柴田勝家『ニルヤの島』雑感(ネタバレ多数。既読の方のみ推奨)※2017/10/27に少し追記。

※2017/10/27、記事末尾に関連としてちょっとしたtwitterのやりとり追記。


2015年2月22日に柴田勝家『ニルヤの島』を課題本とした読書会(「AtoZ読書会」。毎月開催のSF小説の読書会で、だれでも参加可能)が、素晴らしく面白かった。
やりとりの中で、大変好きな作品についての諸々言語化できていなかった感想や解釈がガンガン形になった上に。
一人で読み、考えても……あるいは通常の読者間の感想のやりとりを重ねても知る由もない、作品が整形されていく過程の話(経緯上、そういう話が出来る方がいたので)なども多方面に渡って聞くことが出来た。
まずは、改めて感謝したい。
参加者の皆様、ありがとうございました。



その思い出だか記念に……というわけでもないのだけれど。
読書会で自分が適当に喋りちらしたこと+α(あとでなんかグダグダ適当に考えた)ことを、メモ程度には残しておこうかと思う。
なお、文章の中で度々、いろいろテンションやノリがおかしいのは、どうかあまり気にしないで欲しい。



総合的印象


まず、ごく個人的な、総合的印象として。
「『ニルヤの島』は最新の科学の知見と、著者が専門とする文化人類学(及び宗教学?)の要素を濃厚に注ぎ込み、どこまでも固く思索的に検討し、誰も観たことのないビジョンを示すスペキュレーティヴ・フィクション」……というわけでもないのでは?と捉えていたりする。
勿論、そちら方面の掘り下げは諸々面白いのだけど、どうも、全方面についてあえて分かった上で極めて極端な説なり論なりに大きく寄りかかるというか土台にしてみせている観があるのでは、と。


例えば。
『ニルヤの島』はイーガン的(?)なように見せてラファティ的(?)、ラファティ的(?)にみせてイーガン的(?)というか。
『ハーモニー』で『グッドラック 戦闘妖精雪風』で「旧劇場版エヴァンゲリオン」というか。
SF&民俗学とか諸々悪魔合体の真面目な顔をしつつユーモアたっぷりの法螺話……あえてざっくり言うならば。


「これは諸星大二郎なのではないか?」と。


更にものすごく雑なこと言うと、イリアス・ノヴァク教授は稗田礼二郎のイメージで捉えると話がだいぶわかりやすく(?)なるのでは、と。


ともあれ。
ここからもう少し、まともな(?)事を書いていく。


目次、登場人物名紹介、作品構成そのものが作品の仕掛けというかわかりやすくいえば『ハーモニー』な感じ。


読書会で各々の感想をまずまとめて出していく流れの中、自分の番が来た時開口一番にいったのは。


「この作品、ある意味で素直、ストレートでは」、と。


というのは、この目次及び、主要登場人物名とその紹介。
「こういう背景・文脈の話をこういう流れと組み合わせでブチ込んで悪魔合体させるぞ!」と宣言してるよな、と。


まず、目次から。

1:動物行動学とか遺伝とかその辺。
2:殺害され交代する王。民俗学
3:世界をエミュレートするゲーム。アコーマン(チェスに似ているがそうではない)。ゲームの理論。
4:そのゲームを通じた秘儀(イニシエーション)による王の継承


続いて登場人物名と紹介……の話は少し後回しで。


「ペロ……この味は、事実上の『ハーモニー』!」


その前に、時系列とか視点とかがやたら複雑に交錯する構成について。
この在り方自体が作中で一つ目玉として描かれた、特定の作中人物から観た、その世界に普及した世界認識の在り方……はっきりいえば「日本国籍文化人類学者」であるイリアス・ノヴァク教授の「死ぬ間際、ほんの数コンマの間に脳が見せた幻影」(p318)である、と。『ハーモニー』の「彼女がetmlで叙述してみたのがこの本」というのと概ね似た話だろう、と。


目次について語るよ。


で、ここで目次についてもう少し


【1:動物行動学とか遺伝とかその辺】


章題の多くの頭文字がAGCT、アデニン、グアニン、シトシン、チミン。
DNAの四塩基の頭文字と同じ。
「転写」は主にそっち方面。「結合」も概ねそうかと。


より絞り込むと。
ドーキンスの「生物は遺伝子の乗り物(ヴィークル)である」云々というのがまずあり。
それ以上に、スーザン・ブラックモア『ミームマシーンとしての私』あたりの「生物は模倣子(ミーム)の乗り物である」という割と尖ったというか過激な説があり。
その相当に極端な説に(たぶんそうと分かった上で)あえて乗っかってるのかと思う。


例えばミームの概念を提唱したドーキンスは『利己的な遺伝子』とか『延長された表現型』では、"しかしながら、人は遺伝子のみによって生き、感じ、考え、動いてはいない"という一種のセルフカウンター(?)としてミーム概念を提出していた傾向が強いと思えて。その後の『ブラインド・ウォッチメイカー』以降からはむしろ「俺はああはいったけど、あんまり安易にアホな応用とかすんなよ。これ、そういうのじゃねーから」というモグラ叩きを延々とし続けている感は(個人的な印象として)あり。
「うおおおおお!ミームすげえ!ミームでいろいろ説明できる!ミーム最高!割と万能!……意識?自由意志?クソ喰らえ!そんなもの、はじめから無かったんや!」というノリ(とまで『ミームマシーンとしての私』を言ってしまうのもそれはそれでアレかもしれないけど)とはだいぶ違う感じだな、と。
あとミラーニューロンの話なんかもちょっと出てくるけど、色々注目を集めたその方面の立役者の一人の本も、だいぶ山師的な感じで。

マルコ・イアコボーニ『ミラーニューロンの発見』感想。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20110717

「少なくともある程度以上にまっとうにみえる作者(あくまで個人的印象)が、そこら辺の説に本気で乗っかっているかな?」というと、大いに疑問だという印象を抱いていて。


なんというか、分かっていて愉しく法螺話をするための道具として扱っているのではと思う。
だからこそ、作中において。
「生物は遺伝子の、そしてミームの乗り物」という話とカーゴ・カルト悪魔合体などという乱暴狼藉……「すごいぜ、これが「瓶割り柴田」の"腕力"か!!」と慄かされてしまう豪快な所業をやってのけられたのかな、と。


最終的に、p324の傍点部分「積み荷を運ぶ乗り物だけでなく」に全て掛かっていく問題であり、作品全体の核心であろうところでもある。
……まあ、そこを読み違えていたわけだけど。


ぼんやり、(限定的な?)『幼年期の終わり』的な何かかと思ってたよ。
「じゃあ、今はどう捉えているのか?」は自分で考えついた話ではないこともあり、ここでは書けない。
宗教は皆カーゴ・カルトというわけでもないだろうに、無理やりそればっかりやたら強調していたことの意味なんかも、ここにこそ関連付けてその意図なり意味なりを考えるべきではあった。それなのに、と。
それくらいは書いてもいいのかなー。


あと、表紙の帯外すと。
白髪の「ニルヤ」さんの足元。
『遺伝子の川』ですよ。はい。


【2:殺害され交代する王。民俗学


「弑殺」。
これは最後の「《TAG》--銘句--」(Make→Maker(造物主)にも掛けてありそう。TAGはタグボートなんかにも掛けてありそう)の文言、

「王は死んだ、新しき王万歳!」

とも繋がって、民俗学、例えば『金枝篇』なんかに書かれる王の殺害と交代による呪術の継続というか、なんかそんな感じの話かなと。
あやふやだけど、祭祀王とか春の王とか、なんだろう。なんかそのへんの話(実はあんまり詳しくない)。
ベジャールのバレエ「春の祭典」とか、なんかそういうイメージだと分かりやすい(?)のだろうか。
もっと分かりにくくなった?……ごめん。


そこら辺は何を示すかというと。例えばこう考えられたりもする。


神輿として担がれる「王」は殺され、交代を重ねる。
だが、「担ぎ手」たちはそのまま生き続ける。
王を次々に乗り換えて。


【3:世界をエミュレートするゲーム。アコーマン(チェスに似ているがそうではない)。ゲームの理論】


《Checkmate》と銘打たれた章たち。


世界はゲームで、このゲームをマスターしたものは現行世界の統御する者(マスター)となる。
なんでもゲームをマスターした者は

「全てのミームコンピュータに対する聖体(ホスト)の役割」(p305)

を果たす者なのだそうで。
それは対戦を通じて宗教的秘儀の継承のように為される。
途中で「アクセルロッド」(人名)が云々という話も出る。
有名かつ悪名高い「しっぺ返し戦略」のアクセルロッドなんだろうな、と。


悪名高いというのは、それも「ミーム万能!/ミラーニューロンでなんでも語ってやるぜ!ヒャッハー!」なそれぞれの皆さん同様、「なんでもかんでもいろんなことを「しっぺ返し戦略」で語れるんだ、「ゲームの理論」の解は「しっぺ返し戦略」だ……といわんばかりの大法螺ふかしてんじゃねーぞ!ふざけんな!」とよく問題にされる人や論なので。

※「アクセルロッド『対立と協調の科学』書評:「しっぺ返し」はそんなにすごいものではありません」
ttp://cruel.org/candybox/axelrodhype.html

でも、ミームミラーニューロン同様、「これでいろいろ説明、コントロールできちゃうぜ!ヒャッハー!」という便利アイテムの踏み台扱いをわざとしているだろうと思う。アクセルロッド(と「しっぺ返し戦略」)。

都市だ病(ヴァイラス)だ云々というゲームの駒の名前は、なんだか『銃・病原菌・鉄』っぽくもある。
その方面もまた、「なんか凄いけど、そこらへんの話、どこまで信用していいのかな?」という類のナニがアレな話ではあったりする。


なお。
この一連の話の中で面白いのは「全てのミームコンピュータに対する聖体(ホスト)の役割」とある、「聖体(ホスト)」という言葉だろう。
寄生虫の宿主のことも同じく、「host」と言う。
煎じ詰めればそれが言いたかったのではないだろうか。


【4:そのゲームを通じた秘儀(イニシエーション)による王の継承】


みずへび座のβ(ベータ・ハイドリ)、ロビン・ザッパ。

みずへび座ベータ星。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%B8%E3%81%B3%E5%BA%A7%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BF%E6%98%9F

「3等星の中では天の南極に最も近い位置にある」
「太陽より20億年ほど古い星であるため赤色巨星に進化する途上にあり、1.8倍ほどの半径を持つ準巨星と考えられている。太陽が将来どのような姿になるのかを示していると考えられ、しばしば研究対象となっている」

ハイドリ。ヒュドラ

ヒュドラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC

で、ギリシア神話に加えて。

クトゥルフ神話の一編には『ヒュドラ』(ヘンリー・カットナー、『ウィアード・テールズ』1939年4月号)があり、無数の生首を浮かべた巨大な粘液の怪物が登場している。また、ラブクラフトの『インスマスの影』にも「父なるダゴン、母なるハイドラ」という言及があり、こちらのハイドラは深きものどもの指導者にしてダゴンの配偶者と解釈されている」

で、作中で彼に勝ち、後継者となる人物の名は「クルトウル」だそうで。
クトゥルフ?旧支配者?古きものども?
そういう話かな。
ほら、やっぱり諸星大二郎じゃないか!!(「そこ、思いっきり我田引水してないか?」と言われると苦しい)。

で。
旧支配者。
その響き、ナイスだね。
それって「新たなる支配者に世代交代する」って空気をなんだか感じさせるよね!
……って話だったりもするのかもしれないしそうではないのかもしれない。


もっと単純に水+蛇。
水に満ちた楽園に入り込んだ誘惑の蛇。
まあ、ようするに悪魔。サタン。
例えばそういう風に見てもそれはそれで。



■主要登場人物名とその紹介。



イリアス・ノヴァク。日本国籍文化人類学者】


イーリアス』ってことだろう。
これは長年の戦いを経て、それが終わるところから語られる戦争の話だったんだよ!
だって、この本(の多くの章)自体が概ね彼の「死ぬ間際、ほんの数コンマの間に脳が見せた幻影」(p318)として描かれてる。
陥落する都、滅び行くトロイアの民とは、トロイの木馬とは、それぞれ何かとか。なんかそういう。

ノヴァクという苗字の方もいかにもなにかありそうだけど、今のところ自分にはよくわからない。

あと、日本。
なんかこの死生観が激しく揺さぶられた世界で、割と独自の立ち位置を取るに至ったそうな。
速やかかつ深い新時代の受容がなされたのだとかなんとか。


【ヨハンナ・マルムクヴィスト。スウェーデン人模倣子行動学者】


ヨハンナは洗礼者ヨハネとかヨハネの黙示録とか。
それに、女教皇ヨハンナとか。

教皇ヨハンナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%95%99%E7%9A%87%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A

この女性が辿った数奇な遍歴を考えると、いずれも(洗礼者ヨハネヨハネの黙示録の使徒ヨハネ、女教皇ヨハンナ)面白いかと。
特に最後かな。
(そこに関わる諸々は)「女教皇ヨハンナ」のように嘘なんだよ、法螺話なんだよ、というこれも一つの大きな標識なのでは、と。


で、スウェーデン
福祉国家のかつてのモデルケース。揺り籠から墓場まで。「生」の期間を手厚くサポート。
一時は人類の目指すべき理想的な社会とかなんとか言われたりもして、今は長い不況と高齢化の影響もあり、あまりにも高い負担と内部の軋轢に疲弊というか割と崩壊前夜っぽい感じも。
そして「揺り籠から墓場まで」とは「生」にとにかく手厚い分、「墓場」以降、「死」は管轄範囲外という趣もある。
で、『ニルヤの島』ではその「死」が激変した以上、スウェーデンはその意味でもまあ、大変だと。


ヨハンナ・マルムクヴィストさんはそんな国からやってきた。
マルムクヴィストという名字もやっぱりいろいろありそうだけど、よくわからない。


【ベータ・ハイドリ】

先ほどもう触れたのでパス。


【ペーター・ワイスマン】


まず、ペーターはペテロ。
使徒ペテロで、教皇

「おまえは岩(ペテロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける」
(マタイによる福音書

作品に照らして、またキャラクターの役割に照らして、趣きのある言葉なわけで。


ワイスマン。
ニイルとかニルヤとかがなんだか人々の無意識がどうこうとか語られてるわけで。
集合的無意識だ。

ユングの元型論だ、と
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B

(これも言うまでもなく、今や科学的知見だか学問的知見としては割と怪しげなものとして扱われてるわけで。ただし、創作論や(創作側がこれを利用だか援用だかしている場合には特に)作品解釈としてはいろいろ便利だったりも)
で、ワイスマンというのはその中の「老賢者」だろう。



概ね、目次と登場人物紹介あたりから拡げ、語れる話は大体こんな感じかなと。


他で面白いのは、例えば「実の子ではない娘を何度も育て失う母」の話。
「托卵」ということで延長された表現型同士の争いというか。
それを「社会的托卵」とか人間社会ならではのものとして見るなら、そこにミームも絡んで云々かんぬん。


あと、舞台がパラオ
生と死がなんだか混淆し繋がっている感じの感覚故に選ばれてるとか、なんかそういう?
沖縄のニライカナイ信仰なんかも流れて入ってきている感じ。



大体書きたいことは書いた感じなので。
非常にとっちらかったままで申し訳ないけど、とりあえずこの辺で終わり。

【関連】
ダーウィン文化論―科学としてのミーム』雑感。
柴田勝家『ニルヤの島』の副読本として『ミーム・マシーンとしての私』と併せ読むと楽しいというか、ある意味爆笑できる。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150324/


■2017/10/27追記