冲方丁『テスタメントシュピーゲル 3(下)』シリーズ完結。ネタバレ有り雑感。

刊行間もないシリーズのネタバレ含むため、以下、しばらく空行を挟んでから本文。
読み終えてすぐの感想をとりあえず並べてみる。









冲方丁シュピーゲルシリーズは最初から最後まで、誰も肩を並べられない疾走を続けた傑作だった。
その中ですら『スプライトシュピーゲルIV テンペスト』の世界統一ゲーム及びその近辺での超絶同時進行描写は圧巻。
マルドゥック・スクランブル、カジノでのアシュレイ戦と比べてすら、なお上回るかと思う。
当時、そのあまりの熱にあてられて雑然となにごとか書いたりもした。

「2008-06-04 冲方丁スプライトシュピーゲルIV テンペスト』についてのメモ。」
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20080604


ともあれ以下、最終巻とシリーズについて、少し。

『テスタメント・シュピーゲル 3(下)』で描かれたのは「報われざること一つとしてなからんことを」という大団円。
多くの人物について、むごい「凶運」に打ちのめされてからそれにどう対したかの「報い」、応報、報酬、清算といったものが示されていく。


広く悪運をもたらすものは、金と情報(と技術)で(あまりに複雑で容赦なくすべてを押し流す世界に「傷を残してやる」とか、流れのままに踏み殺そうとする力から逃れられないなら殺す側に回ってやる、あるいはそもそもただただ世界の中に自分の欲求だけしか見ていない技術者といった(特に数人の)個人の野心や強烈な自我も大きく働くけども、彼らの影を単に個人の範囲を超え広げ濃くするのは金と情報の力)。
そこで、絡まりあう濁流の多くの源となった「パンドラの箱」となった人物があのようなキャラクターだったのは(「ムニン」やキャラバンの影武者の正体とその解明等と共に)カタルシスというか爽快感は欠くかと思うけど、それでもバランス、とりわけ「悪」の示し方として、あるべきものだったかと思う。
「偉大なる龍王」と呼称される人物の繰り返し描かれる卑小さと、むしろそうして卑怯小心だからこそのもたらす害の大きさ、その象徴なような在り方は一個人/キャラクターの形をとった、制御し得ぬ総体としての雄大な世界の獣リヴァイアサンにも害悪の源としては並ぶ、いつだって世にはびこる悪龍の姿なのかなとぼんやり思う。


ここで、金、情報、技術、誰にもコントロールし得ない力についてはまさに清濁併せ呑みあらゆる方面から重く見られたアダー神父、そしてバロウ神父を通じ、決して否定的には描かれない。
そこもはっきり強く示されていた。

「特甲開発顧問の誰もが、将来の技術革新のため、持てる全てを注いだ。善も悪も判断がつかぬまま、時計の針を推し進めることだけを考えていたのだ。そんな私が、今ここで特甲レベル4の完成に命を尽くすのは当然ではないかね?(中略)その力を与えられた子供達が、君達という悪魔を退かせることだろう」(p292)

また、コントロールし得ない力について。

「多くは必然によって導かれた偶発的なものだ。世界経済が人間の意志でコントロールされたことなど一度もない。何もかもが混沌として次に何が起きるか分からない。混沌を最小限にするすべは一つだけ。沈黙だ」(p324)

というものについては。
p465で提示される「白と黒の二つの犠脳ユニット」、「白は<アポロン>------黒は<デュオニソス>-----ごく最近までメンデルとリヒャルト・トラクルだったもの」を保持して「いずれまたリヒャルト・トラクルのような沈黙の担い手が現れたとき」に備えつつ、沈黙に対する「メッセージ」を送る者が示される。
混沌を最小限にするのでなく、抑え込みもしながらなお、前へ、前へと推し進める。


三人×二組の少女たちについてまず、彼女たちの人生は続く、これから始まる!とその道と展望を(おそらくは概ね読者に、その想像に委ねる形で)拓き示しつつ。
描き出した世界全体についても前進への意志を、それを良しとするあり方を示した最終巻でもあり、シリーズ全体だったかと思う。


善、悪、それが複雑に交じり合った混沌の中、それでも時計の針は前に進み。
前に、より前に、より早く遠く進ませようとする人の業は尊くも卑しくもありつつ、全体として肯定されるべく在る。


そして、あまりにも複雑な混沌であっても。
それに対して人の意志と努力により、叶う限り秩序をもたらすべく足掻かれるべきであり。

「「我々の捜査技術は、特定の国や民族のためではない。要請があればイスラエルでも、パレスチナでも、イラクでも働く。
 パーキンスが付け加えた。「国際法廷に科学的根拠のある証拠を提出するには、FBIを頼るのが一番なのですよ。今回もFBIの指導で七十万発の弾丸が回収され、最初の二十四時間で殺害された二万人が、どの順番で撃たれたかを明らかにしています」
(中略)
 鳳の脳裏にその行為が-----めちゃくちゃな惨状を呈した現場で、死者の一体一体に触れ、臭いを嗅ぎ、調べ、記録する人々の姿がまざまざと浮かんだ。その中にこのハロルドがいた------ごく自然に/いるべき男として。途方もない仕事だった。累々たる死者を相手に、悲痛と疲労を押しのけ、混乱した世界に秩序をもたらす行為だった」
「「FBIきっての国際派のあんたこそ、アメリカという国はともかく、その警察思想の良心的な側面の担い手だ。世界の終わりのようなあの惨殺現場で、よく指揮を執ってくれた」」
(『スプライトシュピーゲルIV テンペスト』p163-165)

応報を、報酬を、清算を、「報われざること一つとしてなからんことを」と捧げられる祈りとたゆまず続けられる歩みがある。
カオス、混沌を象徴する鳳の名を持つ少女が「警察」、秩序を志向する道を択ぶのも象徴的だったかと思う。