武田綾乃『飛び立つ君の背を見上げる』感想。
プロローグ、エピローグの間で
第一話「傘木希美はツキがない。」
第二話「鎧塚みぞれは視野が狭い。」
第三話「吉川優子は天邪鬼。」
と同学年3人に向き合い、評し、自分の裡を覗く語り手の中川夏紀を描く。
まず各話の最後にその話、関係を強烈に一言でまとめて爆弾を落としていく構成(傑作『その日、朱音は空を飛んだ』を思わせもする)が素晴らしい。
複雑な人物造形とその心情を描きつつ、端的にまとめて提示もできるキレの良さが目を惹く。
描かれる四人とも、また回想で僅かに夏紀と語るほかは殆ど直接姿を現さないのに強烈な存在感と影響力を見せつける田中あすかも魅力的な中で、やはり個人的には傘木希美の姿が一際印象に残る。
傘木希美は夏紀同様に慢性的なくらいに自己嫌悪を抱えながら、(例外的に黄前久美子に露悪的に覗かせたことはあっても)他人にも、そして誰より自分自身に自分を嫌う自分であることを許さない、そうである自分であろうと努めに努め続けるキャラクターなのかと思う(※1)
以下、各話について。
第一話「傘木希美はツキがない。」ではみぞれ贔屓の優子に対して希美の側に心が寄る夏紀が、希美がそうあろうとする姿を尊重してあえて踏み込み過ぎずに接し、語っていく傘木希美の人物像に改めて惹かれる。
一年の時の出来事から夏紀がずっと希美に対して抱いている罪悪感を、でも決して誰に対しても、特に希美には明かさない。
それを罪であるなどと希美は認めない。
第三話でも改めて書かれる通り
「希美は夏紀に自分の荷物を預けたりはしないのだ」
(p220)
みぞれに対して退部の際に誘わなかったことも、幾度他人に問われても決して悪いことだとは認めず、やはり誰より自分自身に対してそう振る舞おうとする。
傘木希美にとってそこは、自分に対しても他人に対しても"そうなのだ"というより"そうあるべきなのだ"という話なのだろう。
荷物を預け合う優子・夏紀のコンビとは好対照だなとも思う。
第二話「鎧塚みぞれは視野が狭い。」では希美が久美子に対してだから普段決してみせないように努めに努めている自己嫌悪を露悪的にであるのせよ語れたように(※1)、鎧塚みぞれは希美本人は勿論、自分贔屓の吉川優子にも語れない自分の自分自身への思い、そして傘木希美に抱く思いを遊園地の観覧車の中で夏紀に語る。語ることができる。その核心ともいえる、
「それって、恋とは何が違うん?」
(中略)
「そうだったらよかったのに」
(p184)
のやりとりからは改めて『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部波乱の第二楽章 後編』で新山聡美から贈られた言葉、
「運命の相手が恋愛感情を向ける相手とは限らないでしょう? 人生において特別な存在って、きっと一種類に絞らなくていいと思うの。家族でも、友達でも、もちろん恋人でも構わない。大切だって思う人に固執してしまうのは、きっと当たり前のことよ」
「……当たり前」
「そう。だから鎧塚さんがリズに対して抱いた感想は、全然変じゃないの(後略)」
(p231)
はみぞれの芯を打ったのだなと思わされる。
そして観覧車でのやりとりの最後にかつての「大好きのハグ」に続く、夏紀が教える「四人は友達」のポーズ。
第三話でそのポーズが再演される一幕が鎧塚みぞれの視野が少しずつだけどでも確かに広がっていることを示していく。
希美だけが動かせたみぞれの世界を広げる役割は『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部波乱の第二楽章 後編』や『響け! ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部のヒミツの話』「十三 飛び立つ君の背を見上げる(D.C.)」で幾度も描かれたように、主にみぞれ贔屓の吉川優子が(黄前久美子や、吹奏楽部のみぞれを慕う後輩たちも関わりつつ)担う描写が多かったのだけれど。
みぞれにとって殊更に大事な「友達」の枠を四人に広げる背中を大きく押したのは、みぞれに苦手意識を持っていた中川夏紀だったという関係性の描き方と積み上げ方が見事で、作者の強みが遺憾なく発揮されているところだなと思う。
第三話「吉川優子は天邪鬼。」。なかよし川は続くよ、これからも。
なぜ、吉川優子が部長なら副部長は中川夏紀でなければいけなかったか、という話を突き詰め広げて解説してくれている一篇。
『響け! ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部のヒミツの話』「十三 飛び立つ君の背を見上げる(D.C.)」ではまだ二人について語り足りなかったので改めて……という風情。優子視点の(D.C.)でもでてきた、卒業に際して優子から夏紀へ送った手紙がこちらでもまた出てきたりもする。
最後にエピローグ。
締めくくりに、中川夏紀に彼女自身に対してこの言葉を言わせたかったんだな、と。
なんとも美しい幕引きだと思う。
※1
傘木希美は他者に向かって自己嫌悪を覗かせてしまうことを、それよりも更に自分自身に"自己嫌悪する自分であること"を許さずにあろうと痛々しいくらいに努めているけれど。
自ら語らない分、『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部波乱の第二楽章』で情景描写に託して希美の自己嫌悪が随所に幾度もえげつなく描かれていたのが凄まじいと思う。
「冷えた視線を向ける自分自身に、希美はニッと笑いかける。口端が引っ張られ、磨いたばかりの白い歯がのぞく。楽しそうな顔だと思った。爽やかな朝だった」
(『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 前編』p9)
「平静を装う声が、ところどころかすれている。眉尻を垂らし、希美は白い歯を見せて口を開いた。それが他者の目には笑顔に見えると、そう彼女は思い込んでいるのだ」
(『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部波乱の第二楽章 後編』p246)
そしてやや長すぎるので全引用はしないけれど『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部波乱の第二楽章 後編』p85-89の希美とみぞれの雑巾でのガラス窓掃除の一連の場面。ガラス、背伸びと示した上での、雑巾の黒い汚れの示し方。締めの一段落が特にきつい。
そっかー、と希美が明るく相槌を打つ。耳の前に流れるひと房の黒髪、そこからのぞく希美の頬が不自然に引きつったのが見えた。明るい笑顔を維持したまま、希美が片手に雑巾を握り締める。綺麗に折り畳まれていたはずの雑巾がぐちゃりと乱れ、内側に隠していたはずの汚れをあらわにしていた。
’(『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部波乱の第二楽章 後編』p89)
そしてそういった諸々を経た後の傘木希美が『響け! ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部のヒミツの話』「十 真昼のイルミネーション」に至って、
「希美は、自分のなかにある醜い部分から目を逸らさない人でありたい」
(p136)
と思えているのは尊くも嬉しい一節だと思う。
※2
なぜ希美が久美子に話せたのかについて、久美子はその主観視点の地の文で
「あーあ、久美子ちゃんにやったら、こんなに本音でしゃべれるのになぁ」
それはきっと、希美が久美子のことを脅威と見做していないからだ
(『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部波乱の第二楽章 後編』p251)
と見ているのだけど、どちらかというとこの推測は希美よりも黄前久美子というキャラクターの心の在り方を描いているようにも思う。