んだときから思っていたけど、少女騎士・リュリュがとにかくかわいい。無茶苦茶かわいい。
なんというか『魔法少女まどか☆マギカ』の美樹さやかに通じる魅力がある。
いろんな意味で。

「急いでいるときは電車でなくても、オートバイなり自動車なり、自由度の高い交通手段があるのではありませんか」
「信頼できるだろう。この世界は君みたいな魔法使いには不便だろうけど、だからこそ、努力していっぱい工夫を積み重ねてきた。電車はそうやって拡充を繰り返してきた輸送システムだから、信用できるし便利だよ」
 まるで外国人旅行者に祖国を紹介しているようだった。
「おじさんが若かったころはね、乗ったら終点まで連れてってくれるから、会社員になることを、社会のレールに乗るなんて言ったんだよ。それはリストラだ終身雇用の崩壊だで壊れて、会社の若い子は感覚が変わったけどね。でも、世の中が変わっても、この電車が次の駅につくことは、乗ってるみんな信じて疑ってない」
 リュリュはアメリカ暮らしの間、あまり電車を使わなかったから、その思い入れは理解できなかった。それでも、神に祈るべきときに電車の運行を支えにする彼のような魂に、"救い"ある新世界をそう信用してもらえるのかと思った。
「そうして信用を積み重ねてきたこの世界が、壊れないといいな。国城田さんが失敗したことを、"この国の歴史"を生きていない魔法使いが引き継ぐなんてピンと来ないよ」
 リュリュは、目の前の男から夏の核テロ犯の名前が出たことに驚いた。
「ミスタ・クニキダと言いましたか?」
「そういう古い友だちがいたんだ。魔法使いでもリュリュさんには関係ない話なんだから、完全に愚痴だね。参ったな」
「どんな人でしたか?」
「怒りだっていつか時代に取り残されるくらいの、当たり前のことが認められなかった。そういう、意志の強いひとだったよ」
 寒川が、郷愁と生々しい痛みに耐えかねたように胃のあたりを押さえた。
 少女は奥歯を噛みしめた。どんな怒りもいつか時代に求められなくなるというそのことばが、神聖騎士団の長すぎた戦いを批判しているようだったからだ。
「今の世界を信用していようが、標がないのでは正しい方向へは進めません。怒りが時代に合っていようが、神のない歴史がどこへたどり着けるのですか。標のない戦いなど、"救い"の道ではなく、永遠の荒れ野でしかないではありませんか」
 そのつぶやきは、考えごとをしている様子の男には聞き取られなかったようだった」
(p150-152)


非常に長々と引用したのは、それが必要だったから。
円環少女』の大詰めの「信頼」を巡る戦いの帰趨は、実は一般には存在を隠されていた魔法使いたちと、武原仁たちのように直接殺し合う戦士たち、十崎京香のように後方から戦いをあるいは指揮し、あるいは支えるする官僚たちの動向だけに懸っていたの「ではなく」。
あるいはそれ以上にこうした工夫を、そして「信頼」「信用」を積み重ねて来た寒川淳のような市井の人々の歴史の積み重ねにかかっていたから。
それが、『円環少女』(及び『BEATLESS』で)長谷敏司という作家の描く「変革を受け入れる社会」のあり方だから。


そして、謳いあげられるのは時の流れの無情さに流されつつも、こうして現実的なたくましさを以て、「今、ここ」で踏ん張ろうとする人々の「信頼」と「選択」だから。
逆に、選ばれないのは「いつか時代に取り残される」「いつか時代に求められなくなる」ことをどうしても許せず、何かを信頼することもどうしてもできない人々の「不信」と「救いへの逃避(=それ以後の新たな選択の拒否)」だから。