北村薫「花火」(『小説新潮』2015年1月号掲載)雑感

小説新潮 2015年 01月号 [雑誌]

小説新潮 2015年 01月号 [雑誌]


小説新潮』2015年1月号掲載、北村薫「花火」は「円紫さんと《私》」シリーズの《私》が久々に……本当に久々に語ってくれた、「朝霧」から十七年後の物語です。
彼女の誕生日でもあるクリスマスを間近に控えたこの時に読者に差し出された、あまりにも有難い贈り物と思えます。


一読、思うことは数多く。
しかし、勢いのままに書いてしまわなければ「こんなものはとても……」といつもの如くお蔵入りになってしまいそうでしたので、いろいろグダグダではありますが「えいや」と出してみることにしました。


以下、いわゆるネタバレも含みますので、読み終えた方、あるいは気にしない方に限って、お読み頂ければと。
当方と同じく北村薫ファンの方に、ご笑覧頂ければ幸いです。








まず、なぜこうして《私》のその後を描くにあたって、十七年後になったのか。
※十七年とは作中で明示はされていませんが、年数はこちらの情報からです。

小説新潮』新年号に北村薫先生の短編小説掲載!なんと17年後の《私》が!(Arumatik!な日々(JUGEM版))
http://arumatik.jugem.jp/?eid=1584

また、どうしてこの「花火」の締めくくりにおいて「私の耳はその時、十七歳に返る」のか。


後者についてはまずは勿論、「舞踏会」の明子が十七歳だからでしょう。
また、単純に「朝霧」の初出(『オール讀物』1997年11月号)から今回(『小説新潮』2015年1月号)の間が大体17年、というのもあるかと思います。


ただ、ここであともう一つ。この短編における《私》の年齢とも併せて見てみたいと思えます。


「走り来るもの」の時点で

「みさき書房は、私が入ってから二年、新人を採っていない」
(『朝霧』創元推理文庫版p107)

とあり、続く「朝霧」は《私》が誕生日を迎える十二月の話。
当時《私》は二十五歳になるところかと思えます。
その十七年後、「花火」における《私》は四十二歳ということになります。
四十二歳、十七歳。
『スキップ』の真理子さんを連想するなという方が無理なのではないだろうかと思えるわけです。


無論、あの《私》が中身の詰まりに詰まった一年一年を送ってこなかったわけがありません。
ただこの「花火」における

「近頃では《ついこの間》が十年前だったりする」
(「花火」『小説新潮』2015年1月号p52)

との述懐のように、《時》は(特に三十を超えたりすると十代、二十代に比べこれはもう読み手である自分の個人的な実感としても)あれよあれよという間に駆け去っていってもしまうもので。
また、作者が繰り返し語るように『スキップ』は特別な人に起きた特別なことではなく、誰しもの心によぎる普遍的なものを描いた物語です。
そのことを改めて思い出しながら、この「花火」という短編を読んでみるのも良いのではと思えます。


そして、《時》とその中での《人》といえば。

「人生の先を行く者のいう言葉、------花火を見つめる一瞬は、二度と帰って来ないことを知るものの言葉である。若い時に読むと、自分の耳が聞いたように心に残る」
(「花火」小説新潮2015年1月号p64)

過去作においては《私》は、時には(例えば「夜の蝉」で近所の幼い子供(トコちゃん)や中学高校の後輩二人組(『秋の花』の津田真理子・和泉利恵)に対してのように)自分の来た道を後から歩むように見える相手と接しつつも、基本的には円紫さんをはじめ、加茂先生、天城さん、「山眠る」での田崎先生など、「人生の先を行く者」から教え導かれたり、その姿に何事かを思う立場にいる人間でした。
それが、中学生の子どもを持ち、社会人としてもそれなりの立場になり、自らが「人生の先を行く者」として相手を見ることが増えたり、若い頃の未熟で一面的な感激やこだわりについて別の見方もできるようになっています。


例えば、かつて「走り来るもの」で語られた(『朝霧』創元推理文庫版p97-99)《損をすると分かっていても出すべき本がある》というかつて編集者生活三年目、二十四歳の《私》がひたすら感激した先輩からの教えを改めて見直すことになったエピソードについての、四十二歳の《私》による回想はそのことを見事に伝えています。


そして、ある意味、それ以上に「ああ……」と思えたのは、次のくだりです。

「感性の鋭い明子が、ピエール・ロチを知らないのも、全く不自然ではない。不自然と思うのは、本好き人間のひとりよがりだ。健康で優れた感覚を持った世間のお嬢さんのうち、文学書など手に取るのは、実はほんのひと握りなのだ。音楽を好きな人、美術を好きな人、スポーツを好きな人、運動を好きな人、科学を好きな人、数学を好きな人。世は様々だ。自分が本好きだと、そういう当たり前のことを忘れてしまう。その代わり、我々は、世間普通の娘の知ることを知らない」
(「花火」小説新潮2015年1月号p66)

これがあの、

「私は水を飲むように本を読む。水のない生は考えられないのだから仕方がない」
(『秋の花』創元推理文庫版p112)

という自分にとって本を読むことがあまりにも当たり前過ぎるが為に、つい"本をあまり読まない類の人間"のことはやや突き放して見てしまっている(いえ、もちろん「空飛ぶ馬」で≪かど屋≫の国雄さんに向けていたような好意的な見方も示されたりもしたわけですが)印象も強かった、あの《私》の言葉なんだな、と。
「ああ、《私》もだいぶ、年を重ねたのだな……」と個人的に感慨深いところでした。




そして、この《私》の物語といえば、作中で名前が出される多くの文芸作品たちにも触れない訳にはいきません。
以前『ミステリ十二か月』(中公文庫)文庫解説の中で書かせて頂いたことの再掲なのですが。
「個々の物語の謎とその解決と分かち難いものとして、描かれる風景や時の流れをもって、そして何より≪私≫が触れる数多くの本、落語、舞台、音楽、映画といった作品たちによって、≪私≫は"≪私≫とは何者であるか"という謎を語る。伏せられているのは、彼女の名前だけではない」と信じるからです。
また、この「花火」で芥川という作家の在り方を通じて描かれてもいるように、そんな≪私≫を通して作家は自らを描いてもいるのかとも思えます。


まず、イプセン『人形の家』が(p50-51)で。
更にアルベール・ティボーデ『小説の美学』が(p56-58)この「花火」で引かれていることについて。
思い出されずにいられなかったのは、以下の箇所でした。

「------スタートが同じでも、途中で二十五年も足踏みしていたら、その間、歩いていた人と同じところに着く筈がないんです。着けといわれても無理です。わたしは、あなた方の家族だった《わたし》じゃあない。お化けです。だから、わたしが本当に正直な人間だったら、荷物をまとめて出て行くべきなんでしょう------ノラみたいに。ただし、自立のためじゃあない。自分がここにいるべき人間じゃないからです」
北村薫『スキップ』より。新潮文庫版p144)

「「キミもね、一回本当に押さえつけられてごらん。人生変わるよ」
 どさくさ紛れに凄いことをいう。私は顔に血が上るのを感じ、その上気した顔を見られているという思いで更に耳までも熱くなってしまった。正ちゃんは私から離れると面白いものを見たようにいった。
「おや、この子でも赤くなるんだ」
 私は起き上がると、ベーをした。そして早口にいった。
「------世の中の人は、男のペダンティズムは許してくれる。老人の醜さを許すように。でも《女》にはそのどっちも許さない」
 江美ちゃんが、にこっとした。
「うまいわね」
 私は布団の上で、パジャマの両手を後ろについて続けた。雲の上に座っているようだった。
「------アルベール・ティボーデ」
 正ちゃんは、言葉の中身とは全く違う、むしろ愛情のこもった調子でいった。
「嫌な女だね。------キミって本当に嫌な女だね」
「正ちゃん」
 江美ちゃんが、にこっとした顔を変えずにさりげなくたしなめた。正ちゃんはふっと黙った。私は二人の様子をおかしいなと思った。それから目の縁が暖かいのに気が付いた」
北村薫「胡桃の中の鳥」より。『空飛ぶ馬』創元推理文庫版p180-181)


※なお、余談ですが。
上記「胡桃の中の鳥」のティボーデからの引用として示されている言葉も出典は『小説の美学』、今回の「花火」で参照された「小説の読者」という章からのものです。

「世間では男にはペダンティズムを大目に見てくれるものだ。ちょうど老人に醜を許してくれるのと同じである。ところで、女のひとにはこのどちらも許してはくれない。そこで女性の行う批評というものは、よほど悪い例はさておき、一般にはごく気儘な口頭批評、若干整理された談話、非常な繊細さをもって共感、反感が現わされているが推理の力は弱い感想、そういったもの以上の形はめったにとることがないのである。
 ただしかし、男でも女でもなく、男女合体の小説読者には批評家として特異な価値を認められる余地が考えられる」
(アルベール・ティボーデ/生島遼一訳『小説の美学』より。人文書院p36-37)

"その後"も続けて引用してみたのは、"≪私≫はこの続く文章をどのような思いで読んだのだろう?"といったことが大変興味深いということと、"このように出典にあたってみることで「円紫さんと≪私≫」シリーズはより一層、非常に面白くなるのでお勧めです"という……まあ、お節介です。


周知の通り、主だった北村作品は《私》をはじめ、いつも女性を主人公として描かれています。
その理由は過去にもインタビュー等で様々に語られていますが、ここでは、次の点に着目したいと思えます。
女性を語り手としたその上で、北村作品においては"女である"ということで偏ったり軽んじた評価をされることや、社会の中で様々な形で不便があったり望ましくない形で嵌めこまれ押し込まれたりすること、その生き難さや苛立ち、怒りといったものがしばしば描写されます。
『人形の家』などは特に、作品あるいは主人公(ノラ)の名前が出されることで、そういった要素を思わずにはいられない作品でしょう。
それらは言うならば"社会の側から自らの役割や在り方を(時に極めて不本意に)規定してくる話"ということでもあるかと思います。


ここで、それは北村作品における最も目立つテーマであるかと思える、「何者かになりたい」という「地団駄を踏みたいような思い」(「織部の霊」)、望むべき、あるべき高みに自らの手を届かせ、それを通じて自らを自らの手で規定したい、だが、しかし、という思いと表と裏の関係にもあるのかと思えます。


デビュー作であり《私》の物語の始まりである「織部の霊」。
覆面作家シリーズ第一巻『覆面作家は二人いる』を締めくくる「覆面作家のクリスマス」。
《時と人》三部作から、『ターン』。
『冬のオペラ』表題作。
ベッキーさんとわたし」シリーズの始まり『街の灯』表題作。


いずれも「何者かになりたい」という思いと。だが、しかし、自分にはそれに足る才能がない、あるいは無いのかもしれないという恐れ。あるいは自分はこの程度にしか過ぎないのだという逃れ難く迫る認識と焦り、足摺り、絶望といった、揃ってよく似た主題を扱っているとも見て取れます。


社会や時代が個人を時に押し流し、時に押し込み、逃れ難く規定してくる。
"それでも、なお"という意思と。
自らの手で自らの在り方を定めようと願っても、環境や条件よりそれより何より、自分の中にそれに足る力がない、あるいはないのではと恐れ疑う苦しみ。
その中でのやはり"それでも、なお"という意思と。
それら双方が合わさるところに作品とその登場人物たちは居るのかな、などとぼんやり思います。


ただ、特に前者においての抗う意思というのは、これは作者があまりに自分に重なるそのままのものとして描くとなると、諸々距離を定め難いところもあるのかとも思います。
そこで、あえて自らとは異なる女性を主人公・語り手とすることで、自分の中の真実をより能く描き得る、そういう話もあるのではと思えたりもします。


以上、およそうまく説明できているようには、自分でも思えませんが。
概ねこういうことを言いたかったということを北村作品から引用するなら、次のくだりがそれかもしれません。

「人は生まれるところを選ぶことは出来ない。どのような人間として生まれるかも選べない。気が付いた時には否応無しに存在する≪自分≫というものを育てるのは、ある時からは自分自身であろう。それは大きな、不安な仕事である」
(『秋の花』創元推理文庫版p221)

なお、上記引用はこう続きます。

「だからこそ、この世に、仮に一時でも、自分を背景ぐるみ全肯定してくれる人がいるかもしれない、という想像は、泉を見るような安らぎを与えてくれる。それは円紫さんから若い私への贈り物だろう」
(『秋の花』創元推理文庫版p221)


ここで「花火」で、『人形の家』を引き合いに出しながら語られていることに再び目を向けると、こうあるわけです。

「ノラが夫から≪雲雀かい?≫≪栗鼠かい?≫といわれる出だしの辺りを拾い読みする。人にはそれぞれ自己表現の形がある。私の場合、連れ合いからどうしても家に入れといわれたら、折れてしまった……ような気もする。しかし、連れ合いは仕事をしている私を……それを好きで楽しんでいる私を認めてくれる人だった。要するに、翼あってこその雲雀と思ってくれる人だった。それは何より幸せなことだろう」
(「花火」『小説新潮』2015年1月号p51)

つまり「花火」のこの箇所で描かれているのは、≪私≫が切実に願いつつ、想像の中ですら(いかにもこの人らしく)「仮に一時でも」と思えていたその相手と、人生においてこれまでもこれからも長く共に歩んでいく連れ合いとして結ばれたのだという、作者による最大級の祝福であり、≪私≫による、これでも(やはりこの人らしく)能う限り慎ましやかに表現している惚気であると思えるわけですね。
お相手はもちろん、「朝霧」の最後で語られていた彼なのでしょう。
なんとも、読んでいて嬉しくなる話です。
冒頭にも書きましたが、≪私≫の誕生日でもあるクリスマスを間近に控えた時期に相応しい、読者への素晴らしい贈り物とも思います。


さて、ここからはイプセン『人形の家』、アルベール・ティボーデ『小説の美学』以外の関連作品についてです。


「花火」の導入からその名前が挙げられる『新潮日本古典集成』。学生の頃の≪私≫が印刷のかすれが気になり交換に持ち込んだ本が何巻であるかは不明ですが、まずは『源氏物語』から始まる選集http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%A4%E5%85%B8%E9%9B%86%E6%88%90ということのようです。
その上で初めて来たときの思い出として以下のように語られてもいます。

「新潮社のロビーは、あの頃と変わらない。------少なくとも、部外者にはそう思える。入口の硝子を通して外からも、大理石の広い壁一面に、人々の胸に残されてきた言葉が刻まれているのが見える。
 初めて来たとき、本を待つ間、それらの文字を眺めた。ほとんどはちんぷんかんぷんだった。さすがに『奥の細道』の出だしは分かり、それから端の高いところに細い字で≪すゞむし≫とあるのを見つけ、
 ------あ、……『源氏』だ。
 と、なんだか嬉しくなった。位置がもう少し低かったら指先を伸ばし、千年の時を越えて遠い鈴虫に触れるように、壁の文字のくぼみをなぞってみたろう」
(「花火」『小説新潮』2015年1月号p49)


ここで『鈴虫』の帖となると、歌はまず、


「おほかたの秋をばうしと知りにしをふり棄てがたきすゞ虫のこえ」


となるわけです。
そして、この歌がここで提示される意味合いは…………と自信をもって語れたら良いのになあ、明らかに大きな意味を持って提示されているのだろうになあ、とは思うのですが……。
本当にすみません、ちょっと自分の手に余るようです……。
どなたか、解説頂けるととても有り難いです……。


四十二歳の≪私≫は人生の秋を迎えている?(ちょっと待て、失礼では)
(その失礼さと)後の方(p67)で「舞踏会」の明子についての「四十九歳を≪老婦人≫」呼わばりに「おお!」と抗議しているのには関係がある?
「新潮社のロビーは、あの頃と変わらない。------少なくとも、部外者にはそう思える」と「四十代に手がかかっても、私は三十代の私と変わってはいない(と思う)」と呼応していたりする??
一方で学生時代には四十を越えた自分など想像もつかなかったというのが「ほとんどはちんぷんかんぷん」と繋がっている???
……といったように適当なことを言おうとすれば言えますが、今のところそうした解釈を押し通す自信は僕にはありません。
ホント、すみません。
こと北村作品のことなので、こうして他の方向けに(一時)放り出すのは忸怩たる思いではあります……。



ともあれ。話を続けます。


p60で青森銘菓「生まれて墨ま煎餅」なるものが紹介され。
※ちなみに、こういうものだそうです。
http://www.hachinoheya.co.jp/kaknko57_html/kanko57.html

「≪「苦悩」は、意外と満腹感で薄まります。さぁ、バリバリ食べて、太宰治的悩みを美味しく解決しましょう≫と書かれている」

云々と書かれ、

「------などというのは、まあ野暮の骨頂だろう」

と片づけられています。
で、同じ九章で、三島由紀夫の話題が出るわけですね。
その上で更に後には、

「出勤前に、本棚から三島の『小説家の休暇』を抜き出す。「ワットオの≪シテエルへの船出≫が入っているからだ」
(「花火」『小説新潮』2015年1月号p73)

とあったりする。
ここで、この『小説家の休暇』は激しい太宰治批判でも知られていて、その中にはこんな文章もあったりします。

「太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治されるはずだった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」
三島由紀夫『小説家の休暇』

こうした評もまた、他のところで芥川の「手巾」への三島の絶賛と伊藤整の酷評を挙げ、

「≪短篇小説の極意≫と≪貧しげな智の遊戯を落ちに持っている小噺≫。北と南ではないか。こういうところに、評論を読む醍醐味がある」
(「花火」『小説新潮』2015年1月号p73)

とあるように興味深いものではあるわけですが。
有名ながらあまりといえばあまりでもあり、流れの上でもここに棘を置くのは避け、あえてそのものは持って来ずに「生まれて墨ま煎餅」を代わりに置いたのかな……などとも思えたりもします。
行き過ぎた邪推なのかもしれませんが、こういった手つきもまた、作者及び≪私≫らしさかと個人的に思えています。


そして、最後に。
この「花火」の締めくくりを読んだ後には、宜しければぜひ、併せて北村薫『六の宮の姫君』の終幕、文庫版なら最後の1ページを読んでみてください。
私はそうしたくなり、実際にそうしてみて……曰く言い難い、なんともしみじみとした思いに駆られたりもしました。


以上です。
なんともまとまりのない駄文で失礼しました。



あ、それとあと一つ。
今号にも掲載されていますが、『小説新潮』連載の『うた合わせ』は『詩歌の待ち伏せ』に連なる、北村作品の中でも一つの代表作となる/なっているものかと思います。
特に「三十 父」はあまりにも完璧な作かと思います。
なお、

「「小説新潮」連載の『うた合わせ』が秋には五十回になります。どこで終わり------という性質のものではないので、切りのいい数になったところで一冊にしたいと思います」
(『このミステリがすごい!2015年版』p62より。恒例の「私の隠し玉」コーナーでのコメント)

とのことです。
※以前、twitter上の連投↓で少し感想を出したりもしています。
https://twitter.com/sagara1/status/457378637868564481