大切なのは言葉ではなく。/アイドルマスターシンデレラガールズ8話感想

アイドルマスターシンデレラガールズ第8話「I want you to know my hidden heart.」感想です。


過去話の流れから見る8話の位置づけ


まず、1話から7話までをひとかたまり、特に1話を諸々強く踏まえての7話という在り方でCP14人とPの再出発となった前話までの流れかと思えます。
簡単に示せば、「一緒に」の歩みになったということかと。




簡単にでなく詳しく……というのは、過去記事を参照して頂けると大変嬉しいです。

○未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150220
○7話感想【前編】7話概説&本田未央特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304/
○7話感想【中編】島村卯月渋谷凛特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150305/
○7話【後編】CP14人+Pの再出発としての7話
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150306/


で、その上で。
PがCP14人皆と、また、一人一人と「一緒に一歩ずつ、階段を登って」行くとは具体的にはどういうことかが、神崎蘭子を相手に示されたのがこのデレマス8話かと思えます。


「一歩ずつ」登る道は、困難や誤りも伴うもののようで。
今回もPはまず、神崎蘭子という14歳のアイドルの卵、一人の少女に対する向き合い方として、手酷い誤りを犯してしまっています。
しかし、他の面々に大いに助けられ、また、自ら踏み出して助けも求め、そして「正面から向き合うこと」で心を通わせ、アイドル・神崎蘭子の在り方を、輝きを損なうことなくプロデュースしてみせました。
蘭子の方も、彼女ならではの悩みを抱え、彼女らしい向き合い方をし、彼女ならではの努力を重ね、何より自分に向き合い、アイドルとして輝き出した……という挿話ではないかと。


"Words, words, words."
問題なのは表面的な「言葉」がどうこうなどではなく、心を一緒に寄り添わせ、正面から向き合うこと。
そんなことが描かれた第8話「I want you to know my hidden heart.」だったかと思います。


以下、少し詳しく見ていきます。


Pの努力と過ちとそれを受けての蘭子の懸命さ


概説



で、これ、なんでこんなに「ダメ」になってしまったかというと。

きっと蘭子は「瞳を持つ者」としてプロデューサーを自分の理解者だと信じていて、多分、デビュー決定もその上だと思っていたんでしょう。
で、実際、Pは蘭子を理解すべく、懸命かつ地道な努力を続けてもいました。

でも、Pはああいう人なので、蘭子の心やこだわりがなかなかに分かり難い。

一応、上で示した8コマのキャプチャ画像と場面について軽く解説しますと。

(デビューにあたってのPV制作の概要について説明され、反応を返す中で)
1:「企画の内容になにか問題が?」と問われ。
2:蘭子は息巻き、期待と信頼を込め、
3:全身全霊で表現。
4:呆然とするP。
5:目の前の蘭子から目を逸らし私家版辞書を必死にめくり。
6:「イメージに相違があることは分かりました」
7:蘭子の期待。
8:「…が、すみません。差が…よく分かりません」

と口にしてしまう……という感じかと。
で、それだけなら蘭子もややがっかりしつつ、なんとか説明を続けようとしたかと思えるのですが。
そこで先ほど示した、悪い意味で決定的過ぎる「それが重要な事なのでしょうか?」という一言(をあの表情と口調で)が出てしまったんですね。
期待が裏返ってしまい、蘭子は(後述するように)とにかくめちゃくちゃ真面目で良い子なのだけど、さすがにむくれて拗ねてしまう。
14歳の少女として、仕方のないというか、当たり前過ぎる心の動きかなと思えます。


蘭子の失望と周囲の最初の反応


(デビューだ、やっぱりプロデューサーは分かってくれてたんだと喜んでいたのに。
 よもやそのPがあんなことを言うだなんて思ってもみなかった)
と嘆く蘭子。
(最後に明かされるように赤城みりあはしっかり言葉も心も分かっていますが)未央や卯月(と他の面々)もよくわからず、怪訝な反応。
そんな様子を目にして「……」と更に顔を曇らせての「闇にのまれよ」がなんとも寂しい。


アーニャの見事なまでに正しい架橋の試みと、蘭子の決意と努力


でも、そこでアーニャが追いかけるわけですね。



ここから、

「素敵な傘ですね」
「こういったものにも、神崎さんのこだわりが感じられます」

と「個性」を示す「私物」をきっかけに(→未央の語った意図を活かして)、神崎蘭子という少女/アイドルに近づこうとするP。
しかし、その「こだわり」とPの理解・提示するイメージの差を「それが重要な事なのでしょうか」と切り捨てられた以前の経験が蘭子を躊躇わせて。
ここで彼女は「気持ちを伝えるのって難しいよね」(智絵里)「そういう時はお菓子があると、話が弾むよ」(かな子)と直前にアドバイスを受け手渡されていたマーブルチョコレートを見つめ、Pに差し出してみせて。Pは青いチョコを選び取ってみせる。
そこから幾らか会話を経て、寮で様子を観ている前川みくのアドバイスを活かしてハンバーグの話で「禁忌に触れる」ための心の障壁を崩していくP。
互いに皆に支えられつつ、そして見守られつつ、心の距離が埋まっていって。
その流れの先に「プロデューサーっ!……言えた」、遂にPに委ねられる/委ねることができた蘭子の魂=「グリモワール」という展開になっているわけです。


(1〜)7話を経て成長したPの挽回&CPの皆の役割分担


またもアイドルを「混乱させ、傷つけて」しまったP


先掲の通りPは、以下の7話:凛説得時の次の場面から台詞を借りるなら

蘭子を「混乱させて、傷つけてしまいました」。
例えば5話(まで)で前川みくに、6話(まで)で本田未央に対してやってしまったように。


Pは誠実で一所懸命で努力を欠かさず、いつも「アイドルたちにまっすぐに正しい道を示す」人なわけですが。
ティーンエイジャーの少女でありアイドルの卵たちの複雑で激しく揺れ動く心情の理解にはずっと苦労し続けています。
例えば、改めて7話を振り返るなら。

Pは恐らくここでようやく本田未央という少女/アイドルの在り方、その望むもの、こだわり、恐れ……だからこそいかに深く傷ついたか、傷つけてしまったかを理解しているわけですね。
特に二つ目の方のキャプチャ動画の表情に、その思いがよく現れているかと思えます。
なお、ある意味、それとの比較としても。

8話のこの場面での驚きと反省の様子も見応えがあるかと思います。


6話で本田未央の場合でも、ライブ直前などでも、軌道修正のチャンスはあって。
同様に8話での神崎蘭子の場合も、CD発売、PV撮影までの間に蘭子とPの関係も、それぞれが自分自身と向き合うにも、まだ取り返しの余地があったわけで。
そこでPの方でも「逃げていた」姿勢を改め、「あなたたちと、正面から向き合う」ことで速やかに問題を解決してみせた(それはPが改めて自分自身に向き合うということでもあった)……という話の流れかと思えます。

CPの皆と「一緒に」挽回してみせたP



ここで、Pが蘭子と改めて「正面から向き合う」にあたっては、1−7話の間にPがCPの皆と、CPの面々が互い同士の間で育んできた絆や相互理解、距離感、信頼感、好意を背景にしての。
「「一緒に一歩ずつ、階段を登って」行く上での交流と相互補助が見事に働いていたというのも、8話の一貫した、大切な描写でした。





今回のMVP:渋谷凛


そして勿論、何より決定的にPの背中を押してくれたのが渋谷凛のアドバイス

実に鮮やかに、7話との対比が決まっています。


ちなみに。
私物持ち込みから蘭子の「個性」を知る上で、大きなきっかけになった「花」を持ち込んだのも凛。
幸運のお守りとしての蹄鉄"を解説してみせたのもやはり、凛。
アーニャの「蘭子、ホラー、苦手です」という蘭子の性格や好みの代行紹介を受け、「なんか意外だね」と口に出して(結果的に)Pの気持ちを楽にした(分かっていなかったのは自分だけじゃない)のも凛。


先掲のように「皆の個性がみえて面白いかなって思ったんだけど」と持ち込み企画を提示してみせた未央の貢献も大きいですが、その上で7話を経ての凛のこの信頼と好意に満ちたサポートが一つ、大きな見所だったかなと思います。


持ち込まれた私物


こちらの記事にまとめられていたりしますね。

○【モバマス】アニメでアイドルが事務所に持ってきた私物まとめ(とりあえず速報)
http://7toriaezu.blog.fc2.com/blog-entry-5421.html

写真立ては勿論島村さん。
キャンドルセットは新田美波さん。
で、パターセット、ブタミントンはいずれも本田未央ですね。


で、個々にみていっても面白いところですが。
一つ重要なのは、揃って"自分一人だけでなく、皆で楽しもう、皆に良いように"という「私物」ばかりだということかな、と。


蘭子の蹄鉄、智絵里のクローバー飾り、凛の花、きらりの毛布(?)、かな子のティーセット、卯月の写真立て、美波のキャンドルセット、アーニャの天球儀、みくの猫足マグネット辺りはその性格が言うまでもなくはっきりしていて。
杏のぐうたら妖精御用達クッションも「NO MAKE8話」で話題にされているように皆のためというか、皆を引きずり込むべく持ち込まれてる。莉嘉のカブトムシぬいぐるみもそうでしょう。
李衣菜のヘッドフォンも貸し出せるように3個も持って来ているし。
みりあのお絵かきセットもきっと、仲の良い莉嘉(5話のライブ案提示とか見るに、みくにゃんあたりも?)と一緒に遊びたいというのもありそう。
未央は相手が居て、一緒に遊ぶこと前提での持ち込み(パターセット、ブタミントン)にしているのがいかにも彼女らしいし、口にしていた最初の意図にもよく沿っています。


ああ、CPはなんとも仲の良い14人なんだな、と。
で。


ちなみに「特定班」という人(たち)はなんだかすごいもので。
ほぼ全部、凄い勢いでこれらの私物の商品名を調べあげてしまっているみたいです。
togetterに収録させて頂いてもいますので、気になる方はそちらをどうぞ。

以下のまとめ内の「特定班の方のお仕事」の項ですね。
http://togetter.com/li/768711?page=46


前川みくの尊さについて〜8話再総括


引用しますね。

※「今回も」みくがCPの皆のある側面を代表・代弁する重要な役回りを担っているので、全く問題ない話ですね。

※「今回も」の参考(みくにゃんのこれまでの歩み)


○アニメ版「アイドルマスターシンデレラガールズ」1-8話の前川みくについて
http://togetter.com/li/771731?page=1


「蘭子語がいい」ではなく「蘭子語でいい」。「丁寧語なのがいい」でなく「丁寧語でいい」。




ここで、Pが丁寧語を止めようと試み、結局「やっぱプロデューサーは丁寧口調のままがいいかも」と言い出した未央に言われてうやむやになった話について。
直前に連続で引用したききょう@haihole_kikyoさんの連投の補足というか、自分なりになぞった話をさせて頂くと。
簡単に言えば「アイドルの個性がCP全体で尊重される様に武内Pの個性も尊重された」ということにはなるのですが、この表現にはやや危うさがあるかと思えます。


丁寧語を止めることをCPの皆に提案されたPがそれに応えるべく四苦八苦することを通じて、7話で例えば莉嘉に「あの人、何考えてるか分かんないんだもん」と言われてしまったPは、アイドルたち全員と「一緒に一歩ずつ階段を登って」行くためにどれだけ心を砕いていこうとしているか、彼もまた彼女たちと同じように悩んだり迷ったりしつつ歩こうとしているかが全員に理解・納得されていく必要があったと思えるわけです。


その理解・納得、信頼と共感こそが大事なのであって、丁寧語云々は大事な問題ではない。
問題が解決されたから「丁寧語でいい」のであって、「丁寧語なのがいい」というわけでもない。


で、「蘭子語がいい」ではなく「蘭子語でいい」。
「丁寧語なのがいい」でなく「丁寧語でいい」。
この差はそれこそ全編に渡って丁寧に描写されもすればそれが必要でもあった挿話の核心で、正しく伝えるには全編を丁寧に解説する必要があるかと個人的には思えます。


この感想記事では正にそれを試みてみたつもりなので、記事題名の通り「大事なのは言葉ではなく」ということが正しく伝わってくれればいいな……と思います。



神崎蘭子について(補足)


いわゆるゴスロリ衣装に上から下まで身を固め。
346プロ内では基本、独特過ぎる蘭子語(通称・「熊本弁」)で喋る、際立った個性で一見近寄りがたく、関わるのが難しく見える(実際そういう面はあるけど)神崎蘭子……なのですが。



仕事として振られれば、皆と同じ指定の衣装で、おそらく割と普通に喋りもしつつ、きちんと素直に頑張ってこなしてみせているのでしょうし。



自分の幻想の世界に引きこもって日常生活をひたすら厭い、嫌っているのか?といえば、おそらくまるでそうではなく。
346プロの用意した女子寮の部屋にもしっかり英語や数学の参考書を持ち込み、大切な「グリモワール」の脇、おそらくよく使うものを置く場所に置いています。
ようするに、蘭子はきっと、しっかり熱心に勉強もして学校生活も頑張っていそうだと示されているかと思えます。


Pが「休日は、どのように過ごされているのですか?」と質問しているのも、学校にろくにいかず346プロでレッスンに励んでいるというわけでもなく。
おそらく中学にも(普通に制服を着て、常識的な言葉遣いや振る舞いで?)結構真面目に通っていたりするのかもしれませんね。


作品本編で詳しく描かれていないからといって、それ以外の生活なり側面なり思いなり「人生」なりがキャラクターに存在しないわけではありませんし。
ちょっとした描写が多くを示唆していることもあるかとも思います。


ついでに、しばらく以前に投稿した時点における、神崎蘭子というアイドルについての個人的な見方も掲載しておいてみます。











蘭子語とみりあとCPの面々と









蛇足ですが。
「2話の蘭子自己紹介時点から、ずっとそういう描写だったよね」と簡単に言える話でもない、ということですね。
「多分そうだろう」と「ほぼ確定的にそう見做していい」は大きく異なりますし。
理解度と伝達能力という話についても、赤城みりあというキャラクターの捉え方とも大いに関わる形で大変面白いところだったかと思います。
そして、対視聴者でなく、作中においてPのみならず、蘭子とみりあを除く12人が驚きを示している……"みりあは蘭子の言葉にいつも反応してみせているけど、なんとなく気持ちが分かるくらいか、あるいは、適当に合わせているのだけかと思っていた(?)"ことも、振り返って観る時、大いに面白いポイントになるかと思います。


「一緒に一歩ずつ」進んでいこうとPも宣言すれば、互いに好意を向け合う仲の良い14人であっても。
まだまだ誤解や未知の部分、互いの間の距離なんかも諸々あるのだな……ということが示されもした8話だった、ということにもなります。



本田未央について(補足)


まず、アバンのこちらの描写。


本田未央はあの大失敗を忘れてしまいたい過去でなく、目を逸らさず引き受けて。
それでも明るく歩めるアイドルであり、少女である……という話かと思います。


ここで、毎週の放送に合わせ原作ゲーム内で配信されている「NO MAKE」は毎話いずれも本編の重要で聴き応えのある補完になっているので必聴なんですが。
「NO MAKE」8話においては本田未央のキャラクターについて、踏み込んだ描写がされてもいます。

未央「あ、おはようございまーす!今度また、相談に行かせてください!」
凛「今挨拶した人、誰だっけ?」
未央「エンジニアのオガタさん。この間のミニライブの時に、音を出してくれてた人」
凛「そういえば…。未央、知り合いなんだ?いつから…?」
未央「ついこの間から。ステージで歌う時のコツとか教えてもらえないかなって、思って、プロデューサーに紹介して貰ったんだ」
凛「(笑い声)」
未央「…あれ?私、なにか変なこと言った?」
凛「んっと…未央、最近凄いなって思ったら、つい」
未央「…すごい?」
凛「先週からレッスン、増やしてもらったんでしょ」
未央「あっちゃあ…知ってたんだ」
凛「偶然だけどね。美波と一緒に踊っているのみちゃって」
未央「まあ、知られちゃってたんだったら、隠してても仕方ないなあ〜」
未央「……」
未央「……やっぱさ。あのままじゃ、終われないから」
未央「次のライブに出られるのがいつになんのかわからないけど、今の自分にやれることは、やっておこうかな、って」
凛「……」
未央「……うぅ、もう!黙って聴いてないで、なんか言ってよ!恥ずかしいじゃん!」
凛「(笑い声)。別にいいんじゃない。そういうとこ、未央らしいよ」
未央「…うぅ、余計に恥ずかしい」


ここで。


つまり、未央にとってみれば物凄く失礼を働いてしまった、顔を合わせづらいなんてものじゃないだろう相手だったということです。

「ステージで歌う時のコツとか教えてもらえないかなって、思って、プロデューサーに紹介して貰った」

と明るく語っていますけれど。
本田未央は本当はまず第一にプロデューサーに自ら申し出て、あの時のスタッフたちに謝りに行ったのではないかと思えるわけです。
先日の6話感想記事で重ねて書きましたが、未央はその描写からして本来人一倍、周囲の心の動きや考えに気づき、うまく配慮し、共に楽しめる「人間」であるに決まっていて。
なので、自分が何をやらかしてしまったかもよくよく承知しているし、これから何をしていかなければいけないか、何度も何度も考えに考えずにはいられなかったのではないかと推測します。
それでリーダーとして、アイドルとしてやるべきことの大きな一つとしてスタッフへの謝罪も進んでやったのだろうな、と。
勿論、卯月にも凛にも知らせずに一人で。未央は自分一人の失態(に巻き込んでしまった)と強烈に思っているだろうところ(実際にそうだし)、二人に話が漏れて一緒に謝られに付いてこられでもしたら、彼女にしてみればどうにもこうにも立つ瀬がない。
未央としても、そういう申し出を受けただろうPとしても、適切な判断と行動だったのではないかと思えます。


で、その大失態すらプラスに変えむしろ裏方のスタッフと仲良くもなれば多くを学ぶ機会ともしてしまい、それも含めて(勿論、伝え聞いた卯月の在り方にも大いに心を打たれつつ)「自分にやれることは、やっておこうかな」と歩んでいくのが本田未央というアイドルなんだろうな、と。
個人的には、そんな風に捉えています。


今回の感想記事は以上です。
なお、こちらのtogetterでは随時、より幅広い話題を対象に各話感想を更新していっています。

○アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)感想
http://togetter.com/li/768711?page=44
↑8話分は上記リンク先から。

アイドルマスターシンデレラガールズ7話感想【後編】CP14人+Pの再出発としての7話

○未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150220
○【前編】7話概説&本田未央特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304/
○【中編】島村卯月渋谷凛特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150305/


前編で出した目次、

1:「7話って、どういう話だったの?」という全体的な流れ。
2:本田未央島村卯月にも決して劣らない尊さについて。
3:島村卯月もまた「人間」らしい「人間」だろう。
4:渋谷凛も未央と一緒に謝らなければならなかった理由/凛の1話と7話。
5:7話はNG以外の11人にとっても再出発(特に前川みく双葉杏多田李衣菜に注目)。
6:7話の挿話内での演出及び過去話との対比演出のまとめ。
7:その他もろもろ。

の5、6、7について書いていきます。


5:7話はNG以外の11人にとっても再出発


繰り返しになってしまってすみません。
例によって前編の「1:「7話って、どういう話だったの?」という全体的な流れ。」の中で既に大まかには触れている話ですが、改めて諸々補足を。


まず前編で触れた話を簡単にまとめると。

a:PとCP14人であくまで自分たちの問題として解決させてみせ、城ヶ崎美嘉に「部外者」として遠慮させた展開の見事さ。
b:CP内での役割分担が段々はっきりしてきている。
c:特に前川みく、年少組(赤城みりあ城ヶ崎莉嘉)、多田李衣菜がそれぞれ異なる意味で全体の「代弁」を果たしている描写が巧い。
d:7話では14人の中で最も謎めいている双葉杏の描写においても興味深いところがあった。

といった話になります。


城ヶ崎美嘉を「部外者」に留めた展開の見事さと意味

aの「PとCP14人であくまで自分たちの問題として解決させてみせ、城ヶ崎美嘉に「部外者」として遠慮させた展開の見事さ」についてもう少し書くと。
まず、PとCP14人の再出発ということを強調しているという話であり。
また、7話の「再出発」は3話で掛けられた魔法、夢が解けての、改めての第一歩であるわけですが。

無論、「魔法」は(主に)3話の大成功(とそれであまりにも「私達の心の中にあった光の海」の眩さに目を奪われてしまったこと。端的にいってしまえば(Pを始め多くのサポートあってのことなのでやや語弊があるんですが)ビギナーズラックの成果に対する陶酔)を指すわけで。
ここにおいて、その「魔法」をもたらした(良くも悪くも)立役者である城ヶ崎美嘉の介入の余地なく、数日間の激動を経て彼ら自身の手で問題を解決させたことは、大きな意味があり、それを強調する脚本・演出でもあっただろう、ということです。


みくにゃんは今回も大活躍


続いて、b,cについて。
特にMVPは今回もまた、前川みくであろうと、正直に言えばみくにゃん贔屓の自分としては思えるわけです。
前川みくについては第一話からその動向を特に注視してきてもいますし。

○アニメ版「アイドルマスターシンデレラガールズ」1-○(随時更新)話の前川みくについて
http://togetter.com/li/771731

いえ、贔屓せずとも、割合客観的に観てもそうではないかと考えてはいますが。
以下、ききょう(@haihole_kikyo)さんによる一連の感想と最後の結論の通りではないかと。






PとCP14人の打ち解けた触れ合いは2話との対比


見出しまんまの話ですが。

こういうことです。
この対比も、7話で描かれたのが「PとNG3人の再出発」に留まらず、「PとCP14人の再出発」であることを明確に示しているかと思います。


双葉杏の動向


そして、今回もう一人特に要注目だったのが、双葉杏ではないかとも。
杏は例の「Uzuki's activity report」であくまで卯月視点ですが、

「杏ちゃんは……奥が深いです!」

と語られもした、おそらく視聴者にとってもCP14人の中で過去描写から最も性格が掴み難い謎の存在です。


※ちなみに。NGの3人にせよ他の面々にせよ、原作ゲームとは諸々設定や性格描写に変更が加えられているのは明らかですので。
原作における双葉杏とは諸々趣きの異なるキャラクターである可能性は大いにあることは大前提です。


で、まずは再掲。



未デビュー組を代表する形で前川みくが「プロデューサーを、待っています」と重みをもって語ってみせ。
14人の中のイレギュラーであり続けている杏もプロデューサーにしっかり返事をしていることで「全員の」再出発であることが強調されている、という捉え方になります。


ついでに、過去話における、数少ない材料からの双葉杏に対する憶測を幾つか掲載しておこうかと思います。
まず、2話時点。



続いて、5話。




同じく、5話関連。



これ、なぜ、長々と引用したかというと、今後描かれていくだろう、双葉杏のキャラクター性に繋がる話かと思えているからです。
前川みくが競争心や嫉妬心、不安といった(年少組の素直な表明を除いては)他のメンバーが表に出さない側面や、(原作ゲーム設定からの流れで)割と奇人変人っぽさは否めない面々の中で、実は一番の「常識人」の役割を担っていたともいえるだろうところ。
双葉杏は根本的に素直でまっすぐな気性の持ち主が目立つCPの面々の中で、それでも大小はありつつも「人間」として描こうとするならそれぞれ持ってはいる"素直になれない斜に構えた部分"を代弁……かどうかは疑問ですが、代表はしているのかもしれないな、と。
そして「杏を除く8人は各々が実に素人っぽい揃って非現実的な自分のCDデビュー案を考えた」ことと「
「撮影を一回で決めて」とあるように、アイドルとして、何をどう見せるべきかを把握し実行することに長けている」こともセットとして捉え得て。あの外見で実は17歳ということもあり、世間や「アイドル」というものについて一番しっかりと冷静に捉えているし、いざとなればその要求に見事に応えてみせられる、他の皆に足りていないものを持っているキャラクターなのかな、と。
あえて一言で言うなら「醒めて」いて。ミーハーに「キラキラ」に憧れる姿勢の対極としての「印税生活」「週休八日を要求」という話なのでは、と。


でも、そんな「醒めた」双葉杏が、他の皆の思いを代弁もしつつの前川みくの必死をあの立てこもり事件で間近に目にし、抱え続けた不安が解消されての安堵と喜びの涙と姿も見届けていて。
7話では一見「醒めた」風情で在り続けていたPが常になくあからさまに苦悩懊悩し、基本的に明るく楽観的、和やかで前向きな13人も「なんだか大変なことになってる」渦中に身をおくことになり。
その上で、Pと皆の再生、殻を壊し、爽やかな面持ちと笑顔で新たな第一歩を宣言したPと皆の姿を目にすることになった。
双葉杏にとって、それらの経験は何を意味し、何を思わせ、感じさせたのか。
ずっと「醒めた」ままで居続けられるのか。そこから外に「踏み込んで」行くとしたら、どんなきっかけで、どのようにして成し遂げられるのか。
なんだかとても楽しみなようにも勝手に思えます。



6:7話の挿話内での演出及び過去話との対比演出のまとめ。


これ、実は最初に目次書いた際に想定したものは殆どここまでの流れの中で触れてしまっているんですが。
大きなものとして、いわゆる「上手下手」の話があるので、紹介してみます。
あと、7話と1話(及び他話数も含む?)「門とドア」への注目は多分面白いと思うので、関心がある方は是非分析してみてやって頂けると嬉しいです(他力本願)。





なお、関連する話として。


※上記発言で触れている過去のやりとりを引用。

※引用終わり。以下、最初の発言の「ようするに」の続きです。




その他もろもろ。


記事内容の多くをtweet引用で構成していることからも言うまでもありませんが、アイドルマスターシンデレラガールズの感想に関しても、随時、twitterで最新話放送中や直後から延々書いたりRTしたりしています。
また、その内容を下記togetterにまとめていたりもします。

アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)感想
http://togetter.com/li/768711?page=1

そちらを読んで頂くと、作品に関してより幅広く様々な話題を扱ったりもしていますので、宜しければみてやって下さい。


7話関連については、下記URLのリンク先(の一番下の方)から。
http://togetter.com/li/768711?page=32
「Special Program」関連については、下記URLのリンク先(やはり下の方)から。
http://togetter.com/li/768711?page=41
武内駿輔さんについての話題なんかも多数収録させて頂いています。


それぞれ、見てやってでも頂けると幸いです。


ちなみにこうしたまとめを制作・更新している意図や目的についてはいろいろあるものの(なお、金銭的な利益は全く発生してません)、基本的には「それが自分には楽しいから」ですが。
例えばこんな話も一応あったりはします。




あと、持論として。
なんにせよ「結論としてどういうことなの?」という話なんかより、それに至るまでの過程にこそ、一層の面白さが宿っているものかと思います。
解釈なり解説なり、あるいは先行きの予測なりが「正しい」(そもそも「正しい」とは何か、という大きな問題が有りますが)なんて、およそ大した問題ではないんです。
どんな視点で、何に注目し、どんなアプローチで、どのような姿勢で作品から面白さを汲み取っていくか。他の人と感想や意見を交換し、相互に影響を受けていくか。
そういう話こそ、本当に面白いものではないかと考えています。
そうした活動を記録してもいきたければ、その渦中で愉しんで行きたいとも強く思います。



以上、三部構成の大変長い記事となりましたが、これでひとまず終わりです。
最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。

アイドルマスターシンデレラガールズ7話感想【中編】島村卯月&渋谷凛特集

アイドルマスターシンデレラガールズ7話感想【前編】7話概説&本田未央特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304/


前編で出した目次、

1:「7話って、どういう話だったの?」という全体的な流れ。
2:本田未央島村卯月にも決して劣らない尊さについて。
3:島村卯月もまた「人間」らしい「人間」だろう。
4:渋谷凛も未央と一緒に謝らなければならなかった理由/凛の1話と7話。
5:7話はNG以外の11人にとっても再出発(特に前川みく双葉杏多田李衣菜に注目)。
6:7話の挿話内での演出及び過去話との対比演出のまとめ。
7:その他もろもろ。

の3と4、それぞれ島村卯月渋谷凛を中心にした話を書いていきます。



3:島村卯月もまた「人間」らしい「人間」だろう。


前編の「1:「7話って、どういう話だったの?」という全体的な流れ。」の中で既に大まかには触れている話ですが、改めて諸々補足を。


状況が(脚本・演出が)現出させた「大天使」島村卯月







「笑顔の偶像」の尊さ、遠さ、怖さ、危うさ




島村卯月の今の/辞めていった仲間たちへの思い





上記リンク先記事でも触れられている話だけど。



島村卯月の自室、大切なものを写した写真ばかりを貼ったそこに、かつての仲間たちの姿が今も在る。
アイドルになることを諦め去って行ってしまった今も、卯月にとって仲間というのはそれだけ大切な存在。
逆にいえば彼女たちが夢破れて辞めていったことは当時は勿論、今も卯月にとって重いことで在り続けているのだろうと思う。
なお、島村家の裕福さについては(前編でも触れた)5話のこのカットあたりからも十分に察することは出来もした。

また、島村家がただ娘にベタ甘激甘なだけでないだろうことが、

1話の描写からも伺える。
そして卯月もそれに反発せず、素直に「私には贅沢」と言える性格でもあり。
そのように育って来ているし、育てられてきているということでもあるのかと思う。
あと、一応この話も示しておこうかと思う。



「SpecialProgram」での卯月視点の回想から伺えること。


7話の翌週は「SpecialProgram」と題した特番。
P役の貫禄ありすぎる17歳(!)武内駿輔出演でも大いに話題になったわけだけど。

※下記リンク先まとめ「武内駿輔17歳」の項参照。
http://togetter.com/li/768711?page=41

事実上の総集編にもあたる卯月視点での過去話ダイジェスト「Uzuki's activity report」も島村卯月というキャラクターの在り方を随所で見事に示す構成・演出となっていたかと思う。




これはそのまま、辞めていった同期の仲間たちへの思いにも繋がる話かと思う。その気持ちもやはり、分かるということだから。
で、いずれも前編でも触れた再掲だけど。

そのすぐ後、帰り道での島村さんの不調。

これは"ただ単に風邪の症状が出ていてこの時から調子を崩していた"と解釈することも可能ではあるけれど。
ガラスの欠片を踏み壊す演出の意味から考えてもやはり、アイドルを(目指すことを)やめたくなってしまう気持ち、それで実際にやめていった仲間たちの姿と残された自分の思い等が(不安ばかり増幅させ、凛の問いかけにも答えられずに逃げていってしまったPの様子ともあわせ)思い出されてのことで。
風邪を引いてしまったのも、それが大きく影響していたのだろうかと思う。


卯月本人の捉え方は、やはり彼女視点の回想で示されていて。

ただ自覚がないというだけでなく。
「笑顔には自信があります」、一方で笑顔以外には自信がなく、それで「お姉さんなのに」足を引っ張ることを気にし続けていた卯月は「こんな大事な時に風邪を引いてしまっていた」ことをきっと、本気で強く申し訳なかったと思っているのだろう。
だから、

このメッセージも勿論未央を思いやってのものだけど、偽りのない卯月の本音(「もっとがんばって、未央ちゃんや凛ちゃんに迷惑(をかけないようにしたい)」)でもあるのだろうと思う。


例えばPを驚愕させ、そして背中を押した「大天使」な姿もある意味、島村卯月なりの不安と恐れの裏表という側面もあるのだと思う。
あえて踏み込んで憶測するなら。

私なんかが私よりずっと凄いし凄いところを見せ続けてきた「未央ちゃんや凛ちゃん」の心配ばかりしながら、風邪を引いて倒れてしまっていていいのだろうか?
私の方こそ、きっと戻ってくる二人の足を引っ張らないように、もっと頑張らないと。そうでないと「置いて行かれ」てしまう。
笑顔と努力しか取り得のない私は、余計なことを考えすぎてそれを失ってはどうにもならない。
だから信じて、私は私のやるべきことをやらないといけない。

つまり「大天使」の内面もまた、「人間」らしい、島村卯月らしい悩みに満ちていたのではないかと。
個人的には、強くそう思えます。
そして、島村卯月という少女はこう考えて努力し続け、あの笑顔を見せ続けることが出来るし出来たからこそ、1話でPが現れるのを「ずっと待って」いることが出来たのだろうとも思えます。


で、改めてこの場面なんですが。


彼女にすればなによりまず本当に嬉しくてたまらず、その裏には"島村卯月なりに、島村卯月だからこそ怖くて仕方なかった"ということもあったのではと思う。
島村卯月はきっと、渋谷凛本田未央よりもより強く切実に「「置いて行かれ」たくない」と願う少女なのではと思う。


4:渋谷凛も未央と一緒に謝らなければならなかった理由/凛の1話と7話。


これも同様に前編の「1:「7話って、どういう話だったの?」という全体的な流れ。」の中で既に大まかには触れている話ですが、やはり改めて諸々補足を。


凛は「もうこのままは嫌」でたまらなかった


まず、この場面。
改めて考えるならば、直前の周囲の台詞。

多田李衣菜「昨日デビューしたばっかりなのに」
前川みく「……そんなの、プロ失格にゃ」「みくたちより先にデビューしたのに…」

もポイントなのだろうと思う。
後に激白する、

に繋がる話だろうな、と。


よくわからないまま「光の海」に飛び込んで、よく分からないまま心の中からそれが消えてしまって。
よくわからないまま未央は苦しんでいて、そんな彼女(と自分たちは)よくわからないまま「昨日デビューしたばっかりなのに」「プロ失格」と言われてしまう。
渋谷凛はとにかくもう、たまらなく「もうこのままは嫌」だったのだろうと思う。
だからこそ、その翌日に卯月の姿までも見えなくなってしまった時、とても耐え切れなくなりもしたからPに直談判しに行って。
だからこそ、そこで彼女に向き合えないPの態度に失望して、凛もボイコットに入ってしまう。


「卯月を待ちながら」


そして、その翌日の凛の姿。



凛の心情表現と過去話との対比


7話において渋谷凛の心情は過去話との対比もふんだんに交え、実に細やかかつ濃厚に描かれていっています。
以下、いくつか例示を。









○1段目。
1話で時計は23時35分。7話は18時05分。
○1段目-4段目。
差し込むのは月の光(1話)と、沈みゆく太陽の光(7話)。
○3段目。
上着(ここでは心の鎧のメタファーでもある)はハンガーに吊るされ、シャツ一枚で寝転び思いに耽る1話と、上着も脱がないまま無気力に横たわる7話。
○4段目。
1話で凛の視線は卯月にも薦めた一輪の白いアネモネを見つめる。花言葉は「期待、希望」。
7話、(おそらく未開封の?)自分たちNGと大切な仲間であるラブライカのCDが視野の中心に横たわり。
その脇にある花は他の方によれば、

「アニメ シンデレラガールズ7話に登場した花あれこれ」(たぶんab.のブロマガという名の何か)
http://ch.nicovideo.jp/shrimp_abP/blomaga/ar735362
「花の形、葉の形からエゾギクと思いました。
 エゾギクの花言葉は「変化」「追憶」「同感」なのですが、青色のエゾギクは「信頼」「あなたを信じているけど心配」だそうです」

とのことです。

○1段目。
1話、自分の心の「期待、希望」を見つめるように、凛の目は瞬(またた)きもしない。
7話、涙を堪えるように凛の目は潤み、震えている。
○2段目。
心象風景の明確で残酷な対比。
1話、桜の花舞う夢のように美しい風景の中、花を舞い踊らせる風に吹かれながら明るい日差しの中、体いっぱいに期待と好意をみなぎらせて見つめ、渋谷凛を誘う島村卯月と、その斜め後ろ、影の中で静かにじっと佇み彼女が踏み出すのを待ち望んでいるプロデューサーの姿を彼女は脳裏に思い浮かべる。
7話、彼女の目に映るのは(恐らく未開封の)横たわる二枚のCD、彼女と仲間の涙のように降りしきる雨、閉ざされた窓。
7話題名「I wonder where I find the light I shine...」は未央、凛、卯月、そしてP、それにCPの面々。それぞれに異なる意味を持つものかと思えるところ。
第一義にはSpecialProgramの卯月視点の回想で語られたように、

「私達の心にあった光の海は、どこか遠くへ消えてしまったようでした」

が卯月、未央、凛の三人についてはそれぞれ彼女たちにとっての7話題名の意味を示すものかと思えるわけですが。
こと渋谷凛については、この1話と7話の違いも同じくらいの重みをもって「I wonder where I find the light I shine...」という悲嘆と重なるものなのかもしれないと思えます。

2段目左の光景はまさに期待と信頼、「信じてもいいと思った」原風景、「the light I shine」を探し求める縁(よすが)だったかと思えるので。
○3段目。
これ、本当は動きまで示す必要がありましたね。
1話では凛のむきだしの右手は胸元へ伸び、決意を込めるかのようにぐっとシャツを掴みます。
7話では袖に包まれたままの右手を上着を着たままの胸元にそっと添えていたのが、力なく滑り落ちます。
特に解説は必要のない対比かと。

※2015/3/18追記。


※4/3追記
「(ここのBGMはなんという曲名なんだろう?)

判明しました。


凛の項の締めとして、再々掲になる未央と並んでの卯月への、CPの皆への謝罪について解説を試みてみます。。

ここで、凛には、未央とはまた別の思いがあるわけです。
自分をアイドルの道に誘い、常に笑顔を絶やさず、全面的に未央も自分もPも信じ続けてくれていた卯月をこそ信じるべきだったのに、信じきれなかったり、プロデューサーだけに寄りかかったりしてしまった申し訳なさ、合わせる顔のなさ。
未央の「アイドル、一緒に続けさせて欲しい!」に応じた以上、「プロ失格」の態度を凛もまた、CPの皆にも詫びなければいけません。
6話感想で凛のお辞儀については注目すべきということを書きましたが、ここでは勿論、それぞれ異なる「ごめんなさい!」ではありつつ。
未央と凛のお辞儀はタイミングも角度も見事に、そうあるべくしてあるべきように揃っています。
また、なぜ謝られるのかそもそもわからないとばかりに(実際彼女の内心としてはきっと、そう)涙を湛えて駆け寄り抱きついてきた島村卯月に対し、未央が感極まり目をつむり涙ぐむ一方、同じく心打たれながらもまず未央に目をやり、続いて(ああ……卯月ってホント、こういう子なんだ……)という雰囲気で改めて卯月を柔らかく見つめる渋谷凛の姿、その描き方もあまりにも素晴らしいと思えます。


自分だって渦巻く思いに胸いっぱいのこんな時ですら、(視線の動きで示されたように)傍らの未央をまず思いやれるのが渋谷凛という少女の彼女ならではの美点で。
そして、目の前の卯月をしっかり見つめ、その思いと在り方を理解し、近づいていこうともしている様子もまた、渋谷凛渋谷凛らしさが遺憾なく示されている描写かと思えます。

アイドルマスターシンデレラガールズ7話感想【前編】7話概説&本田未央特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304
アイドルマスターシンデレラガールズ7話感想【後編】CP14人+Pの再出発としての7話
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150306

アイドルマスターシンデレラガールズ7話感想【前編】7話概説&本田未央特集

アイドルマスターシンデレラガールズ7話「I wonder where I find the light I shine...」(及び、必然的にここに至るまでの過去話を総括することになる)感想記事、その前編です。


作品全体における7話の位置づけ


前回の記事

○未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150220

で構成・章題の形でもはっきり示しつつ書いたように。
6話は主に3話と明確に対となりつつ、過去話全体の流れが集約された「破局(3話で良くも悪くも掛かっていた「魔法」の終わり)」が描かれた回でした。


この7話で描かれたのは「破局」の修復であり、改めての再出発(「魔法」で飛ぶのではなく、しっかり地面を踏みしめて歩み出す第一歩)です。
特に1話を多くの対比を交えつつなぞり、過去話の諸々を踏まえつつ。
渋谷凛本田未央島村卯月、そしてP。それぞれのキャラクターの在り方と関係性とを、そしてシンデレラプロジェクト(以下、CP)14人とPとの改めての螺旋階段を一緒に登って行く第一歩、その再出発が描かれた挿話です。


1話からこの7話までが大きなひとまとまりで第一部。
ひとまずの完結編という趣があります。


担当スタッフを見ても。


1話。
脚本:高橋龍也(シリーズ構成)。
絵コンテ:高雄統子(監督)。
演出:原田孝宏(助監督)&矢嶋武。
作画監督松尾祐輔(キャラクターデザイン)。


7話。
脚本:高橋龍也
絵コンテ:高雄統子
演出:原田孝宏。
作画監督:嶋田和晃。


そうであるべきだし、そうでなくてはいけない布陣かと思えます。


この記事の目次


まずは、今回の感想記事で書いていく内容を項目に分けて目次として紹介してみます。

1:「7話って、どういう話だったの?」という全体的な流れ。
2:本田未央島村卯月にも決して劣らない尊さについて。
3:島村卯月もまた「人間」らしい「人間」だろう。
4:渋谷凛も未央と一緒に謝らなければならなかった理由/凛の1話と7話。
5:7話はNG以外の11人にとっても再出発(特に前川みく双葉杏多田李衣菜に注目)。
6:7話の挿話内での演出及び過去話との対比演出のまとめ。
7:その他もろもろ。


※2、3、4では前回記事に引き続き。

「この作品においては、いずれのキャラクターの長所も短所と表裏一体、その逆も真。
その上でアイドルたちもPもそれぞれ「一人の人間」として描かれることが志向されている」

という話を重ねて解説していくことになります。
何度でも強調したい、作品の核心かと思います。


また、はてなダイアリーの一記事内の限界容量の問題で、記事を分割します。
このページ内では「2:本田未央島村卯月にも決して劣らない尊さについて」の終わりまでを見ていくことになります。


1:「7話って、どういう話だったの?」という全体的な流れ。


7話はあまりにも見事に多くの要素が詰め込まれ、収束し、鮮やかに演出されているので最初にどう切り込むか悩まされます。
なので、まずは放送直後の個人的なまとめtweet連投に幾つか他の方の発言も引いて補足しつつ。
この後、最初の目次に示した各項目に触れていく中で随時補い、それを通じて7話を面白く観ていくイメージを大まかに示せたらと願います。


※このタイミングで見つけて、RT↑

とりあえずは、大体こんなところかと。
放送後間もなく〜数時間の間に続けて出していった感想なので粗も見落としも勿論ありますが、概ね間違っていないのではとも思えます。


この後、先掲の目次通りに順次より詳しく見て行く中で。
ここで提示した7話を観ていく上でのいわば骨格に、より豊かに肉付けをしていければと思います。


2:本田未央島村卯月にも決して劣らない尊さについて。


前回記事=6話感想の大きな目的の一つとして。
本田未央のあの空回りが、いかに彼女の長所と分かちがたく結びついていた、彼女ならではのものであったか。
本田未央というキャラクターを一人の「人間」のように捉えた場合、いかに納得の行く、仕方のない、むしろ応援せずにはいられなくなるものであったかを示すことがありました。
7話放送前に書き上げ公開した記事ですが、7話放送後に見ても、自画自賛ですが(細部には色々問題はあるかもしれませんが)大筋において適切な解説・解釈になっているかと思えます。


まずは、その補足をしていきます。
その上で、7話での本田未央の活躍と尊さが渋谷凛は勿論、島村卯月にも決して劣るものではないということを強く主張し、示していきたいと考えています。







「ずっと待ち続けていた」島村さんを「プロデューサーさんが、見つけてくれた」ように。
島村さんの笑顔に撃ち抜かれ、心の枷が緩み(手綱を手放して)駆け出して寄って来た(愛犬ハナコに象徴される)凛の心を拾い上げ、その上で決断を凛自身に委ねたように。
重ねての失敗を経て、Pはここでようやく未央の心……盛んに咲いていた花(3話の大成功)を儚く散らし地に落ちてしまっていた彼女を拾い上げようとしている。
1話で島村卯月渋谷凛に対して丁寧に行ったPの「拾い上げ」がこの7話に来てようやく、本田未央に対しても行われたということになる。


そして、7話を何番目かくらいに代表する名場面と思えるのが次のやりとり。

ここでも未央は「皆に、迷惑かけて」と言い。
そこにあえてPは「あなたを」ではなく「あなたたちを」と返す。


本田未央は、たくさんの人を笑顔にしたいアイドルで。
仲間たちの中でも、リーダーとして皆を引っ張り自分たちも笑顔にしていきたいアイドルで。
だからこそ、本田未央はこんな時でも「皆に、迷惑」が心に痛い。


それに対しPは例えば「そんなに気負わず、まずは謝って、むしろ助けてもらうくらいでもいいのではないでしょうか」などとは決して言わない。あえて「あなたたちを」と言った。未央にリーダーとして戻ってきて欲しいと呼び掛けた。
"あなたが準備の時から仲間たちを引っ張り続け、舞台に立ったデビューライブは成功だった。これからも、あなたはリーダーとしてやっていける。やっていくべきなのだ"とPは告げていて。
"7話での最初の訪問の過ちを繰り返してしまっている"などということでは断じてなく。これこそは、かくあるべき正しい呼びかけだろう。


そして、それに対する未央のこの表情の移り変わりが示すものがたまらなく尊い
一度顔を上げ、しかし、たまらず伏せてしまい……そして決意をもって、再び顔を上げてみせる。
1話の島村卯月が、地面に落ちた桜の一花=自分自身にしてみせたように。
1話の渋谷凛が、夜、卯月にも選んだ白いアネモネ(「花言葉は期待、希望とか……そんな感じ」)を自分へのものとしても見つめつつ、「夢中になれる何か」へ向けて踏み込むと自ら決めたように。
7話の本田未央はここで、自分自身を「拾い上げて」いる。
シンデレラたちはただ魔法使いに魔法を掛けられ「拾われる」だけでなく。
彼女たちが輝くには自分と向き合い、自分で自分自身を「拾い上げ」なくてはいけない。


人の心が、周囲の思いが、自分のやってしまったことが人一倍良く分かる彼女だからこそ。周りを楽しませ、笑顔にしたくてたまらない彼女だからこそ。
今回の失態はたまらなく苦しく、辛い。
それでも、本田未央はこうして顔を上げて見せる。
これがキャラクターの、人間の尊さでなくてなんだろう?


そして本田未央は、自分がどんなに言えた義理ではないかよく分かった上で。
罪悪感にも羞恥心にも恐怖にも打ち勝って、凛に向かってしっかりと思いをぶつけてみせる。
この時の表情の描写の複雑さ、丁寧さ、繊細さは(6話の「いいえ。この結果は当然のものです」を受けての絶望の表情との対比としても)圧巻。

そして、それが真正面から「嫌なんだよ」と断られて。
どんなにか、たまらない思いだったか、察するに余りある。
凛に歩み寄り、決意と誠意をもって手を差し伸べるPに任せきり、その背中の影に隠れてじっと見ていることしか出来ない……それが普通というか、むしろそうでないとおかしい状況かと思う。でも。そこで二人に駆け寄り。本当はもう一度信じたくて、その手を取りたくてたまらないけど恐れや罪悪感、羞恥、意地などで最後の距離を埋められない凛と、踏み込むと決めてさえ差し出した手をそれ以上伸ばしはせず相手に任せるPの手とを繋いでみせた、それが出来るのが本田未央という十五歳の少女であり、掛け替えのない輝きを持つアイドルなのだと思う。


過去7話を通じ、こここそが最高の名場面だと思う。
これ以上に困難で尊いことを成し遂げたキャラクターは、この作品の中でまだ、他に誰もいない。


また、再掲になるけど凛と連れ立ってのこの謝罪。

ここでも繊細に描かれた本田未央の表情から彼女の心境を考えてみると、何度観てもなんだかたまらない気持ちになる。


6話7話を繰り返し観てその内容について考えれば考える程、本田未央というキャラクターをどんどん好きにならずにはいられなかった。
あえて言うならば、この記事を読む人にも、是非ともより好きになって貰いたいキャラクターだと思う。


(記事の容量の関係で)続きはこちらに。

アイドルマスターシンデレラガールズ7話感想【中編】島村卯月渋谷凛特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150305
アイドルマスターシンデレラガールズ7話感想【後編】CP14人+Pの再出発としての7話
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150306

柴田勝家『ニルヤの島』雑感(ネタバレ多数。既読の方のみ推奨)※2017/10/27に少し追記。

※2017/10/27、記事末尾に関連としてちょっとしたtwitterのやりとり追記。


2015年2月22日に柴田勝家『ニルヤの島』を課題本とした読書会(「AtoZ読書会」。毎月開催のSF小説の読書会で、だれでも参加可能)が、素晴らしく面白かった。
やりとりの中で、大変好きな作品についての諸々言語化できていなかった感想や解釈がガンガン形になった上に。
一人で読み、考えても……あるいは通常の読者間の感想のやりとりを重ねても知る由もない、作品が整形されていく過程の話(経緯上、そういう話が出来る方がいたので)なども多方面に渡って聞くことが出来た。
まずは、改めて感謝したい。
参加者の皆様、ありがとうございました。



その思い出だか記念に……というわけでもないのだけれど。
読書会で自分が適当に喋りちらしたこと+α(あとでなんかグダグダ適当に考えた)ことを、メモ程度には残しておこうかと思う。
なお、文章の中で度々、いろいろテンションやノリがおかしいのは、どうかあまり気にしないで欲しい。



総合的印象


まず、ごく個人的な、総合的印象として。
「『ニルヤの島』は最新の科学の知見と、著者が専門とする文化人類学(及び宗教学?)の要素を濃厚に注ぎ込み、どこまでも固く思索的に検討し、誰も観たことのないビジョンを示すスペキュレーティヴ・フィクション」……というわけでもないのでは?と捉えていたりする。
勿論、そちら方面の掘り下げは諸々面白いのだけど、どうも、全方面についてあえて分かった上で極めて極端な説なり論なりに大きく寄りかかるというか土台にしてみせている観があるのでは、と。


例えば。
『ニルヤの島』はイーガン的(?)なように見せてラファティ的(?)、ラファティ的(?)にみせてイーガン的(?)というか。
『ハーモニー』で『グッドラック 戦闘妖精雪風』で「旧劇場版エヴァンゲリオン」というか。
SF&民俗学とか諸々悪魔合体の真面目な顔をしつつユーモアたっぷりの法螺話……あえてざっくり言うならば。


「これは諸星大二郎なのではないか?」と。


更にものすごく雑なこと言うと、イリアス・ノヴァク教授は稗田礼二郎のイメージで捉えると話がだいぶわかりやすく(?)なるのでは、と。


ともあれ。
ここからもう少し、まともな(?)事を書いていく。


目次、登場人物名紹介、作品構成そのものが作品の仕掛けというかわかりやすくいえば『ハーモニー』な感じ。


読書会で各々の感想をまずまとめて出していく流れの中、自分の番が来た時開口一番にいったのは。


「この作品、ある意味で素直、ストレートでは」、と。


というのは、この目次及び、主要登場人物名とその紹介。
「こういう背景・文脈の話をこういう流れと組み合わせでブチ込んで悪魔合体させるぞ!」と宣言してるよな、と。


まず、目次から。

1:動物行動学とか遺伝とかその辺。
2:殺害され交代する王。民俗学
3:世界をエミュレートするゲーム。アコーマン(チェスに似ているがそうではない)。ゲームの理論。
4:そのゲームを通じた秘儀(イニシエーション)による王の継承


続いて登場人物名と紹介……の話は少し後回しで。


「ペロ……この味は、事実上の『ハーモニー』!」


その前に、時系列とか視点とかがやたら複雑に交錯する構成について。
この在り方自体が作中で一つ目玉として描かれた、特定の作中人物から観た、その世界に普及した世界認識の在り方……はっきりいえば「日本国籍文化人類学者」であるイリアス・ノヴァク教授の「死ぬ間際、ほんの数コンマの間に脳が見せた幻影」(p318)である、と。『ハーモニー』の「彼女がetmlで叙述してみたのがこの本」というのと概ね似た話だろう、と。


目次について語るよ。


で、ここで目次についてもう少し


【1:動物行動学とか遺伝とかその辺】


章題の多くの頭文字がAGCT、アデニン、グアニン、シトシン、チミン。
DNAの四塩基の頭文字と同じ。
「転写」は主にそっち方面。「結合」も概ねそうかと。


より絞り込むと。
ドーキンスの「生物は遺伝子の乗り物(ヴィークル)である」云々というのがまずあり。
それ以上に、スーザン・ブラックモア『ミームマシーンとしての私』あたりの「生物は模倣子(ミーム)の乗り物である」という割と尖ったというか過激な説があり。
その相当に極端な説に(たぶんそうと分かった上で)あえて乗っかってるのかと思う。


例えばミームの概念を提唱したドーキンスは『利己的な遺伝子』とか『延長された表現型』では、"しかしながら、人は遺伝子のみによって生き、感じ、考え、動いてはいない"という一種のセルフカウンター(?)としてミーム概念を提出していた傾向が強いと思えて。その後の『ブラインド・ウォッチメイカー』以降からはむしろ「俺はああはいったけど、あんまり安易にアホな応用とかすんなよ。これ、そういうのじゃねーから」というモグラ叩きを延々とし続けている感は(個人的な印象として)あり。
「うおおおおお!ミームすげえ!ミームでいろいろ説明できる!ミーム最高!割と万能!……意識?自由意志?クソ喰らえ!そんなもの、はじめから無かったんや!」というノリ(とまで『ミームマシーンとしての私』を言ってしまうのもそれはそれでアレかもしれないけど)とはだいぶ違う感じだな、と。
あとミラーニューロンの話なんかもちょっと出てくるけど、色々注目を集めたその方面の立役者の一人の本も、だいぶ山師的な感じで。

マルコ・イアコボーニ『ミラーニューロンの発見』感想。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20110717

「少なくともある程度以上にまっとうにみえる作者(あくまで個人的印象)が、そこら辺の説に本気で乗っかっているかな?」というと、大いに疑問だという印象を抱いていて。


なんというか、分かっていて愉しく法螺話をするための道具として扱っているのではと思う。
だからこそ、作中において。
「生物は遺伝子の、そしてミームの乗り物」という話とカーゴ・カルト悪魔合体などという乱暴狼藉……「すごいぜ、これが「瓶割り柴田」の"腕力"か!!」と慄かされてしまう豪快な所業をやってのけられたのかな、と。


最終的に、p324の傍点部分「積み荷を運ぶ乗り物だけでなく」に全て掛かっていく問題であり、作品全体の核心であろうところでもある。
……まあ、そこを読み違えていたわけだけど。


ぼんやり、(限定的な?)『幼年期の終わり』的な何かかと思ってたよ。
「じゃあ、今はどう捉えているのか?」は自分で考えついた話ではないこともあり、ここでは書けない。
宗教は皆カーゴ・カルトというわけでもないだろうに、無理やりそればっかりやたら強調していたことの意味なんかも、ここにこそ関連付けてその意図なり意味なりを考えるべきではあった。それなのに、と。
それくらいは書いてもいいのかなー。


あと、表紙の帯外すと。
白髪の「ニルヤ」さんの足元。
『遺伝子の川』ですよ。はい。


【2:殺害され交代する王。民俗学


「弑殺」。
これは最後の「《TAG》--銘句--」(Make→Maker(造物主)にも掛けてありそう。TAGはタグボートなんかにも掛けてありそう)の文言、

「王は死んだ、新しき王万歳!」

とも繋がって、民俗学、例えば『金枝篇』なんかに書かれる王の殺害と交代による呪術の継続というか、なんかそんな感じの話かなと。
あやふやだけど、祭祀王とか春の王とか、なんだろう。なんかそのへんの話(実はあんまり詳しくない)。
ベジャールのバレエ「春の祭典」とか、なんかそういうイメージだと分かりやすい(?)のだろうか。
もっと分かりにくくなった?……ごめん。


そこら辺は何を示すかというと。例えばこう考えられたりもする。


神輿として担がれる「王」は殺され、交代を重ねる。
だが、「担ぎ手」たちはそのまま生き続ける。
王を次々に乗り換えて。


【3:世界をエミュレートするゲーム。アコーマン(チェスに似ているがそうではない)。ゲームの理論】


《Checkmate》と銘打たれた章たち。


世界はゲームで、このゲームをマスターしたものは現行世界の統御する者(マスター)となる。
なんでもゲームをマスターした者は

「全てのミームコンピュータに対する聖体(ホスト)の役割」(p305)

を果たす者なのだそうで。
それは対戦を通じて宗教的秘儀の継承のように為される。
途中で「アクセルロッド」(人名)が云々という話も出る。
有名かつ悪名高い「しっぺ返し戦略」のアクセルロッドなんだろうな、と。


悪名高いというのは、それも「ミーム万能!/ミラーニューロンでなんでも語ってやるぜ!ヒャッハー!」なそれぞれの皆さん同様、「なんでもかんでもいろんなことを「しっぺ返し戦略」で語れるんだ、「ゲームの理論」の解は「しっぺ返し戦略」だ……といわんばかりの大法螺ふかしてんじゃねーぞ!ふざけんな!」とよく問題にされる人や論なので。

※「アクセルロッド『対立と協調の科学』書評:「しっぺ返し」はそんなにすごいものではありません」
ttp://cruel.org/candybox/axelrodhype.html

でも、ミームミラーニューロン同様、「これでいろいろ説明、コントロールできちゃうぜ!ヒャッハー!」という便利アイテムの踏み台扱いをわざとしているだろうと思う。アクセルロッド(と「しっぺ返し戦略」)。

都市だ病(ヴァイラス)だ云々というゲームの駒の名前は、なんだか『銃・病原菌・鉄』っぽくもある。
その方面もまた、「なんか凄いけど、そこらへんの話、どこまで信用していいのかな?」という類のナニがアレな話ではあったりする。


なお。
この一連の話の中で面白いのは「全てのミームコンピュータに対する聖体(ホスト)の役割」とある、「聖体(ホスト)」という言葉だろう。
寄生虫の宿主のことも同じく、「host」と言う。
煎じ詰めればそれが言いたかったのではないだろうか。


【4:そのゲームを通じた秘儀(イニシエーション)による王の継承】


みずへび座のβ(ベータ・ハイドリ)、ロビン・ザッパ。

みずへび座ベータ星。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%B8%E3%81%B3%E5%BA%A7%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BF%E6%98%9F

「3等星の中では天の南極に最も近い位置にある」
「太陽より20億年ほど古い星であるため赤色巨星に進化する途上にあり、1.8倍ほどの半径を持つ準巨星と考えられている。太陽が将来どのような姿になるのかを示していると考えられ、しばしば研究対象となっている」

ハイドリ。ヒュドラ

ヒュドラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC

で、ギリシア神話に加えて。

クトゥルフ神話の一編には『ヒュドラ』(ヘンリー・カットナー、『ウィアード・テールズ』1939年4月号)があり、無数の生首を浮かべた巨大な粘液の怪物が登場している。また、ラブクラフトの『インスマスの影』にも「父なるダゴン、母なるハイドラ」という言及があり、こちらのハイドラは深きものどもの指導者にしてダゴンの配偶者と解釈されている」

で、作中で彼に勝ち、後継者となる人物の名は「クルトウル」だそうで。
クトゥルフ?旧支配者?古きものども?
そういう話かな。
ほら、やっぱり諸星大二郎じゃないか!!(「そこ、思いっきり我田引水してないか?」と言われると苦しい)。

で。
旧支配者。
その響き、ナイスだね。
それって「新たなる支配者に世代交代する」って空気をなんだか感じさせるよね!
……って話だったりもするのかもしれないしそうではないのかもしれない。


もっと単純に水+蛇。
水に満ちた楽園に入り込んだ誘惑の蛇。
まあ、ようするに悪魔。サタン。
例えばそういう風に見てもそれはそれで。



■主要登場人物名とその紹介。



イリアス・ノヴァク。日本国籍文化人類学者】


イーリアス』ってことだろう。
これは長年の戦いを経て、それが終わるところから語られる戦争の話だったんだよ!
だって、この本(の多くの章)自体が概ね彼の「死ぬ間際、ほんの数コンマの間に脳が見せた幻影」(p318)として描かれてる。
陥落する都、滅び行くトロイアの民とは、トロイの木馬とは、それぞれ何かとか。なんかそういう。

ノヴァクという苗字の方もいかにもなにかありそうだけど、今のところ自分にはよくわからない。

あと、日本。
なんかこの死生観が激しく揺さぶられた世界で、割と独自の立ち位置を取るに至ったそうな。
速やかかつ深い新時代の受容がなされたのだとかなんとか。


【ヨハンナ・マルムクヴィスト。スウェーデン人模倣子行動学者】


ヨハンナは洗礼者ヨハネとかヨハネの黙示録とか。
それに、女教皇ヨハンナとか。

教皇ヨハンナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%95%99%E7%9A%87%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A

この女性が辿った数奇な遍歴を考えると、いずれも(洗礼者ヨハネヨハネの黙示録の使徒ヨハネ、女教皇ヨハンナ)面白いかと。
特に最後かな。
(そこに関わる諸々は)「女教皇ヨハンナ」のように嘘なんだよ、法螺話なんだよ、というこれも一つの大きな標識なのでは、と。


で、スウェーデン
福祉国家のかつてのモデルケース。揺り籠から墓場まで。「生」の期間を手厚くサポート。
一時は人類の目指すべき理想的な社会とかなんとか言われたりもして、今は長い不況と高齢化の影響もあり、あまりにも高い負担と内部の軋轢に疲弊というか割と崩壊前夜っぽい感じも。
そして「揺り籠から墓場まで」とは「生」にとにかく手厚い分、「墓場」以降、「死」は管轄範囲外という趣もある。
で、『ニルヤの島』ではその「死」が激変した以上、スウェーデンはその意味でもまあ、大変だと。


ヨハンナ・マルムクヴィストさんはそんな国からやってきた。
マルムクヴィストという名字もやっぱりいろいろありそうだけど、よくわからない。


【ベータ・ハイドリ】

先ほどもう触れたのでパス。


【ペーター・ワイスマン】


まず、ペーターはペテロ。
使徒ペテロで、教皇

「おまえは岩(ペテロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける」
(マタイによる福音書

作品に照らして、またキャラクターの役割に照らして、趣きのある言葉なわけで。


ワイスマン。
ニイルとかニルヤとかがなんだか人々の無意識がどうこうとか語られてるわけで。
集合的無意識だ。

ユングの元型論だ、と
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B

(これも言うまでもなく、今や科学的知見だか学問的知見としては割と怪しげなものとして扱われてるわけで。ただし、創作論や(創作側がこれを利用だか援用だかしている場合には特に)作品解釈としてはいろいろ便利だったりも)
で、ワイスマンというのはその中の「老賢者」だろう。



概ね、目次と登場人物紹介あたりから拡げ、語れる話は大体こんな感じかなと。


他で面白いのは、例えば「実の子ではない娘を何度も育て失う母」の話。
「托卵」ということで延長された表現型同士の争いというか。
それを「社会的托卵」とか人間社会ならではのものとして見るなら、そこにミームも絡んで云々かんぬん。


あと、舞台がパラオ
生と死がなんだか混淆し繋がっている感じの感覚故に選ばれてるとか、なんかそういう?
沖縄のニライカナイ信仰なんかも流れて入ってきている感じ。



大体書きたいことは書いた感じなので。
非常にとっちらかったままで申し訳ないけど、とりあえずこの辺で終わり。

【関連】
ダーウィン文化論―科学としてのミーム』雑感。
柴田勝家『ニルヤの島』の副読本として『ミーム・マシーンとしての私』と併せ読むと楽しいというか、ある意味爆笑できる。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150324/


■2017/10/27追記










未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想

アイドルマスターシンデレラガールズ6話「Finally, our day has come!」。
今話のライブ及びその後の描写は、例えば次のように見て行くことも出来る。

初主演ライブでの感覚と実態のズレの描写

※一応書いておくと、番号は
1 4
2 5
3 6
と画像に対応していて、続くニュージェネとも対比させてます。




OPと6話特殊EDの対比で描かれた本田未央の受けたショックに寄り添う演出
更に、ライブ後の本田未央の心情、彼女の心に何が起きたのかについて、以下のように見て行くことも出来る。
3話で掛かっていた「魔法」、履いていたガラスの靴のヒールが未央の心と共に消え去り砕けたことの描写。

「自分にエール」⇔(回想)「結構友達に声掛けちゃったけど大丈夫かな」
「だってリハーサルぎこちない私」⇔「あの時に比べて盛り上がりが足りないと」
「ファンファーレみたいに」⇔「今日の結果は当然のものです」
「このピンヒール」⇔「私がリーダーだったから!?」
「背伸びを」⇔「アイドル辞める!」
「小さな一歩だけど君がいるから」⇔(無人のデビューライブ会場)
「輝く」(星になれるよ)⇔(会場の照明落ちる)
「運命のドア開けよう 今 未来だけ見上げて」⇔(見下ろす目線で映される、床に落ちたヒールの砕けたガラスの靴)


それぞれのキャラクターの視点から、作品のテーマに沿って眺める
このように見所満載だった6話について。
「より一層面白く見るにはどうすれば?」といったことについて、以下、検討していきたい。


あるキャラクターの言動なり価値判断なり感情なりは、優れた作品であればあるほど概ね、その人物ならではのものと描かれるものと思う。
例えば、アイドルマスターシンデレラガールズ6話の本田未央島村卯月渋谷凛も同じグループで同じライブで演技し、同じ観客とその反応に向き合っていても。
その内面の劇は一人一人、大きく異なる。


で、それもただ「人それぞれ」ではなく。
作品が提示し続けているテーマであり軸となるもの。
デレマスならば「アイドルとは何か」「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」を中心に見て行く/考えていくことで、より興味深く捉えていけるのではと思う。


以下、過去話からこれまでの作中描写に基づき、個人的に(勝手に)把握している三人の「アイドル像」を紹介し。
その上で6話の諸々が各々にとって何を意味し、彼女たちが何を思い、どう反応し、行動していたのかを推測していく。


島村卯月とアイドル

まず、島村卯月について。
彼女にとっては1話で凛に向け語ったように。
"キラキラした舞台で、最高の笑顔を見せる自分(たち)"というのがアイドルになること/アイドルとして望み、求めることなのかと思う。
アイドル・島村卯月の「笑顔」
Pによる選考理由が「笑顔」だという時、島村卯月の笑顔は「まず自分(たち)にとって、最高の笑顔」ということになるのかと思う。

「でも、夢なんです」
「スクールに入って、同じ研究生の子たちとレッスンを受けながら」
「私、ずっと待ってました」
「アイドルに……キラキラした何かに」
「なれる日がきっと」
「私にも来るんだって」
「そうだったらいいなって」
「ずっと思ってて」
「そうしたら、プロデューサーさんが、声を掛けてくれたんです」
「プロデューサーさんは、私を見つけてくれたから」
「私はきっとこれから、夢を叶えられるんだなって」
「それが、嬉しくて!」

彼女には辛い状況でも最高の笑顔を保ち続けることには自信と実績がある(「私、笑顔には自信があります!」)。
でも、その他に関しては自信がなく、そこは努力で埋めていくことになる。
6話においても苦手なターンを凛と未央に助けられ練習。ただし、それは後に語る未央との関連で言えば"努力でなんとかできる問題だった"ということでもある。

3話初舞台で島村さんが味わった「最高」の意味
ここで、3話での初舞台を終え、三人の間で交わされたやりとりを振り返ってみると。

「やりました! 私たちの初ステージ、無事成功しました!」
「なんかもう、全部がキラキラしてた! アイドルってやっぱりサイコー!」
「ですよね……ですよね!凛ちゃん!!」
「…うんっ」

島村卯月が「最高!!」と思えたのは、何よりまず自分(たち)が最高の笑顔を浮かべられたことだろう。
後述するけど「ですよね」と言いつつ、渋谷凛は勿論、本田未央ともその喜びの在処は異なったのだと思う。
※ただ、これも後で書くように、三人のいずれにとってもあのステージは「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」が魔法のように、夢のように期待し想像してよりずっと輝かしく叶えられた「最高!!」のものだった。

6話デビューライブへ向けた島村さんの期待
そして6話において、デビューライブに向けた彼女の期待とは"初舞台のようなキラキラの中、仲間と一緒にあの時のような最高の笑顔を見せること"だったろうと思う。

島村卯月のアイドルに懸ける思いについては、少し後に触れていく凛のそれについても含めて。
 1話について(2話放映前時点で)書いた以下の記事も参照して貰えると嬉しい。
 特に"島村卯月の最高の笑顔がいかに人を惹きつけずにはいられないか"を凛の視点を通じて再確認して貰えると、記事の趣旨としても大変ありがたいと思う。

○その笑顔は凝縮された時間を。/アイドルマスター シンデレラガールズ第1話感想。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150116/

6話デビューライブでの島村さんの思い
そしてデビューライブ。
観客の数と盛り上がりが思ったほどキラキラでなかったことに驚きやや落ち込みはしても。
それだけならきっと、かつてアイドルに成れる日を待ち続けた時間にそうしたように、それでも輝く笑顔を浮かべられたのではと思う。


でも、辛い日々は過去、その後は「きっとこれから夢を叶えられる」(1話)と思えていた彼女だからこそ。
夢と現実の差に失望、絶望して去っていった養成所の仲間たちを連想させるような未央の姿を目にした時、笑顔も消え、努力を重ねてきた苦手なターンも失敗してしまったのかと思う。
なお、島村さんの「夢と現実の差に打ちひしがれる仲間」を見た時の反応は先行して、5話でみくが心情を吐露した時にも示されている。



ライブに至るまでも、ライブの時も、その後も。
描かれたのは島村卯月ならではこその思いと失敗だったろうと思う。



渋谷凛とアイドル

続いては、渋谷凛について。
彼女にとっては1話でPが語りかけたように。

「心動かされる何か(を持っていますか?)」
「夢中になれるなにか(を探しているのなら)」
「今までと別の世界(が広がっています)」

それらを見つけることが彼女がアイドルになること/アイドルとして望み、求めることなのかと思う。


渋谷凛はいつも、目の前のものに真摯に向き合う
ここで、渋谷凛が心動かされ、いつも真摯に向き合ってきたこととして。
大きく分けて次の二つの傾向を見て取れる。
凛は、目の前で困っている相手を放っておけない
まず一貫して、凛は目の前で困っている相手を放っておけない。
大抵不器用にではあるけれど、常に立ち止まり、真っ直ぐに向き合い、なんとかしようとしてきている。
例えば1話の泣いていた子ども、不審者扱いされていたP、凛もアイドル志望と思い込んでいたのに違うと気づいて困り果てた卯月。
ぎこちなくでも思いを伝えようとするアーニャ(凛は3話でも6話でも、応援の思いを躊躇いながらも伝えようとする彼女に真っ先に、真っ直ぐに応える)。
3話で一際激しく動揺していた未央。
例えば、一番遅くやってきて一番早く初舞台を踏むNGに対抗心を露骨に示し、コミカルに、でも裏側には真剣な不安を抱えていた前川みく


3話で初舞台を前に凛が土壇場で強さを見せたのはおそらく大きく分け三つ理由があって。
まず、ミーハーな未央や卯月と比べ、彼女が多くの観客を魅了し多くの人たちに下支えもされ社会的にも注目を浴びるといった意味での「アイドル」に良くも悪くも知識も思い入れもなく、イメージと実態(の大変さ)の落差への動揺は少なかったこと。
次に、「今までと別の世界」に「踏み込んで」見ることこそは彼女が「アイドル」に望んだことで、そこで躊躇うわけにはいかないこと。
そして、目の前で特に困っている未央を放っておけないし、なんとかしたいと強く望んだからだろう。


3話アバン。

(「まだ実感湧かないかな。ステージに立ってる自分も想像できないし」)
「アイドルの仕事ってこんな感じで決まっていくものなのかな」
「うーん?」
「それは、わかんない…け・ど!」
「へへっ。やってみないきゃわかんないって!」
「うん…痛いって」

3話ライブ前。

(スタッフ「スタンバイ、お願いします!」)
(卯月「えっ……も、もうですか!」)
(スタッフ「はい、お願いします!」)
未央「……っ」
凛「……っ!」
凛「……行くよ!」
未央「う…うん」
凛「卯月も行くよ!」
卯月「は、はい…!」
((中略))
(凛「大丈夫、本番はうまくいく」)


5話、前川みくに対して。

渋谷凛は、目の前の相手を真っ直ぐに理解しようとする
第二の顕著な特徴として、凛は目の前の相手を理解しようと真っ直ぐに向き合う姿勢を見せ続けている。
※Pの不器用で真摯な勧誘と、自分がそれに応じたことを大いに踏まえ、影響を受けてのことなのかもしれないとも思う。


凛はまず卯月、それに未央を通じて「アイドル」なるものの知識やイメージを見てはいるのだけど、それだけではなくて。
例えば4話でKIRARIDONに遭遇、「色んな仕事があるんだね」。
同じく4話で多田李衣菜に「お勧めの曲とかあるの?」。

渋谷凛はいつでも目の前の相手に真摯に心を向け、目の前の相手の夢中になれる何かに関心を持ち、目の前の課題に対してできる努力を重ねつつ、今までと別の世界を求め続けていたという描写がされ続けているかと思う。



凛とそのお辞儀&3話時点で伺えた未央・凛・島村さん三者三様のアイドル像
ここで、凛の姿勢や「アイドル」に対する思いや理解は、例えばお辞儀の仕方や口の効き方(とその変遷)にもよく表現されている。
続く未央の話もやや先どってしまうけど。
3話放送時点で書いた、3話の3人の描写とそれぞれが「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」を絡めた話を引用してみる。




そして、実際に例えば5話ではこうなった。

※自分としては凛のかつての無礼にも映る振る舞いは、ここまで書いてきたように彼女がアイドル(及びアイドルになることに)何を求めていたかに起因する違和感や戸惑いによるものであり解釈として「斜に構えて」というのと多分違うと考えているけど、まあ、それはそれで。


更に、この記事冒頭でキャプチャや添付動画を示しつつ触れたライブ描写の中でも、凛と未央(と島村さんの)のお辞儀の深さ/浅さ、タイミング、三人が揃っているかどうかに重ねて触れたのはこの文脈を踏まえた話でもあって。
よく出来た作品では、こうして話数をまたいで流れとして、描写が(対比や相似等を強く示しつつ)流れとして繋がって行っているものかと思う。



3話初舞台で凛が味わった「最高」の意味
で、ここで再度3話、島村さんの時にも触れた初舞台終了後の三人のやりとりに触れると。

「やりました! 私たちの初ステージ、無事成功しました!」
「なんかもう、全部がキラキラしてた! アイドルってやっぱりサイコー!」
「ですよね……ですよね!凛ちゃん!!」
「…うんっ」

凛の喜びの在処はまず、「夢中になれる何か」の入口を実感・体感したことにあっただろう。
三話を締めくくる(正確には次話タイトル提示前の)、普段着に着替えて改めて舞台と客席を見つめての先掲の表情がよく示すものかと思う。
それともう一つ、目の前で大切な仲間である卯月と未央がこんなにも喜んでいることに「心動かされ」、嬉しくてならなかったのだろうとも思う。

アイドル・渋谷凛の「笑顔」
凛についても、Pによる選考理由はやはり「笑顔」。
常に真剣に目の前の相手と向き合う、そんな彼女がそのいつもの真剣をも大きく越えて「夢中になれる何か」を見つけた時に「心動かされ」て浮かべる笑顔。
ファンの誰もが、凛に見せて欲しいと願わずにはいられないものなのかと思う。
6話デビューライブへ向けた凛の期待
そんな渋谷凛が6話でのデビューライブに懸けた期待は"また、あの時のように「夢中になれる何か」の只中に身をおきたい"ということだったろうと思う。
舞台衣装にそれぞれ初めて袖を通す際の3話と6話の比較は、以下のように三者三様に面白いのだけども。

中でも、凛は「今までと別の世界」(再度引用。1話でのPの誘い文句)の中にいるような自分に驚き、高揚しているように見える。


なお、それでも3話同様、凛は三人の中では相対的に最も地に足のついた姿勢を保ってはいる。
6話インタビュー後、様子を見に来た城ヶ崎美嘉との会話でもそこら辺は示されていて。

美嘉「緊張してるかと思ったら、意外と余裕なんだね」
卯月「い、いえ、そんなことは」
未央「心配要らないって、しまむー。なんたって、美嘉ネエのバックですっごいステージを体験しちゃったもんね!」
凛「レッスンはしっかりやってると思うけど」
美嘉「まあ、あんたたちならやれると思うよ!本番に強いのは、アタシが一番、よく知ってるし」
卯月「わあ…」
未央「えっへへ」
凛(照れて目を逸らす)

凛は"積み重ねてきた努力の分はきっと報われる、それに応じてまた「夢中になれる」"という基本姿勢を取っている。
でも、同時にここで、3話でのあの魔法のような、夢のような時間を三人にくれた恩人である美嘉が三人に「あんたたちならやれる」「本番に強い」と太鼓判を押してしまってもいる。それもあって、この場面の後、レッスン風景を挟み、初めて衣装をみて、袖を通す(先だってキャプチャ画像も示した、鏡を覗きこんでの後の)場面の中で。

(未央「この衣装を着て……またステージに立つんだね」)
未央「あの時みたいに……!」
(回想。舞台へ飛び出す三人。光。大歓声)
卯月「ふふっ…」
未央「…うん」
(卯月「しかも、今度は私たち三人で!」)

凛もここで未央と島村さんが膨らませる期待に(やはりあの初舞台を思い出しながら)同調している。
先ほどの美嘉とのやりとりを思い返せば仕方がないというより、むしろ当然の反応だろう。

6話デビューライブでの凛の思い
そして迎えたデビューライブ。
冒頭で紹介したように、卯月が笑顔を失ったように、凛も「夢中になれる」自分を失ってしまっている。
なぜかというと。
まず、しっかり努力を重ねてきたのに、「あの時」に比べ目の前の観客の数も少なければ反応も鈍かったから。
それに加え、あの時は一緒に夢中になっていた仲間たち、特に未央が目の前で明らかにおかしな様子を見せていたから。
今やるべきことは目の前の未央へのケアか、目の前の観客に向き合い思い切り歌い踊ることか。そこで悩まざるをえなくては「夢中になれる」わけもない。
凛はそれでも未央を気にしつつ、まずはアイドルとして大きなミスは無く歌って踊り終え、その後には未央の分まで観客への配慮を見せ、礼を尽くしてみせた。
接客商売でもある花屋の娘であり、いつも目の前の相手を大切にし続けてきている渋谷凛
描かれたのはやはり、いかにも彼女らしい反応であり、言動であったかと思う。


本田未央とアイドル


そして最後に、今回特に焦点があてられた本田未央について。
彼女が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」は3話時点での話として凛の項でも触れたわけだけど、そこから更に補足していくと。



未央の前向きさは"アイドルとしての資質そのもの"への不安の現れでもある?
まず、前向きな言動の数々は同時に"だから、自分は大丈夫"と言い聞かせずにいられない不安の現れでもあるのでは?という話。
これは彼女が過去、学園のアイドル(人気者)を続けつつ、一方でオーディションで落ち続け。
シンデレラプロジェクト(以下、CP)に遅れて入ってきたNGの中でも更に一番遅れて来た、一度落選した後の「補欠合格」だったことも大きいのではないかと思う。
つまり、本田未央前川みく以上に"自分ではどうにもならない資質そのものが(他のみんなより)劣るのでは"という疑問と不安に苛まれていたのでは、と。
当人にはどうにもならない筈の「幸運」へのこだわりはその裏表だったのかな、とも思う。


3話初舞台で未央が味わった「最高」の意味


本田未央にとってこの初舞台は「もっとたくさんの人を笑顔にしたくてアイドルになった私は、数千人を楽しませ、笑顔にできるの?」という一度は立ち竦んでしまった挑戦に打ち勝ち、彼女にとってみれば「皆を笑顔にできるアイドルである私」を証明してみせたものとなったのかと思う。


6話デビューライブへ向けた未央の期待
3話の大成功を経て、おそらくはそれを受けてのCDデビューまで決まり。
本田未央は、

「Finally, our day has come!(遂に、私たちの日がやってきた!)」

と思えるようになったし、思ったのではないかと思う。


明るく振る舞いながら裏で不安に怯え、"幸運な自分"と信じ込もうともしていた日々はもう過去のもの。
これからはあの憧れだったカリスマJKアイドル・城ヶ崎美嘉も「大丈夫」「本番に強い」と認めてくれた自分が、自分たちが、実力で輝いてみせる。
その開放感と喜びの勢いを駆って、しぶりんとしまむーを引っ張ってリーダーだって立派にやってみせる!
皆の応援にも応えてみせる!
ずっと私と笑って楽しく居てくれてる学校の皆にも、「遂にやってきた、私たちの日」の晴れ姿を見せてびっくりさせてやる!!


……といった風に思ったのだろうなあ、この流れからも仕方ないよなあ、そうなるよなあ、と思わされる。
そんなこんなを思い合わせるに、この対比もまた、なかなかにキツい。



2-5話における、そして実は6話ではますます目立っていた未央の「活躍」


そして、その思いと勢いは根拠も中身もない、単に過信であり行き過ぎだったかというと、実はそうではなくて。
本田未央は2話から5話に掛けてNG3人の中でも中心的な活躍していたというのは勿論。
6話においてもあのライブの時まで、むしろ、リーダーの自覚をもってこれまで以上に元気に突き進む中での魅力を振りまき、形にもしている。


それは例えばアバンのこんな場面から示されたりもしている。



また、2話と6話のこの対比だって実に見事で。

この変貌は勿論「魔法」を掛けたPの手腕も大きいけど。
先掲一番下の凛と卯月に腕を絡めて引っ張っているような宣材写真が象徴しているように、三人の中でも特に未央が中心になって実現させたものかと思う。

未央の「コミュ力」の内実
また、本田未央の魅力、その美点はただ明るさや勢い、人を楽しませる天性の魅力といったものだけではないのだと思う。
未央のいわゆる「コミュ力」というのは、いわゆる「ウェイウェイ系」と言われるような(いや、この言葉は実はよく分かってないので話を分かりやすくするために結構適当に使ってしまっているけども。ここでは「実際に居るそういう人たち」というより、ある種「「そういう連中だよね」という偏ったイメージ」の方を参照するものと思って欲しい)似たもの同士の間だけ限定で浅く表面的に楽しもうという類のものとしては描かれていない。
例えば、渋谷凛神崎蘭子は天然では(少なくとも速やかには)距離を埋めていきにくい相手かと思う。
その二人に例えば未央も憧れていた有名カリスマJKアイドル・城ヶ崎美嘉とのコミュニケーションの仕方を併せて考えてみても。
「しぶりん」「らんらん」「美嘉ねえ」という仇名の付け方、使い方を代表とする本田未央の対人スキルというのは、相当な部分、意図的に振るわれもすれば、これまで時間を掛けて意識して磨き上げられてきたものではと思える。


関連して、例えば、目上の相手へのタメ口や礼儀の問題は表面上は凛と未央、二人共にあるように見えるのだけど。
3話までの凛については先に触れたレッスン時の美嘉へのタメ口質問でのベテラントレーナーの反応、ライブ時の楽屋における部長や外部のお偉いさんへの反応などかなり社会的にみて危ういところが目立った一方で。
繰り返しになるけど、未央の方は先輩アイドルに対してにせよ、自分が最後に加わった(既に互いにある程度関係性を築いている)CPの仲間たちに対してにせよ、相手を見て、それにあった適切な形で、タメ口も馴れ馴れしさも手段として使いこなしているということが、描写として見て取れるかと思う。
凛は相手によらず概ねタメ口が出てしまっていたけど、例えば未央は相手がそういうノリを好み実際にそう口にもした城ヶ崎美嘉だからこそ、それに合わせて懐に飛び込んでいったのだと思う。

未央が(中心になって)予防した「爆発」
また、5話で前川みくが以前からの不安が限界に達してPに向かって爆発したのだけど。
この事件の際に「起きなかった事態」というか、「それを起こさなかったこと」において、本田未央の貢献がやはり大きかったのではと思う。
5話において、前川みくは一番最後にやってきて一番最初に華麗に初舞台を踏んだNGの三人に向かっては深刻な形ではネガティブな感情や言動を向けなかった。
それは、こちらのまとめの中でも強調し続けていたように、

○「アニメ版「アイドルマスターシンデレラガールズ」1-○(随時更新)話の前川みくについて」
http://togetter.com/li/771731?page=1

前川みくが他の10人の中にも多かれ少なかれあった対抗心や嫉妬心といったものを図らずも代弁していただろうことを考えると、大変興味深い点だと思える。
なお、ここで。
"それは11人が現実の少女とは大きく違う、他人にネガティブな感情をガンガン向けたりしない天使のような女の子たちだからでしょう?"……「などでは済ませない」、あくまで一人一人を、まるで本物の人間のように出来る限り扱うというのがこのアニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品の揺るぎのない方針ではないかと思う。


どういうことかというと。
3話の大抜擢からのライブ出演大成功の後の4話、NGの三人に任されたCPメンバーのアピール動画撮影は作中においてPによる、正にその問題への対抗処置という意味合いも色濃かったのではと思う(勿論、対視聴者向けの意図と意味も大きいと思われるが、ここでは触れない)。
皆に応援され舞台で輝いた三人を、その余韻も非常に鮮明な間に、他の皆の良い所を引き出すいわば裏方に回す。
それは他の十一人へのPの例によって間接的な配慮だったのではとも思う。
また、下積みが足りないNGにとっては、これもいわばその一環だという側面もあったのかもしれない。
それらに加え、撮影を通じてまだNGの三人が殆ど接触のないメンバー(例えば蘭子や李衣菜)も含め、互いに互いをより知ってもらい、親睦も深めて欲しいという意図もあっただろう。


そしてNGの三人は結果として、Pの期待以上の働きをしてみせた。
相手の特徴を把握し良さを引き出し、相手の懐にすぐ飛び込める本田未央の観察力、把握力、プロデュース力、コミュ力。
接すれば好感を持たずにいられない島村卯月の素直な明るさ、前向きさ、笑顔。
いつもまっすぐ相手と向き合い、理解しようと努力し、目の前で困っている相手にはいつも不器用でも親切な行動を示す凛の善性。
仕上げには、皆の撮影に熱心なあまり自分たち自身を撮り忘れ最後にそれに気づくというオチまで付いたのだから、それはPだって思わず笑わずにはいられなかっただろう。
華麗過ぎた初舞台の大成功に驕り高ぶる様子など微塵もない姿は三人の実に魅力的なPRになっていた上に(「アイドル達の素顔3話」で改めてNGは自分たちの動画を撮影してはいるけど)。
その一方で、彼らの振る舞い次第では生まれ得た、3人と11人の険悪な対立なりその萌芽なりを見事に取り除いただろうものでもあったから。
ここで、NG三人のその「大活躍」の中で特に本田未央が中心的な役割を果たしていたことは疑いを入れないかと思う。
更に、対前川みく(及び彼女が代弁する他の面々の思い)としては、こんな話も注目していいところかとも思う。

デビューライブは客観的には「成功」だった
そもそも、冒頭で示したライブ中の観客の反応、終演後のラブライカ、美嘉、応援組、Pたち揃っての反応からも分かるように。
実はデビューライブとしてはあの状況でさえ、ラブライカだけではなくNGたちも客観的には成功していた。
作中の観客視点からは例えば

「なんだか硬くて動揺もしてるみたいだったね、特にセンターの子。
一番普通っぽい子もターン失敗して転んでたし。
歌い終わっても凹んだり慌ててる感じだった。
でも、そこら辺も初々しくていいんじゃないかな。
メンバーの誰かの同級生らしい子たちが横断幕までもってきて応援してたのも微笑ましくて良かったね。
これからも頑張ってほしいね」

という見方もできるし、おそらく概ねそんな感じだったのではと思う。
だから実際に舞台を見守っていた美嘉も、未央が駆けてくる前に応援組と話していたのは(彼らも含めトップバッターとしてよくやったという評価前提の)「次は他のメンバーもがんばんないとね」ということだったし、未央への第一声も 「お疲れ!良かったよ!」だったわけで。


バックダンサーとして出演の初舞台で大成功。
当人たちも共演の先輩方もプロダクションの部長もご満悦。
見に来ていた大御所作詞家(兼プロデューサー?酒井正利がモデル?)も気に入って宛書で作詞してくれる……。
そんな3話の出来事は作中でもあくまで"期待以上に出来過ぎ"だった話なのであって。
デビューライブで多少硬かったりトチったりしても"そういうものだよね。よく頑張ったよね"がごく普通の反応であるべきだろうし。
作中でも実際に、既に経験豊かなプロである城ヶ崎美嘉もPも揃ってそう判断、評価したのかと思う。


ほんの数日だか数週間前まで養成所のアイドル候補生、オーディションに落ち続けている「学園の人気者」、凛に至っては「ちょっと雰囲気のある花屋の娘」だった三人。
それが、良くない出来なら決してOKを出さなかっただろうPに、CD録音でGoサインを出させ発売を実現させ。
あんなにもアイドルとして魅力的な宣材写真撮影も成功させ。
インタビューでもラジオ出演でも(ラブライカと異なりぶっつけ本番でいろいろ慌てながらでも)結果的にいかにも彼女たちらしい好印象を与えられるようにはこなしてみせた。
相変わらず苦手なターンに苦しむ島村さんの練習も、リーダーとしてきっちりサポートして見せた。
それらは皆、2話からずっと、そして6話ではとりわけ、NG三人の中でも未央が中心になっての勢いあってのことかと思う。
ライブにしても、当日の出来はあの通り当人たちにとって不本意でも、デビューライブとしては十分な観客の集まりもその反応も、事前の広報での仕事ぶりも含めた彼らの勢いとがんばりが「客観的には成功」という結果に繋がったのだと思う。
繰り返すけど、数日だか数週間までは素人や素人に毛が生えた程度だった三人がCDデビュー、ライブをこなしてみせたというのは、それ自体実に見事過ぎるくらい見事な話で。
それこそ過剰なくらいの勢いや前向きさでもなければとても実現させられなかったことだろうと思う。


以上しつこく強調してきたように。
2話から5話にかけては勿論、6話においてもライブ本番のその時までは本田未央はNG3人の中でも中心的な役割を果たし続け、文句なく素晴らしい成果を出し続けてきたことが、本編描写から見て取れるかと思う。


CD発売にあわせたライブ
あと6話に関してはあれが独立したライブでなく、CD発売にあわせたデビューライブだったことも興味深い。
デビューライブとしては客観的に成功だった事に加え。
3話の成功からの勢いを駆って録音され、Pに手でリズムを取らせ、決断に重みのあるPにGoサインを出させたCDが売られる。
それに対しては(大手プロならではの広報もあるし)それなりの反響もあるだろうわけで。
CDの中には多くの後押しや下支えの上とはいえ、満員の観客もPも先輩アイドル達も部長も大御所作詞家も惹き込んだ3話ライブでのNG3人の輝きに大いに連なるものが入っているのだろうし。
CDを手に取る人の中にもあの場でその輝きを目にし、改めてCDにもそれを聴く今後中核にもなっていくべき大切なファンがいて、その反応もあるのかもしれない。
あえて準備下積み不足でもCD発売に踏み切ったのは宛書作詞に加え、そうした事情も大きく鑑みられてのことかと思う。
諸々事情は異なるけど、原作の原作(?)のアイマスのアーケード版も、少数のファンの異常な熱意で支えられた時期を経て、今があるという話をよく聞くし。
「アイドル」を描く上で作劇上どこかでファンの存在を強く押し出すかと思うけど、例えばここら辺であってもいいのでは。


……ラジオで先行してネタバレ(?)された「ファンレター」云々って7話ではどんな感じで出てくるのだろう。


6話デビューライブでの未央の思い
しかし、勿論、ライブ中の、そしてむしろそれよりもライブ終了後の本田未央の振る舞いは、いっそ見事なくらい酷いものだった。
デビューしたからにはプロのアイドル。まず目の前の観客に向き合うべき。
終演後も共演者、先輩、応援組、P、裏方のスタッフ、各々に対し取るべき態度というのはあった。
そこは否定のしようがない事実だろう。
要するに、そうする客観的必要性はどこにもなかったのに、未央の言動は漏れなく全方面に失礼な、正に「コミュ力」視点で最低のものだったとは言える。


ただし、「問題は正しい問いをもって検討されるべきだ」というのが、いわばこの記事全体の趣旨といえるわけで。
ここにおいて、

「これまで一貫して正しく肯定的な意味で「コミュ力の高さ」を見せつけ、大きな成果を上げ続けてきた本田未央が。
 なぜ、よりによって遂に迎えた晴れの日(「Finally, our day has come!」)にこんな振る舞いをしてしまったの?
 なぜ、そうせざるを得なかった、そうならざるを得なかったの?」

こそが、あるべき正しい問いなのではないかと思う。


個人的には、その答えは大きく分けて四つあり。
それらの合せ技一本が物の見事に最悪の形で決まってしまったのかと思う。


第一に、未央が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」という問題。
第二に、未央の明るさ、前向きさと表裏一体の不安。
第三に、未央の「コミュ力の高さ」というのは学生としてのコミュ力の高さ(⇔社会人としてのコミュ力の高さ)であっただろうこと。
第四に、未央の発していた警報を再三にわたって見落とし、最後に(彼としても)追い詰められた状況下で決定的な失言を犯したPの失態。

未央が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」
まず、その一。
未央が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」という問題について。


本田未央には人を惹きつけ、楽しませ、その中で自分も楽しめる天性の魅力がある。
でも、それ任せだと付き合いがごく薄い表面的なものになったり、何かの折に近かった相手が遠くなったり、自然には距離が縮まらないタイプの相手とは親しくなれない。
そういった事も解決すべく、本田未央は仇名の付け方使い方に代表される「コミュ力」を意図的にも鍛え使い込んで来たのでは……と想像させられたりもする。
皆とより親しく、深く笑い合っていきたいし。
「周囲」の範囲を狭く閉じてしまうのも嫌だし、拡げるのが楽しい。
その上で「周囲」を大きく拡げ、関わりもより鮮烈にキラキラに、自分も周りも笑顔にしていける存在として本田未央の目指す、彼女なりの「アイドル」像があるのでは、と。

アイドル・本田未央の「笑顔」
本田未央についても、Pによる選考理由はやはり「笑顔」。
彼女には関わる多くの人を笑顔にしてみせる力がある。
より多くの人を楽しませ、そうすることで自分も楽しくなる。
本田未央が「アイドルになることに/としての自分に望み、求めていること」は、そういうことなのではと思う。


そう考えた時、

未央「お客さんめちゃくちゃ少ないじゃん!!なんでっ!?」
P「十分です」
未央「あれで!?」
未央「前のライブと全然違うじゃん!」
P「前の…?」
未央「すっごいライブやるからって、友だちに言ったのに」
未央「早く来ないといい場所取れないからっ、て」
未央「私……バカみたいじゃんっ!」
未央「もっともっと……前のステージみたいに盛り上がると思ったのに」

という主張とやりとりも単なる我がままや世間知らずに過ぎないものではなく、彼女だからこその切実なものとして見えてくるのではと思う。

未央の明るさ、前向きさと表裏一体の不安
続いて、未央の明るさ、前向きさと表裏一体の不安について。


彼女の行動の根っこの方に"自分ではどうにもならない、(アイドルとしての)資質そのものへの不安"があったのでは、という話は本記事中で既に触れた。
それが3話の魔法のような、夢のような初舞台での大成功や6話での城ヶ崎美嘉の太鼓判により、「幸運」ではなく「実力」への自信という形に変化したのでは、ということも先述の通りかと思う。
だからこそ、あまりにも期待していたイメージと違った光景は彼女にとって、彼女の資質や実力の全否定……であるに違いないと、考えるより先に彼女の中だけでは必然的に直結してしまったのだと思う。
ここで、それは本田未央だからこそ、彼女にとってのみ切実かつ必然のことであり、その場の誰にも……Pにも、美嘉にも、応援組にも、ラブライカの二人にも、そして卯月と凛にすらも(すぐには)理解も共有され得ないもので。
その孤独も本田未央を強く打ちのめしたのかと思う。


なお、ここで未央に対しては、視聴者からも共感という意味での感情移入を妨げられる演出が為されていて。
それも未央の孤独を一層引き立てることになっているのも見事な演出かと思う。


それと。



で、この辺りの演出は総合的に何をしているのかというと。
未央がこんなにも事前に拡げていた期待と現実のギャップに独り(凛と島村さんと比べても非常に強く)強烈な失望と衝撃を感じてしまっている「理由や過程への共感」は妨げつつ。
未央にとっていかに辛く苦しかったかという、「結果に対する共感」は冒頭に示したOPと6話特殊EDの対比でもってグイグイと押し出してくるという、結構えげつないことをしているのだと思う。




未央の「コミュ力の高さ」というのは学生としてのコミュ力の高さ(⇔社会人としてのコミュ力の高さ)
で、三番目。
「未央の「コミュ力の高さ」というのは学生としてのコミュ力の高さ(⇔社会人としてのコミュ力の高さ)であっただろうこと」について。
本田未央は15歳の、ミーハーな高校一年生。
その感覚はあくまで学生のもの。
例えば城ヶ崎美嘉への接し方を見るとあれはアイドルというプロ同士として先輩の人気アイドルに接する態度ではおよそなく、「体育会系のすんごい先輩」に接する気の利く後輩の態度だと見ると、ある意味大変わかりやすいかと思う。
CPの仲間たちについても、アイドル同士でなく、部活の仲間への接し方だとして見るとやはり分かりやすいのでは。


なので、本田未央は例えばどういうことがわからないかというと。

1:既に大人気のアイドルたちの大規模コンサートに集まる観客の数とノリと、これからデビューする殆ど無名に等しい新人のCD発売に合わせたミニライブの観客のそれはまるで異なって当然。
2:その当然の事実に関して、(現時点においては)当人たちの資質や努力に拠らない部分の方が遥かに大きい。


その上で。


3:「見に来たお客さんの期待に応え、彼らを満足させられるパフォーマンスが出来たか」はまず第一に舞台に上がったアイドルの領分だけど。
4:「デビューライブをどれだけのお客さんがどれだけの期待を抱いて観に来てくれるか」は主にP及びプロダクション(の広報)の領分。

こういった、Pの(というか社会人一般の常識的な)視点から見るとあまりにも当たり前のことすぎて。
「それが分らないということが分らない」ということがたぶん、およそ分かっていない。

未央「お客さんめちゃくちゃ少ないじゃん!!なんでっ!?」
P「十分です」
未央「あれで!?」
未央「前のライブと全然違うじゃん!」
P「前の…?」
未央「すっごいライブやるからって、友だちに言ったのに」
未央「早く来ないといい場所取れないからっ、て」
未央「私……バカみたいじゃんっ!」
未央「もっともっと……前のステージみたいに盛り上がると思ったのに」
美嘉「それって、あたしのライブに出た時のこと?」
(Pによるライブ前の未央の回想)
P「つまり、あの時に比べ、盛り上がりが足りないと……」

この叫びは先ほど解説した通り、未央が「アイドルになることに/としての自分に何を望み、求めているか」という問題を中心に彼女の視点から見た時は、極めて切実なものと理解され得るわけだけど。
P(及び城ヶ崎美嘉)の視点から見るならば、これを聞かされた時、Pは(美嘉も)まず(あー、困ったな)と思ったのだろうと思われる。
キャラクターたちの表情も台詞の調子なども、例によって細かく丁寧によく描かれてるかと思う。


なお、ここで。
同じ問題に気づいていなかったという点では島村さんも凛も同じ。
では、なぜ二人も気づけなかったのか。


なぜ島村さんも、デビューライブに向け膨らみすぎた期待と現実のギャップに気づけなかったのか


まず、島村さんはPを信頼し、どんな環境で何を目標とすべきかといったことは全面的に任せ、自分は精一杯の全力でレッスンに励むという方針だったのかと思う。

「プロデューサーさんは、私を見つけてくれたから」
「私はきっとこれから、夢を叶えられるんだなって」
(1話)

丁度前川みくが正にそれをやって爆発してしまったように、考えすぎてしまって思うようにならない現実と夢や理想との差に打ちのめされては前に進めず、笑顔も浮かべられない。
島村さんは1話で「企画中です」とだけ告げたプロデューサーをそれでも信じてひたすらレッスンに励んだように。
考えなしなのでも愚かなのでもなく、意志ある選択としてそれを選ぶ強さと、選ぶことの出来る資質がある。
ただ、それは時に「考えるべきことを考えられない」ことにも繋がりはするだろう。
未央の事情も含めると、6話で描かれた今回のケースも、それに当たるといえば当たるのかもしれない。


なぜ凛も気づけなかったのか


凛は良くも悪くも、目の前のことに向き合うキャラクター。
自分にとって取り組むべき「目の前のこと」と見なせなければあまり考えられないし、時には危うい行動もあるかと思う。
例えば、先述の3話における、楽屋に来たお偉いさんにあからさまに礼を欠いたことも、その典型例。
PはNGの三人に「プロとしてのアイドル」という問題をおよそ語らなかったこともあり、凛はそれを認識していなかった。そういうことかと思う。
ただし、これも先述の通り、声援に応えることもなく駆け去った未央を心配しつつ、目の前に自分たちを観て、聴いてくれていた観客たちがいることを凛はしっかりと見て取っていた。
お辞儀や敬語の問題で示してみせたように、Pに言葉で教えられなくても、凛は実際に目にした経験から、向き合うべき課題をきちんと認識し、言動を改め、乗り越えていく。
Pも自主的に気づいていくことを望んで、あえて言葉で伝えることを控えているのかもしれない。


ただし、それこそ「巡りあわせ」の問題で言うならば。
プロデューサーの根回しもあってかは不明ながら、楽屋に来たお偉いさんや先輩アイドルが全く問題にしなかったから結果的に爆弾にならなかったけども。


「メンバーの一人が大抜擢した新人が、楽屋でお偉いさんにあからさまに礼儀を欠く態度を示した」


という3話の一幕は、お偉いさんの反応次第では6話の本田未央の言動が各方面への「無礼」だったというよりずっと大きな問題になっておかしくなかった。
本田未央の失望が彼女ならではの、彼女以外にはなかなかに理解し難いものであったと同様に、凛のそれも彼女ならではの、他人に理解を求めるのはなかなかに難しいものでもあった。
要するに、アイドルの側がその固有の事情で多少踏み外したことをやらかしてしまっても、周囲が問題にしなかったり暖かく受け止めたり、Pがしっかりフォローできてさえいれば結果オーライで済むという話ではある。それも職責として(マネージャーがいればそちらだろうけど)Pの役割ではあった。



Pの失態
最後に、第四の問題。
未央の発していた警報を再三にわたって見落とし、最後に(彼としても)追い詰められた状況下で決定的な失言を犯したPの失態。



デレマス6話でPがNG3人、特に未央の様子に気づくべきだった、そして見逃されたポイントは幾つも重ねて示し続けられてはいる。例えば次の4つ。


Pの一回目の見落とし


※ただし、ここに関しては先述したように。
6話のライブに向けての準備において、未央中心に勢いに任せて突っ走っていたNGの活動は(デビューライブというものが3話で彼女たちが体験した舞台とはいかに異なるかという正しい認識がされていなかったという、三人の意識という主観的問題を除けば)客観的には大変うまく行っていた。
例えば、ラブライカに比べて根本的に準備期間が足りない中、"NGは未央中心に勢いに任せて走らせる"という方針だったとすると。
それ自体は(各々のメンバー特性を考えても)客観的にも頷き得る判断ではありもする。
実際にライブが未央以外の視点では「成功」を収めたのは、NG三人が出演した事前広報も含めての成果と捉えることもできる。


Pの二回目の見落とし



2つ目のポイントは、衣装を着て前回のライブの手応えを思い出し高揚する三人、その描写の直後ラブライカの二人と共に彼女たちの様子を観た時。
ここでPは3人を観てすぐ、なんかしら驚きだか強い印象を受けたアクションをしてるけど、どういう意味だったんだろう?
華やかに似合っていて驚いたのか。
「いい転機になれば」と言われたPの過去になにか関係があるのか。




Pの三回目の見落とし




ひどく不安そうな未央に対し「大丈夫だと、思いますが」という台詞をいかにも(なぜ、そんなことを聞くんだろう?そんなに集まるわけがない、わかってるのでは?)と言いたげな響きで言ったところに、Pが未央の心情を把握していない様子が明らかに示されている。


Pの四回目の見落とし



ここで未央だけでなく、5人揃って期待と失望の大きな落差を示しているところからも。
今回Pの配慮が薄く足りていなかったのが未央だけでなく今回CDデビューの5人全員に対してだったということが(NG3人の初舞台での入念なフォローとの対比としても)伺われもする。


なお、ここで3つ目、4つ目に挙げた場面におけるPの様子は、彼が今回、"未央(と凛、島村さん)の抱いてしまっている過剰な期待を十分に分かった上で、現実をぶつけてみせた"という見方を否定していると思う。特に未央について、明らかに分かってない。


関連して先ほど触れた出番直前、

「ぁぁ……」※頬を掻く
「第一歩目です。がんばってください」

というPの言動の意味について、あえて強引に踏み込んで翻訳を試みてみると。

「皆さんわかっているかと思いますが、先日の本田さんたちの初舞台のようには人は来ませんし、盛り上がりません。これからデビュー、知名度は無きに等しいですから。実際目にすると少々ショックかもしれません。でも、これからです。がんばってください」

ということだったのでは。
勿論、もしも後から意図を聞かされでもしたら5人揃って「いや、分かってなかったから!」と抗議したくなるだろう話だし(ただ、年長の新田さんあたりは「少しは"そうかなのかな"とは思ってたけど」というのはありそうかも)デビュー前後の十代の少女たちとしては当然かとも思う。
そんなこんなで総合的にみると、6話は未央及びニュージェネ三人の問題であったという以上に原因としても責任としても相対的により重く、Pの問題ではあっただろうなあ、とは思う。


そのPの未央にトドメを刺してしまった一言、

「いいえ、今日の結果は当然のものです」

を巡るすれ違いについては、以下のまとめ内で諸々検討してるので。
もし良ければぜひ、そちらもどうぞ。

○アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)感想
http://togetter.com/li/768711?page=23

↑6話分は上記リンク先から。
http://to