パリ五輪開会式雑感
せっかく観ていたので、めちゃくちゃ適当だけど雑感メモ。
『靴の向くまま』『珈琲をしづかに』『なでしこドレミソラ』他、みやびあきの作品感想メモ
人が自分の大事なものや相手に、必要なだけじっくりと時間をかけて少しずつ歩みを進めていく姿を丁寧な上にも丁寧に描き出していく作品群。
地味といえば地味であるのかもしれないけれど、唯一無二の魅力ある作風だと思う。
安野貴博『松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記』
先日の都知事選への出馬でも話題になった安野貴博(安野たかひろ)さんの最新作。
デビュー作『サーキット・スイッチャー』もとても好きだったし、掲げた政策や諸々の姿勢に強く好感を持ったのでごくごくささやかに応援していたりもした。
アンソロジー『2084年のSF』読んだ。
— 相楽 (@sagara1) 2022年12月29日
春暮康一「混沌を掻き回す」、マクロとミクロ、科学と神話が交差する描写が良かった。あとは安野貴博「フリーフォール」が楽しい。
坂永雄一「移動遊園地の幽霊たち」も『何かが道をやってくる』が好きなこともあり、いいなと思った。
『サーキット・スイッチャー』https://t.co/zSflW66clY
— 相楽 (@sagara1) 2024年6月6日
既読だと、それ書いた人が都知事選に立候補するというのはそりゃあなんというか、自分で書いた作品にめちゃくちゃ真摯に向き合う人なんだなという感想が湧いてきて仕方ないけど、しかしそれにしてもすごいな。
そういえば新海誠さんが去年の6月6日にアップしていたメモアプリの画面から、(今年都知事選に出て、だいぶ得票もしていた)安野たかひろ/安野貴博『サーキット・スイッチャー』読んでることが分かったりしたなー、となにやら思い出した。 pic.twitter.com/21yeOsiFSK
— 相楽 (@sagara1) 2024年7月20日
東京都知事選。もし都民だったら(去年まではそうだった)普通にこの人に投票してたけど、ともあれ。なんか奇跡が起きて、普通に当選してくれないかな。https://t.co/08C9ve6Fz9
— 相楽 (@sagara1) 2024年6月21日
そういっておいて都民じゃないからといって何もしないのもなんだな、ということで。
— 相楽 (@sagara1) 2024年6月21日
形ばかりだけど、とりあえず。 pic.twitter.com/OtqXmh5X9O
安野たかひろ(安野貴博)さん、本人アカウントの投稿や各種活動報告。LINEの都知事選向けオープンチャット等登録して様子眺めてたけど。https://t.co/fsUPO4F1tk
— 相楽 (@sagara1) 2024年7月7日
諸々の技術を用いた活動だけでなく昔ながらのドブ板、街頭演説やポスター貼り等も延々続けていてなにやらすごいもんだなと思わされた。
で、『松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記』の感想。
あからさまにIVSをモデルにしたイベントが出てきて、色々あってIVPの1号2号ファンド出資者の末端の末端に居た/居るからIVSも何回か行ったなー、となにやら懐かしくなっていたら、本田圭佑とイチローと小野裕史さんを悪魔合体させたみたいなキャラクターが出てきてちょっと笑った(いやまあ小野さん要素、マラソンだけといえばそうだけど。このキャラクター、出家とかしそうもないし)。
ランサムウェアでの攻撃からデータ復旧のため直接データセンターに出向く場面はウォルター・アイザックソン『イーロン・マスク』で読んだマスクが直接サーバーセンターに出向いてDIYでサーバーラックを移設したエピソードを思い出させたりもした。
ともあれ、「世界に君の価値を残せ」という作品のテーマでありメッセージ、それを描き出す説得力……スタートアップ企業を巡る人間模様の数々においても、AI技術を巡る描写においても共にとても面白く、魅力的だった。「今」を描く、良いSF小説だと思う。
※7/26追記
あとこれは安野貴博さんが「安野たかひろ」として政治方面にも大きく関わっていたことで、尚更面白いなと思えたことなのだけど。
ある人物の告白・懺悔における「ちょっと意地悪して」「調子に乗っているように見えた」「お灸を据えるつもりだった」という言葉選び。
これは意識して彼のミソジニーを……中高年だけでなく今の若い世代ですらもまだまだきっと根強くあるそれを描いて見せているのだと思うけど。
主人公視点の文では台詞にも地の文にもあえてそのことには触れない。また、主人公のその後の対応と決断も非常に趣深い。
作者の見識なり姿勢なりをよく反映していそうな描き方だと思えた。
問題をしっかり認識しつつ、咎めるべきところは咎めつつの……寛容と融和。
※追記終わり
ところで、スタートアップとか起業とかって、ものの本によると、なにやらとっても大変なことらしい。
起業する人って……それでなんだかんだ10年20年と生き残る人って……きっと皆それぞれに、さぞかし仕事への情熱に溢れ才能もある、素敵な人なんだろうなあ。
うん、きっとそうだよ……。
どうにかして「漏れなくそうなんだよ」ということにならない?
ちょうど「AIヘッドハンター」とか「AIリクルーター」とか「AI面接官」というものの開発と社会的実装を扱ってたSF小説、
— 相楽 (@sagara1) 2024年7月22日
安野貴博『松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記https://t.co/RHUiCkeAkg
を読んだその日に読むニュースとして、だいぶ面白い。 pic.twitter.com/d0bw4NI7JC
『サイボーグ009トリビュート』
参加作家9人に著作を読んだことがない人はいないものの個人的に馴染み(?)のある度合いに濃淡はあるから全部がそう、とは言い切れないけど。
全作品が非常に誠実に原作に敬意を捧げその諸要素を扱いつつ、思っきり各々の作風に取り込んで自身の小説にしてみせる様はなにやら揃って007だな、とぼんやり思ったりもした。
9作家9篇すべて良かった中でダントツで好きなのは長谷敏司「wash」。
次いで斜線堂有紀「アプローズ、アプローズ」、円城塔「クーブラ・カーン」。
酉島伝法「八つの部屋」、斧田小夜「食火炭」、藤井太洋「海はどこにでも」も結構好き……ということで、最初に挙げた三作品についてそれぞれ感想も書いてみる。
長谷作品の中でも『円環少女』が繰り返し提示した"戦いも怒りもいつか過去になる"というのは際立って印象的、かつ、好きだし、残酷だとも思える概念であり視点。
※「戦いも怒りもいつか過去になる」について詳しくはこちら。
『サイボーグ009トリビュート』収録「wash」はかつてそのことを描き抜いた作家ならではの1篇だと思えた。「戦いも怒りも、いつか過去になる」ことを断固拒み、だから容赦ない時代の変化に取り残されないために苦みも痛みも伴う多くを受け入れ、しかし誇り高く自分で在り続けるサイボーグ戦士たちの物語。
「言ってやろうとも。重い使命がのしかかろうとも人生をあきらめず、サイボーグの体に卑屈にならず、人間の幸福を捨てようとしなかった、汝こそわれらのもうひとりのリーダーだった。戦場よりも平和の力のほうが強いことを、汝のおかげで見失わずにすんだ」(p273)
「004が苦笑する。アップデートを重ねて時代に取り残されないよう必死な彼に、年齢を自然に受け入れられるフランソワーズの強さが、まぶしい」(p273)
p282-283で描かれる、"聴きたくなくても多くを聞き取ってしまう"フランソワーズがその力を「世界中のシステムに侵入したドルフィン号のAIが情報を取得するバックドアを作りまく」ることで「世界で最も危険なAI」を育てることに用いてみせた姿。
「うんざりなのは、004も同じだ。彼女は、おそらく第二次世界大戦を、理性と狂気が融和したこの国で生きた年代だ。そして、彼女は外の世界を、大戦を引きずった六十年代までしか知らない。時代に合わない潔癖さと古さが、洗濯せずに黄ばんだシャツを見るようで、故郷への懐かしい厭わしさがよみがえる」(p308)
003フランソワーズと「wash」で登場するクリームヒルデ……「自分の研究と好奇心に振り回された女」でありどこか『円環少女』の国城田義一を思わせる人物の対比が非常に鮮やかに思えたし、「洗濯せずに黄ばんだシャツ」というあまりに見事かつえげつない表現は作品の題名「wash」とも強烈かつ見事に繋がるものだろうとも思えた。
勿論、より直接的な表現が幾度も出てきてはいるのだけれど。
「半世紀も時間があって、身勝手さを反省すらしなかったのか! みんな、いろんなことを、苦しみながら、耐えて、時間で洗って、前に進んでるってのに」(p324)
「時間は、それでしか洗い流せないものを洗うためにあるのさ」(p325)
「ギルモア博士は、サイボーグ化すれば延命できるのに、それを選ばない。それは、寿命を迎えるときが、博士自身の罪を洗い流し終わるゴールだからなのかもしれない」(p325-326)
「自分を洗脳するシステムなんか使うくらいなら、まっとうに生きるべきだった」(p329)
「シャワーを浴びたい」(p333)
こうした、これと定めたテーマのいっそ過剰なまでに繰り返されその度に深まっていく問い直し、別側面の提示、更に掘り進めての自省といったものもまた、あまりにも長谷敏司作品らしい在り方でもある。
『サイボーグ009』と言われればとても多くの人がまず真っ先に思い浮かべる場面の「その後」を描いてみせた一篇。
前後の行を空けて
「拍手が聞こえた」
と提示される死を覚悟し昏睡していた009/島村ジョーの覚醒を促した007/グレート・ブリテンの拍手で幕を開けに……そして、
「でも、流れ星に願いを託す人はいても、流れ星に感謝をする人はいないのよね。私、それを思い知ったの……」
という003/フランソワーズの思いを引き金としてサイボーグ戦士たちと彼らを取り巻く様々な思いが様々な「拍手」を通じて描かれていく。
読むと圧巻の感傷と感動に侵食されずにはいられない一作。
■3:円城塔「クーブラ・カーン」
9人のサイボーグ戦士でなく、ギルモア博士をトリビュート作品の中心に置くのがまず、大変に「らしい」といえば「らしい」。
ギルモア博士と作中で描かれる「システム・ギルモア」の相違の在り方の描かれ方についても、あまりにも「らしい」一篇。
その中でひとつ、強く印象に残ったのが007の思いをスティングの名曲「Englishman In New York」のMVに託して描いてみせた場面。
こういう一面もしばしば、円城作品の魅力だなと改めて思わされもした。
※Sting - Englishman In New York
「かれーの店うどん」でとろっとぽーくを食べている間、ラジオでSting「Englishman in New York」http://p.tl/KnlD が流れてた。「永住権取得を目指していた友人をモデルに」と言いつつの、清々しい迄の鼻持ちならなさ。だが、むしろそこがいい。大好き。
— 相楽 (@sagara1) 2011年5月24日