『007/スカイフォール』感想

『007/スカイフォール』感想

マイミクシィのけーすけさんの感想日記が大変面白かったので、
http://mixi.jp/home.pl#!/diary/718363/1883150334
品川プリンスシネマ・シアターZERO(画面が巨大)のレイトショーで『007/スカイフォール』観てきた。


良かったなぁ。


誇りを踏みにじられ信頼を裏切られ、身体も心もボロボロになったボンドが"007 reporting for duty"という言葉と共に戻ってくる。


そのジェイムス・ボンド、女王陛下の007が訪れた新時代の象徴のような若いQと落ちあうのはナショナルギャラリーの「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号」の画の前。
テメレール号はナポレオンの脅威から英国を守り切る節目となったトラファルガー海戦で活躍した艦。
そこにはネルソン提督の“England expects that every man will do his duty"の名文句の残響があり、もはやそれが過去のものであるという残酷な提示がある。


Qに渡される装備の貧弱さが、そのままボンドへの評価。軽視と不信。老兵に渡されるワルサーPPK/S、指紋認証付き。そして、無線。


生還したボンドは00ナンバーを背負う工作員の資質を再審査されるが、体力や技能、敵への隙になりうるトラウマ等を測られる一方で、dutyに応える意志などはおよそ判断の対象とされない。
そのような時代は既に過ぎさってしまったということを示している。


そして、実際に再び任務についたボンドの姿は惨めだ。
プレタイトルアクションにおけるイスタンブールグランバザールの屋根で繰り広げられるバイクチェイスの圧倒的な格好良さがあるからこそ、自らの影のような男の挑発・挑戦を前に守るべき女の命一つ救えない情けなさが際立って迫ってくる。


重装備に身を固め、ヘリも持ちだして攻め寄せる相手にブービートラップの数々と猟銃で立ち向かう羽目になる007の姿は切なく寂しい。
ただ、だからこそ少年時代を過ごした故郷、その冷たく深い水の中で再生/復活(resurrection)を果たしたボンド……その復活を鋭く告げるようなナイフの一撃が鮮やかに重い。
あの地下道は産道であり、氷の下の水は羊水。
ボンドはそこを通って再び生まれ直すことができた(再生)。またあの水底は死の世界でもあり、そこからの蘇り(復活)でもある。


ボンドの任務失敗で始まるこの映画、彼は最後にもやはり与えられ、そしてなにより自らに課した責務を果たすことが叶わない。しかし、それでも「M」は「ひとつだけ正しいことができた」という。
映画の最後「M」の部屋にはQと落ちあった時目の前にしていたものとは大きく異なる、船の画が掛っている。
そして、MI6がチャーチルが用意したという地下シェルターに本拠を移して戦ったことと、ボンドが渡された黒い箱に入っていたどことなく「M」(ジュディ・デンチ)の風貌も思わせるかつてそのデスクに置かれていたブルドッグの陶磁器とは当然リンクしているのだろう。
ジェイムズ・ボンド……007は不屈の男。


今回、「ボンドガールの影が薄い」云々という感想をみたりしたけど、どうなんだろう。
『007/スカイフォール』は史上もっとも威厳と貫禄を兼ね備えつつ、正義と悪徳と罪に塗れたボンドガールを巡る物語でもあり、その贖罪の物語でもあったと思うのだけど。
再生の前フリとしての「曳かれてゆく戦艦テメレール号」のような朽ちたボンドを示すための標識になってしまっているのは、偽というかダミーのボンドガールに過ぎない。


ハビエル・バルデムは名演だと思えた一方、『ノーカントリー』のおかっぱターミネーターの印象が強烈過ぎもして、観ている間(シルヴァとはおよそ違うキャラクターだから)頭の中で妙な感じにイメージが衝突したりもして困ったりもした。


あと、けーすけさんが感想で指摘していた「「メタルギアソリッド3」は007シリーズに多大なオマージュを捧げておりますが、本作は逆に、「メタルギアソリッド」の明らかなオマージュではないかというシーンがいろいろと出てきます」というのも面白いところ。


Qはなるほど、オタコンの逆輸入だ。
窮地に陥ったボンドが繰り出す格闘術はCQCっぽくもある(?)。
あと「端から落下するシーンや、ソローというライフ値ゼロのボスキャラをクリアするシーンに、この映画のアヴァンとOPが酷似していました」とのこと。なるほどー。