映画『RRR』は最高に愉しいインドの大作映画。
観てすぐの感想これで。
品川のIMAXで『RRR』観てきた。凄い。楽しい。最高。凄い。楽しい。最高。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月25日
『RRR』、これってすごく込み入った感想書くか、
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月25日
「『RRR』最高!『RRR』最高!イェイイェイ 」
「お前も『RRR』最高と叫びなさい」
でそれでよいやつでは?
観ればただそれだけでほとんど誰だって最高に愉しいと分かるだろうし、その規格外の愉しさの前に下手な言葉はあまりに無力だ……。
もう今年最高の映画は『RRR』だということでいいです。無理だろ、これ超えるの……。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月25日
この圧倒的な面白さの前には言葉などあまりにも貧相、不要に過ぎるかと思えてもいたのだけれど。
非常に残念なことに、これだけただしっかりと作品本編を観て楽しめばいい作品でも、作品に対してとんでもなく失礼かつ勿体ないものだとか思えない観方があるということも目にしてしまい。
インド映画が進化する間にこういう「バカ扱いして褒める」みたいな、disり芸というか映画紹介が決定的に古くなったことが分かる文章 https://t.co/O1TKhhmJWI
— ともめてうす (@tomonomad) 2022年10月29日
町山智浩さんのこの『RRR』評、(「書き起こし」ということでその際に入り込んでしまってる可能性もあるけど)バカ扱い云々以前にまず単純な事実誤認が多すぎるような。https://t.co/y8cmvR7cc0
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
例えば「この反乱を鎮めろ」ではなくて捕縛命令だし。
狼を狙っていたら意図せず虎が乱入してきて、
上記の流れからtwitterでも書いた話ではあるのだけれど「こういう事実誤認は論外だよね」という話と、そしてそれ以上にナートゥのダンス場面とラーマの決断の意味については、こう考えると面白いのではないかという解釈についてまとめて残しておきたいとも思わされた。
以下、先のtweetから続く話。
それでも単に素手でねじ伏せるんでなく用意していた罠や薬を用いて捕えていたし。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
指名手配書でなくビームの部下の人相書だし、ラーマが見せるのを躊躇っていた様子も、でも見せようとした時偶然の事故で寸前で見せられずに終わった流れも、まるっきり無視してる。
鞭打ちシーンはギリギリ事実誤認ではないかもしれないけど「解釈」が「凄い」。二人のヒーローの人物像も含め、ラーマが人々に届けると約束した「銃」よりも違う「武器」を届けることを選択した考えや思いとかガン無視なんだね。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
あと差し向けられた特殊部隊を返り討ちにしてその勢いで総督府に乗り込むのを「イギリス全軍と戦います」と表現したり。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
そんなこんなで、例えばもしこの評の事実誤認のレベルを「細かいこと」だと言っていいなら、まあ、『RRR』も「「細かいことはいいんだよ」っていうこと」という映画なんじゃないかな。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
逆にそうでないなら、全く違うのかもしれないですね。
町山智浩さんの『RRR』評、例のナートゥのダンスの場面も単に"二人が殴り込んだ"、インド映画だからとりあえずダンスバトル、くらいに捉えているような。https://t.co/rtedan3apa
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
あれはそれこそ政治的、文化的な劇だったかと思えるのだけど。つまり、
ビームがイギリス人たちの中で唯一インド人にも優しく最低限には礼儀正しい美人の女性(総督の姪、ジェニー)に一目ぼれする。ラーマがいろいろ取り持ちデートの時間を作ってやり、気に入られたビームはジェニーからパーティへの招待状を受け取る。ラーマの心づくしできっちり正装させられたビームは
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
ラーマとともに礼儀正しく入場し、礼儀正しく楽しもうとする。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
しかし、ビームが現れるやいなや、アプローチを掛けていたジェニーにあっさり袖にされたイギリス男が腹立ちまぎれにジェニーに教わりたどたどしく英国式のダンスを踊るビームの足を引っかけ。更にお前ら野蛮人にはこんな踊りができるか?
文化のひとかけらでもあるのか?と次々と西欧の踊りを披露する。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
それに対し「ナートゥをご存じか?」と受けてたち、あのダンスを踊り始める。皆の心と体を揺さぶらずにはおれないその踊りを前に、はじめはジェニーをはじめとする女性陣が、やがては男性陣も、遂には侮辱したイギリス男さえも
ナートゥのダンスに自然と加わっていってしまう……。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
長く深い歴史と伝統、対立すら飲み込む懐の深さ、単なる暴力でなく、インドの文化の力と魅力も作中においても観客に対してもみせつけた場面だったかと思う。
映画『RRR』の鞭打ち場面https://t.co/Bm4f8yzVa5
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
について説明を加えると。
親友と思い兄と慕い命も救いつつ裏切られた男に衆人環視の中で鞭打たれ苦しみつつ、決して膝をつかず、屈しない魂を歌として集ったインドの民に伝え続けるビームを前に。
ラーマが幼い日の自分を重ねつつ、
この男とこの男が湧き起こす人々の中に沸き起こす熱と力こそが、自分が「必ず人々に渡す」と誓った真の「武器」なのだと悟りゆく場面だったかと思う。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
禁じられた実弾を使ったことを咎められそうになったラーマが幼くしてその入神の腕前を見せた時、父は「お前こそが銃なのだ」と告げた。
村が襲われ、母も弟も撃ち殺され、父も傷つき死に逝こうとする中、父はそれでも「装填。狙え。撃て」と命じた。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
そして最後に敵を道連れにした爆発を父の死と共にもたらす一射を「装填、狙え、撃て」と命じた。
とても言葉に出来ない断腸の思いで幼いラーマは従った。
なぜならば、
そうするのが「お前こそが銃なのだ」と父の、人々の解放の夢を託された彼の果たさないとならない使命だったから。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
そして鞭打ちを生きながらえつつ、断じて屈しない姿とその魂の歌で人々の心の中に支配から抜け出るための「弾丸」を装填してみせたビームの姿を思い刑場に立って。
かつて父が「お前こそが銃なのだ」と全てを己に託したように、「彼と彼が湧き起こすものこそが「武器」なのだ」と全てを託すことを決めた。あれはそういう場面だと思う。
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月31日
なお、その場面について映画評論家・町山智弘氏の感想はこういうもの(添付)https://t.co/h2iO3biP3t
であるらしい。 pic.twitter.com/wgIYRPVq37
以上、誠に無粋ながら。
ともあれ映画『RRR』を劇場、特にIMAXの大画面で観ること以上に愉しいエンターテイメントの体験はそうは無いと思う。
ありがとう、映画『RRR』。
■余談
【インド映画】水星の魔女https://t.co/cOfNT52ODK
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月29日
該当部分の「祝福」歌詞がかなり結構だいぶ『RRR』の内容に沿ってるの笑えるんだよな。
ラーマの背負った「誰かが描いたイメージ」とその上での決断そして「いつかその胸に秘めた 刃が鎖を断ち切るまで ずっと共に闘うよ」割とそのままだから……
ラーマさんを縛ってたの、めっちゃはっきり親から託された呪縛だったしな。いや、呪縛を拒んだのでなく、人々に渡すべき真の「武器」とは何かという解釈で上書きしたのだし、その上更に当初思い描いた武器は武器でしっかりゲットして凱旋もしてるけど。嗚呼、ラーマは恐るべき弓の名手……
— 相楽 (@sagara1) 2022年10月29日
いわゆるミーム汚染というか、すごい浸食力がある。「祝福」聴く度、『水星の魔女』OP観る度、脳裏を掠めるかそれ以上の圧力を加えてくる。インドフォーマット、ターメリック・リンク……。https://t.co/J1nIOKdwDc#G_witch
— 相楽 (@sagara1) 2022年11月3日