西UKO『となりのロボット』。人とモノとの間の「好き」を、関係性を見事に描いた傑作

以前から話題になってしばらく前に買っていたけど、なんとなく部屋の片隅に置いたままにしていた小説や漫画を後で読んでみて。
「なんでこれ、何日も放っておいたんだ!」となることがたまにある。
で。今朝、ようやく、今更、西UKO『となりのロボット』読んでびっくりした。なんだこれ!!
読んですぐ『宝石色の恋 西UKO作品集』『コレクターズ 1』も注文した。素晴らしすぎた。

となりのロボット

となりのロボット

■『となりのロボット』冒頭試し読みはこちら
http://www.akitashoten.co.jp/comics/4253100554
■プロローグ版(単行本に収録されていないもの)
http://tap.akitashoten.co.jp/comics/tonarino

宝石色の恋 西UKO作品集

宝石色の恋 西UKO作品集

コレクターズ 1

コレクターズ 1


人とモノが、あくまでも人でありモノであることを互いに知り認めながら、それでも互いに自分の一番の場所である「となり」に在る/居ることを選び、信じる。
BEATLESS』好き必読という話に百回重ねて同意。冒頭から素晴らしい描写、展開の連続。
中でも締めのp130、室長の「チカちゃん君は知らない」とp132「もう私は知ってる」「ちゃんと信じられる」の流れが完璧だった。
そして、西UKO『となりのロボット』が「冒頭から素晴らしい」という話についても、少し。


p5。
女子校で人間社会への実地適応試験を行っているロボットの身体測定。級友達が自己申告で書く体重データからデジタルに平均値を割り出しハッキングして体重計に偽の情報を表示させる。
でも、

「みんな実測値を用紙に記載する時に数値を書き換えているようなのです。これでは正しく推定できません」

一人一人がただ自己判断で書き換えるのでなく、それが集団の常識として共有され、組織内でも黙認されている、という把握が難しい「社会性」がいきなり見事に描写されてる。
この時点で「あ、この漫画、ガチだ。「SF好きも楽しめる」どころじゃない、SF好き大歓喜案件だ」と思い知らされる。


p11。

「チカちゃんの"友達しゃべり"が学習機能に入るようになってから学校でのステルス性能が格段に上がった と高い評価を受けるようになりました」

機能としてより目指す没個性の達成度が上がっていく一方、プラハ/ヒロは「チカちゃん」にとっての特別な存在になっていく。


p18。
1話終わりで14歳のチカに向けたプラハの笑顔。

「忘れないでね」
「データの保護は最優先事項だから大丈夫」

その笑顔の意味が後の4話(チカは高校二年)、p57で

「だがこれを参照にプラハは自分が笑顔であれば子供が笑顔になる可能性が高いと判定した」

と科学的にも分析、解説される(ここでも「子供」という一般化した見方と、その子供=チカという個別具体的な存在との対比が示されている)。


そして4話終わりp66、再度"変わらない"(とチカには見える)ヒロちゃん/プラハの笑顔を前に、3年の時間を経たチカはより苦しく

「ヒロちゃんがわからなくても苦しい わかってくれても苦しいよ 私どうしたらいいの」

と訴える。
確かにそこには「時間」が流れている。


その上でp61、室長に「僕が思っているほど簡単じゃないかもしれない」と語らせる。
光源氏も引き合いに出しながらのこの周辺の描写、提示はそれこそSF的にとても関心を惹かれ、かつ、面白い。
そして、1話ラスト「データの保護は最優先事項だから大丈夫」は最終話に繋がり、受けとめられる。


p128。

「チカちゃん わたし持ってないチカちゃんのデータがあるの」
「それ今 もらってもいい?」

「データの保護は最優先事項」と語ったロボットが「プラハシステムを更新するたびに確保されていた不自然な作業領域」をこの相手とのこの時のために空けておいていた。
ロボットだからこその、その価値観に基づいた「好き」のかたち。互いに異なる存在で異なる価値観を持つ同士がそれでも「好き」だと繋がる。互いの隣にいる。

「それは人間の恋人だって同じだよって もう私は知ってる」
(p132『となりのロボット』本編最終ページ)。

見事な構成だと思う。



他にも、特に好きな描写を二つ紹介。


人とモノ、チカとヒロだからこその6話の目隠しと掛け替えのない最初の体験。
緊張感、駆け引き、周囲の動き……互いに何を懸けるか、何を求めるか、それが周囲からどう見えるか、干渉されるか。
ある種定番のシチュエーションをこの作品でしか在り得ない形で書いてみせた凄さ。


p53の汎用向け男性ロボット「Liberec(リベレツ)」の階段昇降とエレベーターの話。
「メタボのおっさんみたいなことになってて」とユーモアに包み軽やかな語りで、手早く相当突っ込んだ話書いてるのも凄かった。


これだけ高いレベルの「人とモノとの話」を描いた漫画はちょっと記憶にないようにも思う。
『となりのロボット』、大傑作と思う。


■関連

長谷敏司BEATLESS』読了直後の感想をややまとまりなく。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121011/
○『BEATLESS』のあらすじ(ネタばれ)をまとめてみた。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121014/
○『円環少女』13巻再読。『BEATLESS』との相関についてもいろいろと。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121028/
○『BEATLESS』『円環少女』『あなたのための物語』関連のやりとり。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121029/

それぞれの「リベンジ」。アイドルマスターシンデレラガールズ13話感想

アイドルマスターシンデレラガールズ第13話「“It's about time to become Cinderella girls!"」感想です。


見事な大団円が描かれる中で行われた、過去の諸々を踏まえての幾つかの「リベンジ」について書いていってみたいと思います。

デレマス感想過去記事はこちらをどうぞ。
アイドルマスターシンデレラガールズ各話感想まとめ記事&各記事案内
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150406


ニュージェネレーションズのリベンジ



12話の各ユニットの思いがすれ違っていたあの夜にも未央が「リベンジ」と明言し、凛と卯月も同調した思い。
鮮やかで晴れやかな達成があまりにも見事でした。




※養成所で同期たちが次々に止めていきただ独り残り、それでも「笑顔」を決して失わずに待ち続けて。
そんな、天使ではなく実に一人の「人間」らしいものだったろう島村卯月の思いと不安とその上での輝きについては7話感想で諸々触れています。




神崎蘭子の「リベンジ」






ステージの順番として。

1:ローゼンブルグエンゲル

アスタリスクトークで繋ぐ)

2:アナスタシア&蘭子

(雷雨中断)

3:ニュージェネレーションズ

4:キャンディーアイランド

5:凸レーション

6:アスタリスク


他はデビュー順をなぞりつつ、蘭子が例外的にただでさえプレッシャーが大きいだろうトップバッターを務め。
更に、大急ぎで衣装も方向性も一転させ新田さんの代役として再びステージへ。
厳しい状況から一気に会場の盛り上がりを取り戻させたニュージェネレーションズの大活躍の一方、神崎蘭子の奮闘ぶりも特筆すべきものであったりもしました。

※4/13に公式に当日のセットリストが公開されたので追記。


城ヶ崎美嘉の、新田美波の「リベンジ」



ニュージェネレーションズが6話ライブで抱え込んだ思いをこの13話のライブでようやく乗り越えきれた一方。
新田美波は晴れの舞台で発熱、自らのユニットのステージに立てないという痛恨を仲間たちの精一杯の頑張りに支えられ、(自分/自分たちだって大変だろう中にも関わらず付き添い続けた)先輩アイドル城ヶ崎美嘉の熱心な励ましと発破(彼女なりの先輩アイドルとしての「リベンジ」でもあっただろう)もあって。
このフェスの間に最高の「リベンジ」が出来たという構図になります。


新田さんはかつての未央と同じようにリーダーとしての務めを十二分に果たしつつも気負いすぎ、Pはアイドルの心情を捉え損ね……同じような失敗を犯しつつも、しかし、確かに「一緒に一歩ずつ階段を登って」来ている彼らはより良くそれを乗り越えてみせる。
CP14人とP、15人が登って行く、それぞれの「シンデレラ」像に繋がっていく螺旋階段。


なお。

という形で新田さんが直面した重圧を重ねて示してもみせれば、描く世界を拡げてもみせる演出(CPたち以外もフェスの会場で各々の思いを抱え、各々の精一杯をやりきっている。またあの高垣楓も裏にこんな姿を抱えている)、実に素晴らしかったと思います。



Pにとっての「リベンジ」


やや「リベンジ」というには難があるかもしれませんが。



こういう話です。


追記(4/13)


13話終了時でも。
未央は観て応援し続けていてくれたファンの存在と思いを知り感極まり。
凛は「夢中になれる何か」の中にいた一日を振り返り「楽しかったよ」と語り。
卯月は「ずっと笑顔で」いられたことを喜ぶ。
一緒の舞台で歌い踊り、夜空を見上げながら、各々の星を見つめる。
それは他の仲間もPも同様。


12話の花火の夜に新田さんが「新しい景色が見えるチャンス」を「私自身が確かめてみたい」と語ったように。
「一緒に」という団結自体を目標としているアイドルはいなくて。
特にアニマス/765プロ天海春香と(括弧つきの)「無個性」「前向きさ」等で共通はするデレマス/シンデレラプロジェクト島村卯月はまず、「自分が」笑顔でい続けることを心がけ、望んでいたりする。
なお、NO MAKE13話で養成所の同期からファンレターを受け取っての感激等でも繰り返し強調されるように。
諸々の思いを抱え「それでも」浮かべ続けるのが島村卯月の笑顔であることは、決して忘れるべきではないところ。


一つの星≒夢を皆が一丸となって追いかけ掴むのではなく。
各々自分の星を持つ面々が、競い合いも助け合いもする仲間として、そしてまず何より自分自身と向き合って輝きだし、その光を強めていく。



いつもの。


ブログ向けに加筆&再編集した話の他、多方面の内容を随時、togetterでまとめています。
宜しければどうぞ。

○アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)感想
http://togetter.com/li/768711?page=1
↓13話分は下記リンク先から。
http://togetter.com/li/768711?page=85

各々の「シンデレラ」へ続く螺旋階段。/アイドルマスターシンデレラガールズ12話感想

アイドルマスターシンデレラガールズ第12話「“The magic needed for a flower to bloom."」感想です。


デレマス感想過去記事はこちらをどうぞ。

アイドルマスターシンデレラガールズ各話感想まとめ記事&各記事案内
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150406


7話で「一緒に、一歩ずつ…階段を登っていきましょう」とCP14人+P、15人の再出発が描かれ。


8話〜11話でNGの3人、ラブライカの2人に続いて9人も各々ユニットとしてデビュー。
そして迎えた12話。


まず、それぞれがユニットとして抱え育んだ思いや絆、気遣いが「全員」での挑戦を躊躇わせたり障害にもなりそうだった流れが一度は示され(Aパート)。
それが鮮やかに解消された(Bパート)挿話かと思います。


それと、(劇場版アイマスにも参加していた)絵コンテ:神戸守さんの特徴、凄みが目立った話数だったかとも思えます。


また、舞台となった合宿所の一致をはじめ、「劇場版『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』」との対比が目立った回でもありました。



各ユニットの固い絆と結束からの、ユニット相互の衝突。そしてその解決


各ユニットの絆と思いが、他ユニットとすれ違い、ぶつかってしまう



「螺旋階段」という話には後で少し長く触れますが。
CP14人とPとはひたすらまっすぐに次へ、次へと「一緒に階段」を登って行くのでなく。
一度解決したはずのものと似たような問題に幾度も繰り返し悩み時に苦しみもしつつ、巡る螺旋のように少しずつ先(≒上)へと進んで行っている、といったイメージです。


ここからの連投でまとめて書きますが。
7話で「一緒に」と確認され、8話〜11話の各ユニットを巡る挿話でも中心となったその話数でデビューした面々だけでなく、いつも周囲の心身両面でのサポートが示され続けて順調な歩みが描かれていった一方で。
12話では「一緒に」といっても特に強い絆がもう芽生えている各ユニットが、それぞれ抱える思いやユニットの仲間を心配するがために「全員一緒に」という新たな試みとぶつかってしまう、築かれた絆が障害へと変わり「一緒に」が危うくなる……という流れが見事に描かれていたかと思えます。



少し自分で補足すると。
未央の悔しさは未央だけのものでなく、ユニットのものでもあることが夜中のやりとりで確認されています。
でも、強い意気込みのあまり焦りも交じるそれは智絵里を怯えさせたり杏の反発も受けたり、翌日の新田さんの提案への反論(未央)や疑問(凛)にも繋がり、異なるユニットあるいは全員との間では齟齬となって立ち現れて来てしまってもいました。


同じ夜。杏の、

「今日やってみてわかったじゃん。全体曲今からやって、皆で合わせるなんて難しいんじゃない?」

「無理に詰め込んで本番で失敗…なんてことに」

は当人の省エネ主義からまず出ているものであるだろうと思えますが。
全体を冷静に俯瞰してのごくまっとうな判断とも言えそうです。
ただ、それがユニットの仲間の(かな子と)智絵里をひどく動揺させてしまったことには結構気にしていた様子も。
で、杏の失敗をきらりがフォローしに現れるのもなんとも良い関係です。

ちなみにキャンディーアイランドの三人のところに来た時に掛けた言葉は

「ん?どしたのぉ?」

であった一方。
きらりが縁側で身を縮めて「あのね…」と悩みを明かした時に(その間のやりとりをあえて時間経過飛ばして省いた上で)新田さんは

「そう…智絵里ちゃんとかな子ちゃんがそんなことを」

と返していて。
CIの三人に対しては「状況も心理もよくよく察した上であえて明るい声を掛けてみせた」ということが裏打ちされたりもしているかと思えます。


ここで、明けて翌朝。

未央「だから、もっと練習しなきゃ」
智絵里「ひっ…」
未央「じゃないとフェスに間に合わないよ!」

のすぐ後の

杏「このままやってもエネルギーの無駄遣いな気がする」

は本音でもあれば冷静な判断であると共に。
今度はよりはっきり智絵里をかばっての発言でもあったのでは、と個人的には思えます。

ちなみに、

「きらりはね、皆で歌うのって楽しいかな、って思ったんだけど。ユニットの練習も大変でしょ?両方うまくできるかどうか、不安な子もいるんだな、って思うと」

という思いは、ユニットの仲間であるみりあと莉嘉には、(みりあが)アスタリスクの二人に食って掛かったやりとりからも分かるように共有(「皆で歌うの楽しい」)されていたりもします。


まとめるなら。
ニュージェネレーションズ、キャンディーアイランド、凸レーション、アスタリスクが各々ユニット間で積み上げてきたものや相性の良さで互いに想い合い結束しつつ。
例えばNGとCI、凸レーションとアスタリスク……といったようにユニット間で懸ける思いや熱意、懸念がすれ違ったりぶつかったりしまっている様子が描かれていたのかと思えます。
そして、ソロデビューした蘭子の孤独と不安も。


互いに競い合いつつも、助け合い応援し合い「心をひとつに」


そして、そのユニット間のすれ違いと衝突を、互いに競いあいつつも、助け合い応援し合い、「心をひとつに」(蘭子)するためのスペシャルプログラムを新田さんが打ち出し、毅然として実行し切って見せたのがBパートの流れです。
何をすべきか迷った時の支えも、やるべきことに気づくきっかけも、決意したことを実行している時も、ユニットのパートナーのアナスタシアが新田美波を言葉以上に心と行動とで支え続けてもいた12話でもありました(こちらはAパートからずっと)。



ちなみに。


ここは蘭子語ではないことと共に。
ソロデビューだったからこそ一際その前の夜にも独り孤独と不安を抱え込んでしまっていた蘭子が「みんなで、心を一つにすれば」と期待と希望ももって素直に口に出来ている、という描写が鮮やかです。
先述したように(その蘭子の呟きのすぐ前に)大縄跳びの智絵里の失敗をすぐに「ドンマイちえりん!」「焦ることないよ!」と未央がフォローしたように、他の誰よりもその流れでそのキャラクターが発するべき台詞がここでも割り振られている、という話かとも思います。


(5話&)6話のやり残しの回収。新田美波(あるいはラブライカ)とNG




ラブライカは6話でしっかり心を一つに重ねて観客と向き合い、初ライブを充実したものとしてやり遂げ感激に浸る……そうできなかったNGとの対比という役を振られた関係で。
8話以降それぞれ丸々1話ずつを使って描かれた他ユニットたちに比べればやや掘り下げが少な目、新田さんが口にした「何もないから心配なのかな」という不安と課題も乗り越え切られていなかった……と、12話放送後の今であれば振り返ることができるようにも思えます。
すれ違いの夜の翌日、「心をひとつに」出来てからの花火の夜の新田さんの告白とそれへの反応を通じてNGもまた掘り下げられ、それぞれ一歩階段を登るという6話に引き続いてのNGとの関わりの深さもすこし、面白いところかとも思えます。


なお、リーダーとしての新田さんの活躍が目立った一方で、大切なことなので二度言うと。何をすべきか迷った時の支えも、やるべきことに気づくきっかけも、決意したことを実行している時も、ユニットのパートナーのアナスタシアが新田美波を言葉以上に心と行動とで支え続けてもいたわけで。
12話の活躍も見事に二人の共同作業、という観があります。



どちらも「心がひとつに」なったことの象徴的な表現でもあるかな、と思えます。



CP14人とPが一緒にひとつずつ登って行くのは(「シンデレラ」へと続く)「螺旋階段」


11放送時点(12話放送前)のやりとりなんですが、どこかで書いておきたい話なので、ここで載せてみます。





絵コンテ:神戸守



神戸守さんは劇場版アイマスにも関わり、特にその後半の合宿の場面に担当した箇所が多かったいう話などもあり、それもあっての起用だったのかな、とも。


ちなみに直近ではノイタミナ枠の二作品『四月は君の嘘』『冴えない彼女の育てかた』での大活躍(君嘘では全22話中、8話で絵コンテを担当、全てが神回という驚異の神戸守無双)が大変印象的だったかと思います。
君嘘での担当回についてはこちらで随時詳しく触れていますので、関心のある方はご参照頂ければと。

○『四月は君の嘘』感想まとめ
http://togetter.com/li/733123
○『四月は君の嘘』感想[二期]
http://togetter.com/li/768618

劇場版アイマスとの重なり・対比


ここまであからさまにあるいは重ね、あるいは対比を示してきているわけで。
おそらく、その意図も含め詳しく細かく追っていけばより一層面白いのでは、とは思えます。


いつもの。


ブログ向けに加筆&再編集した話の他、多方面の内容を随時、togetterでまとめています。
宜しければどうぞ。

○アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)感想
http://togetter.com/li/768711?page=1
↓12話分は下記リンク先から。
http://togetter.com/li/768711?page=82


例えばこんな話なども。


他には挿入歌の使われ方とその意味についての検討など、まあ、いろいろです。

アイドルマスターシンデレラガールズ各話感想まとめ記事&各記事案内

以下、各話感想記事へのリンクです。

【1話】その笑顔は凝縮された時間を。/アイドルマスター シンデレラガールズ第1話感想。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150116/
【6話(&3話)】未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150220
【7話】7話感想【前編】7話概説&本田未央特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304/
【7話】7話感想【中編】島村卯月渋谷凛特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150305/
【7話】7話【後編】CP14人+Pの再出発としての7話
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150306/
【8話】大切なのは言葉ではなく。/アイドルマスターシンデレラガールズ8話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150311/
【9話】CANDY ISLANDの見事なコンビネーション/アイドルマスターシンデレラガールズ9話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150318
【10話】凸→凹→凸レーション/アイドルマスターシンデレラガールズ10話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150323
【11話】NGと対比もされるアスタリスク。/アイドルマスターシンデレラガールズ11話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150330/
【12話】各々の「シンデレラ」へ続く螺旋階段。/アイドルマスターシンデレラガールズ12話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150409/
【13話】それぞれの「リベンジ」。アイドルマスターシンデレラガールズ13話感想(速報版)
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150411


【各話感想】アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)各話感想
http://togetter.com/li/768711
前川みく特集】アニメ版「アイドルマスターシンデレラガールズ」1-○(随時更新)話の前川みくについて
http://togetter.com/li/771731


以下、それぞれ、簡単な紹介もしてみます。

【1話】その笑顔は凝縮された時間を。/アイドルマスター シンデレラガールズ第1話感想。

まず、記事内で触れている他の方の記事の幾つかが「作品全体が「シンデレラ」の寓意であり、冒頭から締めまでそれがはっきり示され続けている」ことを解説しています。
続いて、全話を通じて繊細に描かれ続けるキャラクターの感情表現や暗喩(及びその手法)について、色々と解説を試みています。

【6話(&3話)】未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150220

6話は3話と一対となっている挿話なので、必然的にまとめて語ることになっています。
3話及び6話でニュージェネレーションズの三人は三者三様のアイドル像から、同じユニットとして同じライブに臨んでも大きく異なる思いを抱いており、それが各々のキャラクター性に直結しているという話を解説しています。
その際、


・3話の初舞台を終えての各々の喜び
・6話でのデビューライブへの各々の期待
・6話でのライブ中の心理と失敗の各々の理由


について明確に比較して書いています。

【7話】7話感想【前編】7話概説&本田未央特集

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304/

【7話】7話感想【中編】島村卯月渋谷凛特集

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150305/

【7話】7話【後編】CP14人+Pの再出発としての7話

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150306/

7話は特に1話との対比描写を非常に多く盛りつつ、過去話全ての流れを受けて、改めてのシンデレラプロジェクト14人とプロデューサー、15人が「一緒に、一歩ずつ…階段を登って」いこうという方針が定められ、確認された総括であり再出発の挿話でした。
そのためこの挿話について解説することは必然的に、過去全話について語ることにもなり、この分量となりました。


一つ挙げるなら。
ED曲「夕映えプレゼント」が流れる中、「ごめんなさい!」と未央と凛が頭を下げ謝るところに、涙を湛えながら駆け寄ってくる卯月……という同じ場面における、やはり三者三様の思いの解説あたりに特に注目して頂ければ嬉しいです。

【8話】大切なのは言葉ではなく。/アイドルマスターシンデレラガールズ8話感想

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150311/

記事題名の通り「大切なのは言葉ではない」ということ。
「蘭子語がいい」ではなく「蘭子語でいい」。
「Pは丁寧語なのがいい」でなく「Pは丁寧語でいい」。
解説を通してその違いが伝わってくれるなら、とても嬉しいと思えます。

【9話】CANDY ISLANDの見事なコンビネーション/アイドルマスターシンデレラガールズ9話感想

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150318

双葉杏諸星きらりとではなく、緒方智絵里三村かな子とユニットを組んだことで予告篇公開段階から驚きと注目を受けていた挿話。
その三人ならではのコンビネーションについて解説しています。
また、9話作中のTV番組全体が「シンデレラ」をモチーフにしていることにも注目かと思います。

【10話】凸→凹→凸レーション/アイドルマスターシンデレラガールズ10話感想

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150323

Pとアイドルたちが「一緒に」といってもそれはいつも離れず一緒にいて……ということではなく。
互いに「信頼」し合い、任せ託しあう関係であるということが描かれた挿話です。


携帯電話普及後の社会を舞台にした物語では困難とされる、キャラクターたちの地理的・物理的すれ違いの劇にあえて挑戦を試みている野心的な回でもあったかとも思います。

NGと対比もされるアスタリスク。/アイドルマスターシンデレラガールズ11話感想

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150330/

11話題名が“Can you hear my voice from the heart?"。
8話題名が"I want you to know my hidden heart."
同じく、表面的な言葉(やテンプレ的な型)ではなく「heart」を互いに知り、近づけることこそが重要……という挿話です。


アスタリスクの二人は挿話の流れ・演出としてニュージェネレーションズの三人と繰り返し繰り返し対比され。
一方で、デュオユニットとしての性格はラブライカと対比されるものであり。
シンデレラプロジェクトからの最後のデビュー、大トリにふさわしく、8話以降の挿話の中でも一際凝った構成と描写に満ちた傑作回だったかと思えます。
「自分と向き合うことで、アイドルとして輝きだす」という一貫した課題についても、8話以降の中で一際強烈かつ見事に描かれた挿話であったかとも思えます。

各々の「シンデレラ」へ続く螺旋階段。/アイドルマスターシンデレラガールズ12話感想

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150409/

それぞれがユニットとして抱え育んだ思いや絆、気遣いが「全員」での挑戦を躊躇わせたり障害にもなりそうだった流れが一度は示され(Aパート)。
それが鮮やかに解消された(Bパート)挿話かと思います。
また、劇場版アイマスとの対比が鮮やかな、絵コンテ:神戸守回でもありました。


6話デビュー回でNGとの対比でラブライカの掘り下げ自体は各々丸々1話を使っての他ユニットと比べやや浅めという一面もあったところ。
改めての素晴らしい「ラブライカ回」という観もあった挿話でもあったかとも思えます。

それぞれの「リベンジ」。アイドルマスターシンデレラガールズ13話感想(速報版)

http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150411

まずは素晴らしい大団円でした。
七月からの二期が今から楽しみでなりません。

【各話感想】アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)各話感想

http://togetter.com/li/768711

毎回放映中及び直後から、各話について多方面の感想や解説、特定、各種のネタ、関連イベント情報などをまとめていっています。
宜しければ、こちらも、ぜひ。

前川みく特集】アニメ版「アイドルマスターシンデレラガールズ」1-○(随時更新)話の前川みくについて

http://togetter.com/li/771731

一期を通じて、プロデューサーとニュージェネレーションズの三人が物語の「表」の主軸(≒主役)だとすれば、「裏」の主軸となっていたキャラクターが前川みくであるかと思えます。
各話毎に彼女について着目した発言を集めた特集です。

北村薫『太宰治の辞書』雑感

太宰治の辞書

太宰治の辞書


まずは一度読んだ。
読ませて頂いた。

「謎は往々にして、それが謎であることを隠している」
(「女生徒」p106)

「《謎》というのは、質問一、質問二といったように、問題用紙に書かれているわけではありませんね」
(「太宰治の辞書」p150)


「円紫さんと《私》」シリーズ(正直言って、この作品を「円紫さんシリーズ」とだけ呼んでしまえる読者のことは自分にはなんだかよく分からない)。
「L'histoire-----歴史」(「織部の霊」、『空飛ぶ馬』創元推理文庫版p13)
《私》の物語/歴史(イストワール)。
自分がこの物語の中に追う謎と追い方については中公文庫『ミステリ十二か月』解説で書いた。
これまでも、これからも、そうしていく。

ミステリ十二か月 (中公文庫)

ミステリ十二か月 (中公文庫)


「円紫さんと《私》」シリーズの発行元が『朝霧』までの東京創元社から、『太宰治の辞書』では新潮社に移った事情についてはよく知らない。
ただ、例えば本文が終わり、奥付が挟まれ。その後のページも含めて一冊の本であり、一冊の作品だろう。
良い形になっていると自分は思う。


冒頭収録の「花火」については雑誌掲載時に感想日記を書きもしたので、折角なので再掲。

北村薫「花火」(『小説新潮』2015年1月号掲載)雑感
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20141223

「女生徒」についてもtwitterで少し投稿してはいたりはする。

NGと対比もされるアスタリスク。/アイドルマスターシンデレラガールズ11話感想

アイドルマスターシンデレラガールズ第11話「“Can you hear my voice from the heart?"」感想です。


とりあえず、過去ログ提示。

【1話】その笑顔は凝縮された時間を。/アイドルマスター シンデレラガールズ第1話感想。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150116/
【6話(&3話)】未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150220
【7話】7話感想【前編】7話概説&本田未央特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304/
【7話】7話感想【中編】島村卯月渋谷凛特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150305/
【7話】7話【後編】CP14人+Pの再出発としての7話
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150306/
【8話】大切なのは言葉ではなく。/アイドルマスターシンデレラガールズ8話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150311/
【9話】CANDY ISLANDの見事なコンビネーション/アイドルマスターシンデレラガールズ9話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150318
【10話】凸→凹→凸レーション/アイドルマスターシンデレラガールズ10話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150323


【各話感想】アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)各話感想
http://togetter.com/li/768711
前川みく特集】アニメ版「アイドルマスターシンデレラガールズ」1-○(随時更新)話の前川みくについて
http://togetter.com/li/771731

7話で「一緒に、一歩ずつ…階段を登っていきましょう」とCP14人+Pの全員が「一緒に」という改めての再出発を宣言。
8話で「ローゼンブルクエンゲル (Rosenburg Engel)」:神崎蘭子
9話で「CANDY ISLAND」:双葉杏緒方智絵里三村かな子
10話で「凸レーション」:諸星きらり、莉嘉、みりあ、
こうしてユニットごとに「担当回」が描かれて来た流れの中。
11話でトリを務めるのは「*(アスタリスク)」:前川みく多田李衣菜


トリを務めるだけあり、作品全体における意味合いでも、構成的にも演出的にもその他多方面において、11話は8話以降の中でも頭一つ抜けた傑作回だったかと思えます。


まず挿話のポイントを挙げるなら、以下のようになるかと。

1:Pが「相性の良いユニットだと思います」と明言した通り、二人は最初から極めて相性が良い。
2:挿話全体が挿入歌「We're the friends!」の歌詞そのままでもあり、346プロのポスターの標語そのまま。
3:"喧嘩できるからいい"ではなく"喧嘩をしていてもいい"
4:アスタリスクはNGとのある種対置されているユニットで、冒頭からライブ、ラストに至るまで執拗に対比描写(特に3話、6話との)が繰り返されている。
5:挿話を通じて(みくと李衣菜の成長と信頼関係の構築と共に)、PとCP全員が「一緒に」積み上げてきた信頼、絆の強さが示された(確認された)回。
※特にPにとってはある意味6話の失敗がここで改めて(おそらくほぼ)一度、完全に乗り越えられている。


以下、順に見ていきます。


1:Pが「相性の良いユニットだと思います」と明言した通り、二人は最初から極めて相性が良い。


ロックなみくにゃん、キュートなだりーな



前川みく多田李衣菜は「キュートな猫耳」「クールなロック」と言葉やテンプレ的な型を掲げて喧嘩を続けていますが。
より根っこのところで最初から相性抜群の二人として描かれています。


李衣菜は好みも性格も、咄嗟の反応や肝心のところでの振る舞いが大変に(それこそ、みくが求めるような)キュートさに溢れていて。
みくは基本はCP随一の「常識人」である一方、ここぞという時の言動は大変に(それこそ、李衣菜が目指すような)ロックな魂に満ちていたりします。






他ユニットと比べても、序盤から際立つアスタリスクの相性の良さ


そんな二人の相性の良さは、11話を通じて序盤から終わりに至るまで、はっきり示され続けてもいます。




この揃い方は別ユニットと比べても際立っていて。


例えば、9話キャンディーアイランド、TV収録前日の「がんばるぞー」の揃わなさ。

これが乗り越えられ、三人の掛け声が揃った時に、例の(夜の12時=シンデレラの時間に近づいていく)時計の針が動く。
それくらい大きな象徴的な描写だという話です。



また、ニュージェネレーションズに目をやってみても。
6話感想記事、特に「凛とそのお辞儀&3話時点で伺えた未央・凛・島村さん三者三様のアイドル像」と題した項で触れたお辞儀の揃わなさ(主に凛が「アイドル」というものに馴染めず距離を置いていることが二人と大きなギャップになっているため)と比較すると、11話アスタリスクの完璧なユニゾンの意味合いがわかりやすくなるかと思えます。


また、二人の「相性の良さ」という問題の上で特に重要かつ尊いのが次に示すことと思えます。




何よりまず、ここで互いに全く迷いがない二人だからこそ、いつもは喧嘩ばかりでも心配要らないわけです


8話「I want you to know my hidden heart.」で強調もされたように大切なのは言葉(やテンプレ的な型)ではなく、「隠された心と思い(hidden heart)」に互いにどれだけ近づき、尊重し、理解できるかということが問われた挿話だったということにもなります。
つまり11話“Can you hear my voice from the heart?"でも、「キュートな猫耳」「クールなロック」はごく表面的な言葉でしかなく、心から望むもの、その「本気」の覚悟や心意気、方向性、即ち「voice from the heart?」こそが重要で、そこの相性は最初から抜群の二人だったということです。
英語副題に8話、11話と重ねて「heart」が入れられている意味はそこにあるかと思います。
なお、話は逸れますが、4話英題が「Everyday life, really full of joy!」、10話が「Our world is full of joy!!」だというのも、面白いところです。



「自分と向き合うことで、アイドルとして輝きだした」


そして、11話で遂にデビューしたアスタリスクの二人がこの挿話において何をしたのかということは、あえて言うなら一言に尽きます。
実はそれは過去話においてCPの他12人、それにPも皆やって来たことと同じ。


「自分と向き合うことで、アイドルとして輝きだした」


ということです。
これは原作ゲーム「アイドルマスターシンデレラガール」で同一カードを二枚特殊合成(特訓)することで例えばNormalがNormal+、SレアがSレア+、(大体において)普段着→舞台衣装になり能力強化される経緯の説明として出されているもので。
アニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」はそれを翻案して取り込んでいるのも一つ、とても面白いところかと思えます。




※アバンが「向き合うべき自分(→鏡)に目を向けず……という演出」だったことからの流れで。
「水たまり」「(電源が落ちている)黒いTV画面」というのも(「鏡」同様に)"姿を映すもの"という括りでひとつ、モチーフになっているのだと思います。




キャラクターの諸々の特徴が一気に(欠点も美点に反転されつつ)全部美点に結晶化される場面




一方、前川みくのそれはといえば、勿論。



あと、本田未央のこの一見何気ない一言も、彼女の発言だからこそ観ている方としては個人的に、なんだかこみ上げてくるものがありもします。



2:挿話全体が挿入歌「We're the friends!」の歌詞そのままでもあり、346プロのポスターの標語そのまま。


挿話全体が挿入歌「We're the friends!」の歌詞そのまま




特に付け加えることがないですね……。
というわけで、ぜひ、「We're the friends!」はフルで聴き、歌詞を読んでもみてください。


346プロのポスターの標語そのまま



ちなみにこの標語ポスター、例えば6話ではこんな演出の対象ともなっていて。

そこから転落していった6話の展開を踏まえると、後述する7話以降、PとCP全員が「一緒に一歩ずつ」積み上げていった信頼関係、絆の強さと意味を改めてしみじみと考え、感じさせられもします。


3:"ケンカできるからいい"ではなく"ケンカをしていてもいい"


これ、大事なことだと思えますので、あえて一つの大項目として書きます。
8話感想の「「蘭子語がいい」ではなく「蘭子語でいい」。「丁寧語なのがいい」でなく「丁寧語でいい」」という項で書いた話と同じことかと思います。


アスタリスクは「voice from the heart」が深く共鳴していることがユニットとしての素晴らしさなのであって。
「五分に一回くらいケンカしてる」ことは「ケンカできるからいい」といったそれ自体が肯定的に捉えられるべきものというわけではなく、「ケンカをしていてもいい」という話であるだろうことは一つ、留意しておくべき点かとも思えます。

この話は続く、アスタリスクとNGの対比の項でもすこし、触れます。


4:アスタリスクはNGとのある種対置されているユニットで、冒頭からライブ、ラストに至るまで執拗に対比描写(特に3話、6話との)が繰り返されている。


アイドルマスターシンデレラガールズは過去話全体を通じて。
表の軸を(本田未央をリーダーとした)ニュージェネレーションズ、裏の軸を前川みくが担ってきている、という印象が強くあります。


まず前川みくに関して。
詳しくはこちらのまとめを参照して頂ければと。

前川みく特集】アニメ版「アイドルマスターシンデレラガールズ」1-○(随時更新)話の前川みくについて
http://togetter.com/li/771731

その中で多田李衣菜について触れているところを少し抜粋。

……CPの中での役割の捉え方としては11話放送後の今でも「まあ、概ねそれでいいかな」と思える一方、自分の発言ながら「軸がなく軽いキャラクターは皆段々分かってきてるから」は酷い評価だな、と思えたりも。
こういうイメージが話が進むにつれ、段々移り変わっていくのもまた、大変に面白いですね(半分、言い訳じみてもいますが)。


ニュージェネレーションズについて。
特に「本田未央をリーダーとした」の部分が気になる向きには、6話及び7話感想【前編】を参照して頂けると嬉しいです。

【6話(&3話)】未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150220
【7話】7話感想【前編】7話概説&本田未央特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304/


で、話を戻すと。
11話を通じて、アスタリスクとニュージェネレーションズの対比は相当徹底されています。
まずはいち早く(ほぼ放送終了直後)にこの視点を提示していた、ききょうさんの連投紹介から。




以下、そうした話の上での検討になります。


アバンの対比。3話/6話NGと、11話アスタリスク


(「まだ実感湧かないかな。ステージに立ってる自分も想像できないし」)
「アイドルの仕事ってこんな感じで決まっていくものなのかな」
「うーん?」
「それは、わかんない…け・ど!」
「へへっ。やってみないきゃわかんないって!」
「うん…痛いって」


再掲。



更に、11話アバンをテキスト引用。

「はぁい、オッケー、いいねー!」
「時代は猫耳を求めてるにゃ」
「はあ?求められてるのはロックでしょ?」
ネコミミぃ!」「ロックぅ!」「ネコミミぃ!」「ロックぅ!」(以下、ずっと続けてる)
「また揉めてる」
「あの二人にユニット組ませるって絶対無理があるよね」
「イメージ的には正反対な感じですよね」
「プロデューサーも何考えてんだか」
ネコミミぃ…!」「ロックぅ…!」
※OP開始。



アバンの対比の情景についてまとめると。


まず、ニュージェネレーションズについて。
3話バックダンサーでの華やかな初舞台決定を受け、「アイドル」というものへの向き合い方の違いから溝はありつつ、それを埋めようとしていた未央。
そして3話ライブ直前に迎えた危機で、アバンで未央が背中を叩いたのと対置されるように、

で、初のライブ出演大成功を受け、団結と連帯を大きく強めたNGの三人。

6話アバンではCD発売記念主演ライブに向け、息のあったコンビネーションを見せている。
11話アバンでも6話での挫折も乗り越え、アイドルとして見事に求められることを把握し、一致団結してユニットとして応えてみせられるところを示している。


一方のアスタリスク
真っ先にライブにデビュー、続いてCD発売とCP14人の中で続けて華やかに先陣を切ったニュージェネレーションズに対し、最後になってしまった二人。
後に、

とまで口にしてしまうくらい、不安と不満でいっぱい。
11話アバンで示されたように目指すアイドル像の(表面上の)違いをひたすらぶつけあって、ユニットとしての仕事でも互いに溝を埋めようとせず。
その後の流れでもアイドルとして要求されたこと(たとえば「仲良し二人組、みたいな感じで撮りますので」)に応えられない状況が続いてしまっています。

ED〜Cパートの対比。3話/7話NGと、11話アスタリスク


まず、3話のニュージェネレーションズ。


実は三者三様でありながら、NGは初舞台の大成功を共に笑顔で喜び合う。



続いて、7話のニュージェネレーションズ。




なお、三人の求める「アイドル像」の違いについては。
まさにそこに注目して明らかに一対の挿話である3話&6話については、

【6話(&3話)】未央、凛、卯月で三者三様のアイドル像から観る『アイドルマスターシンデレラガールズ話』6話感想
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150220

の記事を書き、

「3話初舞台で味わった「最高」の意味」
「6話デビューライブへ向けた期待」
「6話デビューライブでの思い」(と失敗の理由)

についてそれぞれ解説を試みていて。

【7話】7話感想【前編】7話概説&本田未央特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150304/
【7話】7話感想【中編】島村卯月渋谷凛特集
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150305/

では、例えば、

の場面における三者三様の思い、異なる尊さについて詳しく書いているので、参照して頂けると嬉しいところです。



一方、11話の穴埋めゲストでのデビューライブ大成功(観客の反応と雑誌記事の扱い方がそれを明示していた)後のアスタリスク



追記として、前後含め、台詞をテキストで再抜粋。

みく「これのどこがロックにゃ!?」
李衣菜「なぁーに!?言ったでしょ!……ロックだと感じたら、それが…ロック……」
みく「ポリシー無さ過ぎにゃ!」
李衣菜「うるさいな!」P「二人とも、気に入ったようですね」
みく「うーにゃー!解散っ、解散!!」
李衣菜「〜〜〜〜!」
みく&李衣菜「〜〜〜〜!!」

莉嘉「はぁ、またケンカしてる」
未央「懲りないなあ、二人とも」
きらり「ふふ、仲良しだにぃ〜」
P「〜〜〜(正確には聞き取れないけど、解散で改めてソロデビューだとフェスには出れないとか、おそらくそんな感じの話)」
みく「〜〜っ!再結成にゃ!」
みく&李衣菜「「いぇーーい!」」

凛「確かに」 みく「ロック大好きにゃー!」
未央「意外といいコンビかも」 李衣菜「ネコミミ最高!」


異なるアイドル像やキャラクター性を互いに認めつつ、未央をリーダーとして団結する仲良し三人組のニュージェネレーションズと。
異なるアイドル像やキャラクター性を巡って懲りずにケンカし続けているけど、今は互いが互いの最高の同格のパートナーだと認め合っているアスタリスクの二人組と。
対照的ではあるけれど、どちらも異なる個性の素晴らしいユニットとして成立していることが描かれています。


3話でNG、6話でNGとラブライカ、続いて8話〜10話でも次々にデビューしていく仲間たちの姿を応援しながら見送り続け。
11話でユニット結成後も迷走を重ねていったアスタリスクはいわば、NGが6話で直面した挫折をそういう形で彼女たちなりの形で経験して。
早回しでそれを乗り越えていった、ということになるのかと思えます。
で、「早回しでの乗り越え」なんてことを可能にしたのは、ここまで積み重ねてきたPとCP全員の歩み(個々の成長と信頼関係の強化)だったのだろうな、と。


そんなわけで。
NGとアスタリスクの対比が最も際立っているライブ場面については、次の項でまとめて書いていきます。


ただ、その前にあと三点、対比描写を示しておきます。


その1。



その2。



そして、その3。




5:挿話を通じて(みくと李衣菜の成長と信頼関係の構築と共に)、PとCP全員が「一緒に」積み上げてきた信頼、絆の強さが示された(確認された)回。



11話においてはライブ場面を中心に、7話以降成長を重ねたPの在り方と、Pとアイドル達の信頼関係、絆の強さが鮮やかに描かれてもいたと思えます。




3話、NGのバックダンサーでのライブ出演との諸々の対比



※おそらくアスタリスクの出番直前の(観客の反応も良く、盛り上がっていた)イベントが「じゃんけんプレゼント大会」だったというのも、NGが3話(及び7話Cパート)における「じゃんけんでリーダーの未央が勝っての団結、「フライ、ド、チキン!」」との対比となったりもしている。


6話、NGのCD発売記念ライブとのPのサポート、アイドル達との相互理解と信頼関係の対比










※ここで書いたように。
11話はNGとの対比だけでなく、例えば8話蘭子回を踏まえても面白いところです。
Pは最初は蘭子の個性(my hidden heart)を大きく読み違えたプロデュースの計画を提示してしまった上、酷く深く彼女を傷つける言葉まで発してしまっていたわけで。


11話のPは見事にみくと李衣菜の「heart」の相性の良さを見抜き、デビューに向け二人共が大いに満足する曲を用意し、突然のゲストライブ成功後はそれを受けた(本格的な)次回ライブに向け、やはり二人が大歓迎の衣装案も示してみせ。
アイドル達の側からの誤解は毅然として否定してみせてもいて。
過去話で描かれた経験を通じ、Pは大いに成長したのだな、と。
また、先掲のように酷い誤解ではあっても、それを二人が直接気軽にPの執務室に入っていって正面からぶつけることが出来たのは(5話の立て籠り事件を鑑みれば)Pとアイドル達との間の信頼関係の大きな進展の成果とも捉えられるべきところかと思えます。




あと、10話凸レーション回というのは一言で示すならば「Pとアイドル達の「信頼」の意味、その在り方が問われた挿話」といえるかと思いますが。
その経験を経て、11話におけるPはアスタリスクの二人に対し、10話よりも一層見事にアイドル達と正しい「信頼」関係を築き、扱っていたかと思えます。


また、9話CANDY ISLAND回におけるPの基本姿勢は「信頼して、見守る」だったように思えるところ。
11話ではやはり「信頼」の在り方が更に見事だった上に。
Pとしても(ある意味7話で島村さんの心と笑顔に撃ち抜かれて以降の姿を連想もさせる)必死に奔走している姿が印象的でもありました。

※3/31追記


いつもの。


ブログ向けに加筆&再編集した話の他、多方面の内容を随時、togetterでまとめています。
宜しければどうぞ。

○アニメ版『アイドルマスターシンデレラガールズ』(デレマス)感想
http://togetter.com/li/768711?page=1

↓11話分は下記リンク先から。
http://togetter.com/li/768711?page=67


ちなみに、例えばこんな話題であったりします。

○NoMake11話関連。
○サンシャイン噴水広場「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS ANIMATION PROJECT 02&03発売記念イベント」関連
○デレマスの時間軸とアイマス765プロ方面)との交錯
○デレマス全話において興味深い「扉/門」の演出
○その他11話の演出や、特定班の方のお仕事紹介(場所やアイテム特定や、花と花言葉関連等々)

以上です。

『ダーウィン文化論』。柴田勝家『ニルヤの島』の副読本として『ミーム・マシーンとしての私』と併せ読むと楽しいというか、ある意味爆笑できる


ダーウィン文化論』ざっと読んだ。面白かったなあ。


ダーウィン文化論―科学としてのミーム

ダーウィン文化論―科学としてのミーム


柴田勝家『ニルヤの島』の副読本として『ミーム・マシーンとしての私』と併せ読むと楽しいというか、ある意味爆笑できるかと思う。


柴田勝家『ニルヤの島』雑感(ネタバレ多数。既読の方のみ推奨)
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150225/

ミーム・マシーンとしての私〈上〉

ミーム・マシーンとしての私〈上〉

ミーム・マシーンとしての私〈下〉

ミーム・マシーンとしての私〈下〉


ミームの在り方として「模倣」を特権的に強調・固執するスーザン・ブラックモアが多方面からそれぞれの趣旨で叩かれまくる。
終盤には文化人類学者がミーム論全般を実に粗雑、関連領域に土足で上がり込みながらその方面の先行研究をろくに知ろうともせず、車輪の再発明にすら惨めに失敗しているとして叩く、叩く、叩く。愉しい。
この本でまとめられたような流れから(?)過激なミーム論者がミラーニューロンに縋りついていくという展開は、なんだかとても分かり易いように思える(分かり易すぎて、そうした理解も危ういかと自戒したくなるくらいに)。

○マルコ・イアコボーニ『ミラーニューロンの発見』感想。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20110717


で、『ニルヤの島』の作者はまず民俗学徒(文化人類学との異同というのは面倒な話題にもなるけど)であることを表明してたりするわけで。

ミーム論が文化人類学者をはじめ社会科学方面に一般的にどういう受け取り方をされているか
○そして、概ねされて当然だろうところであるか。

を『ダーウィン文化論』等を眺め踏まえた上で『ニルヤの島』について改めて思い返してみれば。
そりゃあ、なんとも愉しくなる。
野暮なことを書くなら「ああ、「あえて」のことなんだな」と捉えやすくなる。

○戦国武将、SFを書く──柴田勝家インタビュウ vol.1
https://cakes.mu/posts/8367


目次はこんな感じ。
以下、各章について(非常に雑に)書いていってみる。

第1章:序論(ロバート・アンジェ) 認知科学、進化学。
第2章:ミームの視点(スーザン・ブラックモア) 元々は超心理学、意識研究が専門。過激なミーム論者の代表。
第3章:ミーム論をまじめに取り扱う−−ミーム論は我らが作る(デイヴィッド・ハル) 生物分類学、進化生物学、生物学哲学。
第4章:文化と心理的機構(ヘンリー・プロトキン) 心理学。進化心理学
第5章:心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ) 心理学。認知科学
第6章:ミームの進化(ケヴィン・レイランド,ジョン・オドリン=スミー) 動物行動学。
第7章:ミーム−−万能酸か,はたまた改良型のねずみ捕りか?(ロバート・ボイド,ピーター・リチャーソン) 生態学、生物人類学。
第8章:文化へのミーム的アプローチに反論する(ダン・スペルベル) 社会科学、認知科学
第9章:もしミームが答えなら,何が問題なのだ?(アダム・クーパー社会人類学
第10章:好意的な社会人類学者がミームに関していだく疑問(モーリス・ブロック) 人類学。
第11章:結論(ロバート・アンジェ) 認知科学、進化学。


第1章:序論(ロバート・アンジェ)


ミーム論にまつわる現状の紹介と論点の整理、論者とその持論の簡単な紹介。
誰の論に対しても100%賛同はしない……という編者の姿勢も明示。


第2章:ミームの視点(スーザン・ブラックモア)


"ミーム凄いよ。「模倣」が本質だよ!それにまず限定すべきだよ!"
以降の批判のたたき台提示、という感じで持論を展開。


ちなみに。
いろんな分野の専門家が集まってミーム論について一般観客を入れないクローズドで学術的なシンポジウムをやったよ……というこの本においてこの論者は最も過激なミーム論の全面肯定派、ミーム論者として登場しているのだけど。
邦訳版に付された「執筆者一覧」の経歴にもある通り、元々なんの「専門家」だったのかというと……。
書き写すのめんどいので、ウィキペディア参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%A2%E3%82%A2


第3章:ミーム論をまじめに取り扱う−−ミーム論は我らが作る(デイヴィッド・ハル)

「この20年間というもの、科学としてのミーム論は重要な概念的・経験的進歩をとげていない。私たちは、ミーム論は明らかに進歩的研究プログラムではないと理解するに至っている」(p59)

この人は"だからミーム論者たちは科学における他の研究プログラム同様、早くその意義と価値を示せ"と発破かけて採るべき方針についてなんか書いてるけど、正直、何を書いているのかと把握が難しいというか、指針と呼べるほどまとまった何かが書いてあるようには見えない。


第4章:文化と心理的機構(ヘンリー・プロトキン) 心理学。進化心理学


ミームの在り方について「模倣」(のみ)を基盤としようというスーザン・ブラックモアの論を、還元に無残に失敗している還元論として批判。

「文化研究ほどオッカムの剃刀の似合わない場所はない」(p93)


第5章:心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)

「模倣は、実のところは行動科学の「悪い言葉」のひとつである。長い間、発達心理学者や動物行動学者が定義付けし、操作できるようにと挑戦を続けているにも関わらず、満足のいくモデルは今のところ完成されていない」(p110)

とまずスーザン・ブラックモアをぶん殴りつつ。
では……ということで、ミーム論を少しはまともに検討するためのシュミレーションモデルの提示を試みているようだけど、率直に言って概ね雑な与太話に見える。
目が泳いで概ね読み飛ばしたので、正直よくわからない。


第6章:ミームの進化(ケヴィン・レイランド,ジョン・オドリン=スミー)


巻末収録の「訳者あとがき」にある通り

「むしろミームを「だし」にして自分たちのニッチ構築説をアピールしている感じだ」(p262)

終わり近くに、

「本章をふくめ数多くの研究は、文化をミームのような単位に分解できるという仮定なしには成立しえない。ミーム論にはきちんと確立されて形式の整った理論が、文化進化理論や遺伝子-文化共進化理論という形で、すでに存在している」(p154)

として未訳の書籍・論考を自信たっぷりに(?)幾つか薦めているけど、本当かなー?(この『ダーウィン文化論』では「その仮定がまるで成立してないよね」という話ばっかりがいろんな論者から出てきてるし)。
やはり、比較的目が泳がずにはいられない章だった。


第7章:ミーム−−万能酸か,はたまた改良型のねずみ捕りか?


ミームは一種の「文化の集団モデル」として、

「合理的な行為者モデルでもないし、綿密な歴史分析でもない。けれども、これらの分析形態のきわめて有用な補完物であり、社会科学を豊かにしてくれるものなのだ」(p179)

と書いてる。


本気で有用だと思ってるのか相当疑わしい口ぶりで(なんせ、ミームという概念には「複製子」としての「遺伝子」とのアナロジーが出発点だし重要でもあるだろう所、正にそこを強く疑っているという話が繰り返し書かれている)、一応こうは結論づけてる。
どうなんだろ。


第8章:文化へのミーム的アプローチに反論する(ダン・スペルベル

ミーム論の魅力はその極度の単純さにある」(p181)

と語った上で、提唱者のドーキンス以来、(ミーム論では)特に「模倣」の要素が重要視されてきてる、で、模倣は確かに重要だ、それは認めよう、と。
で、ミーム論なるものは理論的には面白いが、単純で雑過ぎて何もろくに立証できてないと、事実上切り捨ててる。


締めの文章。

「模倣は、どこでも見られるものではないとしても、もちろん研究の価値がある。そしてミーム論の大プロジェクトはといえば、さてこれは、間違った方向に向かいつつあるようだ」


第9章:もしミームが答えなら,何が問題なのだ?(アダム・クーパー


始祖のドーキンスからして、既に他の学問の領域で豊かな蓄積がある「文化」への研究に対し、およそ科学とはいえない雑で無理が多いアナロジー(「ミームと遺伝子のアナロジーは非現実的で欠陥がある」p209)頼みの切り込み方をしてきてる。
あっちいけ。こっち来んな。


……概ねこんな話をしてる。
具体例を挙げつつの徹底したけなしっぷりが読んでいて愉しかった。


第10章:好意的な社会人類学者がミームに関していだく疑問(モーリス・ブロック)


例えば複雑で面倒で簡単には捉えきれない「人類」だとか「人の文化」だというものをこれから「概論的に」学ぼうという学生にとって、ミーム論というのは甘い誘惑だね。
なんだかとても単純にそれらをわかったような気にさせてくれる。
でも、ホント、車輪の再発明というか、それ以前のことばっかりだ。
まあ、自然科学の皆さんが社会科学方面の学問の蓄積にようやくまともな関心を抱くきっかけにでもなれば有意義なんでは。
こっちもはじめから残念なバカ扱いして相手をかえって頑なにさせてしまったようなこともあるかもしれない。そこはごめん、といっとくよ。
お互い、仲良くやっていけるといいね……。


9章のアダム・クーパーが直球でバカにしているのに対して。
こちらは題名で「好意的」とのたまいつつ、優雅かつ慇懃無礼に貶しまくっている感じでこれも素晴らしかった。


第11章:結論(ロバート・アンジェ)

・進化の理論として
・心理学的側面について
・(遺伝子とのアナロジーにおける「複製」という要素において非常に重要と(一部で)主張される)「模倣」について
・既存の社会科学との関係について
ミーム論の「応用」について
・今後の可能性について


以上のような項目について。

「この本全体が、同じ方法で順番に配列されている。大まかにいえば、生物学を背景とするミーム推進派から始まって、心理学やとくに社会系諸科学を専門とする批判派は後ろのほうに固まっている。この章でのわたしの意見も、この本全体と同じ順番にしたがいたい」(p229)

と述べた上で、手際よくどんどん語っていく。


まとめを半端にまとめるのもなんなので、詳細は本当は本文を読んでもらうしかないとして。
一応、ものすごく雑にかいつまんで要点(?)を書くと。

まず、

「わたしの主張は、ミーム仮説を支持するためには、ミームが存在するという何らかの証拠が必要だということだ。直接証拠でもいいし、間接のものでもかまわない」(232)

しかし、それは(提唱から数十年たった今も)ろくに成されていないし、進んでいる気配もあまり無い……と総括されているように見える。


続いて、遺伝子とのアナロジーの上で、

「遺伝子型と表現型の区別をミームに適用できるようにする方法の確立」(p238)

がなされなければ理論的にもまずいだろうけど、こちらもろくになされているとは言い難い……と書かれていると思う。


また、「模倣」について。

「模倣が優れた複製を可能にする唯一のメカニズムだからミーム論を模倣に限定すべきだとするブラックモアの主張には、支持者がほとんでどいない」(p244)

「模倣では曖昧過ぎて、何が(ある種の)社会的伝達の過程で起こっているのか説明できない」(p244)

ああ、スーザン。
ミラーニューロンの話に縋りつきたくもなるよね。


あと、社会科学方面がミーム論に侮蔑的だったり怒っていたりすることについて。
これ、超訳してしまうと、
"そりゃあ、そうだろう。ろくに実証的な証拠もない上、理論的にも怪しい仮説で、その最もラディカルで有名な論者は肯定的なミーム論者(?)の中で比較的まともな方面の中でも相当ウケが悪かったりする、そのくせ、他分野に土足で上がり込みつつその分野の先行研究はろくに学びも知りもせず、怪しげで雑なアナロジーを振り回し得意顔……嫌われて当たり前だろう。賢くないね"
といったことをできるだけオブラートに包み、穏やかに上品に書いているように見える。


締めくくりを引用。

「いずれにせよ、デイヴィッド・ハル(本書第3章)も認めているように、理論的研究はすでに多数なされていて、この問題に対する関心が高いことを考えると、ミーム論には何か実質的なものをかなり近いうちに出していただきたい------ミーム仮説からただしくて新しい予測が導かれるとか、自己複製子の特徴を備えた文化的実体が存在すると証明されるとか。というのも、究極の------理論的な反論を先取りした------テストは、ミーム論が新しい実証的研究を生み出せるかどうか、あるいは、すでに得られている結果についてさらに深い解釈を生み出せるかどうかだからである。まだそうなってはいないが、近い将来には必ずそうしなければならない。さもなければ、ミーム論は、間違った方向に進んだ計画だったと受けとめられることになる。時は、刻一刻と迫っている」(p257)


そうした結論に至る過程の要約や引用がすっぽり抜けている「要点」でなんなのだけど。
ごく個人的には「まったくもって、そうだよな」と思わされる「結論」だった。