「ミステリ読むこと書くこと〜講師:北村薫×杉江松恋」〜講演の記録


※注意書き〜講演中に断片的にとったメモと記憶から書き起こしているので、
発言及び話の流れなどに少なからぬ誤りもあると思います。
ご指摘歓迎。

なお、講演の感想はこちら

冒頭、杉江松恋講師から、今回の自分の役割について説明。
北村薫先生のお話と聞き手の間をつなぐ、ナビゲーターであり、スキッパー(水先案内人)を務めます、とのこと。
そして、その後にいよいよ、北村先生の講演が始まっていく。


幕開けは、人と人との《縁》の話から------。


教室において、事前に各自の机の上に、池袋コミュニティ・カレッジでの、北原久仁香という方による、「北村薫著「語り女たち」の世界を語ります」という別の講座のパンフレットが配布されていた。
この方は、『ミステリ十二ヶ月』のカラー挿絵を担当した版画家・大野隆司氏の友人で、大野先生を通じて北村先生に、(その朗読講座の前に先行する公演として)朗読+ダンスという変わった形での「語り女たち」の舞台化について、上演許可の伺いを立てたのだという。


快諾した北村先生は、鳩山邸でのその舞台をなかなか興味深く観られたという。

「例えば、「窓を見上げる」という朗読とダンサーの動きの連動していたんです。そして、「風が吹く」場面では、ダンサーの肉体が走り、その空気の揺れが朗読で語られる「風」と繋がる表現となった。自分の作品がそうしてその形式ならではの独自のやり方で演じられるのは、作者にとっても面白いことですね」



そして、更に《縁》の不思議といえることは、会場となった鳩山邸のことなのだ、と続けられた。
ここは近年、とある雑誌の紹介によってゴスロリの女の子達の、原宿表参道口〜明治神宮入り口に次ぐ第二の聖地となっているようなのだが(北村先生も「その手の方の撮影をお断りします」という張り紙があるのを見て驚いた、と語られていた)、ともかく、昔ながらの優雅な佇まいをもった建物なのである。
そして、この鳩山邸こそ、『覆面作家』シリーズのドラマ化『お嬢様は名探偵』の新妻邸のロケ地であったのだとか。「《縁》ですねぇ」と嬉しそうな北村先生。


そして、

「この池袋コミュニティ・カレッジの案内を見て、いやあ、実にいろいろな講座があるものだと感心したくなってしまいました。こうした場で、いろいろな表現に触れるのも、興味深いことですね。ただ、私は、そうは思ってもいつも面倒がってしまって、なかなか足を運ぶことがないんですが・・・」

と前置きした後、

「それで、これはここの商売敵の話になってしまって申し訳ないかもしれませんが、最近、宮部みゆきさんと阿刀田高さんが、朝日カルチャークラブというところで公開講座をなさったんです。その講座の前に、「そういうお話がある」ということを伺って、宮部さんに「なら、阿刀田さんのこの作品なんて、素材として面白くありませんか?」と勧めた作品があるんです。そうしたら、宮部さん「はいっ、読んでみますっ!」と。それで、私の、宮部さんの、そして作者である阿刀田先生が、それぞれ作品についてどんな風に向かい合ったか、これはちょっと愉しい経験でした」

と話は続いていく。

ここで、杉江氏からの「なるほど、北村さんは、さまざまに作品を「読む」ことの大切さについてよく語られますね。というか、よく、「書く」ことよりも「読む」ことの方がお好きだ、ということも口にされる・・・・・・」との発言に、

「そうですね、書くことも面白いけれど、読むことも実に面白い。うん、例えば、(ものの書き手を目指すような)他の方にとっても、書くことだけでなく、読むことも好きであって欲しい。本は読まないけれど、自分で本はどんどん書くというのは-----うーん、「アウト!」とまではいわないけれども、私としては、ちょっとね、と思ってしまうかな」

との返答。ここで、一拍入ったことを機に、北村先生から客席に質問が向けられた。

「……ところで、その講座にも参加された方はいらっしゃいますか?(会場から返答、挙手いずれもない)うん、そうですか。それじゃあ、この話は後で触れることにしましょうか」

そして、話は一旦、他のある講座についてのものに移っていく。

「では、もう一つ、とても面白く聴いた講座の話を。あの谷川俊太郎さんが、寺山修司とビデオレターのやりとりをしていた、ということをご存知の方はいますか?そのことについて、谷川さんと、寺山修司の奥さんだった方(筆者註:九条今日子さんのこと)との対談の中で話が出たんです。
寺山さんの晩年(筆者註:寺山修司の没年は1983年。このやりとりは1982年のこと)、まだビデオが大普及する前の時ですから、二人の大詩人が、子供が面白いオモチャを手に入れたかのように、ビデオというもので通じあったんですね。


そして、まず、谷川俊太郎から送られたのが、こんな映像。
画面に大きく、ボールペンが映る------「これが私のペンです」と、谷川さんの声。続いて、鞄が映る------「これが私の鞄です」。さあ、そこからですね。靴下が映る---「これが私の靴下です」。シャツが映る---「これが私のシャツです」。ズボンが映る、「これが私のズボンです」、パンツが映る・・・・・・。
どうなることか、と思うでしょう?徐々に身に着けたものを脱いでいってるんですね。サスペンスですね。謎です。さて、次はどうなる?


ここで、次に映ったのは・・・・・・青い幕です。なんというんでしたっけ……一面、真っ青な幕(筆者註:クロマキーのことだろう)。そして、谷川俊太郎はいいます。

 これが……僕の青空なのかもしれない。
 私は、詩人です。


にっこりと、心から楽しそうな笑みを浮かべた北村先生は、なおもそのやり取りの続きを語っていく。

「さて、それにあの寺山修司はどう応じたか。これがもう、実に寺山さんらしい。道行く人にインタビューですよ。「谷川俊太郎って、どんな人?」って。渋谷で歩いているお兄さんとか、「うーん、詩人だっけ?」「テレビでみたことがあったかも???何か変わってる感じのおじいさん?」とかいろいろ答えているのが撮られていくわけです。それで、質問がどんどんずれていく。「谷川俊太郎って、お金にすると何円?」とかね。それでまた、「うーん、1700円?」とか言われたりするわけです。しまいには、犬にインタビューしちゃうんですよ。犬に向かって「なあ、谷川俊太郎って知ってるか?」って」

「この話、大変面白く思いましてね。それを聴いた帰りに、九条さんの寺山さんについての回想録(筆者註:『ムッシュウ・寺山修司』もしくは『百年たったら帰っておいで』か)を買ったんです。それを読むと、出てきました出てきました、その話が。
でもね、ここが面白いんです------対談では、このエピソードについて九条さんは、「そういえば、そんなこともありましたっけ」と明るく笑って話されていました。それが、本の中では、「それを見た時、泣きそうになってしまった」と書いていらっしゃるんです。


……これはですね、どちらも本当なのだと思います。話すこと、書くこと、それぞれのあり方によって、それにふさわしい表現は違ってくる。それが、表現ということなんです。
対談での九条さんは、勝気でやんちゃな人として話をしていらっしゃいました。一方、書き手としての九条さんは、物静かでどこまでも真摯な落ち着いた女性の貌をもっていらっしゃいます。それぞれに、同じくらいの真実がある。それは、どちらが間違っているなどということではありません。これが、表現の面白さですね」

そこで杉江氏から入った、「寺山修司は自分史を語ることにこだわった人でしたが、そのあたりの話などは出たのでしょうか?」という問いに、

「それは特に話題にはなりませんでしたね。戦争体験などとの関わりでは、一応触れられたくらいですか。
ただ、ね。作家っていうのは、自分についてひどく嘘をつくものですよ。いろんな人の自伝なんかを読むと、"よくもまぁ、これだけ嘘をいうよなぁ”なんて思うことも(笑)」

杉江氏「そういえば、北村先生も、しばらく覆面作家でいらっしゃった・・・」

「ああ、あれはもう、何よりまず、原稿の依頼を断りたかった。なかなか、"書いてくれ"といわれたって、書けないんです、私はね。それでも、いろいろと原稿のご依頼を頂くことはあるんですが、どれもいつも断らせていただいていて・・・・・・。
今の朝日の新聞小説の連載も、最初は勿論、断ろうと思っていたんです。新聞小説なんて、自分にとても続けられない、と思いましたから。でも、ちょうどその時に、「『月の砂漠をさばさばと』のあの親子はどうなったんでしょうね?」という言葉を聞かされたんです。それで、ちょうど、いい時期に種に水がまかれたというか……運命的なタイミング、というものなんでしょうか。それで、書くことになりました。
そもそも、私はデビューのときから、東京創元社の戸川さん-----大学時代の先輩後輩からの長い友人なんですが-----に「書け、書け」と根気良く勧められてのことでしたし。それからずっと、ですね」

杉江氏「なるほど。前にも出ましたが、やはり、書くより読むほうがお好きなんでしょうか?」

「そうです。ああ、そうそう。「読む」という話で言えば、宮部さんから、筑摩(書房)から出ているイギリスの恐怖小説の本を薦められたんです。その中の南條さん(筆者註・翻訳家・作家の南條竹則氏。ここで話題となっているのは『イギリス恐怖小説傑作選』(筑摩書房)収録の、H・R・ウェイクフィールド「目隠し遊び」)の解説で、「読み終わって、寝床の中など、暗いところにいくとたまらなく怖くなる」とあった作品が、「いいですよぉ」とのことで。読んでみると、本当に夜寝る前とか、怖くて怖くて・・・・・・(にこにこと笑いながら)」

杉江氏「うーん、その場合、そうした解説があって、その上で「怖い」と思えるということになるんでしょうか?」

「それはねぇ・・・・・・例えば、宮部さんなんかだと、最初から「怖い」と感じていらっしゃったでしょうね。うん、解説というのはね、普通に読んでみえないものを示してくれる、という役割があったりしますね」

杉江氏「ああ、例えば、あの夢野(久作)の『瓶詰地獄』のお話とか・・・・・・」

(杉江氏が客席に向かって、『ミステリは万華鏡』の夢野久作『瓶詰地獄』に関する話のさわりを紹介するのを聞きながら、しばらく目を瞑り、頭を傾け、額に指を、支えるように当てていた後で)

「それはですね、例えば、大岡昇平のある小説のことなんかを話すのが、一番いいかな・・・・・・。でも、それを始めると、ものすごく長くなってしまうから・・・・・・」

杉江氏「大岡さんの・・・・・・せめて、その小説の題名だけでも伺えないでしょうか?」

「ああ、『俘虜記』です。その中でも有名な、あの、教科書なんかにも載っている、アメリカの若い兵隊を撃つのをためらい、遂に撃たずに終わり、その間とその後で、いろいろと考えるというところですね。
あれ、学生の頃に読んでね、「そんなに悩むことかしら。だって、撃ったら銃声が聞こえて自分の位置がわかってしまう。それで、今度は自分が撃たれるのが嫌だから撃たなかった、ということは考えなかったのかな?」と思ったんです。
それで、それから何十年もたって、どこかで、その時の私と同じ読みを、「すごく頭のいい女子学生がしていた」という話を読みました。それで、その話には続きがあった------「だが、大岡昇平という作家の人為(ひととなり)、そのほかの作品を読んだ上で考えるなら、そうした思考はその人にとって、そもそもありえないものであったことが分かる」ということです。つまり、(そういう理由で撃つのを止めるということは選択肢として存在しないというのは)「いうまでもないこと」なんですね。
そう、時代や環境によって、人が生きる上での常識が異なって来るんです。例えば、司馬遼太郎さんの作品の中で、志士たちが決起の相談をする中に、他藩の侍が加わろうとしてきた。そして、それを拒絶された侍は、その場で切腹してしまう。それは、その時にはそういう感覚が、常識だった、ということでしょう。命の重さの感覚が違う。そういうことは、《言うまでもなく当たり前》ということなんですね・・・・・・」

杉江氏「それは、「どこまで書くか」ということに繋がって来るんでしょうか?」

「ええ、そうですね。そして、それが難しい・・・・・・。
言ってしまえば、「ここまで書いて、それで分からないのであれば仕方がない」というのはあります。(例えば)『月の砂漠を(さばさばと)』のくま(熊)の話。お母さんが、娘のさきちゃんにくまが洗濯されて、苗字がついて「あらいぐま」になってしまった、という話をします。そこで、最初、さきちゃんは「くくっ、と笑う」だけなんですが、その夜が明けて次の朝、今度は真剣に、その話についてもう一度聞くんです。
それは、さきちゃんの両親が離婚して、彼女の家が母子家庭だから、ということなんですが・・・・・・。そこで、それをはっきりとそうであるとは書かない。これが伝わらなかったのなら、仕方が無いというか・・・・・・。
うん、「言いおほせて何かある」ということなんです。感じてもらわなければ、駄目だという。《読む》ということはシビアなことでもあります。時に、そこにはハードルがある。
例えば、『謎物語』という本でも書いた、『ミス・ブランディッシの蘭』の映画化の…えーと、なんでしたっけ…」

杉江「『傷だらけの挽歌』ですね」

「そう、その映画で、最後、ボロボロになって親から見捨てられた令嬢が、川へと身を投げる。それを主人公の探偵がみていて、彼に対して「助けないのか」と声がかかるわけですが、探偵は「I can't swim」と答えます。このとき、今でも覚えているんですが、試写会の席のちょうど私たちが座っている後ろのあたりで、プッと噴き出した若い人たちがいました。本当に"泳げない"のだと思ってしまったんですね。でも、それは違う。これは、泳ぐことができる探偵が、それでも言うからこそ、の言葉です。作品は時に人を拒んでしまいます」

杉江「そうですね。あの、北村さんならば、そういうものの見方について、瀬戸川(猛資)さんに導かれた面、というのは大きいのでしょうか?」

「うーん、それもありますけど……。ああ、瀬戸川さんはですね、魅力ある評論によくある話なんですが、その人の話を聞くと面白いのに、実際読むとイマイチ、なんてことも多くあったりしましたね。ほら、(口調を変えて)「お前、あれをまだ読んでないって!?あれは凄いぞぅ。あれを読まずして本格は語れない!」みたいなもう、聞いていて楽しくならずにはいられない語りで紹介してきちゃうんですから。そうです、評論というのも、その人自身を語る自己表現だからなんですよね。あれはもう、語る瀬戸川さんという人自身の面白さだったから。
そうそう、こんな話もありました。あるとき、瀬戸川さんが乱歩の少年探偵団ものの評論を書く仕事があったみたいなんです。で、その時、「お前!持ってるだろう、貸せ!!」っていって、私の本を持って言っちゃった。うーん、それって勿論、私にとって大切な本だったわけですが、なかなか返してくれない。それで、何年もたって、「瀬戸川さん、『宇宙怪人』と『魔法人形』、返してくださいよ」っていったら、(再び口調を変えて)「お前ぇ、執念深いなぁ!!」とかなんとかいわれちゃって。……で、返してもらいましたけどね」


終始、懐かしそうに、楽しそうに北村先生が語られた後、
杉江氏「ああ、でも、北村先生の評もそんなとこってありませんか?」

「うーん、私は、本当にいいものを紹介していると思ってますけどね」

杉江氏「ほら、『ミステリ十二ヶ月』の「白菜のなぞ」のお話とか…」

「ああ、なるほど……。(客席を広く見回すような目線で)あの、「白菜のなぞ」というのはですね、つまり、「白菜がいつ、どのようにして日本に来たのか」という話なんです。実は、明治時代なんですね。ですから、時代劇なんかで白菜が出てきたら、それは嘘になっちゃう。でも、朝鮮半島の方では、古くからキムチを食べている。それなのになんで……ということから謎が広がります。
実は、それは交雑の問題------持ってきて土に植えて、最初の一世代はよくても、次の世代から他の植物と交じり合っちゃったりする、そういうことだったっていうんです。そして、そこからはもう、『プロジェクトX』みたいな話になって……。それで、いろいろと研究を重ねた末に、


「なるほどっ!この手が!!」
(この言葉は、文字通りに、勢いよく膝をパン、と打ちながらの発言)


という解決がされるんです。不可解な謎と見事な解決。これはもう、「本格だっ!!」と」

杉江氏「そうそう、こうした評が、本を読む起動力になるんですよね」

「ええ、「どう語るか」という問題ですね。
例えば、カー(ジョン・ディクスン・カー/カーター・ディクスン)もそうでしょう?あの人が書くようなネタを、そのまま出しちゃったら「しょうもないなあ」で終わっちゃう話って、幾らもあるでしょう。
《語りのテクニック》というのはありますね」

「そう、ここで、最初にお話した、阿刀田先生の「雪の朝」(筆者註・『ファンタジーの宝石箱 第一集 人魚の鱗』(産経新聞社)収録)に戻りましょう。これはもう、一読、「さすがは阿刀田先生!」と嬉しくなってしまいました。まず、短い話なので、朗読します。


……以下、阿刀田高「雪の朝」の朗読。
(途中、最初に"主人公"の「ハヤブサ」という名前のところを、特にゆっくりと、力強く読み上げる)

(読み終えたところで)
「どうです。私は読んで、「さすが!」と思ってしまいました。
構成的には、ごく普通の叙述トリックなんです。でも、宮部さんと二人で「これ、書けないよねぇ」と声を合わせてしまいました。
何が書けないか。「ハヤブサ」が書けない。その名前が深いんですね。


自転車の持ち主は、男の子です。その子が、「ハヤブサ」という名前を付けた。


その自転車が来たときの、男の子の心踊り。
それに乗って走るときの、叫びだしたくなるような喜び。
それを手放してしまうときの悲しさ……。


考えて付けられる名前ではありません。必然的に、湧き出すように、この名前になったんだと思います。作品を成り立たせる要(かなめ)ですね。
ああ、こういうことを話していたら、作者の阿刀田さんは聞きながら照れてしまっていた、ということですが(笑)。


そして、どうもこれは、阿刀田さんの"もの”に対する想いが根本にあるんだろうな、と。
阿刀田さんも、子供の頃、いろいろと物資が乏しい時代を生きられた方ですから、ものを簡単に「捨てられない」のだそうです。大切にずっと使いたい。そういう想いが、原点にあるんでしょうね。
ああ、そうそう、宮部さんも、ファックス用紙の裏をメモ用紙として使っちゃうような方です。勿体なくて、と。いいですねぇ。だから、こういう感覚には、親しみを感じずにはいられなかったんだと思いますよ。


そう、いくら工夫しても、「巧い」などというのはしれたものなんです。(重要なのは)《何が込められているか》ということですね」




「また、同じ選集に入っていた、樹林伸という方の「捨て猫と雪」(筆者註・『ファンタジーの宝石箱 第二集 夜の翼』(産経新聞社)収録)という作品と比べてみると、また面白く思えますね。同じ題材から、それぞれの物語が立ち上がっていく、という。これも短いお話ですので、まずは朗読します」


……以下、樹林伸「捨て猫と雪」の朗読。

読み終えた後、杉江氏からの質問が「なるほど。樹林さんの作品だと、「はやぶさ」にあたるものはあるんでしょうか?」

「いや、この作品の場合は、そうした手法ではなくて……。
いうならば、《暖かさ》のイメージですね、それが、"かまくら"という形をとっていくという。こういう工夫が、いわば、アマチュアとプロの差というかね……。《型》を使いつつ自分なりの表現をそこに込めるか、あるいは、語り口やイメージの作り上げ方などで物語るか。いずれにせよ、その人らしい、《語りのテクニック》というのはあるでしょう」

杉江氏「北村先生は、朗読をされる際、随分と抑揚をつけて語られるようですが……」

「うーん、自分ではわかりませんからね……。
ただ、朗読といえば、私は、男性が女性の声を演じるのが、ちょっと苦手で……。逆は大丈夫なんですけどね。ここだけの話、例えば●●●さん(筆者註:「ここだけの話」ということでしたので、伏字にします)が読まれた『××』の朗読。ヒロインの○○の台詞なんかが、どうも……。その人の「よだかの星」も、ちょっと。ただ、「よだかの星」を、前進座の……誰でしたっけ……まあ、ともかく前進座の方が読むと、(老年の講談師のような口調で)「よ・だ・か・は・実に・この……」とこう。「なるほど」と思わされましたね」

杉江氏「(「捨て猫と雪」の朗読の際に)猫が拾われてからラストまで、畳み掛けるように語られていますね。こうした語りの工夫のように、書くときにもいろいろと意識されながら書いて行くものなのでしょうか?」

「ええ、それはまあ、そうです。
いろいろと苦労するんですが、それは見せないようにしたい、と思いますね。《苦労したとみえないように苦労する》という」

杉江氏「北村さんでも、苦労されますか」

「(苦笑しつつ)ええ、辛いですよ。それはもう。
それで、例えば『語り女たち』の朗読などを聞かせて頂くと、自分で書いたのに、自分で「おお、なかなか巧いじゃん」なんて思えてしまったり(笑)。
そうそう、山口雅也さんが書かれた、あの、死人が生き返ってきて……という話(筆者註:『生ける屍の死』)、あれはともかくいろんな知識とかなんとかが詰め込まれている話なんですが、ああいうのって、しばらく経つと、書いた本人も色々と忘れてしまうんですね。それで、後になって自分で読み返してみて、「俺って物知りだなぁ」と思ってしまったそうですよ(笑)」

杉江氏「何か、(物語を/小説を)書かれるときのセオリーのようなものって、持っていらっしゃるんですか?」

「セオリー、というようなものはないですね。そういうものではない。
ただ、ここではこの言葉しかない、その言葉が必然、ということはあります。
例えば、『秋の花』という作品の、「それも玉ゆらのことだろう」というのがそれです(筆者註:『秋の花』第六章二節冒頭)。現代の女子大生が話す言葉としては、変であるのかもしれない。葛飾の手児奈にまつわる場面なんですが……。でも、どうしても、あそこはあの言葉でした。それと、あの話の《私》というのは、そういう人間なんですね。あの子ならば、あそこでああいう言葉が出てくる」



「一方で、なにかやたらと比喩を重ねに重ねるようなやり方には、引いてしまうようなこともありますね。ある編集者の方の話なのですが、あの『世界の中心で愛を叫ぶ』、"セカチュー"というのを読んでいなかったのだけれど、「やはり一応は知っておかないと」ということで、テレビでドラマ版を観たんだそうです。そうしたら、冒頭の、なにか雨がざあざあ振る中で、男が号泣しながら叫ぶ場面をみて、隣で見ていた小学生の息子がひとこと、「引くよなぁ」と。
そうですね、読者が泣くのであって、作者が泣くのではありません。そうあるべきです」



「書くことの難しさ、ということでいえば、一人称の問題というのがありますね。男の主人公の場合だと……私/俺/僕の問題という。話すときには、「俺」が多くて「僕」も少し、書き言葉では「私」、というのがよくありますよね。あのあたりをどうするかというのが……。
そうしたこともあって、私の「覆面作家〜」のシリーズだと、話の最初から終わりまで、主人公の一人称は出てきません。
ああ、そういえば、船戸与一さんに聴いた話なんですが、いつもは「俺」としているところを、ある時、エッセイで「僕」と書いてみたら、愛読者から抗議が来たという。船戸さん、「俺は「僕」って書いちゃいけないのかっ!」って言ってましたが(笑)。
ああ、それで、「覆面作家〜」の話のことで、《一人称を一度も出さない》ということを言いましたが、作者としては、読者がすっと気付かずに読んでもらえるようだと、嬉しいですね。こう、目を皿のようにして「う〜〜ん、一人称が……」というのは……(笑)。うん、作者は、そうしたことが《見えないように》工夫して書いている、という……。」

杉江氏「(一人称といえば)『空飛ぶ馬』の《私》も、名前が書かれていませんよね」

「うーん、あの子については、どういう名前にするか思いつかなかったというか。それは、《それだけ大事な子だ》ということもであるんですが……。デビュー作でもありますしね。
一時は、これはどこかで書きもしましたが(筆者註:『街の灯』収録の自作解説)、最初は《北村薫》という名前だというアイディアもあったんですね。(覆面作家でいて)「うぅん、あの人は一体誰だろう?」というところに、作品で《北村薫》が出て、それで終わる、という。こうして出てきてしまったので、それももう出来ませんが」

杉江氏「もう、その線はありませんか?《北村薫》という。あるいは、他の名前が何か……」

「(穏やかな表情から、すこし張り詰めたような顔つきになって)《名前がない》、というのが一つの表現ともいえますね。……例えば、女性の方だったら、自分と同じ名前を、とか、男性の方だったらそれぞれ好きな方や、理想とするような人の名前を、とかね」

杉江氏「ああ、そういえば、「北村薫」が覆面作家だったということでいえば、私は「北村薫」が女性だと思ってしまっていたクチなんですが……」

「ああ、それはね……(笑)。「女性が細かく書かれている」なんて一方で、「女性が書いているにしては、女性が理想化されすぎている」なんてこともいわれましたし。そうですね、(杉江さんは)女性を理想化し過ぎるタイプなのかな、という(笑)」

杉江氏「女性の描写についてもそうですが、北村作品というと、その柔らかい語り口が大きな魅力の一つかとも思うのですが、そうしたところで(特定の)読者を意識する、ということはありますか?」

「(はっきりと強い口調で)意識したことはありませんね。その面では、ある意味申し訳ないんですが、書きたいように書かせて頂いているというか……。もし、自分が読むのだったら、と。あるいは若いときの自分が、とか、ね。
そうそう、あの、海外の有名なインタビュー番組、アクターズ・スタジオのあれで(筆者註:「アクターズ・スタジオ・インタビュー」のこと)いろんな質問に俳優たちが答えていて面白いんですが……。「もし、俳優にならなかったとしたら、どんな職業についていた?」という質問に、意外に「教師」という答えが多かったりね。おぉ、なるほど、と(笑)。
それで、その総集編みたいなので、「あなたが死んで、神様の前に出たときに、どんな言葉をかけて欲しい?」という質問が出ていました。それに、「よくやった」とか「あなたは正しかった」とか、色々な答えがされましたが、その中で、アンソニー・クインだったかな、彼が答えたのが、「アンソニー、分かっているよ」と。こう、ね、「分かっているよ」とね」

「表現といえば、漫画家さんの画というのも凄いものですね。いや、プロなんですから、うまいのは当たり前なんですが、やはり高野文子さんなんかは……。作品に応じて、絵柄そのものをがらりと変えてしまえる。すごいなぁ、と思わされますね。
変える、といえば、私の『詩歌の待ち伏せ』などでは、意識して「ですます調」を使っていますね」

「うーん、あと、最近はどうも、重い犯罪を扱ったものとかを、余り書きたくないと思えてしまう。自分でもそんなに読みたくないな、なんて、ね」

杉江氏「『盤上の敵』などの時はどうでしたか?」

「あぁ、あれは、書いていて辛かったですねぇ。……辛いといえば、今、朝日新聞に書いているものもね。身近な人の苦しみを描く、ということとか……」

杉江氏「ああ、すいません。そろそろ時間の方も終わりに近づいてきましたので、どなたか、北村先生に質問などがある方はいらっしゃいますか?」


(------以下、数件の質問と応答の後、サイン会になり、流れ解散)。


以下は、講演の感想をまとめる。



(以下、2006/3/23〜に追記)