WHITE ALBUM2ミニアフターストーリー、ネタバレ感想

メリークリスマス。
今年もホワイトアルバムの季節がやって来た。


2014年12月24日配送された待望の『WHITE ALBUM2ミニアフターストーリー』、文字通り昨日の今日だけれど、とりあえずの感想を公開。
ネタバレ全開なので未プレイの方は注意。


以下の『WHITE ALBUM2』本編(PS3版追加シナリオ「不倶戴天の君へ」も含む)ネタバレ感想の流れを受ける感じで書いてもいるので、宜しければどうぞ。

2012-11-19
WHITE ALBUM2』ネタばれ感想その5〜北原春希の言動・選択を家族問題のトラウマとその影響を重視して考えてみる(中編)
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121119/
2012-11-18
WHITE ALBUM2』ネタばれ感想その4〜北原春希の言動・選択を家族問題のトラウマとその影響を重視して考えてみる(前編)
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121118/p1
2012-09-27
WHITE ALBUM2』ネタバレ有り感想その3〜雪菜・春希・かずさを結ぶ三つの基本的な構図
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20120927/p1
2012-09-21
WHITE ALBUM2』ネタバレ有り感想その2〜雪菜とかずさの八日間
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20120921/p1
2012-09-20
WHITE ALBUM2』ネタバレ有り感想その1 〜「ゼロから once again」
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20120920/p1














重ねて注意。
以下の『WHITE ALBUM2ミニアフターストーリー』感想は、冒頭から内容に大きく触れていくので、未プレイの方には非推奨。






というわけで、繰り返し念は押したので。
のっけからガンガン書いていく。







ディスクの内容は「幸せへと戻る道」「幸せへと続く道」の二ルート。
以下、それぞれについての雑感。



□「幸せへと戻る道」


いわゆる「かずさTRUE END」から三年後の12月25日クリスマスに二人の帰国を美代子さんが空港で迎える場面から、12月31日に改めて二人が二人の始まりの場所で迎える幸せなリスタートまでの物語だった。


まず、冬馬曜子が娘のために三年間の間に行っていたことの告白、それを受けての母娘の交歓が素晴らしかった。
本編の頃から、個人的に実は一番好きなキャラクターは雪菜よりもかずさよりも、この冬馬曜子かとすら思う。


そして何よりもう、あの白いかずさの美しさ!!
それに至るまでの間でも十分に、そしてあのくだりで十二分だか二十分だか百分だか……とにもかくにも。
圧倒的な美しさ、いつまでも蠱惑的に引込む引力という面では、画から演出からなにから、冬馬かずさが北原春希にとって唯一無二なのだということは改めてひしひしと感じずにはいられない。


ただ、流れた時間とその間の母の愛は結婚式に彼ら二人の大切な友人たちを呼び寄せ得たのだけれども。
ことによると「あの頃」を再現し留めている冬馬邸のあの部屋に置かれたギターを春希が再び奏でることさえあるのかもしれないけども。


北原春希にはこちらの道ではやはり、決して取り戻し得ないものが残るのだろう
この機会ですらもダメだったのだから、これからあの冬馬邸が彼らの家か、いつでも帰ってこれる戻るべき場所(の一つ)となったとしても、それでも一つ、子供のころに失われ二度と戻らないものがあるのだろう。
作中時間12月31日、河川敷での会話と独白がそれを示してるのだろうと思う。

春希「だから、別に責めてなんかいないって」
かずさ「とてもそうは思えないんだよ、お前の態度は」
春希「それは……生まれつきだな」


そう、責めてなんかいない。
ただ、やっかんでるだけだ。


そして…


春希「なぁ、かずさ……
お前らは、いつまでも仲良く親子やってくれよ」


曜子さんには、これからもしぶとく生き残ってほしい。
かずさには、そんな彼女をずっと愛し続けて欲しい。


かずさ「なんだよそりゃ……訳わかんない」


春希「あはは……確かにな」


そして、まぁ、二人とも……
お互いに注ぐ家族の情の、ほんの数パーセントでいいから俺にも注いでくれたら嬉しいなって、思ってる。


それが、新しく家族に加わった俺の願いだ。


「お前ら「は」、いつまでも仲良く親子やってくれよ」
「曜子さんに「は」、これからもしぶとく生き残ってほしい」
「かずさに「は」、そんな彼女をずっと愛し続けて欲しい」


この三つの「は」は、「幸せに続く道」、作中時間で12月25日における友人たちの訪問の時。
春希が「叙述トリック」と評した武也の

「……どうせお前らも昨日はベッタベタしてたんだろう」

とも対照とされている感もあった。
春希「も」仲良く親子をやるということはこれからもずっとない、それは彼にとってもう有り得ない、望み得ないことなのだろう。


「お互いに注ぐ家族の情」
「ほんの数パーセント」
「俺にも」
「新しく家族に加わった」


言葉のひとつひとつが重い。
なんとも痛ましい話ではあるけれど、これはもう、仕方がないことなのだろう。


かずさは母と春希とピアノという彼女にとって掛け替えのないものを得て幸せだけれど、他はいろいろと、それはもういろいろと欠落したままで。
春希もそのぽっかりと空いた穴、それが痛くて痛くてたまらないからあの病的なお節介になっていった彼の「最大の暗部」はいつまでも残ったまま。


北原春希の目に映る冬馬かずさの唯一無二の悪魔的な美しさというのは、そういう面と切り離せないものでもあるのだろうと思う。
で、この彼にとっての悪魔さんは同時に彼の忠犬でもあり、骨の髄まで懐いていて、全ての手札を晒して身を寄せて来る。
そりゃあもう、たまらないだろう。
そんな相手とずっと生きていくなんてのは勿論、一つの最高の幸せの形だろうと思う。


あと「生き残ってほしい」、「愛し続けて欲しい」と「ほしい」と「欲しい」で表記が異なるのが意図的かどうかはわからないけど、春希の思いを示す文の中では、かずさに対してだけ「ほしい」が「欲しい」になるといった使い分けとかされていたら面白そうだな、とぼんやり思った。
面倒なので、思いついただけで確かめていない与太話だけれど。




□「幸せへと進む道」


いわゆる「雪菜TRUE END」、二人の結婚式から「一年ちょっとが経過した」12月21日に始まり、春希が自分の家族が新しい形を得ることを知る27日までの数日間の物語。


こちらはもう、欠けるものなき、完璧な家族の幸せで溢れていて。
あまりに過酷だった道程が雪菜に残していた陰と傷が今はもう癒えていることが示されていく。


二人の穏やかな愛と幸福の日々の中、春希の頑なさも硬さもそのままに包み込みその一員として取り込んでいく雪菜とその家族の遠慮のない、陰のない暖かさが描かれていく。
「幸せへと戻る道」では、例えばあの文化祭の日には「日本が世界に誇る天才というのをやっています」と雪菜の母に自己紹介して見せた、いつも飄々として誇り高く我儘な、その半生で頭を下げたことなど殆どないのだろう冬馬曜子は決意と覚悟をもって小木曽家を何度も訪れ雪解けを呼んだのだろうけれども。
雪菜の母が春希の母を観劇と食事に誘い、家族ぐるみの付き合いにぐいぐい巻き込んでいくのは娘夫婦のための骨折りというのも勿論あるのだろうけど、それ以上に小木曽家の人間としてはごく当たり前な振る舞いなのだろう。
そして、雪菜はそんな彼女の一家の在り方への春希の戸惑いや恐れを誰よりも理解しつつ、彼が自然にその流れに沿っていけるよう目に悪戯な光を浮かべて仕組んでいく。

以下の引用は、それを見せつけられての春希の述懐。

本当に、この家族は……


悪い人たちじゃないし、俺も好きなんだけど、
俺の考え方とは、
笑ってしまうくらいのギャップを感じることがある。


俺が今まで逃げてきたしがらみや確執に、
土足でずかずかと入り込み。


そして、何もかも『めでたしめでたし』に
転化してしまう。


俺が、想像もできなかった結末を、用意してしまう。


雪菜「そろそろ部屋はいろうか?
寒くなってきたし」
春希「うん……」


本当に、想像もしていなかった。


俺が、日曜の夕方を必ず家族と過ごすなんて。


見る気もないテレビをだらだらと無意味に見て、
勝手に出てくる食事を、
勝手に注いでくれるビールで味わい。


相手が次から次へと無駄話を振ってきて、
あまりにも適当に相槌打ってたら拗ねられたりして、
そしたらなだめるのが結構めんどくさくて。


こんなに賑やかで、
こんなに無駄で非効率で、
こんなに慣れてなくて……


そして、こんなに夢見ていた日々を過ごすなんて。


これは、全ての負が正へと転じた、
あの、夢のような結末の……


いや、夢でもない、結末でもない。


幸せな現実の、続き。


この独白は先掲の「幸せにもどる道」でのなんとも痛ましい「新しく家族に加わった俺の願い」とはっきり対照をなすように配置されている。


かつて「永遠の委員長」をやりつつ、かずさにだけは馬鹿みたいにエゴをむき出しにして干渉し続けた北原春希。
そのどちらの在り方にも裏面として存在した、まずは「想像もできなかった結末」「想像もしていなかった」などと言いつつ、その後にようやく「こんなに夢見ていた」と漏らさずにはいられない願い。
彼がずっと他人に対しても、そして自分自身からも隠し、秘め続けてきた切望を雪菜は、小木曽一家は誘い出し、叶えてくれている。


そして北原春希はあの本編の「婚約者特権」にも並ぶだろう、決定的な告白の後のこのくだりにたどり着く。


>>
だから今は、ただ愛おしいこのひとを、抱きしめる。


春希「雪菜……っ」


もうしばらくしたら
『お母さん』って呼ぶようになる女性を…… <<


この独白は春希が囚われ続けた呪縛からの完全な解放を、これ以上ないくらいに見事に示しているのだと思う。


ここで、「幸せへと戻る道」で示唆されていたように、あちらの方でかずさとの間に子どもが生まれたとして。
かずさは春希を「お父さん」とは呼ばなさそうだし、春希もかずさを「お母さん」と呼ぶのはなんだかとても想像しづらい。
きっと彼らはいつまでもそうはしないのではないかと思う。


ちなみに12月24日クリスマス・イブのハプニングはもし仮に仕事のトラブルが春希にだけ起きて、雪菜の側に起きていなくても二人の間に本格的な問題は起きなかったのだろうと思う。
過去のこの日、春希は毎回毎回、形や行動としての「正しさ」にこだわる形で雪菜との約束に沿おうとしてきたのだけど、彼が向けるべきだったもの、彼女がずっと一貫して求め続けていたものは彼の奥底の心だったわけで。
それが揺れていない以上、形として約束が破られたところで雪菜は甘えるように怒るだけで、喜んで春希を許しただろうと思う。
ことによると「幸せへと戻る道」 冒頭の春希とかずさの喧嘩程度には荒れたかもしれないけれど、同様にすぐに地固まる前の雨にしかならなかっただろう。


なお、あえて隣の部屋の番号に送られて来た絵葉書。
春希はそれを「意地が悪いのはあっち」と言うのだけれど、永遠に手放す気のない思いでの所有権の主張であると共に、二人の部屋は二人のもので、自分は葉書ですら割り込まさずに退いておくというかずさの意思表明なのかとも思う。


で、こちらはもう、最後の一枚画。これも圧巻。
ああ、この物語が終わったんだな、という気持ちにさせてくれる。
最高の大団円をこの画が余すことなく物語っている。


とりあえずの感想は以上。
いや、もう、ホント、素晴らしかった。