ガールズバンドクライ5話。河原木桃香の「ごめんね」「ごめん」の意味について~現在進行形の傷としての「脱退」&なぜ「中退」でなく「不登校」なのか

ガールズバンドクライ5話。

 

酔い潰れた桃香の二度繰り返す

「ごめんね」

「ごめん」

これはきっと脱退という過去の"裏切りと。新たなメンバーと全力でやっていってしまうこれからの裏切りへの「ごめんね」なのだと思う。


そして仁菜に「私の歌」を見出して故郷に帰るのを止めた時点でもう"これからの裏切り"は決めてしまっていたのに、その事実にはっきり向き合えずにいたことを"裸の自分を出せ"と促し続けていた仁菜にも詫びたのかもしれない。

「やりたいことも一緒で、これは運命だって感じた。こんな奇跡無い、って鳥肌立った」

 

桃香が振り返るダイヤモンドダストの仲間たち。
そして「やりたいこと」とは、

「ガールズバンドで婆さんになってもオリジナルメンバーで続けようって。絶対にやめないって。音楽性も主張もない、目指していたのはそれだけ」

その思いを皆で共有していた筈なのに、桃香自身、それを「運命」とも「奇跡」とも感じ思いは揺るがないと確信していた筈なのに。
そのメンバーで続けていくという絶対の目標のためにも曲げられないものが出来ていたことに、きっと桃香は気づいてしまったんだろうと思う。

「バンドも人間と同じで、成長もすれば、変化もするんだ。どんなものでも、変わっていくんだよ」

つまり"変化してしまった"のは、変わらないはずの「やりたいこと」が変わってしまったのはダイヤモンドダストでなく桃香の方だった、と。

「だから、悪いのは私なんだ」

この言い方が仁菜が口癖のように言う「私が悪いんです」と重なるのもきっと、大きなポイント。
仁菜がどうしても自分の「正しい」や「負けない」をダメだと思っても抑えられないように、桃香も自分の音楽をどうしても曲げられない。桃香自身にもどうにもならない。

「ひん曲がりまくって、こじらせまくって。でもそれは、自分に嘘をつけないからだろ。弱いくせに、自分を曲げるのは絶対に嫌だからだろ」

「それはさ…私が忘れていた、私が大好きで、いつまでも抱きしめていたい、私の歌なんだ」

 

ここで「脱退」というのは桃香にとってすでに過ぎたもの、過去ではなく。
「ガールズバンドで婆さんになってもオリジナルメンバーで続けようって。絶対にやめないって」と固く誓った約束を共有していた相手を現在進行形で裏切り続けている、巨大な傷だ。

同様に「中退」でなく「不登校」なのは、仁菜にとって既に済んだ過去でなく、今、通うべき学校に通えていない……現在進行形で「負け」続けている問題だからだろう。


そして3話で桃香が仁菜に言った言葉、促し仕向けた行動を、5話最後のライブでは桃香がそうするように求められることになる。

「ビビるな!上手くいこうがいくまいが、成功しようが失敗しようが、お前はどっちにしろ後悔するんだ。そういう性格だからな」

「素っ裸になって、思いっきり、今感じてることだけ歌えばいいんだ。違うか?」「その怒りを歌にぶつけろ!それがお前の本音だ」

「仁菜が絶対嫌がる衣装の方がいいと思ってさ。余計なこと考えるな。本当に思っていることだけど、気持ちだけをぶつけろ」

 

「気に入らなかったら言ってね」「気に入らなくても着てもらいます。一緒に裸になってもらいますから」

「お」

「へえ…」

「爪痕、っていい言葉だと思いません?」「ん?」「必死で足掻いて、暴れまわって、自分が傷つきながら、相手も傷つけてやるって感じしません?」

「かもね」

 

「私、桃香さんの歌に胸を抉られたんです」「んっ」「爪痕残されたんです。死んでも負けんな、って」

「…ん!爪痕、つけていきましょう!!」

桃香は仁菜につけた爪痕の責任を求められている。
そして「脱退」によって傷つけた……今も傷つけ続けている(と桃香は感じ、認識している)ダイヤモンドダストのメンバーへの責任を果たす必要もある。

 

皆で交わした絶対の約束を破ってでも曲げることが出来なかったのが河原木桃香の音楽、「私の歌」だというなら……それを捨てて故郷に逃げ帰ることなど論外、許されないのは勿論のこととして。
後悔や贖罪の思いに立ちすくんだり、「私の歌」と言った仁菜を前に出して後ろでその暴れっぷりを保護者のように見守り支えている場合ではない。


「必死で足掻いて、暴れまわって」それを貫かないといけない。何よりも大事だった筈の約束を裏切ってでも殉じずにはいられなかった、それだけの価値が輝きがあるのだと桃香自身にもかつての仲間たちにもいずれ見せつけてやらないといけない。


それはかつての仲間も桃香自身も傷つける新たな深い爪痕になるかもしれないけれど、そうでなければかつての仲間たちも桃香自身もきっと、納得できない。

きっと、別れたダイヤモンドダストのメンバーたちに、仁菜に、桃香自身に、「私の歌」に……本当にしっかりと「ごめん」と言うには、河原木桃香はこうして裸の自分を叩きつけて暴れなければならなかった。

そして、そうして「ごめん」を済まして新たに深い爪痕を残しつつもしっかりと「過去」にすることで、ダイヤモンドダストのメンバーたちも桃香も心残りなく"これから"に踏み出していくことが出来る。

 

この一連の流れを作ったのは勿論、他ならぬ井芹仁菜で。

こうしたところにその掛け替えのない魅力があるのだとも思う。

 

※6話放送後、5/11追記。

5話放送までの時点で書いた上記の感想と、6話で観た河原木桃香にはギャップがあり、"まだ「脱退」のケジメをつける覚悟を決めきれていない"様子はやや意外にも思えた。

でも、仁菜は「ぶつかり星」からぶつかりを広めに来たぶつかり星人だけど、桃香はそうじゃない。なかなかそんな思い切り良く走り出してしまえるものじゃない。
ようするに、河原木桃香は井芹仁菜じゃない。当たり前のことをもっと分かっておかない。きっと、そういうことなのだろう。

 

一方、なにが決めるべき覚悟なのかも。
そしてすばるが語ってみせた桃香の二面性……"絶対このメンバーでバンドを続ける、それが皆共通の何より優先する一番の願い"と心から思っていた"かつての桃香"(→今は傷つき立ちすくむ桃香)と、否応なく変わっていた/変わってしまった、その願いを破ってでもどうしても曲げられない自分の音楽へのこだわりを抱き自覚した"ミュージシャンの桃香"というのは大体イメージに沿ったものかと思えた。

そのあたりについては悪くないキャラクター解釈だったとは(とりあえず今のところ)言えなくもないかとは思う。

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